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Posts Tagged ‘スケッチ’


『iPad Airに今、最適なスタイラスはここまで絞った』


   


     12月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

デザイナーとしての根本はスケッチ能力とその技能だと思います。
私は、まず紙と鉛筆とは40余年格闘して、スケッチを身体化し、
ともかく、夢の中でスケッチが出来上がるのは幾度も見ました。
そして、iPadの登場とともに、スタイラスは自作から、
これまで市販されてそれなりの評価あるスタイラスはほとんど、
自分の指先感覚をトレーニングしてきました。
iPadの中の色彩については、AppleStore銀座でも講演をして、
意外と知識無くみんなが使っていると思ってきました。
さて、スタイラスはすでに静電容量との対応が進化してきていますが
紙と鉛筆との関係は変質していると判断しています。
ということは、iPad上で清書ができるわけではなく、あくまでも、
私はスケッチにこだわろうと考えています。
ともかく、ペンは最低この中の2本でいいと言う段階にはきました。
iPad Airは、随分と軽くなっていますから、
願わくば、もうMacBook or MacBook Airから解放を熱望しています。
アプリケーションも、SketchBook Pro・Adobe各種・Paper-53で
ほぼいいようになってきたと思います。
私は特に次世代には、iPadとの身体化をうるさく言っています。
私の世代は、紙と鉛筆の感覚があまりにも身につき過ぎていますが、
次世代は「道具感覚」を早く身に付けるべきだと主張しています。
ところがiPadどころか未だにWindowsがデザインツールだというのは
デザイナーは本当に辞めるべきだと宣言しておきます。
Adobeのアプリが各種あることには納得していませんが、
iPad上で直線からカーブ定規まで使えるのは一つの進化と評価。
Evernoteからのスタイラスは電池駆動であることが好みです。
今はまだiPad Air上ですが、ASUSの18インチだと、
A3サイズ大のスケッチまでが可能になってきています。
ともかく、私にはまだまだ、紙表皮と液晶表皮と鉛筆:スタイラス、
この組み合わせ感覚を来年には、ほとんど同じにすることが
デザイン発想の定着ツールになってくれるものと期待しています。

「カラーの決定のために・HSB色空間」
「iPad-SkechBookPro カラーマネージメント」


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『英国製とフランス製の最高質のノートに立ち向かう』


   


     11月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

私はノートを徹底的に見つめて探して選んできたと思っています。
それは職能柄でもありますが、日本の手帳と手帖は、
西洋でもメモ帳からノート=帳面には、紙質の違いがあります。
それも時代性と歴史性が見事に表れているからです。
これはフランスと英国の最も精微にデザインされていることを
確認できるモノだと思っています。
今年の手帳は、昨年同様に英国製がようやく手に入りました。
昔、英国の登山家や冒険家が絶対に使っていたという皮革製の手帳を
私は探し求めて、手に入れたことがあります。
その2年後に日本でも発売されたら大ヒットしたことがありました。
日本ではビジネス手帳としてみんなが使うようになったので、
私は辞めたことがあります。
年末になると、いわゆるビジネスツールとして、雑誌でも、
「来年の手帳」とかが話題になりますが、
私が選びぬいたのは、英国製でした。
それもわざわざ英国にまで注文していたことがありました。
ところが香港では、自分仕様を店舗で注文することができました。
それが大阪でもショップがあって、詳細な注文発注ができました。
もうひとつのフランス製は、なんといっても紙質とこのスタイル、
その意味性と性能性を知ってほしいと思います。
ともかく英国製とフランス製での最高質がこのノートにはあります。
それは使うことを拒否されそうです。
というか、使うには潔さがいるノート類と言ってもかまいません。
ノートならなんでもいいとか安ければいいという価値感もありますが
それは、ペンを持った気持ちも通じないと私は思っています。
最高品質のノートに立ち向かうということの意味、姿勢は、
そのまま、文字を介して自分の知性と向かい合う具体性があります。
文字で済ませるのはとても楽ですが、
いざ、スケッチ=描画ともなると、これほど高品質なノートに、
立ち向かう自分を見つめ直すきっかけになると思っています。

「ブランドが語りきろうとする高密度品質とは」
「来年の手帳は選びましたか?」


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『「図鑑」=作品集はもう一冊は出したい』


   


     11月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

デザイナーになって40年の活動は図鑑「川崎和男Design」に
まとめることができました。
だから、自分の仕事を紹介するにはとても重宝しています。
しかし、本来は阪大の最終講義に出版をと思っていましたが、
自分で編集に加わってからは、どうしても書籍というモノ、
モノのプロダクトデザインとして、紙質から製版までをなんとか
最先端にしたくなって1年も延期してしまいました。
また、出版社からは「川崎和男・全仕事」が売れ筋と言われましたが
全仕事ではなくて、今も進行中の仕事を最終と考えたい、
そう言い張ってしまったのも延期することにつながりました。
幸いにして、この書籍出版では、現在最高峰の技術を集めたので、
おそらく、この種の美術図鑑ではこれ以上の仕上げは無いとさえ、
自画自賛しているありさまです。
だから、本来なら配布したい人がいますがこれも敢えてやりません。
今は傍らに置いて改めて詳細な校正というより説明を付加しています。
デザイナーである私の作品は写真表現になっていますが、
その作品一つ一つは、製造・生産に関わった人たちだけではなくて、
この作品に至るまでのスケッチ、何枚もの図面、企画書など、
作品の写真に集約されているだけのことであり、実際は、
とてつも無く多くの人たちが支えてもらえたからこその出来映えです。
もし、画家なら、自分の力量で作品は描けたかもしれませんが、
デザイナーであるからこそ、発想のスケッチから企画計画を立案し、
私のことですから、随分とわがままなる喧嘩もしてきました。
私自身は、これで4冊目の作品集ですが、
私の人生最期の仕事=今関わっているすべては、メモも、それこそ、
電話の声も、会議も残したい、その記録としての作品集、
そのようまモノが残せるのだろうかと、考えてしまいます。
でも、現在進行形の仕事も必ず「図鑑」にしたいと願っています。

『作品集は合計やっと4冊になりました』
「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」


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11月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

11月01日 丙子(大安)

デザイナーは
デザイン意図をスケッチ・図面、
そしてモデルで
それを製造・生産へと提案する。

スケッチは、デザイン意図の発想であり、
図面は、そのかたちの正確な伝達である。
そしてモデルは手本である。

モデルを見本という、
図面で想像=妄想してはならない。

そんなデザイナーは「喧嘩」も出来ないものだ!

川崎和男「喧嘩道」


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9月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

9月20日 甲午(仏滅)

スケッチも図面も描けず、
モックもつくれずに
「デザイン」を語ってほしくない。

なぜなら、たとえ
「デザイン思考」だ、
「デザイン表現」だって、言っても、
かたち=形態は
スケッチ・図面・モックにしか
表れてこない。
それがデザイン技能技術であり、
その効果と効用に
デザインがある。

「川崎和男 強い人弱い人」


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8月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

8月27日 庚午(仏滅)

デザイナーはスケッチ化と図面化は、
基本的な能力である。
スケッチはいらない、
まして、図面などということは
私は学生時代から、反抗してきた。
理由は簡単である。

発想・表現・伝達を
統合化出来る能力が無ければ、
デザインされたモノは美しくないからだ。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『日本のレンダリング技術は先輩が切り開いてくれた』


   


     2月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

大学時代には『レンダリング(完成予想図)」は、
描くべきではない、という先生=レンダがデザインを決めるからと、
絶対に巧く描くべきだという先生が私たちを混乱させていました。
私は当然ながらレンダリング技能を磨きたいほうでした。
理由はデザイン表現の技法は最重要だと認識していました。
東芝に入社すると、学生時代の技能では不完全。そこで、
清水吉治の書籍や講習に頼ることになりました。
東芝からも海外向けのレンダを彼に発注することも知りました。
幸い清水氏は大学の先輩であり、留学と海外経験がありました。
CG台頭の最初に私はトロントでその基礎を学びました。
それは手描きのレンダリングをなんとしてもCG化させたいという、
その目的が最大でしたから、マーカーレンダの再現でした。
だから今なお、手描き=スピードライマーカーを使えないとすると
CG表現はとても薄っぺらいレンダリングであり、それはそのまま、
デザイン効用効果につながっていません。
したがって、まず、レンダ・スケッチの描けないデザイナーは、
私はデザイナーだとは絶対に認めていません。
どんなにPCが進化しようが「手」で考える土台がレンダです。
今では私のスタッフ達もMacでレンダを描きますが、
基本はマーカーレンダが描けなければ、CG表現の質は程度悪です。
清水氏は国内に限らずアジアのデザイナー教育を成し遂げました。
彼のレンダリングテクニックは、
技能だけを教えているものではありません。
レンダリングという実務手法の肝心要なこと、
それはデザイン表現での革新=デザイン発想を定着させる技術です。
先輩はデザイン、その技法技術をレンダに集約させてくれたのです。
この春、彼の集大成の展覧会があります。
それは日本からアジアのレンダリング技術の全容です。
デザインと「手」の最重要な関係の先駆者が先輩でした。

「最小限スケッチツールが最小限の存在理由」
「専門家の表現は手で美しく表現するべき」
「PCレンダリングの3D表現誤謬」


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『ブルー色のスタイラスペンがまた増える。』


   


     10月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

iPadの登場以来、私がまた趣味にしてしまったことがあります。
まず、スケッチが描けるだろうか。
書、特に草書体がスムーズだろうか、ということになります。
そうなると、スタイラスペンは自作することから始めました。
そのスタイラスペンが単なる導電ゴムだけのものは、
ほとんど信用はしていませんが、ペン軸や装飾がブルーだと、
どうしてもコレクションに加えてしまいます。
SU-penはこれで3度目の進化を遂げましたが、書き味は進化。
だから、これだけは手放すことができません。
最近、クリスタル製品ブランドが一つの進化を遂げていました。
というよりも、ペン軸のブルーがとても綺麗だったので、
買い求めてしまいました、
最初の頃は、USBでも512KBだったのはまるで嘘のようです。
今では、4Gもありますから、これがペン軸に仕込まれているのは、
随分と買わずにきましたが、この美しい存在感と使用勝手は評価。
iPad miniも持ち歩きます。
都合によっては、様々なスタイラスペンに拘っています。
もしこのスタイラスペンについての講義なら15回は可能でしょう。
このペンが筆記具の一つになってからの商品アイテムは無限です。
しかしながら、人間はそれぞれが保持している静電容量があり、
最近では、電圧をかけて一定にするスタイラスペンも登場です。
でも、私はあくまでもペン軸がブルー系を探しています。
デザイナーは「好きな色を持ってはいけない」という心情ですが、
私はこうした筆記具はじめ、身の回りの用品では、
ブルー系に対しては拘りぬいています。
素材的には、最近では染色無しでの可視光線操作だけでの青が、
見事に登場し始めました。
なぜ、ブルー系なのかということは、
それはプロのデザイナーとして、かなえたいことがあるからです。
青といえば、ラピスラズリがありますが、
海の色・空の色・岩石色ということで可視光線では特異なのです。


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「デザインは問題解決!・この本質の再整理」


   


     8月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

デザイン=designare→design。
ラテン語からアングロ・サクソン語になりましたが、
この本質を伝えるには、漢字一語がその本質を表しています。
「解」文字、この一字です。
牛には角があり、それを刀で・・・ということは、
解体し解剖し、あるいは溶解します。これが第一段階です。
次に、解体して分解したものを、解釈し解説することで理解です。
これが第二段階になりますから、解説されて理解に及べば、
第三段階は、解放されることになります。
つまり、目の前にある問題・課題・話題となっていることに対して
応答し回答し、そして解決することで、人はホッとするのです。
人は、常に問題を抱え込みますが、なんとか解決してこそ、
やっと解放されることになります。
そのために、人は、問題意識となっていることを
より明解にするべく、問題点に目印=signを付けるわけです。
この目印を付ける行為=do+sign=designareと断言できます。
問題解決された応答・回答・解答はいづれも「答」です。
「答」という漢字も優れて良く完成された文字になっています。
竹冠が「合っている」ことは「箱」という文字と対照できます。
それは箱には竹で編まれた蓋が付いていることと同義なのです。
「答」は最適解でなければなりません。
デザインは、問題点を明確にしていく思考過程に目印をつけて、
その分解・解体・解剖・溶解をすることで、
なんとか解釈をつけ、解説をすることで、理解を促します。
充分に理解できれば、人は解放されて人心地をつけられるのです。
私が、designが問題解決のための思考をめぐらしていくには、
具体的にはスケッチを描く=do+signを思考工程にしています。
たまたま、その目印が装飾的に見えるからこそ、
一般的には安易にデザインは装飾だと思い込んでいるのでしょう。
しかし、「解」・「答」という漢字とdesignareまでを
問題解決の思考に配置していけば、本当に「明確」な、
designの本質にたどり着けるものと確信しています。


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「やはり地道に進化していたSmartPenの手書きと手描き」


   


     8月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

先般、ある出版ジャーナリストの人のメモを見ていました。
あー、デジタルペンをよく使っている、という印象でした。
かつて私も使っていましたから、聞いてみました。
そうしたら、彼は3本目を使用中で私は最初のモノでした。
彼はこのディバイスの進化に併せて使いこなしていました。
じっくりと使い勝手を聴きました。聴くものです。
なるほど、そんなに進化しているとは思いもしませんでした。
最初の1本目でも、ピアノ鍵盤を書けば演奏ができました。
三本目になると、Wi-FiでそのままEvernoteに入ってしまいます。
びっくりしました。明らかな進化があったわけです。
実際、デジタルペンはこれまでほとんどを試してきましたが、
正直長続きはしていませんし、その機能限界を知るからです。
それなら、改めて、デジタルペンすべてを見直し始めました。
結局は、一番気に入っているノートに仕込んで、
1ヶ月になりますが、かなり技術進化し、
ノート取りそのままの通信環境と一致し始めています。
メモ帳もシリーズ製品としてのまとまりがあります。
ほとんどがiPhoneとEvernoteやMail環境と一致してきました。
つまり、「手書きと手描き」それぞれのデジタルペン、
その通信環境が整いつつあるということです。
私にとって重要なことは、手書きのメモ取りがあり、
さらに、手描きのスケッチが重大です。
しかし、無念なことはすべからく海外製になってきましたが、
手描きについては、国産製で十分なモノが進化しています。
いづれ紹介するつもりでいますが、
デジタルディバイスは新たな文具としての狙いは変化しています。
デジタル系であることは、ネットワークに繫がっている事。
これが最も重大なことであり、
そのネットワークアイテムの発想を最も信頼出来る経営者が大事。
しかし、国内でそこまでのことが出来る経営者はほとんど不在、
これが私の大きな懸念になっているということです。
「手書き」と「手描き」のネットワーク化文具こそ、
これから、わが国の先端的輸出品にする企業がほしいのです。


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