kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘基本’


10月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

10月28日 赤口(癸未)

発想の基本は
「想像力」である。
想像力とは、
「思いやる」
「気分」
「気持ち」
「魂」
である。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

10月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

10月11日 先勝(丙寅)

発想は必ず、
「描く」ことが基本ゆえ
絵を描くことではなく、
「夢を描く」ことだ。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

10月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

10月7日 先負(壬戌)

書くことは、
学習することの基本の基本。
しかし、
描くこと、
絵を描くことは
学習でも付属的扱い、
ここに、
大問題が「発想」を
その発想力を閉じ込めている。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

9月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

9月27日 仏滅(壬子)

「図解」には
二つの種類、
あるいは種別がある。

イラストレーションと
ダイアグラムだ。

イラストレーションは
基本は「絵画」。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

7月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 24th, 2016  Posted 12:00 AM

7月24日 友引(丁未)

「創育」の基本は
私は決定している。
絵を描くことにつきる。
すなわち
スケッチである。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』


   


     6月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

文系と理系が大学教育では完全に分離してきました。
文理融合は必然の教育テーマになっています。
都合のいいことは、これをまた米国の大学から、
d.Schoolのそれこそコンセプトを知らされると、
余りに見事、i.Schoolを掲げて、
文理融合というより、デザインの発想を取り入れるのが大きな手法となり、
「デザイン思考」がその決め手ということになりました。
しかし、理系を文系に、文系を理系に接近させたところで、
その合致点は、結局、理系そこそこ、文系そこそこ、
デザイン思考ならば、デザインには確実な実技がともなっています。
具体的には、「スケッチが描けること」が必須なわけです。
スケッチが不得手であったなら図解の基本は?となり、
現実にデザイナーが居なくては、この教育は全く不可能なのです。
阪大は、デザイン思考に疑念を持ち、徹底的にその源にもどりました。
それは「コンシリエンス」という
知識・知恵の造語を19世紀に見つけました。
それを自分は「コンシリエンスデザイン」として、
最も何も社会化出来なかった医工学に当てはめる論理を打ち立てました。
そうしたら米国のMITでは「コンシリエンス」に
科学−社会自然学を適合させていました。
とても明快になりました。デザインは「問題解決」ゆえ、
その対象を「看医工学」に差し向けると、
一体これまで何を実現してきたのか、
どれだけ税金を投機し無駄に終わってきたのか、
その医工学の欠点が明らかになってしまいました。
なぜなら、看護学・医学・工学・保健学によって、
安心・安全・最新医療環境・予防までが明快に論理解決できたことです。
明言すれば、医工学のこれまでの効能性ゼロを証明してしまったことです。

*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『『デザインとは何か?』=デザインとは前頭葉である』
*『手描きスケッチのツール』
*『プロとして元気の素は鉛筆への作法』
*『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』


目次を見る

『熊本の草木鳥がレジリエンスのシンボルになる』


   


     6月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

きわめて自分は焦っていました。
熊本地震の現地から、最も気にしていたのは身障者、車イスの人たちです。
やはり避難所には行きづらいという連絡がありました。
現地では終息しない2000回を超える地震。
崇城大学と九州大学に「レジリエンスデザインチーム」を
39大学が後方支援。
しかし、自殺者まで出ると「レジリエンス」そのものが崩れてくるのです。
そこで「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」という標語を思いつき、
早速、シンブルなキャラクターはすんなりと「くまモン」としました。
ところが認可は一ヶ月も先とのことです。皆が頼っているのです。
ならば、熊本のシンボル=楠・竜胆・雲雀に決定をし、
ビジュアル表現に入りました。
ところが若いデザイナーには、草木鳥の基本知識が大欠落。
美大同輩からは欅(自分は思い込んでいた)じゃない楠という指摘。
そういえば、欅と楠では木質も枝振りも全く異なります。
まして竜胆(スズラン)ともなると、
これは高山植物にまで登場する様々な種別があります。
竜胆を家紋にすれば歴史的な象徴の何を重要視しているかが明確です。
そして雲雀(ヒバリ)となればこの鳥は真っ直ぐと上昇して飛び立ちます。
この飛び方には飛翔前の小走り方と、天高くから垂直に降りますが、
実は地上に降りると、
下降地点からすぐに数十メートルを小走りしてしまいます。
美大時代に木質と木立はいっぱい写生をしてきました。
花にいたっては何種類の花を花弁や苞葉をデッサンしてきたでしょうか。
雲雀か雀か鶯かも最近では定かで無い装飾が氾濫しています。
これをデザインと言われるのは真っ平です。
少なからず、草木鳥にレジリエンスはありえません。
よって、熊本の元気のシンボルは、楠・竜胆・雲雀に、
ビジュアルデザインの基本を求めています。
熊本の現地で、負けそうになったなら、
このワッペン、あるいはビジュアルシンボルを
叩いてもらい自分を奮起してもらいたいのです。
これはレジリエンスデザインが果たせる役割だと考えています。

*『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』
*『非常事態の準備は再考しなければならない』
*『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
*『自然から学んだはずだった・・・のだが?』
*『扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている』


目次を見る

『座姿勢の複合制御性能とその機能化からのIoMeT』


   


     5月 31st, 2016  Posted 12:00 AM

身障者用具をおそらく日本で一番にデザインし、
造り続けてきている美大時代の同級生親友がいます。
工業デザイナーをベースにいくつもの実務を実施。
それぞれの要求を聞き出し、
デザイン・製作製造し、なおかつ社会運動でも
大きな実績を積み上げてきたM氏はこの世界では著名です。
現在も身障者向けの車イス製造、輸入、
さらには彼ら達の様々な倚子のオーダーメイドを続けています。
ほとんど商売にはなっていませんが、最近では人間工学を超え、
彼の実務理論とその実現性から、彼はシーティングエンジニアです。
以前から私自身の体型変形を指摘し、先月、測定をしました。
測定結果での座面、それの再検討と同時に、
車イスによる体幹保持として、
最もその制御製造をしている工房「輪」を紹介されました。
もはや、電動車イスを利用していますが、
改めて座姿勢の様々な複合姿勢、
伸展・側屈・回旋・リクライニング・チルトを基本とし、
使用者にとって複合的な機能として実現されていることを
自分自身がその車イスに乗って体験をしてきました。
まだ若いエンジニアやその周囲の若者たちの懸命な取り組みに、
さらに新しい素材開発やその提供、改善から革新をこなし、
その社会制度までが、自分のテーマになってしまいました。
M氏のねらいは、こんな若者集団をなんとかしろよ、と、
命じているのでしょう。そしてそれがもはや役割になってきているのでしょう。
大きな宿題を預かったようです。
おそらく、モービル産業の変革が最近めざましくなっています。
しかし、それらをIoTで語ることでは解決にはなりません。
IoMeT=Internet of Medical Thingsを実体験しました。

*『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』
*『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』
*『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
*『賢明で懸命であることから始めた=社会人最初の実習で』
*『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』


目次を見る

『紙墨相発・電子ペンとノートとのインターラクション』


   


     5月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

電子ペンとそのノートがどの程度使えるかを試しました。
正直、これまでやっと日本製が一つの手法を実現していたことを
見事に抜いていました。
電子ペンがねらってきたことは、録音もできるということと
それが、iPhoneやiPadでの線描との相性=即効的な反応でした。
これはノートにペンを走らせれば、画面にはほぼ同時に写ります。
その時にLivescribeのペンで話せば録音も同時だということです。
また画面上のスケッチや文字は色をレイヤーなど不要で、
選択した範囲は自由に色変えが可能になっていることです。
もっとも、ペンはペンデザインの経験や筆記具を知らないので、
あたかもこれが使いやすいという安易な形態になっていることです。
この傾向はすぐに分かります。
かつて、デザイナーが最適と言っていたペン形状やクリップは
すぐに見破られてしまうものです。
このことは筆記具や万年筆の知識が相当に要求されているということです。
鉛筆が必ずしも良いわけではありませんし、鉛筆でも限定されています。
とりあえず、スケッチの基本形体である立方体と円柱を描けば、
一遍にペンと紙とのタッチ性=紙墨相発、書の基本が感覚的に明白です。
スケッチ描写の基本である自由曲線は、デザインストロークとクロッキーを
電子ペンとノートとの紙墨相発はトレーニングが必要です。
多分、3ヶ月程度で「思い道理」になるでしょう。
それはまさにデジタルながら「手」で発想できるはずです。

*『アナログスケッチからデジタルスケッチへ・・』
*『AppleStore銀座イベントを終えて』
*『工業デザイン教育での「手」のトレーニング』
*『描くこと=その神髄を決定づけているペンと紙』
*「プロとして元気の素は鉛筆への作法」


目次を見る

『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』


   


     4月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

「コンシリエンスデザイン」を提唱する基本として、
Silienceというすでに古語化している基本的なことばを調べました。
「無意識の知の核心」=silienceが自分なりの定義です。
そこから、コンシリエンス、レジリエンスは勿論のこと、
新たな展開としてパラシリエンスとメタシリエンスへと拡大しました。
パラシリエンスの具体事例として、
「動物実験」を取り上げてみます。
動物実験は、医学的な倫理に基づいて、動物を使っての事前調査です。
これはいわゆるプライミング=priming:実施事前の具体的な調査です。
しかし、動物実験にまでデザイン:問題解決・価値創出・未来創成は
まだまだ登用されていませんから、
この施設・環境にまでデザインは無適用です。
デザインによる医療機器・医療装置などは、
人間工学を超えて動物実験に必要だと断言しておきます。
これこそ、「パラシリエンスデザイン」という、
新たな倫理観によって
事前調査でのプライミング効果の最適性を検証します。
少なからず、問題提起と問題解決というデザインにとって、
この動物実験、新たな動物実験へのデザインを
「パラシリエンスデザイン」として提唱しておきたいと主張します。
実際、これはコンシリエンスデザイン看医工学としての実務として、
新たな医療機器、それも治療機器:
わが国では医療治療器は決して行わない、
この風潮・制度化現象がありますが、
「パラシリエンスデザイン」として、
治療器開発は当然だと提案しておきます。

*『コンシリエンスデザイン仮説をレジリエンスデザインから』
*『コンセプトからイノベーションは起こらない』
*『手の消毒、そんな時代になっている?』
*『IoTではなくIoMetというライン手法』
*『コンシリエンスデザイン事象を創出する職能』


目次を見る