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「算盤=知的道具に木の文化が息づいている」


   


     3月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

私は幼稚園は二つ通いました。
最初は基督系でしたが、悪戯が過ぎたのでしょうか、
断られて仏教系になりました。
塾といえば、
算盤塾にみんなが行くので私も行かしてもらいましたが、
「もう来て欲しくない」と塾から三日目に断られ、
通っているふりをしましたが、母にすぐにバレました。
そんなこともあって自分流なので算盤は得意ではありません。
今回思いがけずプレゼントされた作品、
それはデザイナー・蛯名紀之氏の算盤に触って見て、
算盤ブームもう一度というより、
これは絶対に復活させるべき道具!と断定しました。
電卓も競技会がありますが、算盤には段位があります。
以前、「盤・盆・膳」という日本の伝統文化史を自分で構築したとき、
見えていなかったことをこの算盤で思い知らされました。
算盤という基本形態の完成度の高さです。
算盤玉と呼ばれる形態は玉ではないあの形に意味があること。
そして最大に重要なことは素材が「木」であるということです。
プラスチックのソロバンは、
やはり操作感、使用感が身体化されないのです。
これは盤(PAD or Plate or Board)の上にある
象徴化されている数字概念の表徴形態、
それは「木」と指との関係が無ければ成立しないということです。
伝統的な「盤」には将棋盤や双六盤、
今では制御盤や分電盤までありますが、
算盤というのは、計算する道具として、
最も簡潔な形態要素とその配置で計算性能があります。
この計算性能は、指先でトレーニングすればするほど、
暗算というイメージ計算を身体化させてしまう機能性を持ちます。
60の手習いということで、
昨年62の手習いでフランス語会話を大学以来にやり始めましたが、
算盤に向かってみるのも面白そうだという気分になっています。
電卓とはまったく異なるこの算盤は日本の伝統文化であり、
宝だと確信しています。
「算盤」教育は復活させてもいいかもしれない。
私はもう一度算盤を練習してみようと思っています。

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「盤・盆・膳」という文化は木に宿る」


   


     3月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

漆の地場産業に関わっていた頃、
私がたどり着いていたのは「木地師文化」でした。
歴史は惟喬親王の伝説に始まります。
これが日本の山岳民族・山の民=「山彦」伝説に繋がっています。
そして、私なりの漆と木地の関係は、
「盤・盆・膳」の日本の文化文脈史でした。
したがって、ふるさと福井県には河田塗りがありますが、
そこでの最初のモノづくりは「盤」から始めました。
すでに30年ほど前のことですが、
兵庫県には50余りの地場産業があり講演をしたことがあります。
兵庫県には播州算盤があり、当時、
東京のデザイナーたちがいい加減な産地活性化を持ち込んで
メチャメチャにしていました。
算盤玉を巨大にした電話台など
全くとんでもないモノづくりを持ち込んでいたのです。
だからその頃は東京のデザイナーが地方産地に入ることを
徹底的に敵にしていました。
さて、算盤は中国から長崎に入り、滋賀で産業となったのは
惟喬親王による木地師発祥の地で算盤玉が作られ、
やがて播州に移ったのではないだろうか、
というのが私なりの解釈です。
その時に「盤」に算盤があり、
それは将棋盤や双六盤ではなくて、
算術の道具があることを知りました。
旭川を拠点にする親友・蛯名紀之氏から、
フリーになって20周年の記念品が届きました。
それは、本来は家具デザイナーの彼が
「播州算盤」のデザインに関わっていました。
すぐに20周年のお祝いのメールを送りました。
それは、彼がとてもいい出逢いの仕事を成し遂げていることに
感激し感動しました。
「盤」、それはいまならPADもしくはPLATEです。
算盤は、盤上に数字のシンボル算盤玉が並んでいます。
加算・減算・乗算・除算までが算盤は可能です。
そのイメージを持てば、暗算が得意になる才能を開花させます。
算盤がプラスチックに一時期なったとき、それはソロバンでした。
だから、生活には電卓が入り込み算盤文化は失われたのでしょう。
彼の作品は流石に家具デザイナーだけあって、
木材が見事に使われていました。
私は言われ無き、「木の温もり」などということには否定的ですが、
なるほど、算盤は木でなければならないと確信しました。
算盤、とりわけ播州算盤は
日本の知的道具の伝統文化=宝だと改めて知らされました。
算盤文化をもう一度見つめ直すべきでしょう。

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