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『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』


   


     5月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

私が大学人になると決心した時に、
その道筋をつけていただいた故M教授は、私が阪大へ移籍のとき、
「蔵書は大学人の間は持っていなさい」と指示されました。
阪大でも学生が次々と本を読んでくるので、結局本は増える一方でした。
サルトルの「存在と無」は学生時代に読みました。
理由は単純で、この美大にいたら、デザイン技能である
スケッチやモデルづくりは上手くなるだろうが、
おそらく大学生としての読書には無関心になってしまうだろう、
それはとても知識人として生きるのは危険だと思っていました。
またよく本を読んでいそうなのは、
学生運動に取り憑かれて赤ヘルでデモのために上京。
全くデザイン課題は無視していました。
そういうのは学生運動無関心の連中以下の無能力者と判定していました。
さて「存在と無」を選んだのは二つ意味があります。
それはサルトルは一応は読むべき本であり、「嘔吐」はつまらなく、
あとは実存、方法、時間、悪魔、神、思想, 恋愛などでした。が、
ともかく反「資本論」より仏教の「無=空」を深める熟読はこれだけでした。
以来、「存在と無」の新刊は次には上下巻になり今では文庫本です。
ところが、「想像力の問題」があったと知ったのは最近でした。
それには意味と意義の意識が私の興味焦点にあります。
「想像力」と「創造力」を「想育」と「創育」として、
コンシリエンスデザインで書き残そうと思ったからでした。
理由は簡単です。
ともかく想像力がほとんど無い、それもデザイン学生を一杯見てきました。
想像力が無くてデザインをする創造力には絶対に至りません。
そしてサルトル批判がこれまでデザイナーとして想像力あって
やっと創造が出来るはずです。それなのに、
デザイン教育者あるいはデザインを知ったかぶりする学者などを知り、
サルトルの基本が意識でしかなくて、
認識にすべきでは無かったのではという現在の私判断があります。
これはあくまでも私の想像力です。
そして今は、私のブログ金言に彼からの一言を書き抜きしています。

* 『25000ページを書き残した今ではアーティストの展覧会』
* 「荒唐無稽さと完全無欠さなら『ゴルゴ13』でしょう」
* 『運筆練習に最適な学習ノートの充実ぶりに感嘆』
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』


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『暴力の意味性が替えられていると思う』


   


     7月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

正直、阪大に来てからは読書を辞めようとすら考えていました。
名古屋から大阪に来るときに、蔵書はすべて処分しようかと思い、
故・恩師に電話で話したとき大学人の間は持っていなさいと言われました。
そして寝室には絶対に本は置かないとワイフに約束していた程です。
ところが、阪大では学生から、あの本とかこの本の読後感や、
論文作成などで名古屋時代以上に蔵書は増え続けてしまいました。
退官後は、なんだか上下巻を読まざるを得なくなっています。
しかし、盟友である松岡正剛はまもなく1600冊の書評を
書き続けていることには大敬意しなければなりません。
さて、「暴力論」ともなれば、
これまで数人が人間の野性として書いてきています。
60年代安保を見、警察官の息子だったことから、
学生運動に飛び込んでいた者の親が辞職することも見てきました。
70年代安保は学生運動のなかで傍観していた私でしたし
学生運動の弱さが赤軍の馬鹿さになることも予想していました。
だからこそ集団的自衛権の最も賢い手法論が語られないことを
確認するのがこの上下巻だととらえています。
まだこの上下巻は拾い読み程度ながらにも私は大ショックでした。
人類は明らかに「戦争をしないこと」と「平和でいたいこと」に
たどり着いてきたという見解に驚きました。
それは私自身が「喧嘩道」で暴力性への葛藤を抱え込んできたこと、
その大回答でした。解答にはなっていないと予想しています。
まだこの本を読み切ってはいませんが、戦争もバーチャル化と
武力の高度な技術戦では、
ISISの存在や、情報戦での悲惨さは増大している、
そんな印象はかき消されましたが、この本では未だに、
「暴力とは何であるか?」が主体的であり、
「何が暴力となっているか?」はかき消されている感が私には
強く残っているようです。
体罰も暴力とされる現代においては、「いじめ」なる暴力犯罪や、
宗教戦とマスコミが商売化している報道での演出暴力などは
これから読んでいくことで、私に確固たる読後考察が残るのだろうかと
思っている次第です。
私は今生のためには自分の暴力性は
しっかりと残存させておくことを替えようとは思っていません。


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