10月 13th, 2023 Posted 12:00 AM
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6月 5th, 2023 Posted 12:00 AM
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10月 27th, 2021 Posted 12:00 AM
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4月 21st, 2021 Posted 12:00 AM
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9月 7th, 2020 Posted 12:00 AM
Tags: イコール, としてのデザイン, 健常者, 川崎和男のデザイン金言, 弱者, 強者, 提訴, 暴力, 構造, 身障者, 隠匿
Posted in APHORISM
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11月 22nd, 2019 Posted 12:00 AM
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12月 8th, 2018 Posted 12:00 AM
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8月 20th, 2011 Posted 10:00 AM
8月20日 先負(丁未)
自由と団結、職業選択の自由、
社会組織への参加などという民主主義が、
大衆主義に迎合しながら隠匿されつつある。
『デザインという先手』小手先
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5月 3rd, 2011 Posted 12:00 AM
この国難で明白になったこと。
露呈してしまったこと。
隠蔽されたり、隠匿されていること。
物質としての街が壊滅し、
フクシマ原発事故でエネルギー問題が、
この長期になるだろう国難を支配していること。
そして情報はすべからくその指導力に依存しています。
指導力というのは、リーダーシップ性とディレクション性です。
結局現在リーダーシップ性とディレクション性が問われています。
私は、あえて、企画・計画・実施・運営・維持・管理について、
その監督能力をリーダーシップ力とディレクション力、
この二つがあるものと考えています。
それは、モノのデザインを職能にしてきた経験判断です。
デザインは「モノづくり」そのものではありません。
企画して具現化する様々な手続きに、情報的に関与し、
時に、リーダーとしての決断と、ディレクターとしての判断が、
そのプロセスから結果を制御するのだということを実体験。
つまり、判断と決断には、決定的な違いがあると思っています。
あくまでも、情報管理の実体験によって、
判断した結果と決断した結果には差異性があることは確実です。
したがって、リーダー、ディレクターという役割は違うものです。
しかし、いずれの役割においても、「結果」だけが残り、
その経過・プロセスなどに価値があるということは、
経験値を蓄積していく要素・要因にはなりますが、
それ以上の価値感はありえないと考えていることも事実です。
今、現政権でのリーダーシップ性は皆無です。
ましてディレクション性もありません。
理由は簡単です。
● 決断と判断には明確な順序があります。
● 判断して決断すること。
● 決断が判断の連鎖性と連続性であること。
● 判断と決断を同次元で結果にしてしまうこと。
● 判断と決断の違いが明確でも瞬時性と長期性を熟慮。
少なからず、この判断と決断で、
リーダーたる自分なのか、ディレクターたる自分なのかを
自分への詰問で自身の役割を認識することだと私は考えています。
Tags: エネルギー問題, ディレクション性, リーダーシップ性, 企画・計画・実施・運営・維持・管理, 国難, 指導力, 決断と判断二は明確な順序, 物質としての街, 監督能力, 瞬時性, 経験判断, 結果を制御, 連続性, 連鎖性, 長期性, 隠匿, 隠蔽
Posted in 祈望から企望へ
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4月 11th, 2011 Posted 12:00 AM
「リスク管理」という言葉は常識でした。
「デトリメント=detriment」になりました。
リスクとは人間個人の被害=被曝です。
デトリメントとは、社会=国際的な被曝加害です。
すでに放射能汚染の排水は海洋を汚染しています。
太平洋を汚染してしまいました。
なんとしてもこれだけは即刻、なんとかしなければなりません。
私たちは、極東の辺鄙な島国と言われてきました。
極東の島国・日本は世界的には「楽園」だったのです。
しかし、原発管理は「安全神話」で包み込み、また隠匿、
原子力というパンドラの箱の徹底管理に地道さを失っていました。
これは漁業従事者の方々はじめ国際的な大犯罪です。
したがって、被災地、しかも原発のあった福島県その場の人々、
特に漁業従事者の田畑に毒素をばらまいたことになります。
犠牲を強いたことは共同共謀強要罪に荷担しました。
海洋汚染だけは徹底的に食い止めることが大優先です。
デトリメント管理は謝罪、さらには国際的保障に至るでしょう。
その責務こそ、現政権は予知しているのでしょうか。
国際的に迷惑をかけるわけにはいかないことを犯しました。
福島原電発電所の土壌汚染を後回しにしなければなりません。
原電周辺の被災者をさらに苦しめることになりました。
「楽園」であった日本を失ったとともに、
私たちはデトリメント犯罪者になりました。
この自覚を認めなければなりません。
無論、復興しなければなりませんが、
重大な過失とは言い切れない海洋汚染をまず謝罪とともに、
具体的な方法論の発見とその具体化は緊急です。
この原因は確実に「原子力発電所」にあります。
だから、「原子力発電全否定」は論理的に成立します。
しかし、私は、それでも「原子力」と真正面で向き合います。
「だから原子力での犠牲と損害」からしか、
人類は学び取ることができないことを思い知ったのです。
原子力技術に終止符は私も納得なのです。けれどもなのです。
この無能さを人間が思い知ることに私は意味を見つけます。
自然とは調和などできないこと、さらに、
科学と技術の前にある原子力を制御する叡智発見に追い込みます。
自然と同様に原子力も背負い込む「諦観」にこそ、
絶望やgive upもabandonなどしてはならないのです。
resignからdesignを私は自分の生涯に背負おうと思うのです。
綺麗事でしょうか、綺麗事です。
海洋への贖罪=綺麗にする方法を見つけなければなりません。
あらためて極東の島国、私たちは楽園暮らしでした。
贖罪を放り出すわけにはいかないのです。
私が原子力をデザイン対象にするのは贖罪義務という認識です。
Tags: abndom, give up, デトリメント, リスク管理, 原子力というパンドラの箱, 原子力を制御する叡智発見, 原子力発電全否定, 原発管理, 国際的な被曝加害, 放射能汚染, 極東の辺鄙な島国, 楽園, 楽園暮らし, 洋への贖罪, 絶望, 綺麗事, 自然とは調和などできないこと, 諦観, 贖罪義務, 隠匿
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