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Posts Tagged ‘ワイフ’


『こうもり傘といつまで付き合うのだろう』


   


     11月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

街中のショップやデパートでこのようなこうもり傘を見ます。
ワイフが何かモノを買っているときに、
いつもこうしたコウモリ傘にカラフルさとか、
携帯用にどこまでも小さくなっているのかというのとには、
私はとても興味がありますが、
このコウモリ傘の構造とか仕組みでは、
いっぱいと実用新案を見てきた気がします。
しかし、私にはあまり興味のあるモノではありませんが、
若い頃には、「繊維」の応用のためにコウモリ傘にとても深く、
とりわけ、構造に新しい仕組みを考えたこともありました。
私にとって、こうしたモノにも「革新的」なデザインが必要です。
だから、きっと必死になってこのモノをデザイン対象にすれば、
きっと何かを思いつくのかもしれません。
無論、英国製のブランドモノがどこまで徹底しているかは、
特に、欧州のホテルでは確認することができます。
高級車にもアクセサリーとしての車種とのペア傘があります。
時折、私はこうした自分がほとんど興味のわかないモノ、
そんなモノ、デザイン対象にするべきモノを熟視します。
理由は簡単です。
それは、デザインされてしかるべきことがすでに従来のままです。
人が雨の中で使うモノ、あるいは日傘としてのモノ、
いわばファッション的なモノにも時折真剣に触れてみたいのです。
けれども、どこかで私の興味はわき上がってきません。
だから、ごく普通の日常的なショップの陳列も、
このように何枚か写真を撮ってみると何か自分の中にも、
変化がくるのだろうか、と思うようになりました。
多分、誰かがとんでもない発想で「コウモリ傘」を、
「革新的」に替えてくれるのかもしれません。
これは私のもう一つの明らかな視界の中のモノです。


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『ふるさと福井から大阪に帰る車中では、必ず!』


   


     10月 30th, 2013  Posted 12:00 AM

小さい時から、「ソースカツ丼」が大好きでした。
本当は敗戦後日本の貧しいながらも、
精一杯の豊かさが今では名産の一つなのかもしれません。
「ソースカツ丼」も、福井には多種多様ありますから、
福井の個々人みんなのオススメもいっぱいあります。
教え子がわざわざ差し入れをしてくれることもあります。
それでも、福井ー大阪へ帰阪する車中では駅中のお店のものを
必ず買って食べることを、正直楽しみにしています。
大阪では見つけていませんが、
京都ではこの「ソースカツ丼」を食べられるお店があります。
実にシンプルな薄いカツレツとそのソースがかけられたご飯です。
ワイフはまず、カツそのものに興味がなくて、
私が「絶対に!」というのを聞き届けて注文してくれています。
今回、このカツ丼にはミスがあったと私は思っているのです。
それはこの薄揚げのカツが2枚しかありませんでした。
「んー!、違うゾ、いつもは3枚のはず」と思っていました。
だから、ご飯をすべて食べられなかったことです。
この大きさなら、カツは3枚あるべきです。
「手を抜いたナ」とすら思いました。
そんな気持ちで大阪に戻れば、高級ブランドホテルの、
あれは確実に「偽装」で罪悪です。
平均で20倍の値段を付けていた?、なんということだろう!
大阪はここまで腐敗してきていると私は思います。
高級ホテルでオレンジジュースなどは、
「これ本物?」とよく私は聞いていました。
今、確かな信頼性を自らが偽装し始めてきているこの貧しさ、
しっかりと私たちは「喧嘩」を挑む必要があるのです。
少なからず、室町時代からの「喧嘩道」は文化です。
喧嘩とは「自らに喧嘩を売る」覚悟からスタートすべきことです。
この大好きな「ソースカツ丼」は絶対に偽装などしないでほしい、
そんな心持ちにならざるをえない「現代日本」になっています。


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『お豆腐・厚揚げ、これだってふるさと産が一番だ!』


   


     10月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

福井には実家がありますが、すでに父も母もいなくなりました。
この二人にはもう会えませんが、今の私は彼らが創ってくれました。
義母も実妹が東京に連れていきましたから、実家は残っています。
いつも同じホテル暮らしですが、月1回は帰りますから、
その度に可能な限りに食糧を買い込んできます。
その中では、豆腐と特に厚揚げはビックリする厚さと大きさです。
大野市にある厚揚げは父と出かけると必ず買ってきたものです。
この料理をともかく、ワイフにつくってもらう楽しみがあります。
だから、絶対に大野産を買い求めます。
福井に帰ると、時々、
見知らぬ人から声をかけてもらうことがあります。
そして、最近では、なかなか買い物時間が無いのですが、
ワイフも福井で買い物をすることが多くなりました。
福井には高校時代の同級生たちは社長になっているのが多く、
最近は第一線から会長になっているのもいます。
体調が悪くなっても、同級生の医師もいるので安心です。
ともかく私の使命は歴史的なふるさとの偉人をさらに敬愛し、
彼らのやり残した使命や理念をすべからく理解し継承します。
夭逝した親友たちの想いも引き継ぎたいと考えます。
だからこそ、ふるさとの産物をこのうえなく好みます。
これは、東京一極集中に対する私なりの抵抗であることです。
だから、今、大阪で暮らしていることも同様に大事で有り、
ローカル性が最高にまとまらなければグローバル性など無理です。
そういう意味では、福井の小中学生は文武両道ではベストです。
それも私には大きな誇りであるからこそ、
自分の使命を明確にしなければなりません。
橋本左内を筆頭にわが国家へプロのデザイナーを全うします。
だからこそ、豆腐も厚揚げも私の根本なのです。


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『ふるさとからの「越前たけふしきぶ姫」届く』


   


     10月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

またお米をいただきました。
私は「越前市ふるさと大使」をさせていただいているので、
このようにして、ふるさと越前市からは時々産物が届きます。
とてもありがたいことであり、しかも、越前からの産物は、
最高に素晴らしく美味しいことです。
今年は、常に最低でも月に1回はふるさとに帰っています。
幸いにして、大阪から北陸線で2時間で帰ることができます。
「越前たけふしきぶ姫」はもちろん最高級のお米。
「こしひかり」元来福井が発祥の土地柄ですから、
私はずーっとこのお米で育ってきました。
行政的な合併によって、今は「越前市」ですが、
その中心は「武生」。
かつては国府があり、紫式部が父親とともに住んでいました。
だから、当然のことに公園が有り銅像もありますが、
私自身は違和感をもっています。
それは、彼女が国府である武生にいた頃には、
雪が降って寒くて、都=京都に比べたら田舎過ぎていて、
書き残した歌には、「都が恋しい」という歌が多いことです。
世界でも長編小説の源流である「源氏物語」作者として有名。
けれども、これほど田舎扱いをする彼女を象徴化などには、
私はどうも納得していません。
ようやく、また市長選挙が終わり、市長は連続してもらえます。
この市長が大学卒業時に会っています。
彼はそれから松下政経塾で学んで地元の首長になりました。
だから、大学卒業時からの知り合いであり、
彼だからこそ、特にふるさとの伝統工芸には特別な心情をもって、
その活性化策やデザイン導入には見識があります。
先般も、「タケフナイフビレッジ共同工房20周年」では、
もっともっと広大なプランを二人っきりで話すことができました。
ワイフは京都生まれ京都育ちですが、
福井の食べ物の美味しさにはいつも驚喜しています。
「越前たけふしきぶ姫」コシヒカリ特別米は美味しいお米です。


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『車社会は必ず大変動を起こすだろう・カーシェアリング』


   


     10月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

プロダクトデザイナーの私は、それなりに車好きです。
カーデザイナーを育成もしましたから、
まぁまぁ、男としては乗りたい車を所持してきました。
一時期は、5台保有していたこともあります。
ところが、最近の男の子は、大学に入って免許の無い子もいます。
確実に「車離れ」も始まりました。
「カーシェアリング」を体験してみました。
私は車倚子ゆえに、まだ車倚子使用者用などはありませんから、
このシステムはすべてワイフに任せました。
パソコンで会員登録をし、IDや運転者ID、パスワード、
利用料金支払い方式などすべてをインターネットで済ませて、
東京豊洲で、iPhoneで登録した車と出会い、
あっという間に、その車を乗り回しました。
清潔な室内の車に乗って、デザイナーとしての直感は、
「所有」と「使用」という資本主義が壊れていくと感じました。
車は所有し使用するという関係は、やがて分化するでしょう。
「所有」して「使用」するというのは、大きな趣味となり、
「使用」だけでいいなら、「借用」すればいいのです。
カーシェアリングという方式をすでに行政が主導し出しています。
となると、そのためのデザインには、
これまでのカーデザインは通用しません。
カーデザインは「形態設計」だけで終わるわけではなくて、
「制度設計」をデザイナーがプランニングして、
その制度を成り立たせるカースタイリングは無くなるはずです。
おそらく、「使用」だけして、その最近辺に停車する、
そのような社会がくるでしょう。
車も「自動運転」になり、空中を飛ぶ社会を私は期待しています。


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「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」


   


     10月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

子どもの頃は「道草」が大好きでした。
特に、下駄屋さん、魚屋さん、鍛冶屋さん、米屋さんの店頭で、
おじさんやおばさんが「もう、帰ったら」と言われるまで、
それらの仕事ぶりを見るのはあきないものでした。
先日、大阪駅に帰阪して、ワイフが買い物をしているときに、
お店の人に了解をいただいて、「御座そうろう」(今川焼)、
その焼き上がるまでをじっくりと楽しむことができました。
小豆はやっぱり「半殺し」=粒あんに限ります。
あの旅人を「全殺しにしますか?それとも半殺し」という話を、
私はワイフにこれでまた何度も話をしました。
全殺しとはこしあんと呼ばれますが、私は苦手です。
まして、この写真のしろあんは邪道でしょう、と思います。
粒あんを買ってもらいましたが列になっていて
十二分にそれまで楽しみました。
私は、最近、学童の集団登校はとても悪い慣習だと思いますが、
その集団登校の列に無判断な車が飛び込む事故を見ると、
とても哀しい時代を感じます。
しかも、その加害者への余りにあまい罰則が出ると、
その加害者をとても許せません。
私自身も、酔っ払い運転で、私が2度目で、
私が交通被災1 週間後に加害者は逃げました。
3度目の事故で彼が逮捕されたのはそれから2年後でした。
交通事故裁判に出て裁判長から私の気持ちを聞かれました。
その回答で、私は退室命令を受けてしまいましたが、
私は今でも、その時の気分を思い出すときに、
被害者私は「なぜ?」という気持ちがもどります。
わが国は、加害者にはとても甘くて、被害者には納得できない、
そんなルールがまかり通っています。
学童時代の道草で、どれだけ職人の本職技に見とれたでしょう。
販売実演を見る楽しみと、もっと安全な町を思い出します。
しかし、付け加えるとするなら、
日本全体は世間の社会学者が喧騒するほど、加害者は激減、
安全性は確保されているがその質とルールが大問題なのです。


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「医・職・趣だからこそ今さらながらNゲージ・いいな?〜〜」


   


     9月 23rd, 2013  Posted 12:00 AM

私は「衣食住」に対して医・職・趣をデザイン対象にしています。
そして、思い出の車両模型「京福モハ1003」を
どうしても実物を手にとって見なければ、という事態です。
要はワイフだけ、いつもの使い慣れた手で模型が届きました。
「あっ、また・・・!!!」
「・・・・ん?、しごとだから(?!)・・・」、で、
いつも傍らにおいて見ていました。
物欲は留まりません、んーー、これって資本主義そのもの?
やっかいだけれど、Nゲージ?
興味無し!・・・だったけれど、せめてスターターキットは?
ともかく徹底的に気づいたら調べてしまいました。
Zゲージに比べたら、仕上げは粗いけれど、眺めてみたい。
この気持ちを押さえるべく、この頁に書き残しています。
と言いつつも、メーカーにメールでいくつか質問も書きました。
Nゲージには、あのステンレス製ケースにジオラマが浮かびます。
案の上、ワイフからは、
「その目つきって、完全にオタク!」と言われています。
私の想像界では、このジオラマが段々と進化しています。
人工芝だけが、長方形のケースに単純なジオラマがあります。
さて、問題はこの制御と照明をどうすべきでしょう。
こんな想いの中で、正直、体調が戻ってくる気がします。
私の一方の脳内ではいくつかのプロジェクトの問題ばかりです。
しかし、私の体調=医療と私のデザイン=職業は、
私の趣味(なぜ、女性には興味が!)=Nゲージしかも京福に、
すっかりと包まれています。
ともかく、今しばらくは脳内想像力の領野に私は居ます。
Nゲージって、電車が走ると私はどんな「感覚」に、
すっぽりとくるまれるのでしょうか?
リタイアしたら、そんな毎日に遊びきっていたいものです。


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「ブルーを持ち歩くというファッションとデザイン効果」


   


     8月 31st, 2013  Posted 12:00 AM

亡き父は万年筆を大事にしていました。
父には悔やんでいることがとても多いのですが、
今私の万年筆のコレクションを見たらどう言うだろうと思います。
父は一本の万年筆を大切にしていました。
私は日本文具大賞の審査委員長をしていますから、
文房具には果てしない興味があります。
書店で文房具にまつわる雑誌を眺めていて許せる雑誌は一冊。
普段、文具を使っている人や著名人、
特にファッション関係のプロの持ち物を見ると大落胆します。
先日は、3冊ほどの文具雑誌を見ていて呆れかえりました。
大憤慨している私にワイフは、一般の人のデザイン感覚だから、
自分の意見の正当性をなぜそんなに!、と叱られました。
そこで、とりあえず、ホテルで今持ち物の文具やケースを、
テーブルに置いて写真を撮りました。
ご覧のとおり、ほとんどがブルーでした。
ワイフがプレゼントしてくれた万年筆は、限定品なので、
これにピッタリのボールペン(手に入れる動機に)そのケース、
そして、なんと言っても「日本ってスゴい」のは、
いつでも尖っているシャープペンシルはホントにすごい、
消えるボールペン、日本人だから出来たことです。
これで3度目になるパッド用スタイラス進化を自分用のペン。
パッド上では、やっと草書が表現できるまでになりました。
そして、最近は5800mAまでの急速充電池と、
さまざまに試してきたデジタルブレスレットです。
正直、このブレスレットにはネットワーク通信と、
新たなケータイ・アプリケーションのアイディアが一杯あります。
このブレスレットにこそこれからの文具のデジタル化思考中です。
なぜ、こうした文具にこそ「ファッション」と、
最も語っていかなければならない「デザイン」の関係があります。
それは、ファッションを「モードの体系」にまとめたがゆえに、
「書かれたファッション」=モードとしたロラン・バルト。
彼をモード・ファッション、そしてデザインを日常、流行として、
もう一度再定義を文具から語り直すヒントがあるからです。
多分、これでは意味不明!、これから書き残していきます。


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「SNSの新しい国産情報化に期待」


   


     8月 23rd, 2013  Posted 12:00 AM

SNSが情報社会の手法として定常化しました。
Twitterは140文字で、一時期は100文字メールを試みました。
しかし、情報化の意味が一言メッセージに深みがなく、
ほとんど連絡用程度しか私は使わなくなりました。
フォロワーというグループも8000人程度に決めています。
Facebookは発信者の本人確認が明白なので日常ツールです。
しかし、いづれも海外製ゆえに、日本製・国産に期待してました。
LINEが登場し、メールは文章よりもほとんど漫画チックな
スタンプで、仲間内で楽しむ情報化手法になっています。
LINEの影響が確認できたのは、文具大賞候補に、
LINE手法と思わせる付箋が出現して授賞してもらいました。
ところが、いわゆる仲間内情報での殺人事件にLINEが悪用され、
想像力を全く欠落した大人たちが出てきました。
このやりとりで殺人行為には、
とても呆れ果てると同時に情報社会の暗闇を再確認。
LINEの特徴は、言葉無しでのキャラクター画像でのやりとりです。
一番、私が使い合うのはワイフとの連絡、
スタッフとの連絡や一部教え子、友人たちに限定していて、
いろんなスタンプ駆使と無料通話程度でした。
私が期待いていたのは、この国産アプリケーションの充実です。
案の上、LINEの通信使い勝手の領域は拡大してきました。
今度は、音楽配信、ビデオ通信、そして通販までの業務拡大です。
なるほど!、ですが、私には、「そこまで」という印象です。
相変わらず、現状のスマホだけの通信方法では何も変わりません。
気に入っているのは企業形態での「すぐに株式上場」が考慮中。
これはとても納得できます。
通信ベンチャーを未来的に語るなら、この方法は大正解です。
それでも現状の通信から脱出していないことに大落胆してます。
どんな方法?・・・教えられません。
これは、私がプロのデザイナーとしてのアイディアですから。
LINE登場と先般のインターネット選挙広報のあり方も、
私はとても注目して見ていました。
ある政党がこれに乗り遅れたときには党の首脳部に提案しました。
だからこそ、国産です。
LINEが狙うのは現状手法でのインターネット活用ではありません。
なんとしても世界制覇してほしいのです。


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「お盆・精霊馬の風習は願いを込めて、今年も!」


   


     8月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

正直、私は連休が嫌いです。
なぜなら、何かアイディアが出たときにスタッフがいないため。
しかし、お盆が近づけば私には役目があります。
精霊馬と呼ばれるお供えを造ることになります。
お盆の風習を熟知しているわけではありませんし、
あの世から亡父はじめ亡くなった人たちが帰ってくるということ、
それを信じているかと言えば、それを願っている単純な想いです。
いつも精霊馬の素材である、サツマイモ・茄子・キュウリでした。
ところがなんと今年はそうした素材がセットで販売されてました。
最近は、人生は一度っきりであり、
決して、あの世で母や父、祖父達祖母達には会えないと思います。
それでも、この伝統的風習の意味を受け止めています。
今年は素材がセットだったので、私なりに意味づけました。
サツマイモは、馬のごとく俊足であの世に迎えに行くのでしょう。
茄子はあの世にゆっくりと戻るためだと思います。
サヤエンドウやホオヅキ、そして里芋が二つもありました。
多分サヤエンドウは、よくわかりません。
ホオヅキは、灯りを入れて場所を示すのかもしれません。
里芋は母が大好きでしたが、(私は苦手)
里芋の馬でお土産を持ち帰ってもらうのだろうから、
今年はたくさんおみやげになるお供えが必要だと思い込んでます。
かつて私が敗血症で生死の境にあるとき、
ワイフは仏壇に手を合わせたそうです。
そうしたら、ワイフのお母さんから電話があって、
これまで茶室風和室に置いてある仏壇を、私の寝室に配置換え、
それも突然の電話で、彼女は仏壇を移動したとき、
私は重篤状態から、必ず生き返ると彼女は実感したらしいのです。
宗教とは新興宗教に狂うのではありません。
ただ先祖への感謝という単純明快な願いにすぎないのでしょう。
精霊馬という日常的な野菜を馬に見立てて、
先祖への風習的なお盆という儀式には素直に迎えるつもりです。


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