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Posts Tagged ‘嫉妬’


06月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 22nd, 2018  Posted 12:00 AM

06月22日 先勝(乙酉)

「けなす」という行為の
引き金のなかには、
「嫉妬」という感情があると考える。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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『この男に惹かれる・舞踊と舞踏がテーマになってきた』


   


     2月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

かつて土方巽の存在を美術手帳やいわゆる前衛アートで知り、
暗黒舞踏を教育TVで見て、現代舞踏も芸術かと驚愕しました。
ところが米国のクランブルック美術大学院で講義のときに、
そこには「パフォーマンス」が重大主要科目でした。
舞踊家は故・西川千麗女史と「十牛図」を一晩語り、
その後対談講演を京都で行い、突然、彼女の逝去を知りました。
私のロボットは「ロボットデザイン基礎学」をいくつかの大学、
その基本シラバスを恩師が主要大学に分配してもらいました。
私のロボットは「舞」「踊」があります。
だからこれからさらに舞踏と舞踊を追いかけなければなりません。
かつて、Apple本社で提案したキーボードは「プリエ方式」にて、
この時はバレー演者の足の動きを取り入れました。
盟友・松岡正剛は時に私に不可欠な人間関係を与えてくれます。
今般、彼の誕生日に私は田中泯と石原淋氏を知りました。
まだ存分に話をしたことがありませんが、久々の「男」でした。
彼から、彼(一人の農民ですと私に言いました)から、
彼の育てた「フクヒカリ」のお酒が届きました。
「御日待家(おひまちや)吟醸生酒」です。
私は60から大好きだった酒を飲むようになっています。
ちびちびと、石原淋氏からワイフのごとく注意を受け、
そして、松岡正剛との対談本を読み嫉妬しました。
彼の随筆「僕はずっと裸だった」を読んでいます。
一番読みたかったのは土方巽と警察官の息子だったことです。
両方ともすこぶる納得でした。
特に土方巽を知らない世代は、「本当にかわいそう」ですね。
警察官の息子としては私も本来は見てはいけない死体写真、
彼も見ていたらしいのです。私は彼より見ているでしょう。
海外の殺人写真集もありました。
暴力での死体・銃殺の死体・絞め殺された死体などです。
検死から帰ってきてからの父は元来は無口なのに、
その殺され方の推察を交えて聞かされました。
彼には、今夜手紙を書くつもりです。
田中泯の舞踏アンドロイド創りをロボット学者に伝えました。

関連過去ブログ記事
『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』
『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』


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『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』


   


     1月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

大体、男世界でのライバル心とジェラシー心について、
私にはとてもつまらないことです。
だから、私が相手にもしない男輩には、
ほとんどがジェラシーしかないものだと断言してきています。
大学空間、デザイナー空間も、つまらん輩のジェラシー一杯です。
久々にライバル心を確認することは幸運さだとさえ考えています。
そしてつまらん輩にはなるべく会いたくもありません。
先般、盟友・松岡正剛の「暴走古来稀」の集まりでは、
いつも少数ながら話し込む人物に出逢えます。
いとうせいこう、ワダエミ、真行寺君枝、井上鑑、そして内藤廣。
無論松岡正剛を支えるスタッフは長年変わらずの懸命な賢明さに、
いつも大きな敬意があります。
今回、田中泯そして石原淋と出逢いました。
田中泯、この舞踏家は久々に出逢った「男」でした。
そうしたら、「意身伝心」という対談著作が出てました。
早速注文して、会議中も読んでいました。
正直、松岡正剛と田中泯のやりとりに「嫉妬」しています。
まだ、読書途中ながら書き留めようと思いました。
なぜなら私と田中泯との出逢いと突発的な緊迫時がありました。
そうして、次にいつ逢えるかと私は思い続けていて、
そうだ、ともかくこの本ともう一冊、彼の本を読みます。
知ったこと、彼も私も警察官の息子でした。
父親が警官であることは、
ある種の生真面目な礼節で社会に向かう性癖は残るようです。
しかし、その環境が育成してくれたことの差異はあるでしょう。
ともかく、私がなぜ、田中泯にこれほどの親密感を覚え、
なぜ、松岡正剛との対談に嫉妬しているのか、
もはや、この男の嫉妬は無論ジェラシーごときではなく、
されどライバル心ではありません。
もう一度、今度は三人で逢ってみたいのです。
というより、田中泯と松岡正剛の間に割り込んでやるのです。


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「男の嫉妬を消去せよ」


   


     11月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

男は外に七人の敵ありと言われますが、
それは、男として生まれてきたなら
当然の道程にあるバリアーだと思ってきました。
しかも、私は団塊の世代(大嫌いな言葉ですが)ゆえ、
受験時代、サラリーマン時代、職能界(私はデザイン界)での
競争も含めて、納得の事実経験です。
私は、自分には正直、嫉妬心はありません。
ジェラシー無く、ライバル意識を整理整頓しています。
というより、障害者になってからの差別感は、リハビリ病院内や、
障害者界でいっぱい体験しました。
その前に、東芝を辞職した途端にどれほど体験してきたことでしょう。
そして、私は「敵をつくらずして味方はできない」説、
これを信仰して生きてきましたから、
「敵」と思ったら、人間関係など破綻させて構わない、
とすら思う輩ゆえ嫉妬心を消去可能なのです。
これが最も「正眼の構え」を保持できる知恵とすら思っています。
だから、男の嫉妬心をつぶさに観察し分析も可能です。
そして、我が身にかかる火の粉は、
私の極度の冷徹さ温度を極限にセットゆえ消失実現可能です。
前置きが長くなりましたが、
たとえば、日本企業の経営失速の第一因は
「企業内男嫉妬闘争のなれの果て」があります。
政治も、経済界も、商業界も、
全ての業種においての稚拙な男の嫉妬合戦を見つめています。
さらにそれはインターネットでの裏チャンネルにあふれています。
「下らん!」の一言を発するリーダー無きわが国なのかも知れません。
昔なら、ライバルとジェラシーを分別し、
ライバルならば、
「決闘」で命を代償にするほどの闘争で決着を付けていました。
しかし、男の嫉妬はライバル意識という高次元性では無くて、
低レベルのジェラシーに過ぎません。
私は、これまでこのように考え、面前で発言してきました。
「高校生時代までだったら、きっと、貴男を殴り倒している、
貴男はその程度ゆえ、縁を切らせていただきます」、と。
味方と信頼している中にこそ、裏切りが生まれます。
敵対視して、ライバル意識で闘争すれば、友情が芽生え、
敵をつくれば味方は、敵の中にこそ生まれてきます。
これが、60代になって確認できた男の処世術戦法だと思っています。
「敵無くして味方は生まれず」です。


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7月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 6th, 2012  Posted 10:00 AM

7月6日 先負(戊辰)

「けなす」という行為の
引き金のなかには、
「嫉妬」という感情があると考える。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり

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「『華麗なる賭け』のように・・・とはいかず」


   


     5月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

小学校から、将棋・囲碁・麻雀を父から教わりました。
父はこうしたすべてのゲームをマスターさせたかったのでしょう。
ところが、この三つはどうしても好きになれませんでした。
将棋はそれなりに面白かったのですが、
負けると悔しいことや、もう一度生き返るゲーム性が嫌でした。
しかも囲碁も麻雀も座位でのゲーム性が好きになれませんでした。
映画の名作に「華麗なる賭け」があります。
原題の「トーマス・クラウン・アフェアー」でリメイクされた映画です。
スティーブ・マックイーンとフェイ・ダナウェイが、
チェスをする場面があります。
この映画での二人の取引をたまらなく象徴する場面です。
それを観てから、チェスにのめり込みました。
しかし、我ながら下手くそです。
パソコン相手だと、とてもかないませんが引きつけられます。
となれば、私の習性はチェス収集にも向かってしまいます。
これは携帯用ではおそらく最も工芸的な物だと思います。
エルメスの木工技術が駆使されています。
しかし、もう一工夫が欠落しています。
マグネットでチェス盤とコマがくっついてくれれば飛行機内でも遊べます。
あえてそうしなかったのだろうとも思いますが、
これでは「装飾的」にすぎません。
バウハウス時代のモダンデザインは、コマの役割を覚えるのが困難です。
最も使いやすいのは玩具になっているプラスチック製が機能的です。
しかし、本格的にそのゲーム性を楽しむには、
やはりアンティックな物を海外で探しています。
もう喫煙の時代ではありませんが、シガーやパイプタバコ、
そしてブランディが一番チェスには似合うのかもしれません。
ともかく、今ではチェスはMac上で戦っています。
かって、Apple社に「Mind Top」をプレゼンしたときに、
景品アイディアとして、
そのパソコンと同じ大きさのチェスセットも提案しました。
そして、プレゼン後の私の味方連中の評価では、
あのチェスセットまで周到なプレゼンが嫉妬になったということでした。
日本の将棋界でトップクラスのある人が、
世界でも5指内に入るスターだということはあまり知られていません。
「クゥイーン・ガンビット」=先手を打つ、
これは、私の著作タイトル
デザインという先手・日常的なガンビット」になっています。
「シシリアン・ガンビット」という心臓病の治療方法もあります。
チェスは上手くなりたいゲームです。

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「消えた自動車は今も語り継がれている」


   


     11月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM

ポップコーンの甘い香り、
今では日本の映画館の香りになっています。
私がニューヨークの映画館で体験したとき、
この香りいっぱいに、これがアメリカ!という印象でした。
その時に観た映画がコッポラ監督「タッカー」でした。
しかもそのタッカーというのは親友デザイナーの名前であり父上でした。
1988年にTucker Viemeisterはニューヨークのデザイン団体、
弱冠40歳の議長でした。その時、この映画が封切られました。
その会議に友人として参加しました。
そしてパーティで彼の両親を紹介されました。
父上がプレストン・トマス・タッカーで、
「タッカー・トーピード 」の設計者でした。
この車が果たした役割で現代にも通じている代表例、
それは次の三つが重要なことです。 

  • リアエンジンというエンジンの配置。
  • ディスクブレーキの採用。
  • シートベルトなどの安全対策でした。

映画を観ていただければ、この自動車が消滅した理由は明らかです。
たまたま、Facebookで親友は「父の誕生日」を示しました。
ところがリツイートが多く、私もこれをシェアしました。
日本でも、「タッカー・トーピード 」ファンが多くいました。
そこで私はあえて、このブログに取り上げました。
資本主義の怖さ、社会心理の嫉妬などがこの車の誕生にあります。
そして、この車メーカーそのものが消滅してしまうのです。
おそらくこれは資本主義の悪弊が伝統になる最初の事件でしょう。
日本が再生するとするならこうした悪弊を断絶する国家になるべきです。
先般、ブータンの若き国王がわが国に期待し希望したこと、
それは資本主義の革新であり、その先導役を願ったのだと解釈します。
「タッカー・トーピード 」は消えた自動車ですが、
米国でも映画となって語り継がれていたということです。
コッポラ自身が今もこの車を所有していると聞いています。
是非とも、この映画を知らない方には観られることを薦めます。


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「消費されてしまう人気・資本主義の社会心理」


   


     11月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

バスキアの映画を久しぶりにTVで観ました。
ジャン=ミッシェル・バスキアは、
グラフティ・アートのスーパースターでした。
しかし、その才能は最後には認められること無く、
最後は薬、そして夭逝してしまいます。
彼とマイケル・ジャクソンが重なりました。
マイケルも薬、それは人気絶頂から、
様々なスキャンダルやゴシップで、
彼も世間から見捨てられました。
ところが、彼ら二人の夭逝によって再び世間、
アメリカ社会は、もう一度スーパースターにしました。
二人とも人種差別を乗り越えて作品に命をかけていた若者です。
アートとミュージック、それぞれの作品は勿論のこと、
彼らの生きた証全てが「商品化」され、今後も価値づけられます。
私は、このアート商品群が資本主義での「消費」、
その非情さが21世紀もまだ引きずっていることを指摘しておきます。
しかも、その資本主義での「商品化」はそのまま「情報化」です。
情報という商品、情報化されるアーティスト存在の価値観です。
情報社会は「スーパースター」をマスコミが作り上げ、
そうしてやがては「潰しにかかる=嫉妬」を有します。
この「嫉妬」こそ、資本主義社会も社会主義社会も、
人間の業、集団社会の社会心理だと考えられます。
ところが、こうした「スーパースター」夭逝は、
社会心理を今度は大きな「同情」に転換します。
これも人間の業の現れ=社会心理なのでしょう。
人間の業が極端に現れるのは、資本主義先進国家です。
今年、わが国は大変な試練と直面させられてしまいました。
それも「消費構造」・「消費空間」にあるわが国の再生です。
破壊されてしまったわが国のあらゆるシステムも、
未だに20世紀の資本主義に引っ張られた中にあります。
無論、私は社会主義はもっと認められる思想ではありません。
それなら資本主義を超える経済主義や政治思想の根幹を変革。
そのようなことまでデザイナーという職能が可能ではないでしょう。
この変更困難な理由に私は楯突いてみたいと考えます。
だとするなら、この国難を直視出来る今、
私は人生最終の「行学」の対象にしていきたいのです。
バスキアとマイケル・ジャクソンへの社会心理、
この実態から多くのことが学べそうです。

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『資本主義からの逃走』
 「文脈の始まりは、リハビリトレーニングからだった」


   


     8月 27th, 2010  Posted 12:42 AM

私自身の文脈
再度時間を戻します。
私がリハビリ病院でのトレーニング、その体験を今、振り返ってみると、
それは「哀しみ」を傍観し客観していただけであったと思います。
まったく主観視はできていなかったのです。
こんな思い出がいまなお去来し、悪夢になることがあります。
人間の「文脈思索の背景にある恐怖感」です。
上京して社会人になったときは、東横線で日吉から銀座に通っていました。
その時、車窓から大きな病院が見えていました。
その病院の体育館=リハビリトレーニング場から、ある日、東横線を見たとき、
〈なぜ、自分はここに居る羽目になったのだろう〉としか思えず、悲しかっただけでした。
この悲しみが哀しみに至るまでが、私自身の文脈が始まっていたのだと今なら思えるのです。
阿鼻叫喚の場
毎朝、ビートルズのOb-La-Di, Ob-La-Daを踊っている人たちがいます。
彼らは精神的な障害を持っている人たちでした。
ほとんど寡黙でまなざしはそれぞれが一点を見詰めているそんな集団は、
その踊りで彼らのトレーニングが終わります。
その後は、頸椎や脊髄損傷(私はその一人)、
そして脳溢血障害で半身麻痺の患者たちのトレーニングが始まるのです。
あっけらかんとした大きな笑い声と、泣き声や叫び声が体育館に毎日響きわたっている場でした。
ここは阿鼻叫喚・地獄かもしれない、そんな恐怖感を何度抱いたことでしょう。
幸いにして、私は恋人がほとんど身の回りを看ていてくれたり、会社の上司や同僚、
大学時代からの親友が絶えず見舞って励ましてもらいました。
だから、その恐怖に負けなかったのだと思います。
一日でも早く退院したい、
その気持ちだけで、次々と車イス生活のためのメニューを米国流で半年ですべてをこなしました。
これは、今、リハビリテーション医療に対してのデザイン提案の源泉になっています。
このブログでも以前に「resign」として記しました。
清々しい自分にもどるべき
メニューの一つをやり遂げると、OTやPTの人が、
「川崎さんは、段差越えをマスターしました、みんな拍手!」と言って褒められます。
ところが、これは拍手をされているにもかかわらず「嫉妬」を買い、
苛められることにもなるのです。時折、病院内で、後から急に引っ張られて転倒させられるのです。
人間社会の縮図は、リハビリ病院にもしっかりと文脈の背景は根付いていました。
私は、「文脈」、その背景には歴然たるものがあると断言しておきます。
おどろおどろしい非人間性が根底には必ず基盤になっているのです。
したがって、「文脈=コンテクスト」を人間的に創出するには、
自分を「純粋培養」させることだと確信しているのです。
それは、東芝に入社したとき、「清々しい自分、デザイナーでありたい」と、登録しました。
つまり、たとえ障害者になっても、維持していける自分で有り続けられるかということでした。
「文脈・コンテクスト」にある非人間性への怒りと全否定がなければ、
「文脈」を「想像」し、そこから「創造」の入り口にはたどりつけないと考えます。


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『資本主義からの逃走』
  「哀しみと悲しみを峻別する慈悲にデザインあり」


   


     6月 28th, 2010  Posted 12:00 AM

二つのかなしみ
私は、心、感情が「かなしむ」様を二つ持っていると納得をしてきました。
それは、私が五体満足に生まれながら、「歩けなくなった体」になってしまったので、
「かなしい」ことを徹底して考え抜いてきたからです。
そして、30年前に「哀しみにデザイン・車椅子の開発」という
自分向けの「車椅子開発企画書」にまとめたことがあります。
これまで、私は「哀しみ」について、哀しみと「美」について記してきました。
「哀しみ」と「悲しみ」
したがって、「哀しみ」と「悲しみ」について、私の私見を述べたいと思います。
私はいつも漢字の表意性と表音性・原意に拘ります。
「哀」は、
心の中がいっぱいになるかなしみを口から出ないように
衣をかけてでも押さえようとする形象を持っています。
「悲」は、
鳥の羽が羽ばたきいっぱい左右に割れるような心持ちの形象です。
私は、「哀」は、自分の感情を閉鎖するように、
他に対しても自己の感情を飲み込んでいる様を表していると思います。
しかし、「悲」は、自分の感情を解放するために、
泣き叫び他にもそのかなしみを届けようとします。
それは勢いをもって、ややもすればその悲しみを暴力化することにつながります。
これが「妬み」や「僻み」や「嫉妬」になる感情です。
日本語が素晴らしいのは、
こうした人間の感情を二つとも統合化する表現を持っていることです。
悲哀と憂鬱
「悲哀」という言葉です。
「悲哀」は「憂鬱」と同義であり、
melancholyという、古代からの精神病的な心理的な解釈が哲学・医学・心理学として、
世界の古典書には「定本」が相当数も存在していることです。
悲哀=憂鬱=メランコリーとして、こうした「定本」を紹介したいと考えています。
日本語は「悲哀」という言葉とともに、もうひとつ大きな言葉を持っています。
「慈悲」
「慈悲」です。
これは仏教用語ですが、
観音菩薩に象徴され見守られている人間感情を表しています。
四無量心」と言われている「慈・悲・喜・捨」の最高位の感情を表しています。
「慈悲」はサンスクリット語では、
慈=マイトリー=maitr、悲=カルナー=karuと表します。
「慈」は「人々に楽を与える」ことであり、
「悲」は「人々の苦を取り除く」こと、と言われています。
結局は、人々への愛・哀であり、これを自己犠牲をいとわない利他行にほかなりません。
私は、愛よりも慈愛の大きさは、自己無我であり自他不二の精神力だと確信しています。
したがって、デザインは「慈愛」の表現としての「美」,
「美」を象徴化していく営為=行学だと自分に言い聞かせているのです。


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