5月 9th, 2013 Posted 12:00 AM
私が名古屋市立大学で導入してもらったシステムは、
当時は最高のシステムでした。
IDEASからPro-Engineering、そしてCATIAへと、
それぞれをSiliconGraphics社のEWSで造形実験が出来ました。
したがって、3D-CADそのものの大学提案を求められて、
いつでもアプリケーションは提供される幸運でした。
大学は新設のために、
かつては名古屋女子短大の調理実習室が大改造された部屋を
二つに造形装置と重合硬化装置や洗浄機までがありました。
大学を転籍する時には、
光造形装置は紫外線レーザーと半導体レーザーが二台ありました。
高価だったのは、紫外線レーザー光管は500時間で取り替え。
硬化樹脂素材も大変に高価でしたが、
芸術工学部として、当時はデザイン系大学にも無かったので、
大学の施設シンボルになっていました。
私は市民税という血税で運営されていることからも、
24時間常に稼働させるとともに、
海外からの見学者や医学部の整形外科からも研究生がいました。
メビウスリングそのものがとても3D-CADではEWSがトラブル頻繁。
しかし、院生の中でも際だった者は、様々な形態を
光造形で造形を成し遂げて論文も勝手に作成していました。
私の想像では、想いもつかない造形に成功していた僅かな者は、
必ず、3Dプリンターを即刻理解すると思っています。
現在、3Dプリンターには三つの流れがあります。
2002年FabLab、2005年RepRap、2012年MAKERSという図があります。
もちろん、この見事な分析図からは、
今後の「デスクトップのモノづくり」が見えてきます。
しかし、光造形でエポキシ樹脂にレーザーを照射して、
最後に装置のエレベーターでモデルが仕上がって登ってきます。
この状況を見ている人はどれだけいるのでしょうか。
これは本当に「とても美しい」のです。
私は当時は、光造形装置の部屋には入りませんでしたが、
このモデルアップの時は惚れ惚れと眺めました。
だから、現在の3Dプリンターではその美しさはありません。
けれども、とても安全装置になったのは、
この装置を
自宅のキッチンに設置しておいても大丈夫になったことです。
「安全」な装置という進化が3Dプリンターにはあります。
でも、モデルアップの光造形の美しさは格別です。
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4月 29th, 2013 Posted 12:00 AM
ブレーゲルという川に七つの橋があるそうです。
その七つの橋を2度通らないというルールで、
出発点はどこでもいいけれど、全ての橋を渡って、
元の場所に戻ってこれるだろうか、
という伝統的な問題があります。
これは「ケーニヒスベルク(現・カリーニングラード)の問題」
という名前の「一筆書き問題」です。
名古屋市立大学当時に、
大学院では
「光造形システムでのトポロジー形態の制作」に関わる修士論文で、
必ずまず、「オイラーの解」として冒頭に記載されました。
それは、レーザー光線で液体のエポキシ樹脂を形態制作する手法で、
特に「形態を支えるサポートづくり」を考える
普遍的な思考を追随するのに、
基本的な思考方法に至るためのトレーニングになりました。
左に「メビウスリング」が、
光造形モデルとそのワイヤーフレームがあります。
右は同じ「メビウスリング」をテープを一点で表裏逆に一回すれば、
テープ真ん中線上で切断するとそのテープは大きくなるだけです。
ところが、2点で表裏を逆・逆として切断すると、
リングは二つに分断されて二つのリングが鎖になります。
試してみて下さい。
これは「手品」にして見せることができます。
これまでの話を理解する必要があります。
そうすると、ラインで面を造ることが出来ますが、
そのラインを話題の3Dプリンターで0.6mmのラインを射出させながら、
たとえば、中央下の「ハイヒール」を造るとしたら、
どのように形をライン書きから、
「一筆書き」していくことが出来る時代になったようです。
3Dプリンターは、確実にインターネット上で
真っ当な展開をしてくれることを願うばかりです。
私が心配しているのは、インターネットがこのままの資本主義では、
相当に無理があるでしょう。
しかし、時代は良貨は悪貨を駆逐するという人間界の癖があります。
私の癖は、私の人生において、
この癖に最も喧嘩を挑んでいます。
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8月 8th, 2011 Posted 12:00 AM
ふるさと福井県・三国には、
お雇い外国人建築家による小学校が存在。
龍翔小学校、現在は
「みくに龍翔館」。
その息子が「だまし絵」で有名なエッシャー。
エッシャーは二次元・平面に
立体錯視となる画像を描きました。
その代表例にメビウスリングに蟻が描かれています。
メビウスリングはテープ、リボンが捻られたものです。
したがって、表が裏になり裏が表になるという図です。
しかし、この絵にはさらに凝視しなければなりません。
なぜなら、単なるメビウスリングではありません。
テープorリボンが網になっていることです。
いわばメッシュのリングでは蟻はその穴からいつでも、
自分が表から裏へ裏から表へ移動可能です。
エッシャーはメビウスリングに異論を持ち出したのです。
さて、メビウスリングはトポロジー=位相幾何学の実例。
そしてエッシャーは芸術から数学のある闇を突いたことになります。
一般的に数学は「闇」世界観になっています。
まして位相幾何学ともなれば、
幾何学をさらに超えたメタ発想が必要とされます。
その闇にエッシャーはもう一つの闇の存在を示しました。
しかし錯視によって二次元に三次元画像を求めたのは、
闇世界に光を差し出したのかもしれません。
つまり、闇と光の世界は、乾坤世界、光景空間です。
闇と光はまさにメビウスリングになっているのでしょう。
私はあらためて
トポロジカルに闇と光を入れ替えて熟考するものと考えています。
今重要なことは闇に光、
光の中に隠されている闇存在です。
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12月 25th, 2010 Posted 12:00 AM
Inclusive・Exclusiveの対比
Inclusive DesignはExclusiveと対比。
あるいは対照性や反照性で、詳細定義に近接。
私はこの近接性を「近傍性」と読み直しています。
果たして、Inclusive Designの本質と定義は、
● 形容するデザイン対象、
● デザインアイテム、
● デザインプロジェクトの実例を何にするかということになります。
これこそ「何がInclusive Designであるのか」、
今、その何が求められているかが問題=Problemであり、その解決=Solutionが解答になります。
そしてこの解答こそ「造形デザイン=かたち」になるわけです。
Inclusive Designの造形要素・造形要因は、
一人称=デザイナーから三人称=ユーザーに向けられます。
解決手法としてのトポロジー
そして、InclusiveとExclusiveが変位する次元と造形に、トポロジーがその解決手法である。
このことが実務デザイン手法であることに気づいてほしいというのが私の主張です。
私は、定義をとりあえず文法的なカテゴリーの「人称」にもとめました。
そして、人称を一人称・二人称、さらに三人称との関わり、
すなわち構造をどのように近接していくと定義に連続や収束をしていくのかをメモとしました。
つまり、「近づく」というのは、連続系なのか収束系なのかということです。
近接から近傍
しかも、連続や収束でもどこかで変位することがあります。
私のイメージはとりあえず、トポロジーを最も基本的に示している「メビウスリング」が、
そうした造形デザイン=かたちの印象になります。
理由は、メビウスリングは、二次元のテープが捻られて三次元リングになり、
どこからどこまでがInclusiveとExclusiveかを「かたち」で表象されているからです。
Inclusive Designとは「カタチ」表象として、
きわめてトポロジーデザインでもあると私は強調しておきます。
しかも、この「カタチ」はバーチャルであることに気づいていただきたいと思います。
メビウスリングでの実験
実験をしてこのイメージをつかんでください。
テープを一度ひねって、リングを作ります。
そしてそのテープの幅の中心線にそって切り分けると、これまた大きなメビウスリングになります。
ところが、テープを2度ひねって、メビウスリングを作り、
そのセンターラインで切り分けると、二つのリングがつながってできあがります、
まるで手品のわざですが、これは、明確に二つの概念を視覚化するでしょう。
そこでテーマにしているInclusiveとExclusiveが「かたち」造形化していくために、
一回のひねりと二回のひねりで、「近傍性」を視覚化していることになります。
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Posted in 060 「インクルーシブデザイン」, 資本主義から逃走せよ!
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11月 7th, 2010 Posted 12:00 AM
抽象的レトリック
トポロジーという概念があります。
本来は数学論、その数学術語として生まれました。
数学という抽象論であるがゆえに、
この概念は他の学域に概念の応用が起こります。
概念の応用は、観念論にも文学的なレトリックになっていきます。
レトリックの中心課題となる言葉は、学域毎に意味の拡張が起こります。
とりわけ文学的なレトリックが哲学的な表現に応用されると、
その中核的な原意が多様的な変更と核心的な原意の強調をするものです。
しかし、抽象的レトリックとしてのトポロジー用語使用を徹底したときに、
この言葉の数学的意味をさらに深度が生まれることを見逃すことはできません。
数学術語は三つのアプローチ
私は歴史史実・編年体的な遡及によって、虚構が現実に転換するのは、
あたかもメビウスリングやクラインボトルの視覚的なパターン認識することができます。
このことを明確化したのはハイデッカーでした。
私は、トポロジーという本来、数学術語は三つのアプローチがあると考えてきました。
まず、概念としては、数学的な視覚性と哲学的なレトリック性です。
さらに観念としては、問題解決手法の手続き用語です。
現在は、コンピューターによって、
虚構性・虚構的な観念を現実的・現実性として視覚化可能であり、
なおかつ、トポロジーのような存在を見つめることすら可能になっています。
メビウスリング表皮の裏表
これまで、歴史・編年体としての史実が虚構と現実との転換・変位・反射・写実などは、
1800年代に様々な局面で多発していたことを陳述しました。
特に、「資本論」の虚構性、すなわち、理想性・幻想性・妄想性でした。
もし、レトリックとして再思考するなら、理想的・幻想的・妄想的な思考と現実の対比です。
すなわち、虚構というイメージから現実に転換するデザイン、
そのもののトポロジー的あるいはトポロジー性を、
特にデザインの視覚化手法で捉え直すことはいまだに出来上がっていないということです。
具体的に例示すると、
ヒーローとトリックスターはあたかもメビウスリング表皮の裏表、
どちら側に存在しているかを見つめているようなものです。
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Posted in 052「情報とトポロジー」, 057「グローバリゼーション」, 資本主義から逃走せよ!
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9月 26th, 2010 Posted 12:00 AM
トポロジーへの興味と近接
数学術語「トポロジー」は当然、数学領域の学論です。
この術語の定義を知り尽くすのは、数学者ならばきっといとも簡単だったはずです。
ところが、術語の概念がひとり歩きはじめたがゆえに、
決して、通常の学校教科書では、レトリック的な図形で表現されてきました。
しかも、「トポロジー」という言葉の持つ響きや耳障りの良さは、
様々な領域で、概念そのものを拡張してきたのだと思います。
私が知ったのは、建築評論や記号学的なレトリックでした。
よって、数学定義らしきものに興味をいだき近づくまでは、
私自身の数学的な発想が、図形、場、空間、形態、形体などを考える一つの動機でした。
そして、まともに知りたいと考え出したのは、
光造形システムが登場した1985年あたりからだったと思います。
UNIXがEWSを制御し始めて、シリコングラフィックスのIRIS3030を米国で買い求めた時に、
「トポロジー形体」である「トーラス」や「メビウスリング」を
まだまだ試行錯誤しているカナダのALIAS社に、
特別に個人教授でCGを学びに二夏も通った頃でした。
この話は以前ここで紹介したことがあります。
まず、私は「トポロジー形体」と表記しました。形態ではありません。
なぜなら、「トーラス」いわゆるドーナツ形状は丸い筒がまた円形立体化している形体だからです。
さらに、「メビウスリング」も、リボンの端と端がねじ曲がって繋がっている形状ですから、
これもリボンが一度捻られた形体です。
トポロジーと情報との相関と分別
ところが、問題は、
これらは厳密には数学定義化されている「トポロジーのようなモノ」=「トポロジー的な印象を
比喩したモノ」に過ぎないわけです。 現実界に存在はしていない形体です。
つまり、数学的な空間論の問題をなんとか可視化しただけのモノでした。
当時、光造形で作成された歯車を見たとき、ALIAS社とプリンストン大学との産学協同開発は、
数学的な空間論、二つのことをテーマにしていました。
「Natural Phenomena」と「Topological Form & Space」のdescription languageの開発でした。
これは後に詳説したいと思っています。
私が直感したのは、
トポロジーという数学的思考を情報化することは、とてつもなく数学の専門家でなければならず、
そこでの「トポロジーとしての情報」はほとんど理解不可能な領域になるだろうということでした。
しかし、もう一方では、「情報としてのトポロジー」は、
それこそ、「コーヒーカップとドーナツ」が同一形態であるという視覚化で、
なんとなく、これぞトポロジーと言って理解されてしまうだろうということでした。
トポロジー・言葉と知識へ近づけるだろうか
現在も、「トポロジー」という言葉周辺は、
数学で語られる「トポロジーとしての情報」と
哲学で語られる「情報としてのトポロジー」が共存しています。
著作名を例示すれば、前者は「Essential Toporogy」という数学書であり、
後者は「Heidegger’s Topology」という哲学的な解説書になっているようなことです。
これは、トポロジーという言葉あるいはテーマを挟んだ思考論理です。
そこで、私は、トポロジー形体をトポロジー形態化を、
本当に「可視化」する手法として、
光造形システム、現在、産業界において存分に利用できうるラピッドプロトタイピングでした。
明らかに、図形で可視化させようとした数学的な情報化を造形できるだろうか、
これが、トポロジーを自分が理解するための近づき方でした。
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11月 10th, 2009 Posted 10:09 AM
現実、デザイン、そしてアートが社会化される社会は、
民主主義が構築されている日常です。
しかし、デザイナーにしても、アーティストにしても、
その「個人性」には、主義としての民主性は皆無です。
民主主義的な決定はありえないと、私は思っています。
これは、民主主義と個人性の距離=近さへの思考です。
数理的には、「近さ」というトポロジー的観念と、
私は断言することができます。
つまり、民主主義を位相空間的にとらえるという、
きわめて私流というか、私の特異性に起因しています。
私は、前述しました。
民主主義をずーっと疑ってきたことを告白しました。
「多数決」という基盤的な型論理でした。
民主主義には、もう一つの型論理があります。
「合意形成」です。
私はこの「合意形成」にも、自分は賛同できません。
それは、
デザインを「多数決」でとか、「合意形成」での、
決定論に持ち込むことなどは、不可能だからです。
むしろ、デザインもアートも、「独断的決定」です。
この「独断的決定」が、「民主主義」の日常との接点、
これがなぜ有効となっていくのかというのは、
「トポロジー」=位相空間的な思考解釈が必要です。
この意志決定論に異議申し立てをしたのが、
カタスロフィー理論であり、
「トポロジーを全否定」した人物の思考に遡及する、
ということになります。
民主主義が構築された社会の日常に、
独断的なデザイン・アートが、なぜ不可欠なのかを、
その理論を創出する時期が今世紀だとさえ思っています。
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