2月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
2月 15th, 2015 Posted 12:00 AM
Tags: 川崎和男のデザイン金言, 直観, 美
Posted in APHORISM
目次を見る
2月 15th, 2015 Posted 12:00 AM
Tags: 川崎和男のデザイン金言, 直観, 美
Posted in APHORISM
2月 12th, 2015 Posted 12:00 AM
Tags: 川崎和男のデザイン金言, 美
Posted in APHORISM
2月 2nd, 2015 Posted 12:00 AM
Tags: かたち, 川崎和男のデザイン金言, 美
Posted in APHORISM
1月 13th, 2015 Posted 12:00 AM
確かに私はオーディオ界からデザイナーになりました。
それだから、今なおオーディオ中心主義が私のデザイン中核です。
デザイン中核というのは単なる自然なことだと言明しておきます。
昨年末、もう20年近く相談をしているオーディオでは、
JBL4343のメインテナンス性を相談してきました。
フリーランスデザイナーになってやっと手に入れたスピーカーでは
名機中の名機です。けれども、4.5回メインテナンスをしましたが、
そろそろおそらく最後のメインテナンスをすべきかどうかです。
プリアンプはLINNであり、メインアンプはアンプジラですが、
もはや全てをLINNでもいいのかとさえ最近は考えてしまいます。
私はジェームス・ボンジョルノこそ最大の偉人だと思ってきました。
しかし2013年、彼はアンプジラ設計を最後に逝ってしまいました。
オーディオに関しては、もう決定的なブランドは10社程度です。
その中で、圧倒的にLINNのオーディオシステム観は優れています。
そのLINN から40周年記念誌サンプルが届きました。
無念なことは、私が連載を辞めた出版社ゆえ製本技能は最悪です。
しかし、40年の企業誌をまとめるに至ったデザイン理念表現でした。
おそらく、今、これだけのことをまとめられる企業は無いでしょう。
ちょうど私はある企業理念の再構築を監修させられているだけに、
これがプロの世界であり、日本企業が失ってきたコトだと思います。
最近はプロフェッショナルの仕事とはと明確な答えが見えています。
それは確実に感動を与え感激を思い出とし感謝を要請しています。
しかもその世界観の根底には義があり、情があり、善がありました。
情と善に囲まれた理の世界が義理の営みであるからこそ、
その義理環境に「美」が存在したことは確かでした。
この世界観を壊したいい加減さと曖昧さにプロフェッショナル性は
決して育成はされません。
育成されるどころか18世紀からの武器=銃弾が破壊してしまいます。
私は、40年の企業見本誌から聴こえてくるオーディオに、
プロフェッショナル観が見えてくる気がしてなりません。
正直、プロは確実に減少しています。
Tags: 40周年記念誌, JBL4343, LINN, アンプジラ, アンプジラ設計, いい加減さ, オーディオ, オーディオシステム, サンプル, ジェームス・ボンジョルノ, デザイン理念, ブランド, フリーランスデザイナー, プリアンプ, プロ, プロフェッショナル, メインアンプ, メインテナンス性, 中心主義, 企業理念, 企業見本誌, 偉人, 再構築, 善, 情, 感動, 感激, 感謝, 日本企業, 曖昧さ, 武器, 理, 環境、義理, 監修, 破壊, 美, 義, 育成, 製本技能, 要請, 連載, 銃弾
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
1月 1st, 2015 Posted 12:00 AM
2015年になりました。
「光陰矢のごとし」ということが
論理的に実感できたのは、
60歳になったとき、
一年の速度は60分の一に過ぎていく
この論理はとてもわかりやすく感じました。
だから2015年は、
私が 66歳になりますから、
66分の一というスピードで
この一年を過ごしていくことになるのでしょう。
だから66倍の仕事をしなければなりません。
66倍、真摯に真剣に懸命で賢明にと思っています。
しかも「羊年」です。
「美」という漢字の基本を私は美大で
西洋美術史の大家である故・柳宗玄先生から
教わり、正直未だに「太った羊」のイメージとは
一致していませんが、柳宗玄先生は柳宗理先生と兄弟でした。
これは幸運な話だったのだと今は振り返ることができます。
すでに大阪大学は退官しましたが本年も残って、
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」、
実際、旧帝大では皆無であった
「学際化」でデザインの新領域にて
危機管理学ではとても不可能なことを
危機解決学構築のデザイン実務でやり切る覚悟です。
■
このブログは毎夜書き続けることに精進と修練をします。
くれぐれもよろしくご支援ください。
Tags: 60, 66, コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座, ブログ、危機解決学構築、2015, 修練, 光陰矢のごとし, 危機解決, 大阪大学, 太った羊, 学際化, 懸命, 柳宗玄, 柳宗理, 真剣, 真摯, 精進, 羊年, 美, 西洋美術史, 論理, 賢明
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
12月 2nd, 2014 Posted 12:00 AM
デザインを職能にするには、線を学ばなければなりませんでした。
デザインストロークを美大では徹底的に手で覚えさせられました。
それは手が思考するという訓練だということを教わったのです。
その意味がわかってから、デザインを教える基本の論理は、
パウル・クレーが、壮大な記述を残してくれていました。
私は、オーディオからデザイナーになることができた幸運があり、
なぜ、プラトンが形態と音階を明らかにしたのだろう?とか、
いや、バウハウスで教官だったパウル・クレーは、
さらに音楽?で造形を追い求めるとか、
その分節理論で形態を求めていたことに惹かれました。
したがって、私の美大卒業から30年で、
「プラトンのオルゴール展」が、金沢21世紀美術館に収蔵されました。
パウル・クレーの日記から学んだことが膨大にあり、そのために、
彼へのオマージュを造形化し作品にすることができました。
彼から学んだことは、デザイン=造形=見えることから、
今は、如何にデザインで造形から解放されるべきかに至っています。
それこそ、色彩・音楽・音響・造形は根底で、
そのイメージが、混沌とした闇から、見えないことを、
線描という方法論が、「造形思考」と「無限の造形」にありました。
つまり、美大がデザイナー養成をここまでで停止したことが、
今なお温存されていることに、私は次世紀デザインへの反発があり、
造形と機能に押し込められていることへの対決でした。
ちょうど、私は30代を迎えるときに「記号論」に出逢い、
私の脱構築は、デザインされたから視覚化されただけでない、
まさしく制度デザインにまで、来ることができたことでした。
プラトンは、善悪に迷ったなら、美で決定すべきと言いました。
それは、音階のあり方を見いだし、さらに、音楽の分節化を
パウル・クレーは、造形の基礎にしてくれました。
彼の線描・デッサンだけを受け継いでいる現代のデザイン系大学に、
造形思考を講義できる教員はいないのかもしれません。
だから、デザイン職能が劣化していると指摘しておきます。
Tags: オーディオ, デザイナー養成, デザインストローク, デザイン職能, デッサン, パウルクレー, パウルクレーの日記, プラトン, プラトンのオルゴール, プラトンのオルゴール展, 制度デザイン, 劣化, 反発, 善悪, 形態, 手が思考, 指摘, 文節理論, 方法論, 機能, 次世紀デザイン, 混沌, 無限の造形, 線, 美, 美大, 脱構築, 色彩・音楽・音響・造形, 見えること, 記号論, 造形, 造形思考, 金沢21美術館, 闇, 音楽, 音階
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
11月 18th, 2014 Posted 12:00 AM
私が高校時代に最も大好きだったのは「倫理社会」でした。
日本には、当時、この教科書は5冊しかなくて、
しかも最も薄かったのです。書籍は薄いのが最も簡潔でした。
これまで何かを学ぶテキストは最も薄いのを求めます。
担当教諭は、私に残りの4冊を与えてくれたので、
おそらく、倫理社会が得意な科目になりました。
そして出会ったのがプラトンであり、「真善美」が世界の基本、
このいわゆる「イデア論」を知りましたが、
自分が生涯にこの三つなどは出来るわけがないから、ともかく、
一つだけを選ぼうというのが高校時代に生き方を決めた手がかり。
真って、わからないし、善を貫ける気性とはとても自称できない。
なんとなく、「美しい」ってことは感覚的には分かるかも知れない、
この程度だったと思っています。
結局、美大そのものが「美」に近づく手段に最も近接していました。
要は「美しいって何なんだろう?」、この答えがわかるはずはない、
かも知れないけれど、「美しいって何なんだろう?」っていう、
難しくいえば「イデア論」があるから、死ぬまで考えている自分、
その自分が存在していることを知ることができているのだと思います。
私は12人を選んで「プラトンのオルゴール」展は私の代表作ですが、
肝心のプラトンのオルゴールは凹鏡球面の中にある実物球は、
虚像を浮かび上がらせることができます。
これはそのまま、実体である自分は凹鏡球面にあれば虚像の私です。
虚像の私が本当は実体なのかもしれません。
凹鏡球面が現実の時空間なのかもしれません。
だから、多分、私は選びぬいた「美」と自分の関係は、
この「プラトンのオルゴール」だと生涯幾たびも書いていくでしょう。
自分は美だけを自分の生涯に置いたことは正解だったと思っています。
プラトンが「イデア論」を書き残してくれたからではなくて、
「イデア論」が手元にあったから生きていく核心が私にありました。
Tags: イデア説, テキスト, プラトン, プラトンのオルゴール, 倫理社会, 凹鏡球面, 善, 実物球, 感覚, 教科書, 書籍は薄い, 核心, 正解, 真, 真善美, 簡潔, 美, 美しい, 美しいって何なんだろう, 美だけ, 美大, 虚像, 高校時代
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
11月 11th, 2014 Posted 12:00 AM
Tags: 川崎和男のデザイン金言, 直感, 美
Posted in APHORISM
10月 29th, 2014 Posted 12:00 AM
Tags: 川崎和男のデザイン金言, 直観, 美, 自分
Posted in APHORISM
10月 4th, 2014 Posted 12:00 AM
Tags: 川崎和男のデザイン金言, 直感, 美
Posted in APHORISM