2月 24th, 2017 Posted 12:00 AM
兵庫県立美術館に展覧会を観に出かけました。
館長は蓑豊氏であり、彼は私に21世紀現代美術館(金沢)にて、
大規模な個展をやらせていただき、毎年忘年会をする間柄。
忘年会時に「アドルフ・ヴェルフリ Adolf Wolfli」という人物展だから、
絶対に観ておくといいよ、と聞かされていました。
ワイフの運転で出かけて、すぐに館長室で近況や雑談をして、
展覧会場で、今では作品と言われている、
正直、じっくりと彼自身を知らなければ、とても解説は困難な
作品や、説明のビデオを観ました。
新聞用紙に鉛筆、以後、色鉛筆、コラージュになります。
それも25000ページという膨大さです。
しかも、生涯を精神病院で過ごして、与えられた鉛筆と新聞用紙には、
彼の王国を創り上げることを自叙伝とし、旅行記も地図を読むだけでした。
にも関わらず、5線譜どころか6線譜に作曲を書き記しているのです。
当時のたとえ精神病院と言ってもそれはほぼ牢獄だったはずですが、
彼は自分の絵が商品だと知れば、それを売って地球を買い取って、
彼の考える王国を創る。
そのためには複利計算さえ描いた作品にしているのです。
私が子どもの時に、「綺麗な貼り絵だな」と小学校2年生の頃、
ちょうど福井の百貨店でサイン会もある展覧会に、
母にお小遣いまでもらってでかけましたが、絵はがきを数枚買うと
サインして貰えるというので大人に混ざって並んだのです。
綺麗な貼り絵、その絵はがきに、作家のサインを貰うとき、
私はもう驚いて唖然としたのです。
その作家は山下清でした。彼自身のサインをしてもらい、
どういうわけか、帰宅して母にサインを見せて大泣きしました。
幸い、今回、 山下清、自分の記号的な文字、そして新聞用紙からも、
最初の衝撃は「ジャーナリズム」でした。館長が言ってくれました。
鉛筆だから、どうやって削り出していたのだろうね、と。
精神病の彼にはナイフは無かったから、誰かが削っていたのでしょう。
ともかく、自叙伝には悲惨な事故も記され、
彼の言う王国は、これから作品集を読んでみます。
ひたすら、彼の想像力をサルトルの分析に照らし合わせてみます。
* 「Kaossilator2から音楽と音響の未来が聞こえる」
* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 「30-Channel Programmable Stereo Systemは伝統工芸」
* 「徳富蘇峰の評価も忘れられて・・・・」
* 『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』
Tags: 21世紀現代美術館, 25000, 5線譜, 6線譜, Adolf Wolfli, アドルフ・ヴェルフリ, お小遣い, コラージュ, サイン, サルトル, ジャーナリズム, ワイフ, 人物展, 作品, 作品集, 作曲, 兵庫県立美術館, 分析, 唖然, 商品, 展覧会, 山下清, 忘年会, 想像力, 新聞用紙, 母, 牢獄, 王国, 精神病院, 絵, 絵はがき, 綺麗、複利計算, 膨大さ, 自叙伝, 色鉛筆, 蓑豊, 解説, 貼り絵, 鉛筆, 館長, 館長室
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2月 17th, 2015 Posted 12:00 AM
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7月 7th, 2014 Posted 12:00 AM
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5月 31st, 2012 Posted 12:00 AM
松岡正剛「連塾」、その他の舞台演出は、
いわゆる講演スタイルにオリジナリティが顕著です。
私は、彼の講演での話し方、語り部仕草は、
まったくのインプロビゼーションであり、
観客を引き込む術において、
あるいは、プレゼンテーションとしては、
世界的にもトップランクだと思っています。
故スティーブン・ジョブスがプレゼンテーターとして、
最高の人物評がありますが、
私は松岡氏の方がはるかに彼をしのいでいると思います。
なぜなら、製品を題材に語るより、
抽象論理を語ること、文化の根底を語ることは
とめどなく困難だからです。
頬に押し当てた掌は、思考を巡らしているわけではなく、
不安や欲求不満などありえず、
いわゆる心理学でのパフォーマンスに深層心理表現は
まったく当てはまっているとは思えません。
彼の言葉に、「読欲」があります。
ともかく「本を読む」という欲求が強い人なら、
多分、頬杖ではない頬に掌は、私にもその癖があります。
だから、読欲あれば思索サイクルの表出が舞台上に出る、
そんなことはありえません。
すでに反芻された思考結果を語るだけだから、
観客は引き込まれるのでしょう。
ひょっとすると、写真撮影禁止だったのかもしれませんが、
私は、私記録としてシャッターを押しました。
ここで「連塾・最終回」のレポートをしたわけではありません。
「九景」として構成された最終回は、
なぜ、九景だったのか、
それも私には推測がついています。
彼の「自叙伝」がどうだったのかは、
書物となって出版されるでしょう。
おそらく、その「語り」と「身振り」による空気感までを
編集されることはとても困難だと思いますが、
その記録、あるいは・・・
私はその出版を心待ちにしています。
男として惚れ込んでいる「ち」としての松岡正剛です。
「ち」とは、
私が常用する「いのち・きもち・かたち」の「ち」であり、
知・血・地・致・智・値・治・置・稚など、
日本の森羅万象を受け止める統合的な百科的認識を表してます。
10年に及んだ「日本という方法」、
その結論を師範として松岡正剛は最後に提示しました。
それらが何であったのかも、
是非に出版を待っていただきたいと思います。
私はその出版を待って、再び松岡正剛を伝承したいと考えています。
「グレン・グルードのごとくありたい」と、
松岡正剛は声を詰まらせたとき、私も同様に胸が詰まりました。
私はあらためて、10年の結論こそさらに「日本という方法」、
それが3.11からの復興と復活の「ち」ゆえに、
松岡正剛は、その師範役を引き受けるべきと伝えます。
「連塾」は、9.11をもって開塾されたのですから。
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5月 29th, 2012 Posted 12:18 AM
「連塾・最終回」は岩波から出版されますから、
ここで全容を書く事はできません。
しかし、松岡正剛「連塾」・私の自叙伝の冒頭で、
「隠坊」との出逢いが重要であったことを語り始めました。
それは、私も同一だったことに驚いたことも伝えてくれました。
オンボウorオンボ=「隠坊」という存在を知る観客はいたのだろうか、
私はそう思いました。
「隠坊」は、死体を火葬する斎場に住み着いている坊主です。
隠坊は差別用語になっています。
私の母方の祖父は宮大工大棟梁であり、
木こりから六呂師、瓦焼、落とし紙の紙漉きなどや、
いわゆる部落民はじめほとんど村一族を率いていましたから、
「隠坊」の面倒から斎場の管理までを引き受けていました。
まだ私が幼少の頃(幼稚園に入る以前)、
福井の京福電車に乗れば福井から松岡町に行くことを覚えました。
だから、京福線新福井駅から松岡駅に行って、
松岡の駅で、大声で泣くのです。
そうすれば、必ず、駅から祖父に連絡が入り、
祖父は大抵、「隠坊」二人を連れて迎えに来てくれます。
しかし、時には「隠坊」二人だけが迎えにくると、
「なんや、お前ら二人か」と泣き止むことにしていました。
私が高校生になるまで「隠坊」は私の世話係のような者でした。
「隠坊」はあの世の入り口にまで引率する役割を担っていました。
火葬の火の番を酒を飲みながら夜通し白骨になるまでを見護るのです。
現代、そのような存在も「隠坊」という言葉も消えています。
ある時、私が松岡正剛に、
私は幼少の頃から「隠坊」と過ごしていたことを話したら驚いて、
「隠坊論議」をしたことがありました。
福井県松岡町の斎場は、祖父の葬式をもって閉ざされ、
以後は福井市の斎場にて町民は火葬されるようになりました。
祖父は斎場の建て替えを言い出していましたが、
それを言い出すと必ず死を迎えるから祖母は猛反対をしていましたが、
祖母が先立ちました。
二人の「隠坊」もすでに亡くなりました。
二人とも傷病兵で、一人は片目が無く空洞の眼孔を持ち、
一人は松葉杖を突き、
夕食は必ず酒を玄関脇の板の間・蓆部屋で飲んでいました。
あの世への入り口の話をどれだけ聞いたか分かりませんが、
すでに私は三度もあの世への道を辿り門前から戻る経験があります。
「隠坊」の話は、語り継ぐべき日本の閉ざされた引導話全容です。
そのことを語れるのは、私と松岡正剛しか居ないでしょう。
Tags: オンボウ, 京福線新福井駅, 京福電車, 傷病兵, 六呂師, 宮大工, 岩波, 幼稚園, 引導話全容, 斎場, 最終回, 木こり, 松岡正剛, 松岡駅, 棟梁頭, 瓦焼, 福井, 紙漉, 自叙伝, 連塾, 隠坊
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3月 20th, 2010 Posted 7:47 PM
3月20日
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)の
自叙伝について
出版社の方との打ち合わせ。
出版についてはもちろん、
橋本左内のお話他、
様々な話題で盛り上がりました。
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