kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘闘い’


『新型コロナウイルスでの「敗血症」多臓器不全死』


   


     5月 18th, 2020  Posted 7:46 PM

アルベール・カミュの『ペスト』を読み直しをしました。
人間と疫病の闘い、極限状況、ロックダウンと
不条理な中での私達の生き方。
当然、ダニエル・デフォーの『ペスト』とともに、
災厄に直面した社会と人間の存在と生き方を
表現した普遍的な価値を持っています。この状況で、
アフター・コロナという世界に向き合おうとする今、
「経済」活動では、これまでに戻ることなどはありえません。
医療や教育、そしてエンターテイメントなどが、
崩壊していますが、「経済」の仕組みはもっと大変です。
『ペスト』には「死んでいくのに難渋を味わう」「非快適」という
追放されたひとりぽっちの特異な状態の死があります。
「新型コロナウイルス」は、
生物兵器を開発途中で失敗をしたのではないかという説を
私は考えており、このコロナウイルスで世界中で、
人類が滅亡するかもしれない人災だと思っています。
私は以前、「敗血症」からの多臓器不全で重篤になりました。
それは2006年のことでしたが、今回のCOVID-19でも
重傷化する患者の多くが「敗血症」に陥り死亡しています。
そういうきっかけをいただき、どう言う訳か、この死での、
阪大時代の研究室の取り組みは深紫外線による手洗いから
感染予防のストレッチャーと寝具開発、
経肺によるワクチン接種と新しいシリンジがあります。
が、これは私の動物的な直感でした。


目次を見る

『科学も宗教も、「願い」だから祈祷札があるのです』


   


     4月 15th, 2020  Posted 12:39 AM

コロナウイルスの収束、そして終息をみんなが「願って」います。
世界の医療従事者の臨床対応の闘いに感謝し、「願う」のです。
基礎研究での解明と、ワクチン開発を待ち望んでいます。
3月末に、日本の各地で感染が拡がるなかで、
疫病=マラリアを除ける江戸時代に使用された版木から
復刻した厄除け霊場のお寺がありました。
宗教で人々に救いの手を差し伸べる動き・「お札」でした。
そして私達の移動が制限される最中故に、
お寺に参拝しなくてもよいと郵送で届きます。
しかし無料で授与されることを利用して
「性悪説」の日本人が出てきました、転売行為です。
許しがたい行為、全てを現行犯として、
逮捕が一般人でも可能にしたいくらいです。
三密を避け、SocialDistancing、stay homeで身を守る中でも、
自分のことしか考えていない人が大変多くいます。
科学の救い、宗教の救い、に対して「性悪説」の人は、
この国難に「善」へと切替えてもらいたいのです。
誰でも陽性になることを思考し、
願いを込める科学も宗教も同じの願望です。


目次を見る

『アイアンロードでの鉄と人間でのタタラと平和条約』


   


     1月 25th, 2020  Posted 2:00 PM

海洋考古学は海洋での軍事用に重要です。
最近、宇宙考古学の発見と歴史の解明に惹かれました。
宇宙考古学の先端的な解析技術により、宇宙から、
紀元前30世紀までの「アイアンロード」が発見されました。
まさしく、鉄の紀元前が宇宙から見え始めたのです。
それは鉄と人間との関係でした。
当時の鉄には銀の40倍、金の8倍の価値があったようなのです。
「シルクロード」と「青銅」だけだった私の知識も、一新されました。
そこで、4つのことが見つかりました。
当時には隕石ではなく、アルタイ地域でタタラから鉄鉱石になりました。
鉄にする高い技術力を有していたスキタイ人類、その人類は滅びました。 
村の半数以上が鉄にちなんだ名前をもつ「デミリ」村が
アイアンロードの出発点であること。
スキタイには文字が無っなったのですが、
ヒッタイト人にはくさび文字があり、
超大国エジプトとの闘いにも領土を守り、
それこそが最古の平和条約になったのです。
その後、鉄はアルタイ地域でルートがわかれたのですが、
やがては万里の長城を隔てた匈奴と漢があり、鉄の開発を匈奴の鉄牛村では
「戟=ゲキ」という兵器など戦力として争っていたことです。
さらに鉄の農具は「犂鎌=シカ」は、農業革命を起こしてしまいました。
そしてアイアンロードは、日本にも到達します。
ただし「戟=ゲキ」より刀剣の強度は強く、
日本が勝利した戦いの勝因は決して「神風」によるものではありません。
先般にベストセラーだった「刀剣が神風ではなった」という意味を
私は初めて納得をしたのです。
刀剣は砂鉄からタタラ技能による佐鉄と玉鋼を材料としているので、
匈奴の刀剣よりも、とても強力たったのです。
またアイアンロードで生み出された農具の犂鎌は、
タケフナイフビレッジのマークにも、使っていたことの証拠になりました。
マーク表示の野鍛冶の鋤と鎌です。
この流れから越前打刃物も誕生しています。
アイアンロードは脈々と繋がっていおり、
私も、鉄と人間、農具と兵器具、タタラ技能を今なお自負しています。


目次を見る

『武器も兵器も、戦争ではなくて「スポーツ」である』


   


     8月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM

戦争という言葉だけで、特に日本人は大嫌いです。
様々な技術開発が戦争の武器や兵器となることは当然危惧しています。
同時に、デザイナーとして武器や兵器には
造形と技術の知識に、ダ・ヴインチの如く関心を持って見ています。
知識と発想がなければ開発することも、正しく有効利用することも、
問題解決することも、平和的利用にもつなげられません。
「戦い」はそれこそ戦争ではない勝敗で、
新しいスポーツ化されないものかと考えています。
サッカーの起源が、戦争で勝った敵国の将軍の首を蹴って
祝ったことからとされていますが、
今はその競技には行き過ぎた行動を伴うほどに
血が騒ぎ熱狂を持って楽しむスポーツです。
そしてスポーツ選手は、英雄になり多くの人達に、
感動や勇気を与えています。武術や武道も戦闘法から、
その型の美しさや技の強さを競う勝敗をつける戦いとなり
身体と精神とも自分との闘いにより磨かれ、
その道を学び、極めていきます。
空手などの美しい動きの型はロボットの動きにも転用されています。
例えば、伝統工芸としての打刃物、刀剣も、
武器から神格化までその時代で役割や技術その継承が重ねられています。
日常の道具としての刃物も武器になる、人を傷つける可能性をもつ以上、
それを産み出すモノづくりには、
「生」をかけて、取り組まなければなりません。
結構な刃渡りの刃物をどこにでも持ち運んで使いましょうという
軽快なコンセプトでスタイリッシュなデザインされた刃物ケースは、
素材も相応しくなかったけれど、県か市のデザイン賞が与えられており、
銃刀法も知らずに「馬鹿が選んでいる」と想像がつきました。
話は展開してしまいましたが、
さて、コレはまた進化している「ズムウォルト級ミサイル駆逐艦」です。
「そして私は、戦争ではないスポーツとして、
その駆逐艦を考えていた男がいた」と言われたいです。

*駆逐艦


目次を見る

05月06日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 6th, 2018  Posted 12:00 AM

05月06日 大安(戊戌)

僕はよく、
プレゼンテーションは「闘い」だと口にする。

その意図しているところは、
「プレゼンテーションをするにあたり、
まずは自分と闘うべきである」
ということである。

ともかく、喧嘩相手は自分自身なのだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 1st, 2018  Posted 12:00 AM

05月01日 赤口(癸巳)

闘いと言うと、
まず「きょうそう」という言葉が
頭に浮かぶ。

「きょうそう」には
「競走」と「競争」という
二通りの漢字がある。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

『権威が権力として誤った選別を告知へ、に反抗』


   


     6月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

日本だけでなく、世界中の人間のコミュニティ、集団や●●界には
いわゆる政治的な強迫的とも思える支配構造が必ずあります。
美大時代には少なからずデザインの世界は純粋美術のような会派が無く、
きっと自由だと思い込んでいました。
けれども、社会人としてデザイナーになると、学閥がはびこり、
さらには「デザイナー風情が・・・」(これは今も)に包囲されていました。
フリーランスになると、「田舎のデザイナーが・・・」がありました。
したがって、敢然とデザイン界内部では闘い、なおかつ外部でも、
「デザイナーは喧嘩師であれ」を出版したことで、
これはドエライ、ブーメラン効果にもなっています。
しかし、敢然と、正眼の構えは崩さないことを明言しています。
これはあるデパートでしかもデザインを中軸にして正当さを守っていた
日本の代表的な売り場でもあり、ミュージアム的なデザインの良さや
ここを運営する日本では最大最良のデザイン団体があります。
ところが、展示作品には無知識さがあるようになりました。
私もそこの会員に若いときに推薦されましたが、
その権威のようなことが嫌で会員にはなりませんでしたが、
作品は展示され売られてもいました。
ところがある時期から、ここの団体なのか店の商売感覚で、
私の作品どころか、書籍などもまったく置かれてもいません。
私はその反発心を表現しようということなどはどうでもいいのです。
上京すると結構、ここでの企画展・作品展も見ますし、
会員の知り合いに会えば率直に意見をいいます。
今回も若い作家には漆のあるべきことを言いました。
展示は車イスの私には全く見えず、
書籍コーナーにあるデザイン批評やデザイン関連歴史書には、
許すべきではない偏見甚だしいというか、
権威ある団体公認は見逃せません。
敢えて書き残します。
これこそ新しい権威を超えた権力行使だと自白もしておきます。

*『喧嘩道には制度的なサンクションが作動する』
*『色見本・素材見本よりも重要なある規範を変えたい!』
*『本物に出会う「漆器」にもささやかな未来が見えた』
*『出版を「モノのデザイン」にしていくために』
*『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


目次を見る

4月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 1st, 2012  Posted 10:00 AM

4月1日 先勝(壬辰)

僕はよく、
プレゼンテーションは「闘い」だと口にする。

その意図しているところは、
「プレゼンテーションをするにあたり、
まずは自分と闘うべきである」
ということである。

ともかく、喧嘩相手は自分自身なのだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

3月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 20th, 2012  Posted 10:00 AM

3月20日 大安(庚辰)

闘いと言うと、
まず「きょうそう」という言葉が
頭に浮かぶ。

「きょうそう」には
「競走」と「競争」という
二通りの漢字がある。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

4月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 6th, 2011  Posted 10:00 AM

4月6日 赤口(辛卯)

仁義無き闘い相手は、
私自身なのだ。

このデスマッチに耐えかねる
わがままさが、
他人に向けられているに過ぎない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


目次を見る