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Posts Tagged ‘木’


『インテリア商品のために、日本だから出来ること』


   


     8月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

イスやソファーなどイスの歴史が日本には無かったとされています。
イスについて考える時いつも初心回帰、原点回帰です。
私はこの事に対して調べて書いていますが、
仏教伝来とともに、
「禅家所乗物」・「独搨(トクタツ)」・「發子(テンス)」
といった寄りかかる「倚子」がありました。
素材としての木に寄りかかる意味から
「椅子」という表記が一般的になりました。
その歴史や文脈を受け取り、作品も制作展示もやりきってきました。
今回、私の商品発表会は、会社創立70周年記念となる作品です。
新たな「イスとソファー」を組み合わせた造形を、
「先端的な素材」の性能から表現しています。
ウレタンフォームなど経年劣化をおこす、レガシーとして
ふさわしくない素材を使うインテリア用品は
美術館のパーマネントコレクションにはならなくなってきたのです。
歴史の断片として博物館を飾るモノです。
情報空間、音響、映像が錯綜するこれからの空間を対象とした
インテリア、室内装飾、デコレータなどプロが必要となるでしょう。
イスが置かれるこれからの空間も新しい提唱をしています。
クライアントから見れば哲学的だと思われていますが、
21年間の大学人から
再度、デザイナーだからこそ出来ると考えています。


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『自然観がある木質系のモノ、その技能が落ちている』


   


     3月 25th, 2019  Posted 12:00 AM

木、木材、木質は私の最も自然感を大事にしている素材です。
工業デザインでは、量産化するために、自然への模倣を越えて
自然感らしくあるために「木質風」で取り組んで来ました。
まず、自然風の木材を塩化ビニールのシートで作成してきました。
それこそ、私が社会人としてオーディオ部門のデザイナーだった頃、
世界中の樹木を全て覚えました。ゼブラやブラジリアンローズなど、
スピーカーシステムや音響ラックの素材として試してきました。
それを源にして、木材系や木質系、それを模倣し木材・木質系「風」を
工業デザイナーとして、工業的な素材系解決に懸命でした。
ちょうど、今では世界の森林減少や違法伐採への取り組みとして
国家単位=その国にある樹木以外は入手困難になっています。
最近では、自然系木質の技能の応用展開、
磁器系商品もその染色や転写技術は、
海外の一流ブランドに追い越されています。
それには、廉価物が一般に浸透し、
かっての伝統的=守りと裏切りを繰り返し
鍛えられた技能にたいする価値観が継続されず落ち込んでいます。
真善美の価値観を鍛えれば、本物が選択できます。


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『正三角形でのデザイン発想で造形言語と形態言語』


   


     8月 4th, 2018  Posted 12:00 AM

江戸時代から「絵図をえがく」というのは、
泥棒が使い、刑務所用語となって、今でも警察用語になっています。
絵や図が発想の起点だと考えていいでしょう。
だから、デザイン発想の一つのやり方だ、と私は考えてきました。
ところで、「絵」は難しいけれど「図」ならやさしいと言うこと。
「絵」は誰かが「下手」と言えば、「絵」は性格的に苦手になるものです。
だから誰でも「絵」や「絵画」を否定的に批判することは駄目です。
「図」はたとえば地図をかけばそれなりにコミュニケーションができます。
そこで、正三角形は四つの配置があります。
右の各図にともかくA・B・C を三角形の頂点におけば、
いわば、「木」があって「林」なり、それが「森」になる、とか
「森」は「林」からなって、それぞれが「木」であるという、
このようなシナリオが書くことができます。
そこから、A・B・Cはコンセプトという要因や要素になります。
これが、発想での正三角形の応用だと考えることができます。
もし、「造形言語」といってコンセプト3つでシナリオを描けば、
今度はさらにシナリオによって「形態言語」が生まれます。
三角形での「造形言語」は「用途」のコンセプトを決めて、
「形態言語」として「内容」をシナリオ化できます。
正三角形の発想、その一つを論理化したいと望んでいます。
これは発想方式として私は書籍化することを考えているのです。


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11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

11月16日 赤口(丁未)

木・火・土・金・水という思想と
空・風・水・地・火は、
仏教思想。
このマトリックス=5×5= 25、
それぞれに全世界概念がある。

川崎和男の発想表現手法


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『1930年、すでに木製玩具は商品になっていた』


   


     6月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

私は木材である「木」には、
人間に対するあたたかさやヒーリング性などを根本的に疑っています。
当然、木材性の住宅はこの日本では自然との適合性はあります。
コンクリート住宅や工業用素材では実験マウスが数多く死亡も私の知識です。
したがって、木製玩具はほとんど疑ってきました。
金沢美大で非常勤時に卒業制作で動物形態での教育玩具がありました。
このプレゼで私は怒りの評価経験があり、次の発言をしました。
「動物の手足や首をバラバラにする、しかもそれが教育玩具だって?」と。
「・・・・・?」
「そんな教育を我々は受けてきたのか?」。
そうすると、柳宗理先生は微笑んで、
「川崎、私が言うこと代弁したなぁ」。
ただ、私が認める唯一の玩具があります。
ずーっと探してきました。
それは1930年代に有名ブランド商品として、
木製の猫を表した親子二世代が実現した商品でした。
メゾン・ルイ・ヴィトンが創業者の孫であるガストン・ルイ・ヴィトンと
その妻とにインスパイヤーされた商品であり、
当時のル・モンド紙でも「アラジンの魔法の洞窟」とまで評されました。
ここまで高評価のモノが私が生まれる20年前に存在していたのです。
木製玩具は木肌そのまま、あるいはオイルステェイン仕上げ、
カラー塗装、こうした仕上げが重大です。
塩ビシートで当然な「木目調素材」があります。
私もステレオやシステムコンポーネントのラックデザイン設計で、
この開発をしていて、塩ビシート開発では随分と現場の職人さんには
叱られた経験があります。
「本物の木目は知っているのか?」と。
私は特に南洋材が好きで、ブラジリアンローズ木目を塩ビシート開発では、
本物を知らずに、当時は手描きのレンダリングを工場に発注し叱られました。
そこで、東芝のデザイン資料保管室で、
おそらく100種類の木目を暗記したことがあります。
だから、家具店では本物か、木目プリント材かは今でも触ればわかります。
デザイナーとして、自慢できることだと自負しています。
そこで、木質の椅子などではこういう素材選択や木目調仕上げは・・?と、
よくよくうるさくなってしまいます。
特にスピーカーシステム木目仕上げはオーディオ見識には不可欠なのです。
それは木材質で音響の反響や吸音は、明白に変わるからです。
ともかく、この玩具を手に入れたいのです。触ってみたいだけです。

* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 『音場空間を再調整再整備し直しました』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『民藝というレジリエンスデザインの源流は光化門にある』
* 「ブライスというたかが人形に、されどの本質」


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『桜満開なれど・・・戦争はせまってきている?』


   


     4月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

本日は多分、大阪大学の吹田キャンパスは例年のごとく、
それも桜は満開でした。
研究室では招聘教授とともに新素材の実験をしました。
近々にはこの実験の目的を発表したいと想っています。
さて、私自身、樹木にいつ頃何の木を知ったのだろうかと
自分の思い出を探ってみると、どうも漆の木と桜の木だった、
この二本が思い出されます。
したがって、漆の木は触ると被れると知らされていて、死ぬかと思うほどの
大変な漆被れになったことがあります。
漆はさておいて、
この春の時期になると、桜の木が室内にもどうしても欲しくなります。
それは名古屋でも住まいの近くは隼人池周囲は見事な桜の木が満開でした。
「花の下にて 春死なん・・・」をいつもこの時期には知らされる思いです。
果たして、現状はと考えると、
北朝鮮・韓国に今や米軍が布陣している有様はもはや想像力が及びません。
私の自宅は北朝鮮のターゲット地区であり、
東京の42万人に対して、大阪のこの地区は48万人が死亡という予測です。
日本にはやはりシェルターが必要では無かったでしょうか?
生物兵器だとしたらという恐怖があります。
この季節に思ってしまうとは。
これほどまでに戦争が起こりそうな気配の日々に、
ある意味では、在原業平の
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」を
替え歌として詠み直せば、
「世の中に 絶えて戦争の なかりせば・・」と詠みたく思ってしまいます。
ともかく、日本のこの時期、見事な桜だとしても、
悲惨さを想う気持ちがどうしても起こってしまいます。
ひたすらに、自宅の桜に、現在からの解放を祈るばかりです。

* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「生きることの模範・範疇・範囲として」
* 『非常事態宣言の街=パリにて、決意!』
* 「岸辺のアルバム=家族平和とは安泰」
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』


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『除染されていない間伐材へのデザイン開発』


   


     2月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

間伐材という材木があります。
この言葉やその意味が今やあまり知られていないようです。
幸いにして私は子どもの頃、多分小学生時代に知っていました。
それは樹木の生長をコントロールするために、
植林後に間引き伐採する木のことです。
まだ私が小さい頃すでに祖父たちが
間伐する職人が激減していることを聞いていました。
デザイナーになって福井にいる頃には、
福井県のデザインアドバイザーとして、
「間伐材をなんとかデザインでの製品化」を頼まれたものでした。
間伐材そのものの植林からの計画が必要だと思い知ったものです。
したがって、「間伐材とデザイン」の関係は
とても長期期間にわたっての大きなデザインテーマだと思います。
これまでデザインプロジェクトをほとんど見てきましたが、
一時、成功かと思わせますが、
定量的、定質的な事例は皆無と言っていいでしょう。
デザインにとってはとても重大なデザイン対象であるだけに、
ただ単に椅子やら机ではなく全く新しい提案が必要だと考えています。
しかも、この日本列島の森林地帯での間伐材には大きな問題があります。
まず、私が子どもの頃ですら、
伐採出来る職人さんがいなかったのです。今はなおさらです。
さらに大きな問題は、3.11あの原発事故、
後始末としての除染が行われていないことです。
これはそれこそ、直径12~3cmの樹木を切って、
その年輪とともにセシウムが含有されているのです。
いわゆる年輪とセシウムは植物壁に有害物質が入り込んでいることです。
私自身、基幹産業に「セルロース戦略」を掲げているだけに、
特に、福島県から長野県、さらには東京都や静岡県での間伐材、
こうしたセシウム含有への戦略化そのものを、
デザイナーが考え出すべきと考えています。
セシウム134の半減期は2年、セシウム137は30年です。
なんとしても、私はセシウム含有間伐材での
「カーボン戦術」の企画計画に取り組んでいます。

* 『セルロース戦略と炭素戦術が基幹産業になる』
* 『ある効果とある理論を実際に問題解決=デザインへ』
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 「杉と桐と、そして琴に成る」
* 「環境デザインの難問解決・利益相反設計論」


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「算盤=知的道具に木の文化が息づいている」


   


     3月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

私は幼稚園は二つ通いました。
最初は基督系でしたが、悪戯が過ぎたのでしょうか、
断られて仏教系になりました。
塾といえば、
算盤塾にみんなが行くので私も行かしてもらいましたが、
「もう来て欲しくない」と塾から三日目に断られ、
通っているふりをしましたが、母にすぐにバレました。
そんなこともあって自分流なので算盤は得意ではありません。
今回思いがけずプレゼントされた作品、
それはデザイナー・蛯名紀之氏の算盤に触って見て、
算盤ブームもう一度というより、
これは絶対に復活させるべき道具!と断定しました。
電卓も競技会がありますが、算盤には段位があります。
以前、「盤・盆・膳」という日本の伝統文化史を自分で構築したとき、
見えていなかったことをこの算盤で思い知らされました。
算盤という基本形態の完成度の高さです。
算盤玉と呼ばれる形態は玉ではないあの形に意味があること。
そして最大に重要なことは素材が「木」であるということです。
プラスチックのソロバンは、
やはり操作感、使用感が身体化されないのです。
これは盤(PAD or Plate or Board)の上にある
象徴化されている数字概念の表徴形態、
それは「木」と指との関係が無ければ成立しないということです。
伝統的な「盤」には将棋盤や双六盤、
今では制御盤や分電盤までありますが、
算盤というのは、計算する道具として、
最も簡潔な形態要素とその配置で計算性能があります。
この計算性能は、指先でトレーニングすればするほど、
暗算というイメージ計算を身体化させてしまう機能性を持ちます。
60の手習いということで、
昨年62の手習いでフランス語会話を大学以来にやり始めましたが、
算盤に向かってみるのも面白そうだという気分になっています。
電卓とはまったく異なるこの算盤は日本の伝統文化であり、
宝だと確信しています。
「算盤」教育は復活させてもいいかもしれない。
私はもう一度算盤を練習してみようと思っています。

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5月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 15th, 2010  Posted 9:00 AM

5月15日 大安(乙丑)

「想う」は
目の前に木があるように、
対象物に向かって大きく目を開けている。

『プラトンのオルゴール』
あとがき

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Posted in APHORISM


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