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『2Dから3Dへの視線は動線になる』


   


     2月 10th, 2020  Posted 2:00 AM

眼球は唯一、一部むき出しの臓器です。
目で見る、視る、観る、覧るといったその生理と機能があります。
絵画の瞳は、2次元で表現されていますが、
レオナルド・ダ・ビンチは、解剖の経験を絵画にまで持ち込みました。
モナリザの視線は、追いかけてきます、
モナリザは、どこから見ても視線が合うのです。
視線が合うダ・ビンチの絵画は2次元から3次元の表現となり、
それは彼の功績です。
したがって、液晶TVでも2Dと3Dが間違っているのがあります。
遠景がはっきりと見えるのは、大きな誤りです。
以前、私は依頼があっった選挙用のポスター撮影に立ち会った時、
鏡に視線を送って撮影し、視線が合うつまり3次元の表現を作りました。
鏡の像を反転したポスターで、
どこからでも見つめる視線を持つ選挙用ポスターの完成です。
そして目で見る、映像のモニターとその画づくりはもちろん、
長年、私はメガネをデザインしてきました。
メガネの由来はいろんな話がありますけど、
「目の差し金」だと言っています。
そもそも依頼された企業には、
皆アイバンクに登録することから
デザインに取りかかりたいと言いました。
有難いことに、私はダ・ビンチのように解剖を経験でき、
私は目周辺の筋肉、血筋、リンパ線を知っています。
そろそろ、こういった目のメガネへの知識と知恵を
めがね産地の福井と鯖江のデザイナーに
全てを受け渡したいと思っています。


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『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


   


     5月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

美大生時代には徹底的に「作品の暗記」をさせられました。
海外のデザイン誌に載っている作品を覚えました。
自分のデザインが決して誰かの作品に似てはならないことを
体に叩き込まれました。
あるときテーブルのデザイン依頼があり、図面化しました。
しかし、なんともどこか喉に引っかかっている気がしてならず、
ひょっとしたら、自分の記憶にある造形をしてしまったのでは?
この思いにとらわれてしまいました。
そこで、デザイン誌を積み上げて再チェック。
ほぼソックリなテーブル造形がありました。
それを見つけ出した喜びがあり、続いて、自分にがっかりしたものです。
それでクライアントにその誌面と自分の図面を持っていって、
気づいたら真似でしたと告白して締め切りを延長してもらいました。
クライアントからは
「もっと凄い造形が期待出来る」と言われ、
結局実現はできませんでしたが、信頼された思い出があります。
ところが、最近では、亡くなってしまったデザイナーの作品が
登録されていないからとか、
すっかり忘れられているからいいだろうということで、
物真似、あるいは盗作と呼ばれる事態が起こってきています。
その評判によって、日本のデザイン界全体が非難され、
デザイナーなんて、その程度、と言われてしまう状況です。
確かに、工業意匠登録は20年ということですが、
著作権となれば、それは永久に道義的な責任が問われます。
デザイナーは、知財権での権利保有とともに、
著作権としての道義的なデザイナープロ意識を毅然と持つべきです。
どういうわけか、
国際問題になりかねない盗作に対する訴えが自分に集まります。
しかも自分のモノ真似を「不細工」と発言すれば、
自分自身がSNSで非難されるそんな時代に直面しています。

*『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『不細工なモノは不細工である』
*『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』
*『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』


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『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』


   


     5月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

何度か、自分は自宅玄関を紹介してきましたが、
完成状態を初めてアップします。
しかし、提案は単なる流行の「デジタルサイネージ」では、
全く意味が無いということを主張してきました。
「デジタルアッサンブラージュ」という新しい名辞をしてきたのです。
これは日本デザイン保護協会にて、仮の意匠権登録をし、
「KK塾」でその実働モデルを紹介してしまいました。
この名辞には、松岡正剛氏も充分に納得してもらいました。
「デジタルサイネージ」を超えて、最先端なことは
映像表示とデジタル照明の制御まで可能だということです。
なにしろ、
これを応用したショールームはもうすでに人気を集めていますが、
もっと、もっと、というのは自宅玄関で、
映像コンテンツを、さらにデジタル照明と一致させていることです。
自宅玄関を知った企業は、採用が増えてきていますが、
具現化する企業には
「デジタルサイネージ事業部」系が未だに残っています。
だから実物を見れば「デジタルサイネージ」では、絶対に異なる
「アッサンブラージュ」という美術用語との関連性が明確になります。
今では玄関の静的な設置を超えて、どこにでも機器設備として設置が
きわめて簡易になることを実現しています。
阪大に設置することも、ある事業との関連で根回しをしています。
ともかく映像コンテンツと照明、
さらには未来のある方向が見えてきています。
「デジタルアッサンブラージュ」でこそ、なぜ、アート分野で
この「アッサンブラージュ」が
未来=現代を見通していたかということです。

*『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』
*『ジッポーのあかりをデジタルアッサンブラージュ』
*『LEDの点・線・面光源では陰影制御のデザインが必要』
*『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
*『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


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『資本主義からの逃走』
「Appropriationー”知財権制度”・反抗させない本質的デザイン3」


   


     4月 13th, 2010  Posted 12:01 AM

異議申し立て
Appropriationが、デザイン発想の斬新さという流行
私は、Appropriationをしているという無自覚なデザインに、
大いに異議申し立てをしておくべきだと考えてきました。
しかし、引用・借用・盗用かどうかという線引き、
その困難さゆえに、この兆しが見え始めた20世紀末から
どうやって、
デザイナー職能に対しての批評発言をためらってきました。
デザインが「欲望の刺激装置」と言い放ち、
デザイン価値・対・価値デザインを、
「知財権」の有無、その制度の見直し時期を見計らってきました。
ようやく、私はデザイナーとして、具体的な製品によって、
知財権、その中の最も権利主張が弱い「意匠権」を見直しました。
結果、
三つの見方に至っています。
● 外形・外観の盗用では意匠権は成立困難であること。
● 盗用はやはり倫理性の欠落からデザイナー見識が問われること。
● 知財権としての成立はほとんど不可能であり、
 制度破壊が一時期は讃えられても、
 やがてはある種のデザイン・スキャンダルに終わります。
すなわち、
デザインの本質は、一時的なブーム=流行性では、
その本質的な存在感をすぐに喪失することは
歴史的に明白になっていくものです。
流行学
なぜなら、「流行学」という学域があります。
これはマーケッティング論や経営学の領域学ではありません。
「流行学」とは、疫病や伝染病の流行性の学論です。
したがって、Appropriationは伝染病的なメタファー表現にすぎません。
そのことを明示していると考えていいのかもしれません。
現在、知的財産権が明確であるのは「著作権」のみです。
なぜなら、これは登録して権利取得とその収益独占ではありあせん。
「著作」という表現で、すでに「存在」が公認される制度です。
比して、意匠権・特許権・実用新案権・商標権は、
あくまでも登録です。

果たして、Appropriation、あるいはAppropriation的登録は、
まったく知財権登録では、拒絶・遮断・裁決は明確です。
Business Design Model
すなわち、デザインは、その本質において、
「倫理性」が大きな骨格であるかぎり、
Appropriationは、やや長期であっても「流行」にすぎないのです。
デザイナー職能でのデザイン対価を社会公認させれるには、
決して「盗用」は許されないということです。
私が「Business Design Model」という提案の
背景論理はここにあります。


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