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Posts Tagged ‘技術’


6月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

6月11日 大安(甲子)

モノは、
まず、性能という技術、
効能という社会での存在、
この二つの統合融合である
機能が問われます。
これが叶って「デザイン」です。

川崎和男の発想表現手法


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『難問解決の大ヒントは「素材」開発デザインの美です』


   


     5月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

自分にとってデザインはまずは問題解決をねらうことですが、
その答は常に、「応答」・「回答」・「解答」があります。
そしてそのそれぞれは「美学的」であることが一番です。
プラトンの言葉にも、
答に迷ったなら「美しさ」が第一というものがあります。
真・善・美の中で美だけをよりどころにしてきました。
したがって、答える条件として「素材」を新素材化しなければ、
「美しいモノ」としての
それこそ難問解決の解答は無いと確信してきたのです。
一昨日は素材メーカーと会い、昨日はメガネメーカーと会いました。
今最も取り憑かれているのは3Dプリンターで
「素材」そのもののアウトプットです。
かつて、福井にもどった時にメガネフレーム素材は、
ようやくチタンに気づいた時でした。
それはオーディオの世界から10年遅れていました。
とてもエンジニアリングプラスチックなど気づいてもいませんでした。
まだヘッドホンが300gの時代に、
エンプラ(エンジニアリングプラスチック)で
150gを実現しヒットさせていましたから、
エンプラメーカーを福井に呼びました。
しかし、当時はやっとチタンであり、
エンプラの提案などは全く採用されない有様。
もう30年になりますが、
ようやく3Dプリンター成果での素材がドイツで受賞になり、
これからこの世界が必ず拡大していくはずです。
しかも、この新素材は生体適合性を持っていて、
アレルギーもなく、殺菌も可能です。
新しい素材に触ると未来の「美しい解答」が見えてきます。
それは商品アイテムをもっともっと見せてくれるのです。
今や、車から手術機器、さらには素材の細胞化までが
おそらくデザイナーが最も関与することになるはずです。
ちなみに、メガネは「サバエ」というより「フクイ」の技術が一番です。
最先端は「フクイ」が成し遂げ、
その下請けが「サバエ」だと強調しておきます。

*『素材=ボロンとダイヤモンドですでに開発していた』
*『ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり』
*『「瞬感」SHUNKAN=液晶サングラスを実現しました』
*『I seeの世界観』
*『商品が記号となった実例・私の体験と確認』


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『羊と鋼が調律の要だった、それを実証した友人』


   


     5月 21st, 2016  Posted 12:00 AM

「羽二重」ブランドの産地ブランド計画指導はすでに5年になっています。
結果も出せずにやや焦っていますが
「布のかつての絹織物革新」を歴史と科学的論証、そして、
絹織物から最先端的素材開発はそろいました。
それでも焦った気持ちを親友に帰阪途中に愚痴ってメール。
そうしたら故級友・上田喜久雄氏の息子と飲んでいると返信。
そうだったんだ。級友上田は高校時代の友人であり特別進学クラスなのに、
唯一、大学ではなく「調律師」になった男でした。
進学間際まで、休み時間はスティックをいつでも練習していました。
正直毎回うるさかったのですが、
とうとう問題になり進学クラスを出されることに、
そこまで高校は決断していました。
彼はブルーコメッツが福井公演の時に、
バンドマン希望をブルーコメッツに伝えたほどでした。
進学高校で唯一大学には行かず調律師学校を出て「調律師」になりました。
医師・看護師・調律師と「士」ではなく、「師」ですから、
やはりそれなりの知見と技術技能があったのです。
福井時代、自宅に来たときにオーディオからデザイナーになった私に
彼も驚いて、オープンリールのテープ2巻をくれて、
ジャズの話が出来た男でした。
上田喜久雄も夭逝してしまいましたが「彼を偲ぶ会」があったほどです。
福井のジャズやピアノの世界では活躍をしてくれていたのでしょう。
それが、なんと「本屋大賞」の「羊と鋼の森」という小説になっています。
後書きには彼の名前がしっかりと記されていました。
しかもこの小説の作家・宮下奈都女史も福井県出身でした。
是非、上田の息子と会いたいと思っています。
なぜなら、この息子も、羽二重を継承している中心の若者も
同じ国立名門のN工業大学出身者だからです。

*『ビートルズに出会った世代の幸運さ』
*『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
*『あれから・・・ふるさと福井の織物産業』
*『素材産地からWブランドのアライアンスイニシアティブ』
*『オノマトペ=感性評価軸が学術検証された』


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『宝飾品を実際に確かめていた頃を思い出す』


   


     5月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

オーディオデザインに懸命だった若き日に、
アンプのツマミ設計で「ガラス」素材を試行していた時代がありました。
ちょうど後輩がガラスメーカーのデザイン室にいて
いくつか試作を現場=工場につめて取り組んでいたことがあります。
ツマミと部品、ボリュームなどの取り付けに苦しんでいました。
ようやく、3個ほどの試作を持ち帰りましたが、
技術側も営業側もまだまだ入社間も無い私は両方から苛められていました。
若いときから「売られた喧嘩」と考える私は、
なんとしても実現したくて、「30代以上は口出すな」という気迫でした。
しかし、チーフに説得された生産コストで納得しました。
ガラスを使うという私の狙いが、今、私の車AMに適用されています。
なんとも、素晴らしい仕上がりであり、透明ガラスと機構とは、
透明ガラスの底にはエンブレムロゴが入っていて、
「そうか、ここまでの仕上げが出来るんだ」と思い、
この製造方法を聞くと、これは宝石加工メーカーに別注らしいのです。
その他のキーホルダーや、ジッポーライターのエンブレムも
すべてそのメーカー製ならではの仕上げが出来ています。
工業デザイナーは「高級品の仕上げを知らないから、
覚えてきなさい」と、上司に言われて、
銀座の和光に連日通ったことがあります。
そこでは、若者などがいる場所ではないために、
支配人に別室に呼ばれましたが、事情を話すと、
お店の方々に命令していただき、白い手袋をはめて、
高級時計やライター、そして宝飾品を実物で確かめました。
その支配人は、私のもう一人の師匠だったと思っています。

*『高級店での思い出・銀座で学ぶ』
*『インターラクションデザインの基本は可変抵抗器と指先』
*『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
*『SZ-1000・私のオーディオ最終作だから』
*『万年筆メインテナンスから見えている現実』


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『二つのビンテージカー番組に生きる文化論』


   


     5月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

テレビ大好き人間だからTV音響も絶対に最高にと信じています。
そして見過ごせない番組は撮り溜めし過ぎているかもしれません。
最近はCS放送の方が面白くて、
地上波TVは段々とつまらない、最低になりつつあります。
デザイナーであるからどうしても車関係は何度も観ます。
でもそれほどマニアックではありませんが、ビンテージカーについては
「カーSOS」と「世田谷ベース」は大好物番組です。
自分自身も相当に車は乗り継いできました。
この番組は一方が英国であり、所ジョージ氏の番組は優れています。
「カーSOS」は最後に感涙してしまうほどの内容であり、
ビンテージカーのもはや使われていない技術の凄さにため息が出ます。
「世田谷ベース」での彼の車からの文化の話はあまりに長いらしく
早送りされているほどですが、わが国の手遅れ制度批判は大納得です。
ビンテージカーが好みではありませんし、
もはや人生最期の車はAMで最高です。
でも、デザイナーとしてもっともっと進化させたいことは山ほどあります。
その基本的な素材や実装のデザインは未だに現役デザイナーとして、
大学人としても最先端をねらっています。
もはや人生最期の終活デザインを開始しています。
明日もし、あの世に行っても、
やり残したことはできる限りスケッチと文章で残しておきたいと思います。
ビンテージカーのこの二つの番組を
地上波番組は決して追い抜けないでしょう。
これらの番組には確実な「コンシリエンス」が残っています。

*『閏年の2.26=67歳なり』
*『女衒同族と羽織ゴロたる民法TVも国会も同罪である』
*『コントローラーのデザインはまったく進化していない』
*『10年使用すると、そうだったのかということ』
*『対決が明白なTVドラマの効能性の評価』


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『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』


   


     5月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

電子ペンはその登場以来、自分は全てをこれまで使用してきました。
この技術はもうすでに25年程度になると思っています。
さらに元々の出発メーカー・海外からも、
私が使用者と知って相談を受けたこともありますが、
すでにこの電子ペンの実装を知っていたので、はっきりともうこの方向では
絶対に失敗しますから、この分野に向けるべきですと言いました。
案の上、そのメーカーは追い越されて、
とうとう新規の電子ペンが出ました。
文房具としての電子ペンに対しては、
自分の使用性では、まず、「書」が可能?次に「スケッチ」が可能?
それからようやくやっとメモが書けるかということです。
電子ペンは、まず紙媒体にそれこそレイヤー設定、あるいは色設定で
紙に書いたり描いたりをスマホからPC
さらには PADにまで展開と転用です。
この可能性がまた広がり始めましたが、なんのことはない、
海外での発明が一度駄目になり、日本流に改善不足がありながらも、
この商品の欠点や、もはや当然となっているノートに
様々な展開がでてきています。
結局、日本のもう一つの弱点がつかれてしまっているという悔しさです。
すでにPADでは自由なスケッチ技法からアナログ的なレンダリング手法を、
教育出来る程自分の技能は身体化していると思います。
まだそれでも新製品電子ペンは勿論、スタイラスも、
日本独自の開発をするべきだと考えています。
阪大医学部附属病院小児病棟にある学校で
「スケッチ」を教えるつもりです。

*『使い心地を試し使い果たしている電子ペン』
*『私のデジタルアイディアスケッチとスタイラス』
*『iPadでのスタイラス先端が新たなペン先になった』
*artgene blog『デジタルペンその1』
*artgene blog『デジタルペンその2』


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『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


   


     4月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

美大でデザイナーの教育を受けた自分にとって、
デザイナーにはデザイン技法の習得が絶対的な身体技命令でした。
社会人デザイナーとしては企業で、その身体技をさらに研磨され、
それ以上にモノづくりの技術と営業を仕込まれました。
やがて、国内外でそれなりのデザイン活動をしてきました。
大学人として、産業美術学科から芸術工学科へ、
デザイナーとして、時代と社会対応は、文理と学術・芸術の統合から
自分のデザイン領域を、大きく4つ生み出しました。
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学、そしてデザイン政経学
幸いにして総合大学ではこの統合化を成し遂げることで、
産業・技術・環境・文化が明確に見えていました。
ところが、March.11 2011の天災と人災は、
さらにデザイン領域での目標と目的を詳細化してくれたのです。
それは、「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」でした。
この四つを産業・技術・環境・文化に再配置するには、
文科系+理科系と学術系+芸術系を組み込まなければならないと気づき、
かつて「コンシリエンス」と「レジリエンス」を問いかけたことば、
それこそ「コンシリエンスデザイン」を定義化する必然性ができました。
すでに、美大系・工学系・教育系ではデザイナー養成は困難を知り、
世界や、地球、これからの社会や時代が、
デザイン、デザイナーへと要請する実務が見えてきたのです。
あらためて「コンシリエンスデザイン」が
「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」を創出すると確信しています。

*『何がデザイン思考かは終わったのだ』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』
*『自分に何ができるかという死生観』
*『コンシリエンスとレジリエンス』
*『「ふだん」・「まさか」安全と安心は相対的でしかない』


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『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』


   


     3月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

デザイナーにとってスケッチは明らかに一つの技能であり技術です。
ただし、僕は恩師・故柳宗理先生からは、
「レンダリングなんぞ上手くなるな」と教えられましたが、
僕はいつも反抗していました。
「レンダリングが描けないと企業入社は出来ない」と
たてついていましたし、実際はクラス(工業デザイン専攻)の中では
基本的な入試でのデッサン力も無くておそらく最低の下手くそでした。
だから社会人になって、レンダリングが上手くなることは
僕には義務でした。
実際、フリーランスデザイナーになってからも、
デザインスケッチとラフレンダリング、レンダリング技能を
日課として
自分精進の大きな目標でした。
それからパソコンの登場では、Macintosh 128kに、デザイナーの未来、
つまり、MacPaintとMacDrawに将来のデザイナー技能が見えてきました。
多分FullPaintで僕自身がトレーニングをして描いたのが
パソコンでのレンダリング、その最初のものだったと考えています。
今では、iPad Proで、かなり描ける時代になりましたが、
パソコン、EWSでのレンダリングソフトは全て追いかけてきたと思います。
しかし、最近はデザイナーがスケッチ技法での大きな間違いがあります。
簡単に言ってしまえば、
デザイナーにとってのスケッチ、それからレンダリングというのは、
あくまでもデザインスケッチであり、
その基本はデッサンでも「デザインストローク」での訓練が必須です。
それは、いわゆるイラスト描法でも、まして漫画描法でもありません。
なぜ、イラストや漫画では「デザインスケッチ」にはならないかを
書き残しておきたいと考えます。
すこぶる簡単です。
イラストにしても漫画にしても、そうした描画、特に漫画には
画枠があるのです。
つまり、画枠内でのイラストや漫画では、デザインの根本である
「発想の限界」を与えてしまうのです。
発想に限界を絶対に与えない手法である技能=技術がデザインスケッチでは
必ず求められなければなりません。
私はたとえばモレスキンにしても蛇腹の「ジャパニーズスタイル」を使い、
パソコンやiPadであれば、画面を相当に大きく拡大して使います。
デザインスケッチでは、
決して限界を与える画材や手法は使うべきではありません。
レンダリングを全否定していた故柳宗理先生には
描画に与えられる画枠からの解放を教示されていたのです。


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3月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 7th, 2016  Posted 6:32 PM

3月8日 赤口(己丑)

「コンセプト」中心主義の
技術・デザインは
今、大きく変貌を果たしてきている。
にもかかわらず、
未だに
「コンセプト」を掲げる学術、
さらにデザインには
未来は無い。

川崎和男の発想表現手法


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『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』


   


     12月 29th, 2015  Posted 12:00 AM

1984年は私にとって一つの大きな区切りの年でした。
それはAppleからMacintosh 128kが登場したことでした。
それまで、Apple?やコンピュータに興味をもちながらも、
このコンピュータの登場は、やがて私がこのパーソナルコンピュータに
それも深く関わっていく起点の年であったことです。
国内の企業にいくつか関わり、
その愚痴をApple Japanでこぼしていました。
「川崎さん、米国に行くべきです。Apple社を紹介します」。
そして私はオレンジとブルーのMindTopを持ってクパチーノに行きました。
「プリエ方式」という二分されたノートブックスタイル、
「Big Blue」を引き離すという意味、
これは当時、IBMを指すスラングでした。
私が驚いたのは、GRiDがクラムシェル型という手前にキーボードで
マグネシウム合金筐体=これはMoMA最初の携帯PCの登場でした。
これは友人・故ビル・モグリッジのデザイン。
キーボード位置は完璧な特許でした。
A:「なぜ、君のはキーボードが奥にある?」
K:「GRiD特許は避けないといけないのです」、「なるほど」。
A:「なぜ、トラックボールが手前で中央?」、
K:「マウスを裏返した造形です」。
沈黙の後に、私はコードネーム「ASAHI」を見せられました。
CEOジョン・スカーリーとアラン・ケイの前でのプレゼでした。
それからの闘いは、デザイン部門と技術部門の激烈な闘いの連続。
世界で最初のPowerBook100を生み出す現場で、
東洋人とWASPの闘いの中での日々でした。
福井でのデザイン活動は、「メディアインテグレーションの具体化」、
七つのプロジェクト=東芝との共同開発を抱えていました。
シャープとのNewton開発帰りには、メンバーが福井で打ち合わせ。
呼び出されると、私はクパチーノに出向いていました。
東京はちょうど「バブル経済のど真ん中」であり、
私には東京は狂っているとしか見えない情況。
福井 – クパチーノ、クパチーノ – 福井でのプロジェクトが
すべて中止になったのは、ジョン・スカーリーが、
クリントン大統領就任とともに、Apple社退任になった時でした。
DeskTop→LapTop→ PalmTop、だからMindTopという論理は、
金剛界曼荼羅が思想背景が明前とあり、
曼荼羅論はすでにスカーリーはすべて理解してしまっていました。
東京で会い、箱根でも打ち合わせが連続していました。
私の「Go a head, make my Apple!」が
プレゼンテーションではもの凄く受けました。
私のMindTopは、意匠権は20年で消滅しましたが、
この図面は、私の作品集で著作権となり、
国内雑誌にも特集、TVでも紹介されました。
GRiD社のキーボード配置は、
その後の技術でキーボード仕様は大きく変化。
今や、手前にポインティングディバイスで、
キーボードは後方が当たり前になりました。
PCの技術進化はクパチーノの現場での詳細な経験は深い思い出。
未だに、私のコードネーム=Jeepは実現されていません。


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