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Posts Tagged ‘モノづくり’


『コンシリエンスデザインをともかく訴求!』


   


     4月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

「INTERMOLD 2015」の特別講演をしました。
先日、招聘教授になっていただいたKAISTの金明錫教授が来日、
自宅で昼食をとりながら、打ち合わせをしました。
KAIST(Koria Advanced Intitute of Science and Technology)は
世界的に最高の大学院大学だと、私は思っています。
その大学でも「コンシリエンスデザイン」が正式な講座として、
政府からも認められたそうです。
私は昨年から、この講座を阪大でやるべきと主張してきました。
そこで、この見本市でも「モノづくり」と3Dプリンター界に向けて、
「コンシリエンスデザイン」、3D-Printing、知財権、機能論などを
訴求しました。そして、見本市会場もザーッと概観しました。
想像通りで、またもや日本の製造業や金型産業界が、
3Dプリンターをただ、米国を追いかけているだけの有様を確認して、
阪大で私が取り組んできた日本独自の戦略と戦術を
コンシリエンスデザインでの発想を伝えたつもりです。
3D-Printerは機器そのモノの戦略論が必要であり、
3D-Printingは技術を戦術として、それも世界を主導すること、
このことを最も伝える方法論は熟考を重ねてきたと思っています。
おそらく、当分はこのことを必死で訴求していくことが
私の義務だと自分に言い聞かせています。
本来、日本のプリンター業界は、印刷オンリーから抜けられず、
まだ大手企業も3Dプリンター開発を言い始めています。
しかし、あくまでも様子見で米国追随から逃れていないのが現状。
現に、阪大と共同開発に入った企業人は、
根本をやらずして、米国の模倣やマスコミ宣伝の書籍類に
惑わされている現実を見てきました。
結局、3Dプリンター以前に、光造形システムがあり、
私はこのシステムが開発途中の歯車を見て大ショックを受け、
結果、大学人になっただけに3D-Printingこそは、
米国を必ず追い抜いて、
世界最高の国家に日本はなるべきだと考えています。


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staffblog 1月9日


   


     1月 9th, 2015  Posted 4:18 PM

1月9日

モノづくりに関するテレビ番組
の収録がありました。


スケッチはデジタルスケッチでした。

2月放送予定です。
お楽しみに!


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9月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

9月7日 辛巳(先負)

モノづくりが好きだから、
デザイナーをめざしたという
若手からの発言を
私はどれだけ聞いてきたでしょうか?

結論は、
簡単です。
モノづくりの決着、出来上がるまでの
その執拗さが無い者には
デザイナーは無理です。

しかも、デザイナーは
モノづくりではモノは成就しません。
コトづくり=制度設計が職務です。
コトづくりとモノづくり、
この両面への才覚と才能が
デザイナーに求められています。

「川崎和男 強い人弱い人」


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3月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 25th, 2014  Posted 7:21 PM

3月25日 乙未(友引)

デザインとは、
「モノづくりとコトづくりである」
という安易な言い訳程度の
定義を補強するには、
「モノづくりという
『かたち』のコトづくり」
とまで言い切っておく必要がある。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『HMDを目指してきて・・・』


   


     2月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

1994年から取り組んでいます。
コンピュータ関連へのデザイン、無論、オーディオについても、
デザインですぐに未来が視えてしまうものです。
その未来を明日にでも実現したいと思い込んできた生涯です。
HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をこの当時、
すでに、私は「スカウター」と言い変えていました。
この開発は1996年に大学人になってからも連続させています。
そして、このスカウターが最も利用可能なのは、
医療系で手術場面・音楽系で作曲場面・スポーツ系での競技場面、
そして、いわゆるパソコン全体への使い道へと拡大しました。
この画像は、すでに1995年のプレゼンテーション画面です。
PowerPCでの作成ゆえに、現在のMacでは動きません。
そして、20年の技術蓄積がようやくまとまり始めています。
しかし、蓄積無くこの表面的な進歩には具体的問題を視ます。
また、この画像に視られる手術用メスも進化しています。
可能な限り、生体を切ること無く手術=NOTEなどもあります。
とりわけ医療・手術での医学の進歩とその周辺機器には、
「確かな医工+デザイン」が必要です。
私は、ちょうどこのHMD→スカウターと名辞して以後、
医工+デザイン=デザイン医工学を目指してきたようです。
このスカウタープレゼンで、私は「スヌーピーキャップ」を知り、
結果、脳外科・循環器外科・消化器外科へのデザイン、
それは機器開発・内臓の人工化デザイン・再生デザイン医療、
こうしたことへのデザイン導入に関わってきたと思います。
今や、デザインを支援するのは、機器=モノづくりだけではなく、
生体再生=コトづくりにまで反映させられるデザイン医工学です。
スカウターの実現化は間もなくでしょう。
その結果をもとめていくにはやはり20年必要だったのでしょう。

【ブログの関連記事】
「HMD・『単眼タイプスカウター』を米国でプレゼンは失敗だ」
「HMDを『スカウター』と呼んでいる・商品化されたモノ」
「20年追い求め、やっとその時代到来か・・・」


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『現代妄想には闘い続けなければ大間違いの世情になる』


   


     1月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

TV放映では語り継げないことが多いことは明らかです。
しかし、私の表情を読み取った人たちは多かったのです。
私の恩師はすべてを読み取って二つの感想の電話がきました。
私がプロとして相当に押さえた発言をしていたかということ。
それでもTV出演しているだけの演技もデザインには必要。
私は今この日本が、特に大企業が国家を支えられず、
しかも若い世代は大企業への信頼感すら失っています。
しかし、やはり大企業だからこその真の力、
その偉大さ、尊大さと矮小さまでを識り尽くさない限り、
ベンチャー企業の起業能力は妄想にすぎないものになります。
いくつもの企業体験をしてきました。
特に、モノづくりとコトづくりをそれぞれデザイン対価で
評価判断もしてきました。なぜなら、デザイン対価にこそ、
デザイン職能の価値が規定されているからです。
結果、海外は明快にデザイン対価を取り決めます。
わが国でのデザイン価値とは大きく異なっているのです。
つまりデザイン成果価値をProfitとBenefitで峻別できます。
わが国のデザイン成果価値をそれこそベンチャー企業ですら、
未だに理解どころか分別もできないのです。
そのような企業が30年も存在することは不可能です。
Profitとは「金銭価値」=純利益であり、
Benefitとは「印象価値」=ほぼ経常的な利益と考えられます。
まず、「デザインする」という価値を、
デザイン対価=Profit+Benefitに出来る起業家には才能が必要。
もう私にはその才能も見極めがつくようになってきたと思います。
この自負心が正直に私には表情に出てしまうようです。
恩師にはそれを見透かされていましたが、まだ闘う覚悟です。


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『デザインというスタイリングの二種類』


   


     10月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

「デザイン」という一般化された言葉が引きずっていること。
私は大きくは「問題解決」と「スタイリング」と分別しています。
しかし、普遍的な理解は「スタイリング」に留まらず、
ほとんどは「デコレーション」です。
これには歴史的に「デザイン」というアングロサクソン系語まで、
この歴史性がピッタリと張り付いているからです。
私はデザインにはこの二つを大きく抱擁してしまう力がある、
したがって、この二つについても、さらに深い分別が必要です。
それは、「スタイリング」と「デコレーション」です。
その実例に動物の置物をあげてみます。
明らかに、一方はリアルな豹であり、
もう一方は、モダンデザインという範疇での象です。
このモダンデザインには、象をデフォルメしたスタイリング。
しかし、豹は写実性をもってリアルなデザインと言えます。
モダンデザインの象は、単なる置物を超えたスツール性能があり、
これをデザインの機能性というのは誤謬があります。
私が、この40余年「デザイン」=問題解決であり、
性能・効能・機能と明確に言い分けてきたのには理由があります。
なんといっても、ミニチュアサイズ化されたリアルな豹は、
インテリアのデコレーションでしかありません。
したがって、性能も効能も機能もありませんから、
これはデザインではなくて、明らかにデコレーションです。
インテリアデコレーターとインテリアデザイナーには、
この使い分けが必要だと念を押しておきます。
少なからず、読者諸兄には「デザイナー」という職能を
論理的に、またその職能としても歴然としていただきたいのです。
したがって、わが国の企業論理に、「デザイン」を、
未だに、デコレーション・スタイリングで理解し理念化、
このような企業には「モノづくり」とは、
元来「問題解決」・「難問解決」の知性はありません。
最近、私は、「芸術の知性」と「科学の感性」と言っています。
私は生涯かかってこの論理をつきつめたいと考えています。


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『欧米が未来のモノづくりとした大間違い』


   


     10月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

「MAKERS」という著作によって、わが国も大ミステイク。
この著作の基盤は3D-Printingこそ未来のモノづくりという顛末。
結果、これにこそ未来があると見誤った人たちを知りました。
そこで、大阪大学の知性でこれを正当に評価して、
国内最大のイベントをしました。
そこから、私はこのブログで特に米国を追いかけました。
元来、光造形システムからのラピッドプロトタイピングも、
米国にほとんどの特許が移行されてしまいましたが、
わが国では先進的な学者によってナノやマイクロテクノロジーに、
明確にその進化方向を見定めていました。
その後、米国はわが国への廉価なプリンター輸出を停止し、
なおかつ、国外からの閲覧禁止になったwebsiteすら出ました。
気がつけば、この写真のごとく「拳銃」を3D-Printingとした、
なんとも18世紀のモノづくりを代表にするような記事が出ました。
正直、私は呆れ変えっています。
日本が創出する武器ならば、まだ拳銃に寄りかかっているのでは、
それは時代錯誤と、甚だしいモノづくり発想の相当な遅れです。
先般、国内のインクジェットプリンターメーカーとの、
「産学」共同での新たなプリンター開発契約を済ませました。
そして、この展開にふさわしい地方産業の活性化を訴求しました。
これで「産官学」体制で3D-Printerと3D-Printingを果たすこと、
そうすれば、やはり、「モノづくり」大国である日本を、
強く、国際的な先導と主導国家にすることができます。
無論、乗り越えなければならないことはあります。
しかし、3D-Printerが各家庭に入り込むのは時間の問題です。
それでも、なんでも3Dの立体物が家庭で出来上がる以前、
この流通やクラウドによるデジタルデータ制御があります。
それは、このような「拳銃」が3Dでの象徴では決してありません。
日本ゆえできる革新的な手法に3D-PrinterとPrintingになります。


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『箪笥・小タンス・ダンシング』


   


     10月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

これは、長年私が温めてきた企画展のタイトルです。
したがって、箪笥を所有し使用するのも拘ってきました。
一番に拘ってきたのは、かつて母の実家の蔵にあった箪笥です。
日本の箪笥は平安時代から江戸時代には格段の進化をします。
そしてこれが壊されるのは明治期に欧州の家具や、
敗戦直後からGHQにデザインを依頼されて米国流になったこと。
したがって、日本に有った「船箪笥」は優れたモノづくりでした。
船が難破しても沈まないとか、桐箪笥は水をかければ燃えない、
このような話がまことしやかに語られました。
しかし、火災になっても現代は高温になることや、
船箪笥・桐箪笥は沈み、燃えます。
しかし、現代もなお「岩谷堂箪笥」のモノづくりには、
日本の箪笥、船箪笥・桐箪笥の詳細で緻密さが息づいています。
たとえば箪笥は移動体だったため箪笥車が台輪についていました。
これはドイツの収納箪笥同様に移動が簡単でした。
さらに、泥棒よけや、隠し引き出しがあることなどの細工です。
私が、生きている伝統文化としての箪笥には、
木材の頑丈さや狂いよけの細工、仕上げの漆塗り、金具工作です。
そうして、これらがすべて完成度を持っているのは、
「岩谷堂箪笥」です。
おそらく、日本の箪笥をデザインで「岩谷堂箪笥」までの復興を
私はまだ見いだしていません。
昨今は、伝統工芸品として、木工工作の箪笥を認定していますが、
私には肝心要の素材・引き出し工夫・金具・仕上げの漆など、
こうした技術が継承されなくなってきています。
それだけに、新素材・新仕上げ・新金具、そして工夫木工が大事。
私は、自宅では「岩谷堂箪笥」を大事に所有し、
「箪笥・小タンス・ダンシング」展を考えています。


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「750年をタケフナイフビレッジで革新して30年」


   


     9月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

私は車倚子生活でふるさとに戻りましたが、
私を支えてくれた越前打刃物に取り組みました。
正直、これで「喧嘩師」を国内外にやってきたのかもしれません。
本当は5年が10年で「共同工房」を、
今は亡き建築家毛綱毅曠氏(1941~2001)との格闘で建設しました。
それが第二世代に引き継がれて20年です。
結局、私のデザイン活動の中核でもあり、デザイン成功例です。
第一世代:10名は、第二世代:15名にもなりました。
世代が変わっても、基本コンセプトを変更する意味はありません。
また、私のデザインはすでに30年もナイフの基本を創ったという、
強い自負がありますが、それだけに、
第二世代からの新作依頼は、とても苦しくて悩み抜いてきましたが、
私は、「伝統」=裏切りですから切羽詰まってデザインしました。
新たな産地の新活性化は、さらに世界的な刃物産地になります。
あらたなテーマでの研究をしてもらい始めました。
新素材も検討をつけていますし、刃物だからこそを成し遂げます。
おそらく、タケフナイフビレッジを始めた頃は、
私も30代ゆえにともかくこれが出来なければ、
デザイナーという職能を諦める覚悟で取り組みました。
それを支えてくれたのが、タケフの刃物職人のみんなでした。
産地はこれまでの経済危機にはほとんど揺るぎませんでした。
刃物作家はすでに国際的なビジネスマンにもなり、
産地には高級車もあるようになりましたが、
私は、決して「先生」ではなくて、仲間です。
私が負けそうになっても、彼らの厳しいモノづくりに励まされ、
「私たちは美しい切れ味を鍛えてます」というテーマは、
「次に私たちも美しい切れ味を鍛えていきます」という、
また「生きがい」を私に与えてくれています。
次は、第三世代を集めて、もっと未来を置き土産にする覚悟です。


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