kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘論理’


『すいません、二重否定論理のために音は確認しなければ!』


   


     1月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

「耳っていくつあるの?」とワイフから言われました。
しまった!、やっぱり届いてしまったのか!
耳は二つで、最近は左耳が老化しているようなんで・・・・
とても言い訳になりませんでしたが、
私の情報力で、随分と確かめてきましたが、このメーカーの進展は、
相当に並大抵ではないようです。
オーディオの世界は、絶対に自分の身体的な能力と機器との一致性。
50代後半あたりから、私の聴覚で左耳は右耳とのバランスが
やはり老齢化で明確に衰えてきたと判断しています。
なにしろ、社会人としてオーディオの専門家だったときは、
右耳・左耳を常に聴覚診察していましたが、
はっきりとバランスが一定であり、それは珍しいことでした。
しかし、最近はどうしても左スピーカー前に移動してしまいます。
無論、イコライザーで中心設定出来ますが、
音源のバランスを考えれば左右チャンネルが一定のままがいいのです。
また、ようやくモバイルのヘッドホンアンプも、
人一倍確認をして、ここまできたかと満足していただけに、
そうなると、最も進化したのはどれだ?と探し求めてて、
その評価を読み比べてきたのです。
確かにこの前のモデルはワイヤレスでは私は一番だったと思います。
先般も、「偽物」という指摘をしたら、その真意のない知性を
私は明確に知りました。
「本物とは二重否定の論理」見識です。
そう簡単には理解不可能であり、基本的な知性理解力が必要です。
私には、ヘッドホンで音、それも正確な再現性は、
本物:偽物を身体的に手に入れるやり方ですから、
このヘッドホンの音をワイフにも納得させればOKかも知れません。
私の耳は多重であって、それは「二重否定の論理」を
身体的に断定評価するからこそ、この技術変化は見逃せません。

目次を見る

『羊年・あけましておめでとうございます』


   


     1月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

 

2015年になりました。
「光陰矢のごとし」ということが
論理的に実感できたのは、
60歳になったとき、
一年の速度は60分の一に過ぎていく
この論理はとてもわかりやすく感じました。
だから2015年は、
私が 66歳になりますから、
66分の一というスピードで
この一年を過ごしていくことになるのでしょう。
だから66倍の仕事をしなければなりません。
66倍、真摯に真剣に懸命で賢明にと思っています。
しかも「羊年」です。
「美」という漢字の基本を私は美大で
西洋美術史の大家である故・柳宗玄先生から
教わり、正直未だに「太った羊」のイメージとは
一致していませんが、柳宗玄先生は柳宗理先生と兄弟でした。
これは幸運な話だったのだと今は振り返ることができます。
すでに大阪大学は退官しましたが本年も残って、
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」、
実際、旧帝大では皆無であった
「学際化」でデザインの新領域にて
危機管理学ではとても不可能なことを
危機解決学構築のデザイン実務でやり切る覚悟です。

このブログは毎夜書き続けることに精進と修練をします。
くれぐれもよろしくご支援ください。


目次を見る

9月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

9月3日 丁丑(大安)

デザインはまず「実務」ありきである。
「論理」・「思考」以前に、
実務のための実力となる技能が要る。
そして、
技能無き、デザイン思考
実務不能に、デザイン論理
それらは、
全てインチキである。

あまりにも醜いデザインが横行している。

「川崎和男 強い人弱い人」


目次を見る

『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』


   


     1月 25th, 2014  Posted 10:36 AM

松岡正剛氏を知の巨人だと人は呼びます。
彼の存在を知り出逢い、すでに彼は70歳になりました。
もし、彼の執筆活動すら知らないとするなら、「知」無き人でしょう。
彼の誕生日の会、その発起人をしました。
私は「幸運と幸福」をといつも考えますが、
彼のその集まりでひとしきり彼に宿っている幸運と幸福を見ました。
そうそうたるメンバー定員100名のはずが、200余名集まり、
「誕生日」という制度を全否定直言しつつも「祝う」ことに、
私は日本の知性の深度を確かめた想いでした。
本来は「幸不幸」から生まれた「幸運と幸福」には「幸」が基底です。
「幸」とは、両手に手かせで行動を遮断された意味があります。
この話をして、ある著名な舞踏家にたしなめられましたが、
それさえ私の幸運さがあり、その集まりの雰囲気でした。
これほど私たちの国が、確実な天災を予知しながら、
見失っているもどかしさを抱きつつ、
まだ幸運で幸福でありたいとだけを願う哀しさがあります。
いつの日か、書き留めなければならないことが一杯あるのです。
とりわけ、私にとっての松岡正剛なる人物の「あっぱれ」さです。
しかし彼の論理には、「あわれ」と「あっぱれ」は、
同値とする断言力に彼を敬意し、
この力がなぜ備わっているのかが、実は「知」の正体かもしれません。
ちょうど彼と出逢ったのは私が40でした。今私は間もなく65です。
だから5歳年上の彼の「知あればの幸運と幸福さ」を見届けました。
これから、この日のことも時にふれて書き残すことがあるでしょう。
知力が磁力だと証明できうる唯一の人が松岡正剛でしょう。
贈答された「暴走族ユニフォーム」もあっぱれでした。
ここに集まりし人たちの集合知をもっても「現代日本」を変革できません。
それこそ、私たちが「失っていく課程」の瞬間に生涯がある悲哀です。
だからこそ、「祈る」ために「祝う」幸運さが幸福を招くこと、
私は松岡正剛という人物の70年目にそれを見届けた一夜でした。
そして、私は感謝の行為をその舞踏家から教わりました。


目次を見る

『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』


   


     1月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

年末年始は、ロボット学者とロボットベンチャーとの
忘年会と新年会で今年はスタートをしました。
昨年末、いわゆる「玩具」である「オウム返しするおもちゃ」を
私は見つけて、それなりにワイフとこのおもちゃに対して、
二人で言い合いをしていました。
私自身、ロボットに関わってきて、
「ロボットデザイン基礎学」をいくつかの大学カリキュラムを
書き上げて提示もしてきました。
私のロボティクスには、AIBOをGマークにするかどうかで、
哲学者・中村雄二郎先生からの教えが基本になっています。
わが国は世界的にもロボット先進国と言っていいでしょう。
しかし、ロボティクス学には私は三つの間違いがありました。
それが明白になったのは、人災であった3.11原電事故があります。
● 膨大な研究費でのロボットは原電事故に全く未対応
● ヒューマノイドとメカノイドでのロボット研究に分離
● デザイン介入に大きな過ちが入り込んでいた
これが私の見解でした。
幸いに、メカノイド系とヒューマノイド系は、
現在はアンドロイド系とナノマイクロ系に分離しながら、
私も大学人にて「ロボットデザイン基礎学」を蓄積してきました。
その結果は、「身体論」と「形態論」、
さらには、「モノの体系」で指摘されたロボット言論があります。
そして、今では「玩具としての具体」は、
「おもちゃゆえの安心的な存在」に至って商品化されてます。
この二つが私はその象徴的な「モノ・ロボット風存在」です。
一方は単なる景品であり、一方は「リピート」存在です。
さて、問題は結局、玩具から兵器までが、
果たしてあの「不気味の谷」での論理と、
これから人工物としての人間あるいは人間社会との関係性です。
だから、環境デザイン=ロボティクスデザインであることを
わが国は根本からの再構成が必然だと確信しています。


目次を見る

1月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 15th, 2013  Posted 6:11 PM

1月15日 辛巳(先負)

題名が洒落ていようが、
その題名を充足される
モノという存在感は生まれてこない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


目次を見る

1月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 14th, 2013  Posted 6:09 PM

1月14日 庚辰(友引)

論理で造形は生み出せるかもしれないが、
ほとんどは、
単なるコスモス的な形態化に
行き着いてしまい、
感動を与えるモノには
決して具現化されないものである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


目次を見る

「モードからファッションへ、そして遡及する記号の再生産」


   


     11月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

ジーンズは、未だに魅力的なモノです。
そして、ジーンズにはジッポーのライターが似合っています。
いづれも、米国開拓史に登場してくるモノですが、
これを「機能的なモノ」、
あるいは「アノニマス的なモノ」と呼ぶだけでは物足りません。
私は、ジーンズとジッポーはすでに、
モードとしてラング化された記号であるにも関わらず、
ファッション、つまりモードが
すでにしっかりと定着しているモノの一つの代表だと思っています。
当然、製品記号論的には、
アウトドア・カジュアル・日常的な性能性・効能性・機能性を
完備した「記号」と考えることが可能です。
しかも、さらに重大なことは、
ローコストでただの作業服にすぎなかったモノがハイコストで、
フォーマル性も獲得してきたパロールがラングにいたっていることです。
ジーンズという形態言語は
さらにデザイナーズブランドに遡及していくことが可能です。
これは、ある意味では
「マルクスの経済的な論理」をすでに壊しているという事実です。
ジッポーは、カジュアル性に留まらず、
デコレーションデザインによって、
フォーマル的な存在性を獲得することが出来ます。
それは、すでに今では
不変的・普遍的な記号=コードとモードを兼ね備えながら、
新規な記号性を引き寄せる記号、
すなわち、
記号の再生産まで成し遂げる存在=効能性を確約した
性能と機能を有しているということです。
私自身にとってジーンズはまだ老体ながら、
身体化できるファッションとしてワードローブに、
それも選び抜いたモノをコレクションしています。
しかし、ジッポーにいたっては、
すでにタバコも吸わなくなっているために、
緊急防災備品としての発火道具というツールとして、
あるいはジッポーにあるテーマシリーズ化されたコレクションを
メディアとして所有しています。
つまり、すでにジーンズもジッポーも
「コード化された記号」を所有価値中心ということに至っています。
記号の再生産がユーザーが果たすモノになっているということです。
したがって、デザイナーズブランドになっているジーンズには、
仕掛けようとする造形言語を付着させようが、
それはパロールには決してならずにラングの中に、
ディクショナリーとしての記号性は揺るぎ無きモノになっているのです。
ジーンズ、ジッポー、この商品が記号に至ったコンテクストこそ、
明確な情報社会でのテキストになっているはずです。


目次を見る

「読書の季節・ダイアグラム的な一つの論理かも」


   


     10月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

昨夜は、久々に恩師と長電話で近況報告。
気がついたらブログアップをすっかり忘れていました。
急遽、漢字遊びを
図解=ダイアグラム化を思いついてそのままをアップしました。
そして、フッと思いついたのは「本」という漢字でした。
「読書の秋」です。
ともかく、読み残すことが段々と増えているこの頃です。
「ツン読」一方の寝室には、ワイフにいつも叱られてばかりで、
ついついamazonで本は買うだけツン読三昧なのです。

さて、昨夜の言い訳をまことしやかに語り切ります。
「体」かた横棒を一本抜けば「休」という漢字です。
「木」は素材とか対象物を表しますから、
その対象物に一本の極めつけが入れば「体」になり、
その一本を抜き取れば、「体」が「休」まるということ。
そうなれば、「本」は・・・となります。
きっと、故事づければ、こんなダイアグラムになりました。
休むために、抜き取った横棒一本が、
「木」=対象物(思考対象)に極めつけを入れてくれるのでしょう。
これこそ、私なりの「読書の秋」のダイアグラム的な解釈、
その視覚的な論理構造だと断言しておきます。


目次を見る

「終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本」


   


     10月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

「Asia is one.」
これは岡倉天心著「東洋の理想」の書き出し文です。
そして、この言葉が
「大東亜戦争」のテーマ文そのままになりました。
本来、岡倉天心がこの書籍で書き残したこととは
全く異なる東洋の美学論でした。
それは軍部の専制的な当時の論理にすり替えられていました。
しかし、日本軍が成しえた事では、「インドネシア開放」がありました。
列強欧州各国の植民地であったアジア諸国を開放したことです。
しかし、この歴史的事実よりも
「南京問題」や「慰安婦問題」がクローズアップされています。
この「インドネシア開放」を成し遂げた日本軍の活動は
歴史から抹消されています。
現在のシンガポールからベトナムに至る全ての国々が、
植民地から開放されたことは、
あの東京裁判でもほとんど評価どころか無視されたことです。
この開放戦線は「明号作戦」と呼ばれました。
現在、この作戦の資料で残り、
出版された書籍はたった2冊しかありません。
私は、大学人になってからこの17年間にわたって、
こつこつと研究を蓄積してきました。
しかし、まだとても纏められるほどではありません。
来春からの余生においては、この歴史を明らかにしていくつもりです。
二つの理由があります。
まず、徴兵された父の7年間、最後の戦線だったことであり、
「明号作戦」そのものの戦略戦術に直接関与していたことでした。
次に、この作戦に参画した師団・部隊は中国を南下してきました。
当然ながら、南京を占拠してきた部隊でしたが、
彼らの行動・作戦に「南京問題」は皆無だったということです。
アジア各国を開放させて、それぞれの民族の解放、
それこそ、「Asia is one.」をそれぞれ各国が独立することでこそ、
亜細亜をひとつにまとめようという
日本軍の意志であり理想でもあったということです。


目次を見る