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Posts Tagged ‘絶望’


1月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 11th, 2022  Posted 12:00 AM

1月11日 友引(甲子)

『賛歌としてのデザイン』

しかし、
人間は
明日への絶望よりも
希望を募らせることが
できる存在である。

artificial heart:川崎和男展


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3月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 30th, 2021  Posted 12:00 AM

3月30日 先勝(丁丑)

『誌論としてのデザイン』

したがって、
世界の、
悲惨、誤謬、絶望、偽善に、
精いっぱい衿持を
正して地道に生きようとする
人々の生活が、
記述されることのない
生活誌となって、
歴史への直視力を
確保することができる。

artificial heart:川崎和男展


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3月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 21st, 2021  Posted 12:00 AM

3月21日 仏滅(戊辰)

『誌論としてのデザイン』

歴史とは、
人類の悲惨、
誤謬、
絶望、
偽善を
容認するために
過飾した記述であろうか。

artificial heart:川崎和男展


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9月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 10th, 2020  Posted 12:00 AM

9月10日 大安(丙辰)

『提訴としてのデザイン』

運命ゲームの
狂喜と絶望に翻弄される万人の生涯、
それゆえに!」と、
いうことから人間の生死を
直視する思想は欠落したままである。

artificial heart:川崎和男展


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「健康は失い薬づけだが幸運なり」


   


     1月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

28歳交通被災で車椅子生活。
交通被災時に心臓も直撃されたために心臓障害。
これが私の宿命でした。
絶望だけはせずに、自分を諦観の中で生きてきました。
ところが、幸運だったのは大学人になってさらに、
名古屋市立大、大阪大でもそろぞれの附属病院で、
詳細に体調管理されていることです。
入退院、手術は幾たびも、しかも敗血症まで、
こんな重篤も乗りこえることができました。
これは幸運なことだと思っています。
だから、「幸不幸」はコインの裏表みたいなものです。
「幸不幸」から幸運や幸福をつかみとらなければなりません。
毎月病院で診察を受けます。
これは体調が良いときです。
体調が悪いと診察にも行けないのです。
敗血症から生還してきたとき、
病院の待合室で大勢の患者さんを見ていてこう思いました。
「病苦で自死を選ぶ」というきもちがつくづくわかりました。
毎月毎月、死ぬまで病院通いなんていうのは耐えられないし、
常時食前食後就寝前に服用しなければならない薬を見ると、
きもちはすこぶる落ち込みます。
ICDを入れる前に比べると、格段に薬の種別も激減しましたが、
それでも常に万一を考えると、薬づけの生活です。
だからこそ、「薬」の形態や色彩のデザインが不可欠です。
そして薬の形式をもデザインで変えてしまうべきと考えています。
なんとしても「ドライパウダー化」して経肺吸引が目標です。
現在は、ワクチンをミスト吸引するシステム開発が進行しています。
機能食品という名の「健康維持のサプリメント」ブームです。
しかし、サプリメントととの最適性などは、
もっと確実にしていく必要があると考えています。
いづれ、私の常備薬がドライパウダーになってくれたらと思っています。
自分のための造形された、デザインされた薬が必要です。
デザイナーとして、
こんなことに気づかせてくれたのは「幸運」だったと思ってきました。

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「月食、それは風化させてはならない啓示です」


   


     12月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

昨日2011年12月10日夜、皆既月食でした。
20代後半に車椅子となった私は、
仏教書と易経にのめり込んでいました。
そして当時、「流行通信」というファッション誌で、
始めて連載を書き始めたのです。
音楽と音響機器というテーマでしたが、
二回目には「修景論」をまとめました。
風景の要因には、日食・月食・彗星・雷雨暴風、
この四つが易経では大きな天地異変の変動、
その結論が述べられています。
易経を単純に「占い」とみなしている風潮は、
明らかに熟慮不足だと認識すべきでしょう。
そして風景は風と景気を根本で支えている東洋の智恵です。
日本風とか、和風、修景としての光景と風景と情景を
明確に定義づけています。
だから、景観は景気を動かします。
景気の善し悪しは、例えば不景気、
それは「気」=きもちを落とし込み=鬱病と重なるわけです。
月食は天変異変を歴史にもたらしてきました。
3.11は今なお、私たちを解放すること無く、
哀しみと悲しみを残しています。
12月9日、死者15841人であり、行方不明者は、
未だに3493人という哀しみをぬぐい去ることは不可能です。
月食が天変異変を知らせているとするなら、
私たちには「祈り」しかありません。
そして、絶望してはならないのです。
その基本として私たちは3.11のあの光景を語り継ぐのです。
つまり、人間には忘却するという精神的解放がありますが、
それを「風化」と呼んではならないのです。
私たちに吹いてくる「風」は、微風から暴風まであります。
あらためて修景、そして「風景」によって、
やがて生と死の光景に入っていく生命、
その意義を見つめなおすべきでしょう。
「風が吹いている場」は空なる間、空間ということになります。
空間に「風流」を求めるとき、私たちは解放されるのでしょう。

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「光景の中の闇への抵抗」


   


     8月 15th, 2011  Posted 1:24 AM

人にはそれぞれの時間。
いわば賞味期限のように、
生命時間が誰かが決めているようです。
神が決めているらしいようです。
私が28歳で車倚子になったとき、
「君はあと平均で40歳まで」されました。
その医師は医師ではないと思っています。
そんなこと言うか・・・「怒り」いっぱいでした。
こんなドクターには何人か出会ってきました。
本来は医師という天職につくべき人間ではありません。
性根が暗くて医師免許があっても「ヤブ」な医者です。
大学医学部で講義を持つときには、
天職としての医師資格について語る事例にしています。
車倚子生活を告げられた時にも平常心で受け止め、
たかだか車倚子、歩けない、それがどうした、とすら
思えるほど私は冷静でしたが、
40歳までという宣告にはその医師に以後反抗しました。
ところが、気がついたときはすでに40歳になり、
そのときには憧れだった「毎日デザイン賞」を受賞。
以後、すでに22年生き延びています。
親友や級友やその奥様などが逝ってしまいました。
今では父母も叔父叔母、伯父伯母も居なくなりました。
だから、私の周辺でそのような事態が発生すると、
正直うろたえます。
人間の絶対時間を想い知らされます。
ただし絶対時間が「闇」世界につながってはいません。
これは私が絶対時間切れかもしれない三度の体験です。
私が、この世に戻ってくるときは、
必ずベッドの周りから大きな声が聞こえてきました。
医師・看護師のみなさんが声をかけてくれました。
正直もう眠くて、とても快感の中にいる自分、
それなのにその声で起こされると、
嘔吐・寒気・悪寒・発熱・気絶という苦しみがあります。
だから、私はこの世にいる時間そのものが、
本当は「苦しい時間」なのだと思います。
きっと、赤子として生まれ出る時には、
この世に出たくないと思って泣き叫ぶのでしょう。
私は、光景というのは生死の景観であり、
光と影では、必ずしも影世界が「闇」だと思いません。
むしろ、「闇」は、生きている人間が携えている、
とてつもなく抵抗しがたい世界観だと考えています。
まさに、「死に至る病」=絶望=闇なのでしょう。
だから、希望に自分を差し向ける苦しみが、
絶対時間の中で何度でも体験しても、
耐え抜ける力が「希望」だと思っている次第です。

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「生はカタストロフィとの接点にある」


   


     5月 28th, 2011  Posted 12:02 AM

「生きている」こと、本当の実感。
このことに気づける人は幸運です。
この幸運さに気づかされること。
この幸運さを忘れてしまっていること。
日常はこの狭間にあるように私は思っています。
気づくのは、人の死を思い知ったこと。
生と死をしっかりと支えてくれているのは、
「文化」という生の余裕で包まれていることでしょう。
忘れていることに気づかされるのは、
日常に破滅・破壊=カタストロフィが生死を分断、
私は助かったということ。
愛する人を失った時、
絶望が取り憑きそうな時、
私自身が、交通被災と心臓発作で、
身体的破壊を体験したからこそ、
この心情と心境と真実を知ったのでしょう。
そして、「文化」が失われるのは、
天災と人災です。
天災、まさに地震・津波・爆発・火災・台風という風景。
人災、交通事故から犯罪被害、そして制御不可能な景観。
今、人類最大の人災的景観とは、戦争と原発事故でした。
「文化」が失われるのは一瞬でした。
結果、私たちが生と死の狭間で、
思い知らされたのは「文明」そのものが破滅すること。
「文明」が失われれば、当然、文化は剥奪されました。
自然の景観も人工的な景観もカタストロフィになれば、
私たちに取り憑いてくるのは「絶望」に落とされます。
しかし、私たちは、失ってしまった文化と文明を、
何度も何度も、
新たな文明づくりに挑んできた歴史があったことこそ、
「希望」の本質だったと定義しておきたいものです。
つまり、「生」とはもろくて弱くて壊れそうなことです。
しかも、毎日の日常、その傍らにはカタストロフィが、
「生」を奪い取ろうとしていることを忘れてはなりません。
もう一度「文明」づくりで、自然と対決した結果として、
また新たな「文化」に包まれることを願望します。

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「極東島国は謝罪しなければならない」


   


     4月 11th, 2011  Posted 12:00 AM

「リスク管理」という言葉は常識でした。
「デトリメント=detriment」になりました。
リスクとは人間個人の被害=被曝です。
デトリメントとは、社会=国際的な被曝加害です。
すでに放射能汚染の排水は海洋を汚染しています。
太平洋を汚染してしまいました。
なんとしてもこれだけは即刻、なんとかしなければなりません。
私たちは、極東の辺鄙な島国と言われてきました。
極東の島国・日本は世界的には「楽園」だったのです。
しかし、原発管理は「安全神話」で包み込み、また隠匿、
原子力というパンドラの箱の徹底管理に地道さを失っていました。
これは漁業従事者の方々はじめ国際的な大犯罪です。
したがって、被災地、しかも原発のあった福島県その場の人々、
特に漁業従事者の田畑に毒素をばらまいたことになります。
犠牲を強いたことは共同共謀強要罪に荷担しました。
海洋汚染だけは徹底的に食い止めることが大優先です。
デトリメント管理は謝罪、さらには国際的保障に至るでしょう。
その責務こそ、現政権は予知しているのでしょうか。
国際的に迷惑をかけるわけにはいかないことを犯しました。
福島原電発電所の土壌汚染を後回しにしなければなりません。
原電周辺の被災者をさらに苦しめることになりました。
「楽園」であった日本を失ったとともに、
私たちはデトリメント犯罪者になりました。
この自覚を認めなければなりません。
無論、復興しなければなりませんが、
重大な過失とは言い切れない海洋汚染をまず謝罪とともに、
具体的な方法論の発見とその具体化は緊急です。
この原因は確実に「原子力発電所」にあります。
だから、「原子力発電全否定」は論理的に成立します。
しかし、私は、それでも「原子力」と真正面で向き合います。
「だから原子力での犠牲と損害」からしか、
人類は学び取ることができないことを思い知ったのです。
原子力技術に終止符は私も納得なのです。けれどもなのです。
この無能さを人間が思い知ることに私は意味を見つけます。
自然とは調和などできないこと、さらに、
科学と技術の前にある原子力を制御する叡智発見に追い込みます。
自然と同様に原子力も背負い込む「諦観」にこそ、
絶望やgive upもabandonなどしてはならないのです。
resignからdesignを私は自分の生涯に背負おうと思うのです。
綺麗事でしょうか、綺麗事です。
海洋への贖罪=綺麗にする方法を見つけなければなりません。
あらためて極東の島国、私たちは楽園暮らしでした。
贖罪を放り出すわけにはいかないのです。
私が原子力をデザイン対象にするのは贖罪義務という認識です。

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「希望を企望に」


   


     4月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

成長の限界に至れば、
その成長は
突然破壊されることが起こりうることがあります。
あるいは偶発的なのか必然なのか災難に見舞われます。
それが人間、社会に対してであれば、
これほど人間をそして社会を
悲しみのどん底に落とし込むことはありません。
そんなとき、その悲しみゆえ「絶望」に囚われるのです。
私は数度そのような体験をしてきました。
しかし、「絶望」の哲学的意味を知っていました。
つまり、「死に至る病」とは、
それは「絶望」でした。
実存主義哲学者・キルケゴールのことばです。
だから、絶望などしていられません。
歩けないことや、いつ心臓発作がくるかもしれない、
そのような不安と対決する圧倒的な力が必要でした。
ある意味では簡単な発想をすればいいのです。
絶望の反照を見つけて
自分に言い聞かせることです。
自分に言い聞かせるというのは「祈り」です。
そして反照は「希望」です。
絶望と希望は対称性があります。
希望というのは、「希」という漢字に意味が明確です。
布を織っていくとそこにはかすかな隙間ができます。
その隙間から覗いてみると
余りにも遠くてたどり着けそうもないところが見えます。
それでもその場を望むのです。
見続けることです。
それが「希望」です。
希望にはよりそってくれる言葉がいっぱい出てきます。
夢・跂望です。
こうしたことばが絶望を抹消してくれるのです。
特に、希望より跂望です。
「跂」という文字は、
つま先立ちして身体を支えながら
到達したいという夢を望んでいる形象です。
私はデザインという営為を身体化してきました。
踝からつま先立ちするもう一つの漢字が企画の「企」です。
だから、祈望・跂望・希望をさらに強化する「企望」は、
まさしくデザインだったのです。
デザインは絶望を抹消させることができます。

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