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Posts Tagged ‘理解’


12月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 26th, 2011  Posted 11:50 PM

12月26日 先勝(乙卯)

誰しもが、
きっと一度は経験したことのある
恋愛感情を思い出すこと、
これが
プレゼンテーションの基本である
「発想・表現・伝達」の
一体性を理解する近道である。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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12月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 11th, 2011  Posted 10:00 AM

12月11日 先負(庚子)

発想、つまり「思いつき」は、
独りよがりになりやすい。
ましてや、
これまで誰も考えなかったような
斬新なことを思いついた場合ほど、
よほどうまく相手に伝えなければ、
理解は得られないものだ。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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12月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 8th, 2011  Posted 10:00 AM

12月8日 赤口(丁酉)

自分のアイディアを具現化するために、
もっとも的確な理由と説明を
わかりやすく解説することだ。
なんとか相手の理解を得ようと
説得することなのだ。

説得すること、
それがプレゼンテーションだ。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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3月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 9th, 2011  Posted 10:00 AM

3月9日 赤口(癸亥)

まだまだ、
デザインとは何か、
何がデザインかということや、
デザイナーの役割や職能は
理解どころか認知もされていない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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『資本主義からの逃走』
   「問題解決にはデザイン的な手法を」


   


     9月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

解とは
時代は大きな変容を招いています。
しかし、その変容を受け入れる世界的な体制を怖がっているのかもしれません。
結局は問題解決でこの恐怖と対峙していくことです。
新しいことは、必ず問題解決に寄り添っています。
だから、問題を解決する方法がもっと詳細に考察されるべきでしょう。
デザインは、問題解決の実務的な手法です。
しかもそれは解決をつけた結果を「かたち」にすることができます。
ただし、その「かたち」は見えるモノもあれば、見えないコトもあります。
私なりの「解決」を紹介することにします。
これは文字「解」一つに集約しています。
この象形文字は、まさに角のある牛と刃物で構成されています。
見て分かります。角のある牛は、古代中国では「物」の原義でした。
つまり、物を刃物で切り裂いていく行為を表しています。
問題解決の三段階

 ■ 第一段階・分解したり、解体したり解剖します。
 ■ 第二段階・分解した物を解釈、解説、理解する必要があります。
 ■ 第三段階・理解すれば、気持ちが解放されることになります。

この三つの段階を問題視している「物」=対象に向けていくことです。
けれども、どうやって分解・解体・解剖するのかということが立ちはだかります。
アポリア
この段階をどうしても超えることができないことをアポリアと言います。
さて、20世紀に人類が残してきた様々な問題が、
アポリアになり過ぎていると言ってもいいかもしれません。
第一段階を営為する情報=知識や意識は、相当に人類は蓄積してきましたが、
この三つの段階それぞれが、何の決着をなぜ希求しているのか、
これこそ大きな問題になっているということです。
私は、デザイナーとしてデザイン実務で、
問題の問題を分解・解体・解剖することをめざしています。


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『資本主義からの逃走』
    「 恋愛の破綻は文脈不理解、その程度問題が事例です」


   


     9月 1st, 2010  Posted 12:00 AM

文脈理解の程度問題
文脈から、理解と認識の大きな問題が派生します。
「一を知って十を知る」ということもあれば、
「一を知って二を知らず」ということも充分にあります。
文脈を遮断しても「十を知る」人もあれば、
十二分な文脈が備わっていても「二を知ること」叶わない人も確実にいるということです。
要は文脈を理解し認識する能力、それは人間としての程度の問題があるということになります。
この問題には少なからず次のようなことが横たわっているのでしょう。
● 直感力・勘の良さ・知識力のある人なら「十を知る」でしょう。
● 文脈を一(いち)とすれば、その文脈性が不整備なら、「二を知る」ことは不可能。
● 文脈を十にしておいても、理解力や認識力の価値感の問題が必ず存在。
こうしたことに対して、私はもっとも気を張る必要があることを書き添えたいと考えます。
それは「コミュニケーションとは『誤解の最小化』に過ぎない」、
という前提を置いておくべきではないかということです。
それは、「わかり合えない」からこそ、長くつきあえるという事実があるということです。
恋愛という文脈から
恋愛事情で例示すれば簡単です。
「あなたってそういう人だったんだ」というのは、
理解してしまったから、もうコミュニケーションの必要性が無くたったということになります。
恋愛経験というのは、誤解の連鎖性をいっぱい体験することだと私は考えています。
所詮、男と女は「わかり合えるはずが無い」とすら暴言を残しておきます。
だから「わかり合いたい」欲望の具体的事象が恋愛だとさえ思うのです。
そこから考えれば、親子関係・知人関係・友人関係など、
人間関係での文脈は、文脈構造の象徴だと考えることができます。
親友というのは、付き合っても付き合っても、「謎」が多いのです。
だから、お互いに「知り尽くしたい」という感情があるということ。
あるいは、「もう充分に理解し合っているからこそ」、
「一(いち)だけの文脈でも十二分に精神的な解放感に満たされる」ということだと思うのです。
私は、人間がいつまでも「興味」を失わない「存在」であるとするなら、
「文脈=一(いち)、をともかく幅広くかき集められること」、
この「程度」の人間は「生きる意味」があると判断しています。
恋愛文脈とデザイン構造
デザイナーとして、モノのデザインは、
ユーザーがまず、デザインされたモノに恋愛感情を持ってもらいたいのです。
しかし、恋愛なる危険度、その程度は熟知?していますから、
デザイン文脈にどの程度の「恋愛的文脈」を仕組んでおくかは、
とても重大なことだと、いつも自己宣告しています。
なぜなら、私の恋愛体験は・・・語るに尽きるほど悲惨!ですから、ごめんなさい。


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『資本主義からの逃走』
「日本語の曖昧さを観念化と概念化で見定める」


   


     6月 2nd, 2010  Posted 1:43 AM

概念と観念
私は「情報」や「環境」という現代最も重要なキーワード、
その曖昧さを再検証すべきと主張しています。
その再検証によって、
観念化と概念化を明確にすることができると判断するからです。
では、
概念化と観念化についてもその差異性と同意性を確かめておきます。
これも英語訳で取り囲んでみると、
差異性と同意性が分かります。

● 概念=(concept, idea, notion)
● 観念=(idea, concept, sense)

同意性は、concept, idea
差異性は、概念のnotionと観念のsenseだということです。
そこで、キーワードそれぞれについて、
次の差異性で検分していくことができるものと考えます。

■ 概念的にとらえるには、notion=意図・理解・見解
■ 観念的にとらえるには、sense=思慮・分別・感覚

さて、
こうした差異性を踏まえてキーワードを取り囲んで熟考します。
そうすれば、意味性の深度が必要だということに気づくはずです。
私はデザインをする対象に対して、
簡単に「コンセプト」立案と言う場合には、
すでに「コンセプト」=概念に直結している単純性に持ち込むことは、
デザイン実務、特にデザイン造形を狂わせるものと考えてきました。
しかも、すでに「常識語」であり、なんら検証しないままの
日本語そのものを再検証すべきだと提案しておきます。


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『資本主義からの逃走』
「物質・形容されるモノの価値とモノの形容価値」


   


     5月 25th, 2010  Posted 12:01 AM

モノ価値
モノ=人工物質を私は意味しています。
が、このモノは製品もしくは商品です。
そしてこの製品価値・商品価値は、「形容」されること、
あるいは価値の形容というのは現代性の社会観、
その価値付けが最も重大になってきています。

かわいい
たとえるなら、「かわいい」という価値感があります。
私は「かわいい」というのは価値観にはまだ至っていない、
この認識が明確にあります。
つまり、「かわいいモノ」と「モノのかわいさ」が、
そのまま商取引・資本投下での投資効果になるわけです。
この投資効果こそ、経済活動の活性度になっています。
この活性度が、資本主義経済の現代性になっています。
特に、先進国家や自由資本主義経済体制が整備された市場では
顕著な価値感覚になっています。
まず、「かわいいモノ」というのは、
物欲に対して「好き」という感覚のある意味では、
直感的であり、幼稚さや、所有感覚の素直さに連動しています。
それに対して、
「モノのかわいさ」というのは、
そのモノと自分との対照性を顕示する物欲になっています。
そのモノを所有することで、
所有者自身にかわいさを反映・反射させることに連動しています。
あらためて、その「かわいい」という形容価値には、
モノ価値論を、「形容」という付加性があるということになります。
そこで、もう一つの「形容」をあげておきます。


それは「品のいいモノ」と「モノの品性の良さ」です。
これもほとんど、「かわいい」と「品」が、モノに対しての関わり方、
構造性につながっていることは明らかです。
この構造性こそ、デザインの本質につながっています。
そして、私がデザイナーとして目指すべきは、
「品」・「品格」ある品質を「形容」できるモノのデザイン。
デザイン設計による「品のあるモノ」・「モノの品格」です。
無論、「かわいい」という形容にも、
「品性」があることは充分に理解し容認する姿勢です。


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『資本主義からの逃走』
 「解にある三つの手続き=問題解決の三段階」


   


     3月 11th, 2010  Posted 1:46 AM


「解」という文字も素晴らしくわかりやすい漢字です。
角があるウシに刃物ですから、
そのまま、ウシという対象物を刃物で「解体」する、
と考えていいでしょう。
解体・分解・解剖
だから「対象物」を「解体・分解・解剖」する。
これを第一段階とします。
そうすると、
今度は、「解体や分解や解剖してみたモノやコトを」、
「解釈・解説し、理解」しなければなりません。
これが第二段階です。
解釈・解説・理解
そうして、解釈することができる。解説することができる。
こうしたことは、第一段階でのモノ・コトを、
理解しないと出来ないことです。
そうして、理解しているから解釈もできる・解説もできる、
ということにつながります。
解放
この第一段階・第二段階で、やっと「解放」されるのです。
つまり、そうだったのか、「答が見つかってホッとした」。
この問題から解放された。
それこそ、「問題解決」あるいは「難問解決」からの解放です。
これが、「問題」ー「解答」です。
これまで、
「話題」ー「応答」
「課題」ー「回答」
ということから、真に、デザイン解決というのは、
「問題解決」での「デザイン解答」であるべきなのです。
問題ー解答
ProblemーSolution
Design Problem—Design Solution
これに至るのは、
「解」と言う文字に潜んでいる三段階だと私は確信しています。


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『資本主義からの逃走』
 「iMac・iPhoneの意図がiTunesだとしたら・8」


   


     1月 15th, 2010  Posted 10:00 AM

iMac to iTunes

100115imaginary1
i-Atomとはimaginary Emptinessであり、
websiteに連鎖しているのかもしれません。
e・i・πは、デジタルなバーチャルの象徴です。
バーチャル=Virtualとは、仮想世界観です。
Virtualは「人間のイメージと生命」だと
だれかが言ってました。
その人物は常にAtom世界からの離脱を試みました。
すなわち「イメージ世界」から、
現実世界を傍観していたのかもしれません。

e・i・π

e・i・π、
この三つのArticleに人間は誘導されたのでしょうか。
ここが一つのポイントだったと考えます。
そこであらためて私にはその基準として、
「虚数」というイメージが思い浮かぶのです。
その「虚数的な発見」が導いてきた現在を、
私たちは無意識に取り込み見ているのでしょう。
e-Businessがなぜ、
「i-冠詞」世界表現へ連鎖していったのかと考えます。
具体的にはiMac・iPod・iPhoneがAtom世界です。
それならiTunesは、
明らかにTunning世界観=imaginary Worldです。
imaginary Worldをまさしくコントロールすること、
この重大さは、「空」=emptinessだと、
東洋的には考えることができます。
今や人類のイメージ、
その象徴がe・i・πだったとして、
この三つのデジタル社会資本は、
「雲の中」に配置されようとしているのだと
私は想像し、理解し、だからデザイナーとして、
デジタル社会資本にe・i・πを配置するつもりです。
これがデジタル社会での資本づくり、
つまり、「モノづくり」だと確信しているからです。


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