4月 27th, 2012 Posted 12:00 AM
「ロボット」、その言葉=戯曲からの由来はすでに教科書的です。
が、その由来名辞から解放されているとは言い難いと私は思っています。
J・ボードリヤールは「物の体系」で、
「ロボットは想像的なものの局面が神話として
到達したものに他ならない。
それは目に見える機能性の投影という局面である。」と、断言。
私は、わが国のロボット学者や企業は、
ヒューマノイド系とメカノイド系に
輪郭化されていることに不満がありました。
この指摘を「私のロボットデザイン」で
評論的な表現にモデル化したいと考えてきました。
ベースは、中村雄二郎先生の「形態論」と「身体論」です。
「形態論」=安心+安全であり、
「身体論」=安全+安心として再考すると、
スポーツや舞踊が引用できると結論づけることができました。
ところが、「舞踊」は日本だけでなく、
世界中の「踊り」が見事に二分できるとたどり着いたのです。
それはボードリヤールの指摘からも、
ロボットという名辞からも解放されるデザインから
技術仕様を決定していく一つの「基礎学」でした。
「舞」は、足裏を決して見せません。
能舞が日本の伝統芸能として的確でした。
名前も『Nomenclator』という古代ギリシア語を選別しました。
「Nomenclator」というのは召使いですが、
データを把握している情報マンのことです。
誰かが歩いてきて領主的な主人に挨拶をすると、
「あれはどこそこの誰で、先般、病気をしていたとか」、
性格や立場を主人様に伝達する奴隷でした。
しかし、人間ゆえに「感情を持っている」という決めてがありました。
だから、私のロボットは呼び名を変えて、足裏を見せないで行動し、
なおかつ感情=泣いたり笑ったりという表情を、
ヒューマノイドでもメカノイドでもない
形態の身体化を図るということでした。
これは私の人工心臓の究極である「感情=交感神経β1と副交感神経β2」で
鼓動しているような「性能化」感覚と一致しています。
例えば、帰宅すると出迎えてくれて、
ユーザーの想いを共有してくれることが目標意図になりました。
これは大阪大学に特任教授となったときに、
阪大フロンティア研究機構で、ワーキングモデルとして、
「感情共振」=Emotional Domainまでへのアドバンスデザインとして
開発具現化できました。
このモデル化は「玩具性」を離脱する一つの方法だと思っています。
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7月 20th, 2010 Posted 12:00 AM
デザインは応用芸術ではない
デザインという職能効果は、バウハウス時代に様々なアプローチがあり、
建築や芸術との学際性に位置づけられていました。
その後、米国の大量生産と大量消費に結びつきました。
デザインが「付加価値」というのを招き入れたとするなら、この時代です。
「デザインは外観づくりの応用芸術」と見なされた過去があったことです。
以前、「デザイン講座」的なTV番組の中ですら、デザイン評論家が、
「商品の外観は、付加価値」的な発言を講義していました。
それは、当時の経済評論家たちも追随する風潮であり、それが歴史的な誤謬だと、
私は考えており、デザイン界の一部には容認できない内容でした。
当時、デザイナー仲間で、哲学者N先生の元にて理論構築をしたことがあります。
デザインの本質的な役割に、「問題解決」・「難問解決」と結論を持ち合いました。
私も参加し、議論させてもらっていましたが、
その時には、すでに私は「タケフナイフビレッジ」を「越前打刃物産地」に実現していました。
「タケフナイフビレッジ」に掲げたテーマは、
「私たちは美しい切れ味を鍛えています」ということでした。
これは、明白に、伝統技・産地活性と存続・刃物の未来性でした。
そして、問題解決は、三つの方向で見いだしていました。
それは「モデル化」です。
● 伝統技の現代的な技術進化・伝統技の徹底的な分析
● 素材開発から市場流通のデザイン主導
● 産地の未来像を時系列的にデザイン計画
この三つの「モデル化」は、そのまま「デザイン価値」が産業化されていない、他の地場産業、
中小企業、さらには「付加価値という誤解がまかり通っている大企業」にまで、
展開することができると私は確信しました。
特に、テクニックからエンジニアリングにするためのテクノロジーは、
デザインが持ち込むことができる。
産地存在の広報広告には、ブランドの確立から、
産地アイデンティフィケーションの確立が必然であるということ。
「製品」から「商品」になるための「情報戦略」
こうしたことを統合化し、主導するのがデザインであり、
産地がただ産業化していると思い込んでいる「商品」は、
すでに現代的な「価値評価」が行われていないことを、
産地職人のみんなに伝えていくことでした。
最も、彼らが「商品価値」として認識してくれたことがあります。
それは「商品写真」でした。
「このカメラマンはダメダ」という会話を聞いた時です。
「このナイフのこことここの光り方が撮れきっていない」という評価に私は驚きました。
すでに、彼らにとって、デザインによって可能になったことは、
「付加された外観的なこと」ではなかったわけです。
ユーザーに「製品価値」が消費する「商品価値」となるためには、
産地存在から製品までを「全体価値」にしていくデザイン、
それが不可欠になっているという認識でした。
そこで、私がその「全体価値」を「物語」と言って彼らに伝えていました。
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7月 19th, 2010 Posted 12:00 AM
デザイン価値
大企業でのデザイン活動と、
地場産業や伝統工芸産地でのデザイン活動の大きな違いは、
「デザイン価値」の認識です。
国内の大企業は、かえって、「デザイン」によって「付加価値」が上がる、
と単純に思っている所が多いと私は思っています。
つまり、経営者は「デザイン」を装飾程度のものと思い込んでいる人が多い、
これは私の体験です。特に、サラリーマン社長に多いというのが経験値です。
デザイン部門への依頼は「外観・意匠設計」、これは「装飾」にすぎないと考えているのです。
現代、いや最近はますます、この程度の経営者ばかりになっています。
それが日本の「モノづくり」の質、その低下に拍車をかけています。
むしろ、地場産業や伝統工芸産地にとって、
カタカナである「デザイン」は、
その本質を「モノづくり」の根本で語り合えば理解は深まるというのが、
もう一つの私の体験です。
さて、越前打刃物に飛び込んだ私の「伝統」と「刃物」に、
私はデザインを突きつけたことになりました。
それは、デザイン価値を伝統と刃物、
そのモノづくりの根本を革新するというまずは意気込みでした。
この意気込みや覚悟を、職人さん達に理解してもらわなくてはなりませんでした。
ところが、すでに産地活性化は、
「地方活性化政策=国家行政政策」として幾たびか試みられていたのです。
結論は、産地は「デザインに失望」していました。
理由は簡単です。
行政も、デザイナーの高名な先輩たち自身が、
「デザインという付加価値」が欠落しているということで、
製品開発をしても、東京で展覧会をやればそれで「行政指導」なるものは終わりだったのです。この事態は今も改善はされていません。
その結果、「デザイン高度化事業」の成功例は皆無と言っていいでしょう。
その事例をどれだけ多くみてきたことでしょうか。
だから、「デザイン行政」は根本から変革する必要があります。
この戦略は別稿とします。
私は三つの戦略方針を掲げました。
■「伝統」=伝統技や素材に対するデザイン
■「技術」=手づくりの継承に対するデザイン
■「情報」=産地物語に対するデザイン/
これらを統合化すれば、伝統産地の「情報化」と「製品価値」の結合です。
すなわち、これこそ、innovationであり、
伝統産地の物語情報戦略、そのデザインということでした。
すでに30年前の話ですが、
このデザイン手法は、現在も「方向づけ」として正確だと確信しています。
なぜなら、これがデザインの本質だからです。
この本質論は、「モデル化」することができます。
すなわち、「デザイン価値の定義論」だと認識しています。
デザイン価値=脱工業化であり、情報化=物語構造論へ価値論を持ち込むことになります。
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3月 31st, 2010 Posted 1:40 AM
「物質」・「情報」・「エネルギー」
いきなりの世界観を提言します。
それは「物質」・「情報」・「エネルギー」が世界構成因です。
この明快なアイテムは今世紀と共時する私の確信です。
ようやく、私がデザイン対象とするモノをすべて、
これらのアイテムに包含しながら、
再度、「物質とは何か」という問いかけの変更を重ねました。
それは「何が、物質か?」ということへ、
デザイン対象を入れ直すということでした。
「物質」というのは、私には自然物ではなく、
人工物=モノと必ずカタカナ表記する物の性質性の存在です。
性質=物性の質(たち)という言葉の定義仮説を用います。
この仮説は、物性・対・物理の差異性と同値性・同質性です。
つまり、差異性を仮説化し、
同値性、それは「質・たち=性質」の価値感と、
同質性という「性質の機能性」という性能性です。
上記は、同値性・対・同質性ですから、
論理的には、物性学と物理学でそれらの背景を与えられます。
もっと短絡的に言い切れば、性能という具体性を、
理学的な抽象性をモデル化するということになります。
モデル化するというのは、記号的な処理=数理学に配置する、
そんな作業になるでしょう。
何が物質か?
仮説化という冒頭にもどれば、
「何が物質=人工的なモノ」か?という仮説は、
人工物質=モノの性能価値が「物質」になるでしょう、
ということです。
極めて自分勝手で、読み手理解を無視していますが、
それは、私がデザイン対象とする人工物質=モノ、
すなわち、自分だけの定義にしているからです。
仮説の連続性
この仮説が、何を次に定義化していくかというのは、
「何が情報=コトとなり、コトの機能性」も、
デザイン対象にすることができるのだろうか。
「何がエネルギー=源となり、源の効能性」を
デザイン対象にすることができるのだろうか。
この二つのテーゼに、
物質=人工物質=モノからつないでいく連続性を考えるためです。
デザイナーとして、常にモノの形態=かたちを想像します。
想像の中で、モノの存在を「かたち」とするとき、
その「かたち」の「たち=質」に「かち=価値」を与えたいのです。
その連続性に、「情報」・「エネルギー」を対象化する
デザインには何が可能だろうか、という仮説化です。
この仮説化が、
イノベーションをデザインするという確信を持ちたいのです。
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Posted in 020「物質・情報・エネルギーとイノベーション」, 資本主義から逃走せよ!
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2月 27th, 2010 Posted 1:00 AM
私は「ビジネスモデル」の歪みを指摘しています。
その歪みを是正するために三つの条件を前述しました。
製品コンセプト
そこで、三つの条件から
「製品コンセプト」の強力な訴求性について記します。
「製品」と「商品」は、まるで違いますが、
経営者でこの違いを明確にできる人は少ないというのが、
デザイナーとしての経験です。
にもかかわらず、「製品」も「商品」も、
「金融」にまとめた現代経済は大きな失策だと断言します。
つまり、彼らの「したたかさ」が、
自分たち金融主体の存在否定に連続してしまったのです。
収益構造のモデル化は、今後ますます自分たちが、
その中で苦しむことになります。
「不況」=depression=「鬱病」医学術語です。
「金融」の「鬱病」治療は、直線的に結論づけると、
それは「デザイン」の手法と思想しかありません。
「コンセプト」という言葉自体、
あるいはこの言葉の意味も不明確なままの「経営本」は、
私にはあきれかえるほど多く次々と出版されて、
またベストセラーの低能さを追い求めるサラリーマンの
悲しさ=まさに搾取されている実態を見ています。
ゆえに、一端、ベンチャー企業ともてはやされても、
多くの倒産を見てきました。
その倒産に至らない方法論は「経営論」ではありません。
「デザイン論」です!
まず、「商品」のベースとなる「製品」、
そのコンセプトには明快な(明確さではなく)主張です。
私はデザイン実務の結果の実例で、
「製品コンセプト」の訴求性を見せたいと思っています。
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Posted in 012「ビジネスモデル」, 資本主義から逃走せよ!
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