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Posts Tagged ‘人生’


「金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会」


   


     8月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

私は金沢美大卒であることを幸運に思っています。
先月、大阪で関西地区の同窓会に出席しました。
案内葉書が届いたとき、行きたいなーと思いましたが、
車椅子でOKの会場だろうか、とすぐに考えます。
そして、そのことを確かめると、
会場を変えたりということもこれまで経験してきたので、
それは申し訳なくて、「不参加」として返信しました。
ところが後輩から、「どうして来てくれないんですか」と電話を受け、
「いや車椅子だし会場のことも・・・」
「何言ってるんですか、当然、バリアフリーの場所ですよ」
と言われて参加しました。
1959年卒から今年卒まで関西地区で80数名も集まって、
東京同窓会からも代表が、金沢から同窓会代表も参加ということで、
美大らしく、ビデオまで制作してありという大盛会でした。
Facebookのファンページでも800名も存在するネットワークです。
必ず、個展や出版や映画などの案内も
そのページでいつでも見られる組織になっています。
毎年、東京銀座・金沢・New Yorkでは、大展覧会が恒例化してきました。
それも参加者は700名もいます。
絵画界・彫刻界・工芸界・デザイン界ではそれぞれにリーダー格がいます。
しかし、そのようなことはまったく関係なく、
先輩ー後輩の関係は根強くスムーズに繋がっています。
会ったことはありませんが、
あの作品、あの漫画、あのパッケージ、あの映画、あのCFという具合に、
先輩・後輩の作品がいっぱい日本を席巻しています。
今、大先輩は故柳宗理先生のヨーロッパでの足跡調査をされています。
私は金沢美大卒業であることは、
本当に、人生の「大幸運」だったと噛みしめています。


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「『危機管理デザイン賞』創設のねらい」


   


     8月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

建築家が最も忌まわしき存在としているモノ、
その一つが「消火器」です。
しかし、これは公共的な場・建築には
必ず「見える場所」に配置されていなければなりません。
壁をくり抜いてオシャレな収納をやり過ぎると、
消防署から注意が入りやり直しとなります。
「消火器」は絶対必需品ですが、
徹底したデザインでの優れたモノはほとんど見かけません。
また、見慣れない消火器だったら、
いざ、という時に使えないかもしれません。
また「消火器販売を装った詐欺商法」もあります。
すぐれたデザイン開発が必要なモノであり日本が創るモノです。
この消火器を事例としても、
「いざ」という危機に対する万全体制づくりは現代問題になっています。
危機というのは、「いざ」とか、「まさか」の事態です。
私たち日本人は、
3.11で自然災害と原発事故で「想定外」を思い知らされました。
私自身、1000年に一度を、
わが人生でここまで思い知ることは「想定外」でした。
つくづく思うのです。
父は20世紀最後に逝きました。21世紀を見ていません。
もし、父が生きていたら、
彼なりに必死で「行学を祖国に尽くした」と思います。
1000年に一度をこれだけ経験したならば、
とことん、「危機管理」にデザインで対峙します。
大学人になってから「公共ネットワーク機構理事」職でもあり、
デザインの専門家として、
「危機管理対策」を提言する立場にありました。
「危機管理学」という学術的領域もありますが、
まだまだこの学域の存在も知られていません。
「危機とは、大変なことになるかもしれない危うい場合を、
危険な状態」というシンプルな定義があります。
ところが現代は、自然災害、人的災害という大区分がさらに複雑化し、
しかも情報での危機意識は
情報操作という危険認識をも作動させています。
デザインは、危機問題の問題解決・難問解決を図る有効な手法であり、
理念形成での形式・形態・制度設計にもつながっています。
本日、「危機管理デザイン賞」
Risk Management Design Award=RiMDA賞創設を発表し、
危機管理産業分野、対テロ対策特殊装備、学校病院危機対策装備から、
警察消防特殊装備をmade in japan化して国際化する趣旨です。


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「乗り換え駅、これは人生のある象徴かもしれない」


   


     7月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

「駅」は不思議かつ重大な場所だと思います。
そして人生には、人それぞれが人生でのいくつかの「駅」を持っています。
それも「乗り換え駅」でしかないけれども、
それなりに、人生の結節点になっている場としての「駅」があるものです。
私にとって、
もう二度と立ち寄ることが出来ない駅の一つが「米原駅」です。
思いがけなくこだま700系、各駅停車に乗ったら、米原駅に停車しました。
この駅は、福井から東京や大阪に出るときには、
北陸線から東海道線や新幹線に乗り換える駅です。
大阪での浪人時代も、ここから北陸に帰りました。
だからこの駅前に2~3回は降りたことがあります。
冬、もう北陸線が無くて駅で一晩始発列車を待ったこともあります。
もう40余年ほど前ですから、
駅前にはパチンコ店が2件程度の小さな駅前でした。
それこそ「新横浜」に就職で上京したとき、
「えっ、ここから私の人生が始まる・・・なぜ・・」って思うほど、
ほとんど荒れ地に鉄条網があった時代です。
現在の「新横浜」などは、
これが時代変化なんだと思うほど大きな駅、駅前になっています。
きっと、米原駅前も相当に変わっていると思います。
米原駅は、車いすになったときには、
あぁ、あの駅に行くことはもう無いなーと思いました。
なぜなら、新幹線から北陸線には長くて急な階段があったからです。
今はどうなっているのでしょうか。
人は、「駅」がいくつかあるものです。
さらに、「乗り継ぎ駅」、決して駅前に出ることはない「駅」もあります。
だから、そのまま、人生にも出発点や到着点のごとき「駅」がありますが、
「乗り換え駅」のような人生の結節点であり、
その結節点の光景・風景・情景を、
知らず仕舞いの「駅」もあると思っています。


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「カレイドスコープ=万華鏡というレトリック」


   


     5月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

間もなく「金環日食」が見られます。
正直、とても期待しています。
TVでこの日食の見方など注意点が報道されています。
大事なことです。
きっと、自分の生涯ではもう見られないでしょう。
そこで気づいたのが、「万華鏡」のことです。
これは、人間の視覚感覚をとてもうまく利用したモノです。
小学校時代には自分で工夫して作った経験があります。
これは知人からプレゼントされたモノです。
中には貴石や宝石が詰め込まれていて、
しかも一点ダイヤモンドがあるということで。
日本のダイヤモンド業界のシンジケートも教えてもらいました。
時折、万華鏡を見つけると収集したいと思ってしまいますが、
コレに勝るモノには出会っていないので、
収集というビョーキには取り憑かれていません。
日本には江戸時代に入ってきたモノと言われています。
私が気に入っているのは、
鏡の利用です。
私は、展覧会手法やインスタレーションに「鏡」を使います。
なぜなら、「鏡の背後には、冥府への階段がある」。
このレトリックに心惹かれています。
そして、万華鏡の組み合わされている鏡は、
冥府世界観をさらに錯視虚像世界に変換していることです。
このヴァーチャル的なリアル感は、
唯一、一回しか見ることができません。
体験というのは、たった一回とか、唯一であることが大事です。
翻って失敗は二度繰り返さないということにもつながりますが、
それがなかなか出来ないものです。
だからこそ、あらためて人生が万華鏡のごとしという、
このレトリックがあてはまるのでしょう。
金環日食、ますます楽しみです。

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「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」


   


     4月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

フリーになっても、オーディオデザインで生きていく、
その気持ち、志は変わっていませんでした。
東芝Aurexでは、音響機器の工業デザインに留まらず、
イベント企画=Aurexコンサートやオーディオフェアなど、
ショールーム設計、レコード編集、量販企画まで
なんでもかんでも興味いっぱいに首をつっこんでいました。
意匠部長(現デザインセンター長)にはしばしばしかられつつも、
チーフがいつも私の自由行動を許してくれていました。
実際は意匠部長もかわいがってくれていたのです。
上司には本当に恵まれた東芝は、私を鍛えあげてくれていたのです。
音響機器デザインをより拡大したい、
この想い、デザイン領域の拡大という志は今も変わっていませんが、
オーディオにビデオアート・作曲録音・多チャンネルHi-Fi再生を
作品化しようとしていました。
30-Channelというのは、
30個のフルレンジスピーカー=ロクハンを曲に合わせて
一個一個制御しようと考え実現しました。
リレー回路でSPチェンジするプログラマブルコントローラーでした。
今ならパソコンで簡単に可能です。
しかし、この投資は発表はできませんでしたが、
現在、「アンビエントアライアンス」に繋がっています。
「興味を持ったら、徹底的に納得するまで実行する」。
これこそ「行学」の基本だと私は思い、行動を起こしてきました。
どれほど当時は無駄遣い=浪費したかしれませんが、
人生において重要なことだと考えます。
だから、このことは教育者としても、
自分で作為的に重ねてきた経験ですから、
学生、次世代デザイナーには強調主張しておきたいと思います。
そして、そのようなことを試みているデザイナーということで、
フォーライフ・レコードや
「流行通信」、PLAYBOY 誌や平凡パンチ誌にも伝わり、
フォーライフ・レコードからデジタルガレージ設立や
「流行通信」に連載を持ちました。
けれども、徹夜仕事やメチャクチャな生活習慣で、
すっかり体調を著しく悪くしてしまいました。
父や金沢美大の恩師からも「帰ってきなさい」、
常に診てもらっていたドクターから
「ふるさと」へ帰れと命じられてしまいました。
丁度、ジョン・レノンが暗殺されたこともあり、
(私の青春は終わった)との気持ちいっぱいになり、
大きな挫折感を持ちながら、56豪雪になろうとする福井に戻ったのです。

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3月19日 staffblog


   


     3月 19th, 2012  Posted 2:13 PM

3月19日

吉永みち子さまより
『人生を決めた?あの時?』
届きました。

以前に
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
取材を受けた雑誌「ひととき」の
『今を決めたあの時』というコーナーの
文庫化になります。

他にもたくさんの有名な方の、
「あの時」が掲載されており、
大変興味深い内容です。

吉永さま、ありがとうございました。


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「このサインペンその物が美しい」


   


     2月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

デザイナーという職能になったことで、
「美しい」モノを常に人生に配置することができました。
とても幸運な生涯だと思っています。
この「ぺんてるのサインペン」とともにプロになってきたと思います。
このサインペンに出会ったのは東芝時代からです。
当時は、これほど色はそろっていなかったと思います。
黒一本で、0.6mm・0.3mm ・0.1mmを引くことが命題でした。
ロットリングや烏口を使わずして、
スケッチから図面までの使い勝手があります。
あらためてこのサインペン自体が「美しいモノ」です。
おそらく死ぬまで私の日常生活の傍らに在ると思います。
私は筆記具収集家だとも自負していますから、
万年筆から筆、スタイラスペンまでともかく見つめてきましたが、
このサインペンは格別に「美しい」と思っています。
今では、どれだけペン先チップを傷めずに
線が描きわけられるかが重要です。
本当に、デザイナーであるから
このサインペンが道具になっていることに感動し直しています。

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「63歳まで生きました・母より年上です。」


   


     2月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

63歳です。
母は47歳で逝きましたから、年上になったと思います。
交通事故被災28歳で、40歳までと言われながらも、
確かに45歳で心臓も交通事故の後遺症で悪くし、
その後も心臓発作や敗血症で重篤を3度も体験しました。
「生きています」。
まだやり遂げなければならないことがあります。
まして、国難の最中にある時代を
最期になんとかデザインで復興を仕掛けたいと思っています。
子供時代に最も集中して工夫をしていた「糸車」を再現してみました。
本当は「糸巻きの芯材」を使いますが、
もうほとんど芯材はプラスチックですから、
やはり銀座の手芸店でみつけた糸車を使いました。
子供時代には、輪ゴムを3本程度、
それだけでどれほどスピードが出るかを工夫しました。
この「糸車」から、
次にモーター駆動の自動車づくりをしていった思い出があります。
デザイン課題で、「動具・音具」という課題を出しますが、
その原点は私のものづくり起点に重なっています。
あらためて今年の誕生日は金沢です。
この街での4年間が私の人生の大きな下敷きです。
この「糸車」を徹底してデザインで
「より美しいモノ」にしてみたいと思っています。
63歳の誕生日は子供の頃のものづくり原点を再現してみました。

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12月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 22nd, 2011  Posted 10:00 AM

12月22日 友引(辛亥)

「発想・表現・伝達」を
同次元で考えていくとは
どういうことなのか。

実は、これまでの人生の中で、
僕たちは知らず知らずのうちに
この感覚を体験しているはずだ。

それは恋愛である。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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「哀悼・スティーブ・ジョブズ氏」


   


     10月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

生と死に向かい合うこと。
それが自分の人生で最も重要なことでしょう。
しかも自分の人生に多大な影響をもたらしてくれた人。
その人の急逝が、自分に突きつけてくることは巨大です。
Appleの創業者であるジョブズ氏の行動力と実現力は、
ことさら私自身と私の日常性、さらにデザインを
常に深く見つめることが私の人生に重なっています。
Apple II・LISA、そしてMacintosh128Kから、
今日に至るまで私の傍らには、
進化し続けるApple製品がありました。
しかも私は今では伝説となったジョンスカリー氏と
さらにアランケイ氏、そしてIndustrial Design Teamと
七つのProjectに関与しました。
その時には、ジョンスカリー氏はジョブズを、
Appleから追放していた頃でした。
ジョブズ氏が舞い戻って、iMacが華々しかった頃には、
彼と会うことを周囲からも勧められましたが、
ポリカーボネート素材製のiMac否定派だった私は、
会いませんでした。
1984年、Macintosh128Kのプレゼンテーションを見ると、
ことさらに彼に会っておくべきだったと悔やみます。
いわゆる「アメリカンドリーム」具現者として、
彼は語られますが、私はそうは思っていません。
彼は米国なら夢が創出できることを証明した人物です。
それは米国という自由風土性ではなく、
夢は、いかにハングリーで、いかに馬鹿に徹するかを
米国人として見事に体現して見せてくれた人物でした。
彼には限られた時間内での生と死を見つめたでしょう。
私もすでに残されている時間を意識しています。
パソコンは確かに進化と進歩を遂げてきましたが、
WYSWYG=What you see is What you getの世界観は、
まったく不動であり、進化しているとは思っていません。

私は彼の人生に深い敬愛と哀悼を持ち続けることでしょう。


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