7月 12th, 2018 Posted 12:00 AM
本当にこのブログを休んでいました。
1月・2月・3月・4/21までを休んでいました。
この間も、Ship of the Year、日本文具大賞、DESIGN TOKYO・
PROTO LAB、と審査をこなしてきました。
あるリハビリテーション・ホスピタルに入院をしていましたが、
これはデザイン界が関わっているので、
理事長がデザイナーの言われるままに進めてしまい、
こういうやり方は「本当にまずい」と考えています。
阪大からその病院に移るとともに、
「足を骨折」するという大失敗=これはそのセラピストにやられてしまいました。
まず、「車倚子の患者」への対応を、
結局は何にも知らないことを改めて知りました。
「一回の入院も知らないデザイナーは
絶対に病院に関するデザインをやってはいけない」と改めて知りました。
そう言えば、初めて国内で(多分)英国人に
エレベーターで「お・も・て・な・し」を受けました。
ともかく「車倚子の人」はこうやって支えるべき、
ということを知ってほしいと思います。
スタッフの衣服は、一応、「綿織物でこれが最高」という訳はありません。
今では医師やスタッフの人たちがこういう出で立ちでは、
リハビリ病院なればこそ、これも全く駄目です。
リハビリテーションゆえ、「リゾート」という言葉をデザイナーが使っていますが、
「リゾート」とは「何度も通える」ぐらい勉強をしてほしいと思います。
ともかく、デザイナーとして売れていることで
「こんなに安っぽい」「病院」は決してやるべきでは無いと思っています。
そうして、来年は70歳を迎えますので、阪大を辞め、研究室を出ました。
が、こんなに作品・賞杯・玩具まであるかと思いました。
これからも、このブログを書いていこうと思っています。
ご笑覧いただきたく思います。
Tags: 70歳, design tokyo, Proto Lab, Ship of the Year, エレベーター, お・も・て・な・し, スタッフ, セラピスト, デザイナー, デザイン, デザイン界, ブログ, まずい, やり方, リゾート, リハビリテーション, リハビリテーション・ホスピタル, リハビリ病院, 一応, 人, 人たち, 今では, 何度も, 作品, 入院, 出で立ち, 勉強, 医師, 国内, 売れている, 大失敗, 安っぽい, 審査, 対応, 患者, 支える, 日本文具大賞, 最高, 本当, 来年, 決して, 玩具, 理事長, 病院, 知らない, 研究室, 移る, 結局, 絶対, 綿織物, 英国人, 衣服, 言葉, 訳, 賞杯, 足, 車倚子, 辞め, 通える, 間, 関する, 阪大, 駄目, 骨折
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9月 13th, 2017 Posted 12:00 AM
モンザで私の行動範囲はとても広がりました。
ともかく、もうマンションも入院と共に引き払っていた私は、
懸命に退院を誰よりも早くとだけ考えてリハビリテーションに励みました。
基本になったのは、チーフが東芝の玉川工場(医療機器専門)図書館で、
見つけ出してくれた分厚い本でした。
米国でベトナム戦争傷病兵、
その中で車椅子になってしまった人のための訓練でした。
その、日本のリハ訓練の半分で退院出来るというプログラムに、
この病院のリハ訓練日程を半分にして取り組んだことです。
素早くステップを踏んでいる私は車椅子障害者から苛めを受けました。
これはいずれ書き残したいと思っています。
ともかく赤坂にデザインスタジオを持ち、車もモンザよりもっとというので、
シボレー・モンテカルロにしましたが、
余りのロングノーズで、赤坂の小路の坂では上りでは先が見えないこと。
3ヶ月ですでに車椅子対応に改善したにも関わらず、
シボレー・カマロ・ベルリネッタにしました。
これには、車載用の携帯電話をほとんど最初に取り付けたぐらいです。
これも最初は国会議員だけというのを言いがかりの論理で取り付け。
時には交番前歩道に乗り上げてここに電話してとかやらなくなるのですから、
こんな理由を一杯並べて担当者は私が三日通ったらOKでした。
この車載携帯電話だと、上手いラーメン屋に出かけて、電話で店の前とか、
最初は仰天されますが、電話をして食べ回ったこともあります。
当時はどうせ40になったら、寿命はなくなるのだからという荒技行動でした。
しかし、結局、このカマロで 56豪雪前夜に福井にUターンしました。
福井から東京には、このカマロをかなりの速度で乗り回していたのですが、
私には運転することをやめさせようという周囲の声で、
私はこれまた、New Yorkで見かけた美しいボルボのステーションワゴンには
専門の運転手付きで乗ることになるのです。
ともかく、北陸自動車道はとても運転が楽しい高速道路であり、
福井県内の伝統工芸の産地から若狭地方の原電も見て回り、
これは危険な建物と直感したぐらいです。
いつもこのカマロは、とても力強い車だったと思います。
カマロは11年間、マイナーチェンジが無い車でした。
* 「私の小さなふるさと・福井県」
* 『思い出の38豪雪と56豪雪、雪と対決してきた我が人生』
* 「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」
* 「慈愛は慈善には決してつながらず」
* 『モノに無頓着であってはならない!』
Tags: 56豪雪, New York, Uターン, カマロ, シボレー, ステーションワゴン, ステップ, チーフ, デザインスタジオ、赤坂、苛め, プログラム, ベトナム戦争, ベルリネッタ, ボルボ, マイナーチェンジ, マンション, モンザ, モンテカルロ, ラーメン屋, リハビリテーション, ロングノーズ, 上り, 交番, 伝統工芸, 傷病兵, 入院, 分厚い, 力強い, 北陸自動車道, 医療機器専門, 危険, 原電, 図書館, 国会議員, 坂, 寿命, 小路, 建物, 携帯電話, 改善, 日程, 本, 玉川工場, 産地, 直感, 県内, 福井, 米国, 若狭地方, 行動範囲, 言いがかり, 訓練, 論理, 車椅子対応, 車載用, 退院, 運転手付き, 高速道路
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9月 12th, 2017 Posted 12:00 AM
リハビリテーションのために、
私はK労災病院での苦しい毎日を
実は半年しか受けていません。
それほどリハ訓練は真面目に受けていました。
たとえば、朝の検温で37度Cを越えるとリハ訓練は休まざるをえません。
38度Cでも、私はコップの水で体温計の体温目安を下げることを覚えて、
それでよく訓練をその病院の体育館に行きました。が、
結局、何度もその場で倒れたことがあります。
ともかく早く退院したかったのです。
あるとき、車の運転をしてみないかということで、
患者さんの車を借りて運転しましたが、右ハンドルはとても乗降不可能です。
中原街道で大渋滞を引き起こしたこともあります。
車椅子使用者は左ハンドルに限ると思い、なぜ左ハンドルなのに、でした。
退院間際に車を選んで注文をしました。
それはシボレー・モンザのハードトップでした。
この写真とやや似ています。
改造されたモンザが病院に来たときには大注目されました。
私自身もこんなに屋根が低い車は初めて見ました。
ともかくこの病院ではいい思い出は全くありません。
だから、毎月の診察も完全に無視していたので、
東京時代は相当に体調を何度もこわしていました。
ともかく、あるメーカーの指示で赤坂の新築マンションで独立しました。
しかし、それは東芝社員のまま、特例で独立したのです。
あるメーカーとは「レコード針のナガオカ」でした。
入院から徐々に外出の時に、ナガオカの試聴室に行き、
「川崎さん、独立しなさい」と薦められたのです。
「音を聴いたら、川崎さんはこの世界に帰ってくるべきだから、
独立準備はこちらでやるから」でした。
だから、赤坂から豊島区までや、明け方には国会議事堂から銀座を抜け、
晴海埠頭までメチャクチャに飛ばしていたことがあります。
その内にいずれ暴走族と言われる連中に絡まれましたが、
私が車椅子だと知ると皆が守ってくれていました。
だから赤坂のマンション前には暴走族がタムロしていました。
車椅子になって最初の車がモンザであり、
横浜ナンバーで走り回っていたのです。
ところが、140km/hを越えると車にかすかな振動を感じたので、
この車を買い換えることになるのです。
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『ワインはセンスを決めるひとつのアイテムだ』
* 「フリーランススタートの頃」
* 『素材=ボロンとダイヤモンドですでに開発していた』
* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』
Tags: 140k/h, 37度C, 38度C, シボレー, モンザ, リハビリテーション, リハ訓練, レコード針, 不可能, 中原街道, 乗降, 体温, 体温計, 体育館, 体調, 倒れた, 右ハンドル, 国会議事堂, 左ハンドル, 思い出, 患者, 振動, 新築マンション, 晴海埠頭, 東京時代, 東芝, 東芝社員, 椅子, 横浜ナンバー, 注文, 注目, 渋滞, 準備, 無視, 独立, 病院, 社員, 診察, 試聴室, 豊島区, 買い換える, 赤坂, 走族, 車, 車椅子使用者, 退院, 連中, 運転, 銀座, 間際
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4月 22nd, 2012 Posted 12:00 AM
関東労災病院でのリハビリテーションを終えて、
私は赤坂にデザイン事務所を開設しました。
1978年でした。
まだ東芝社員のままに独立を許諾されたのです。
ただしオーディオ関連以外のデザインに従事することが条件でした。
しかも給与は支給されていました。
ただの直感でデザイン事務所名は「Super Edison」でした。
技術・エンジニアリングを意識し、
「デザインは発明でもなければいけない」
という柳宗理先生の思想を込めたネーミングでした。
たまたま、米国人のモデルがガールフレンドの一人だったので、
彼女は来日すれば仕事休日に、モデルとして手伝ってくれました。
それで、デザインスタジオのプロモーションスライドづくりです。
当時は口コミだけでデザイン依頼をしてくるクライアントに、
「Super Edison」のスライドとオーバーヘッドプロジェクターで、
スタジオでのデザインワークプロセスなどを見せていました。
工業デザインの仕事よりも、
イベント企画や商店街活性化企画をしていました。
とてつもなく大きなイベント企画ばかりしていたようです。
ちょうどピンク・レディー全盛期で、
新宿で新築の最高層ビル「野村ビル」屋上で、
紅白歌合戦終了とともに日本で最大の鐘を突き「ゆく年くる年」をやる。
そのために高岡で鋳造されている直径2mの鐘を東京まで陸送、
それは陸運会社のTVCFにし、
屋上には陸上自衛隊のヘリコプターで下ろしてもらうという企画、
実現いよいよとなりました。しかし、
澁谷のNHKから新宿まではパトカー先導ということまで決まったのですが、
没になりました。
ある仏教系からの文句が大きくて
「とんでもないそれは除夜の鐘の冒涜だ」という批判で中止になりました。
東京のある商店街通りに、
パリのごとく「花街道」にしようという企画、
そのために花咲く季節前にビニール栽培をしていたら、
その花が突然すべて枯れるということもありました。
それから3/4インチビデオ撮影スタジオ業もやり始めていました。
また新宿に高層ビルが竣工となり、
その屋上にハリウッドから実寸の映画モデル「ゴジラ」を座らせる、
なんてこともスタッフがハリウッドの演出会社を説得し
船便で運んで来る企画も実現間際に、
消防庁の許諾どころかお叱りを受けたりしました。
すべてが失敗していたわけではありません。
晴海埠頭にあった晴海の見本市会場では、
「日本オーディオフェア」で展博ディレクター。
1988、1989とあるメーカーを人気No,1にしたこともありました。
東芝時代には東芝でのディレクターをしていたので、
開催前日、ディスプレーデザインのチェックには
会場内まで自家用車・当時はGMの「モンザ」で乗り付けると、
顔なじみの展博屋さんたちが大拍手で迎えてくれました。
「よくがんばったな」
「生きていてくれてありがとう」
「流石にまったく新しいディスプレーだ!」
「車椅子になったからさらに神がかりな展示だ」なんて言われて、
長髪の頭をみんながぐちゃぐちゃにしながら撫でて喜んでくれました。
(あぁー、自分はオーディオのこの世界にまた戻れた)と、
大笑いしながら泣きました。
毎日、でかいイベント企画、その発想の楽しみを懸命にすることで、
寿命は40歳まで(当時のドクター診断予知)という重くて真っ暗闇、
心に突き刺さってくる「哀しみ」と闘っていました。
1%の精進で 99%は死に向かっていく諦観を心に留め、
ともかく明るく振る舞っていました。
Tags: 1978年, NHK, Super Edison, TVCF, イベント企画, エンジニアリング, オーディオ, オーバーヘッドプロジェクター, ガールフレンド, ゴジラ, ディスプレーデザイン, デザイン, デザインスタジオ, デザインワークプロセス, デザイン事務所, ネーミング, ハリウッド, ビニール栽培, ピンク・レディー, ピンクレディー, フリーランス, プロモーションスライド, ヘリコプター, モデル, リハビリテーション, 口コミ, 商店街活性化企画, 工業デザイン, 技術, 新宿, 日本オーディオフェア, 東京, 東芝, 柳宗理, 澁谷, 独立, 発明, 直感, 米国人, 紅白歌合戦, 給与, 花街道, 赤坂, 車椅子, 野村ビル, 鐘, 関東労災病院, 陸上自衛隊
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8月 23rd, 2010 Posted 12:00 AM
壮絶なのは日常なり
私は、自分の交通被災から車イスのデザインをしました。
この実体験は「壮絶」と思われているようですが、
「生きている日常の方が壮絶」だと思っています。
本当の「壮絶さ」な人間界の話はいづれ書きます。「悲惨な壮絶さ」は潜んでいるのです。
五大器械
さて私は、車イスは道具ではなくて「器械」だと言っています。
器械は、『周礼』では、「器は楽器で、械は武器」、
『後漢書』では、「器は内に盛るモノ、械は外に盛るモノ」、そして『荀子』では、
「器は、鎧(よろい)冑(かぶと)で、械は矛(ほこ)弓(ゆみ)ということになっています。
一方、古代西洋のヘロンは五大器械を、てこ・ろくろ・くさび・ねじ・滑車と定義していますから、すべからく「人力」という力学が関わっているということです。
自力養成訓練
そこで、私は車イスを「自力」デザインで開発と、乗りこなせる「自力養成」をしてきました。
救急病院時代は、プラスチックのギブスで上半身をカバーしながら、
退院間際には、ようやく2kの砂袋を10cmぐらい動かせるようになっていました。
半年後に労災病院で、いよいよ本格的なリハビリテーションを受けることになりました。
それは自分を鍛え直すことになったのです。
まず、700ccの水を1日に3回飲み干すことです。これは体の水分を保持し排泄訓練のためでした。
おかげで、容器を見れば何ccかすぐにわかりますし、
今も、ともかく最低2000cc以上で体内水分調整することです。
相変わらず、発熱は連続していました。朝の検温で37度だとトレーニングはできません。
だから、37度を越えていると必ず37度以下にして、トレーニングを受けました。
案の定、トレーニング中に高熱となり幾たびか倒れました。
問題は、2k程度ではまったく車イスどころか、「自力」でベッド上で体を起こすことはできません。ともかく5kの鉄アレーでのトレーニングをめざしました。
七つのパターンを各150回上げ下げをすることになります。
ベッドでの起立は、当時の日本のリハビリ標準値は一ヶ月でした。
しかし、ベトナム戦争傷病兵のリハビリ本が東芝のデザイン部門は届けてくれました。
それによると米国では2週間というメニューがありました。私はそれを目標にしたのです。
車イスに乗るためには150kの鉄アレートレーニングが必要。
これは鉄棒での懸垂運動30回程度相当です。
自力力学
つまり、人間の「自力エネルギー」というのは、自分の体重を自力でコントロールする力学を、
「自力的に身体化」するということです。私のリハビリトレーニングは「優等生」でした。
それが出来たのは、中高大までにスポーツで鍛えてきたことが役に立ったということです。
水泳・スキー・空手・少林寺拳法・ロッククライミングでの経験があったために、
失われていた「自力」の回復は半年で150kの鉄アレーで回復させることができました。
やっぱり、車イスは器械です。
だから自転車も道具ではなくて、「自力と平衡感覚力」を駆使する器械だと断言できます。
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6月 30th, 2010 Posted 12:00 AM
ボランティアなる慈善
「感情」の病は憂鬱であり、
単なる悲哀にとどまっているわけではないと思ってきました。
そして、悲哀を包み込む「慈愛」は、
哀=愛よりも広大無辺な支援力を持っています。
私が車椅子生活を宣告されて、リハビリテーションで入院していた時、
いわゆる「ボランティア」という活動が日本でも芽生えた直後だったと思います。
「明日は、あいつらが来るから、それなりに演技せーよ」と言う話を初めて聞きました。
私には何のことかわからず、6人部屋でしたから、尋ねました。
「明日になったら、わかるから」、と
誰も教えてくれませんでした。
当日、いかにも金持ち風の年配で、ギラギラしたメガネのおばさんたちが、
おしゃべりしながらやってきました。
だから、私はギラギラしたメガネのデザインは絶対にしないことにしています。
さて、病棟は、けたたましくうるさく、あの連中が?、でした。
その日、やや熱のあった私には、耐え難き時間が流れていきました。
私は、寝込んでいて、入れ替わり立ち替わり話かけられることにうんざりでした。
「どうしてこんな体になったの?」
「気分が悪いの?」
「ゆっくり休んでいなさい」
「洗濯物があったら、洗うから出しなさい」
(ウルセーェー!)、本当なら叫び罵っていたと思います。
彼女らが、満足気に帰っていくのも、けたたましくうるさかったのです。
「みんな、今日はみんな演技が巧かったなー」と、
病室は、おばさんたち一人一人のまるで品評会でした。
私は、この両者に「怒り」が残りました。
『これが、慈善ってやつなのか?』
慈善は、「施す側」は気持ちいいのでしょう。
「施される側」は、百も承知で、演技で感謝しているかのように演じます。
この演じ合いは、見るに堪えかねる情景でした。
以来、「慈善」は信じられません。
まず、言葉が間違っています。
「神様に捧げる象徴としての羊の頭」を「慈しむ」ことを表意していますが、
こんなことは想像ができません。
つまり、切り取った羊の頭を慈しむという場面は想像を絶するからです。
慈善事業への疑念
「慈善事業」はありえない。
慈善を声高にする団体など、信じること、
それは私には正直、疑念しかありません。
そして、デザインは決して慈善事業などに関与することを私は全否定します。
「我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦」
お釈迦様は汝のために説くだろう。
観世音の名を聞き、観世音の姿を見て、観世音を念じ、
空しく過ごさなければ、諸々の苦しみを滅ぼすことができることだろう。
『観音経』の一節こそ、「慈悲」の力であり、
「慈善」になりえないことを言い説いています。
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6月 17th, 2010 Posted 1:00 AM
光景へのトラウマ
「風景」とは、古来四つの要素がもたらしてきたものだということを
中国古典書で知りました。
・日食による暗黒
・月食の光と影
・宇宙を切り裂いて飛ぶ彗星
・雷鳴と風雨
この四つは、自然から受ける恐怖体験だったと思います。
恐怖体験が、自然への畏敬、その始まりだったと思います。
この「風景」には、神が居るという信仰だったはずです。
私が、原子力発電所のある風景を光景と呼ぶのは、
原子力という核融合、核分裂という巨大な力は、
あっけなく自然、そして風景の構成要素のイメージをも
破壊している印象があるからです。
まさしく、「光景」は「生と死」・「天と地」での
人間存在を一瞬にして「無」とするのです。
今、私たちが原子力へのとめどない恐怖は、
「風景」から受け止めてきた畏敬をも押しつぶすことのイメージが
ほとんど未体験のトラウマになっているのでしょう。
この未体験のトラウマが強化されているのは、
明確に、ヒロシマ・ナガサキの記憶に他なりません。
未体験のトラウマから逸脱するには、
相当のリハビリテーションと意識変革が要求されているということです。
Tags: トラウマ, ナガサキ, ヒロシマ, リハビリテーション, 光景, 彗星, 恐怖, 日食, 月食, 核分裂, 核融合, 無, 畏敬, 雷鳴, 風景, 風雨
Posted in 032「景観にある原子力」, 資本主義から逃走せよ!
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11月 25th, 2009 Posted 3:00 AM
「諦観」とは、resignだと私は経験してきました。
諦めて生きること。
これはリハビリテーションの原理だと知ったのは、
車いすを余儀なくされ、
米国のリハビリ・トレーニング原書の
最初の書き出しで知ったのです。
とても大きなショックでした。体が震えました。
怖かったです。
これからリハビリで、元のような生活になるんだ!って。
この意気込みは、一遍に消失しました。
ところが、「諦めて生きる」というのは、
もう、歩けなくなった自分ではないけれど、
歩けない代わりに、もっと歩けていた以上に自分を修練し、
残された機能を鍛錬するということがresignだと、
米国のリハビリテーションの本に書かれていたのです。
まさしく、これは日本の仏教的思想の「諦観」でした。
以来、私は常に「諦観」の思想と論理を、
自分自身に言い聞かせて、車いすで生きてきました。
「神の国」には「諦観思想」があります。
米国にも同様にあるのです。
「あきらめる」=give up と言うのと、
「諦める」=resignとの大きな差異です。
私たちは自分本位であることに、
何らかの決着=諦観が、絶対に必要なのです。
「諦観」を心底にすれば、
それこそ、「神の国」には、右翼も左翼も、部落差別も、
どんなタブーすら「諦観」で全て融解してしまいます。
そして、
「諦観」が希求しているのは、
実は「希望」です。
今日本の国「神の国」の子供たちがほとんど知っています。
司馬遼太郎氏の上記の一節です。
21世紀を生きる子供たちに、彼の「希望」があります。
果たして、21世紀に生きる大人は、
彼と子供たちの「希望」を
次世代に準備できるのでしょうか。
改めて、「諦観」からの「希望」で、
「神の国」に生を受けて存在している「使命」を、
自分自身に問い直していく日常こそ、
「諦観」と「希望」の狭間での私たちの「義務」であり、
その「義務」を果たさずして、
勝手極まりなく「権利」を求めることは、
人格を犯罪にしていると、私は考えています。
「神の国」の住人は、「諦観」が「希望」を創出するのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 21世紀を生きる子供たち, resign, あきらめる, トレーニング, リハビリ, リハビリテーション, 使命, 修練, 司馬遼太郎, 希望, 権利, 決着, 神の国, 経験, 義務, 自分本位, 融解, 解放と何らかの決着=諦観, 諦めて生きる, 諦める, 諦観, 諦観思想, 車いす, 鍛錬
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
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