3月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 22nd, 2022 Posted 12:00 AM
3月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 21st, 2022 Posted 12:00 AM
3月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 20th, 2022 Posted 12:00 AM
3月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 19th, 2022 Posted 12:00 AM
3月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 18th, 2022 Posted 12:00 AM
『アフリカ向けのワクチン2接種開発・PKD』
3月 17th, 2022 Posted 2:00 PM
私は「Peace-Keeping Design」を訴求してきました。
研究や制作だけでなく美術館やイベントでの展示を重ね、
その展示は「WIRED」で掲載されました。
あれから随分経っています。
Peace-Keeping ForceもPeace-Keeping Operationsも、
どっちも武力、軍事の背景がありますので、
私は「PKD=Peace-Keeping Design」を提案しました。
本来は「ワクチンを二種、開発」、
注射器もその検査用具を発明。
その直後に「エボラ出血熱」で人類の医学対応が
不可能になりました。
研究室では世界コンペに検査システムの提案7項目を
応募したのですが、
当時はデザインコンペに医学領域の判断は
「難しくて分からない」と主催の英国で言われました。
世界の工業デザイン界は以前、「その程度」だったのです。
デザインと生理学を大阪大学院研究室では
早くから「取り組んでいたのです」。
私は本当に思いつきが早い、行動が早い、
そして周りを巻き込みます。
平野元金沢美大学長と澤 名誉教授でPKDの発表会で、
大使や領事を招待してやりました。
世界のID界でも私は発表をしましたが、PeaceーKeepingが
まざまざと難題である現実に向き合っています。
「Peace-Keeping Design」を掲げることで、
COVID-19・パンデミックから、
ウクライナの「プーチン戦争」までを
私は予測していたのかもしれません。
Tags: 7項目, COVID-19, Peace Keeping Design, Peace-Keeping Force, Peace-Keeping Operations, PeaceーKeeping, PKD, WIRED, イベント, ウクライナ, エボラ出血熱, システムの提案, その程度, デザイン, パンデミック, プーチン戦争, ワクチンを二種, 不可能, 世界, 世界コンペ, 予測, 人類, 分からない, 判断, 制作, 医学対応, 医学領域, 取り組, 向き合, 周り, 大使, 大阪大学院研究室, 展示, 工業デザイン界, 巻き込み, 平野元金沢美大学長, 応募, 思いつき, 掲載, 検査用具, 武力, 注射器, 澤 名誉教授, 現実, 生理学, 発明, 発表会, 研究, 研究室, 美術館, 背景, 英国, 行動, 訴求, 軍事, 難しく, 難題, 領事
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
3月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 17th, 2022 Posted 12:00 AM
3月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 16th, 2022 Posted 12:00 AM
3月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 15th, 2022 Posted 12:00 AM
3月15日 友引(丁卯)
『統合としてのデザイン』
企業の
社会的存在の同一性を
見事に表現するには、
「統合としてのデザイン」の
知性を
デザイナーは
主導しなければならない。
企業の
社会的存在の同一性を
見事に表現するには、
「統合としてのデザイン」の
知性を
デザイナーは
主導しなければならない。
3月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 14th, 2022 Posted 12:00 AM
3月14日 先勝(丙寅)
『統合としてのデザイン』
とするならば、
デザインは
コスメティックに
企業の虚像を
イメージ化するだけに
利用されただけである。
とするならば、
デザインは
コスメティックに
企業の虚像を
イメージ化するだけに
利用されただけである。