8月 28th, 2015 Posted 12:00 AM
私は危機解決学としての実務デザインとして、ここから開始しています。
私は生きていくことを、
いやそれだけを懸命に考えていたのは青春から壮年期でした。
今や、人間が生きていくことが死んでいくこと、
このことが老年期になると日常的に思い至ってしまいます。
最も、私は28歳で交通被災、45歳で心臓障害、62歳で敗血症ですから
よくもまだ生き延びていると思います。
確か、28歳で交通被災したとき、心無いドクターは私に、
「君は40歳が限度、ほら統計でも明らかでしょう」と言われました。
ところが気づいたら40歳になり、Apple社でコンサルタントでした。
63歳で阪大を定年退官して、
ひたすら、March 11.2011・東日本大震災へのデザイン復興策を
デザイン中心主義で考えついたのは、
「最悪な状態」に対してそのデザインは?
いや、何が最悪な状態へのデザインか、でした。
その根本は、「生き延びる」ことです。
確実に日本での犯罪は減少していますが、最近の殺人事件では、
まだ13歳程度の中学生が殺されます。
私は「コンシリエンスデザイン看医工学」で、学際の統合化を
四つの解決学にむけたデザイン、その具体化に取り組んでいます。
防犯・防災・安全・安心への実務的デザインの具現化です。
特に、防犯では、もっと確かな監視カメラや、犯罪者への管理です。
すでに首都直下型地震も予測値が具体化されてきたと思います。
感染症の増大も日々高まってきています。
危機管理学では机上の論理に終わるでしょう。
それなら、「最悪な状態」=生き延びることへのデザイン提案です。
ただ残念なことは、なかなかこの問題解決にデザインをという、
次世代デザイナーが本当に少ないことです。
もうサラリーマン化している企業病のエンジニアもデザイナーも不要。
私は「最悪な状態」にデザインを賭けてくれる次世代デザイナーを
真剣に求めています。
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8月 5th, 2015 Posted 12:00 AM
1980年、ジョンレノンが暗殺されました。
私は自分の青春を終えて福井に帰郷することを決めた一つの原因でした。
その時まだ大学人でもなかった私は新設された「日本記号学会」に入会。
以後大学人になってから色々と学会員になりましたが、
一旦、阪大退官時にはできる限りの学会員を辞めました。
しかし、今なお「日本記号学会」には入っています。
記号論・記号学は「意味すること」・「意味されること」を
あらゆる学問領域で扱われているおそらく最も学際的な学会です。
この学会誌が、とうとうこの結論を出してしまいました。
それはデジタル表現での大きな結論です。
「音楽が終わった」というのはセンセーショナルな問題ではなく、
それこそ、音楽という表現がデジタルで、
表現物を作品=内実的概要と、表現物の作家=外実的概要を、
「音楽」に喩えただけのことです。
それこそ、オリンピックとアスリート、スタジアム建築の問題、
さらには背景がすっかりギルド化された中での稚拙なエンブレムなど、
デザイン作品の内実性とデザイナーという外実性も同様です。
要は、21世紀に完結=終わってしまっているから、
単なる商売的なギルド感覚での資本主義体制にも決着が必要なのです。
この結論から、新たな21世紀の音楽から、スポーツと商売も、
デザインと商売、この商売感覚からの離脱決意を促しているのです。
この論理思考を記号学では「音楽」に喩えただけのことだと考えます。
要は、デジタルという文明は、
もはやこれまでの音楽・美術・芸術・スポーツ、そしてデザインも
デジタルで大変革しなければその解答はまだまだ不明だということです。
オリンピックをデザイン・建築で演出することの時代が、
まだ、商業主義的見栄の国家表現を停止すべきです。
明言すれば、もう音楽は作品も音楽家も不要なのです。
同様に商業主義に包まれたアスリートもオリンピックも不要、
さすれば、デザインもこれまでからの脱却論を開始すべきなのです。
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2月 1st, 2014 Posted 6:55 PM
自宅の改装がようやく落ち着きました。
この改装時にフランスから親友のディレクターが、
私の自宅隣のホテルに宿泊してもらいました。
改装があって、一日は自宅で昼食ができましたが、
翌日はスタッフとドクターに阪大、特に病院視察をお願いし、
夕食は私たちが気に入っているレストラン。
しかし、翌日からはすれ違いにも関わらず、帰仏前に、
一枚のカードをホテルフロントに残してもらいました。
先般、キーノートスピーチしたSaint-Etienne市のカードでした。
フランスを代表するデザイン都市のカードは見事なデザインです。
都市のランドマークには、それぞれの歴史性が表現。
赤い円形の中にある三つの建築は、
都市を象徴するタワー・美術大学分校・デザインセンターであり、
フランス革命時には鉄鋼産業の街であり、中世の建物から、
現代都市のランドマークで表現されているカードでした。
このデザイン都市で、フランスの土産物そのデザイン審査があり、
デザインを基軸にした土産物選びから、
今では医療産業へデザインを差し向けているだけに、
「アルツハイマー対策のデザイン」をすでにコンペにしています。
しかも人口はたった18万人の小さな街です。
私が1997年「フランスにおける日本年」で「経済と文化」を担当、
フランス・パリからの偉いさんに喧嘩をしたことがあります。
「デザインとアートは違う、デザインを見くびっては困る、
だからフランスは遅れている」と言ったことが昨日のことです。
今の日本では、「前例が無い」と断られることしばしばです。
しかし、フランスしかり、もっと中国しかり、
「これは世界で最初ですか?、それならOK特に即実現を!」。
このカードの美しさを今の日本は生み出すことができません。
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12月 17th, 2013 Posted 12:00 AM
この小さな街は人口が18万人にすぎません。
しかしサッカーチームにはあの松井選手がいたほど最強チームで、
スポンサーも市が支援するという街です。
AppleStoreがあり、ZARA、 H&M、までがありました。
市電はかっこよくて、随分写真を撮りました。
最も、渡仏直前に降雪があって極寒でした。
空港はパリからリヨンに飛び、車で入りました。
フランス革命時には鉄砲の街=鉄鋼産業から、医療産業へ。
2006年にこの街のエコール・デ・ボザール・サンティエンヌ校で、
ワークショップをしたときに、デザインセンターが出来るという
そんな場所を見せられましたが、デザインセンターも、
現代美術館もあるデザイン文化都市になっていました。
「Health & Design for All」のキーノートスピーカーで招聘。
彼らからはPKD=Peace-Keeping Designを中心テーマにでした。
勿論、3.11の現状も紹介してきました。
阪大からはドクターが2名も参加してもらいました。
現地のドクター二人(小児科と呼吸器科)と夕食では、
彼らはデザインと医学の関係がすっかり理解していました。
このイベント後、クリスマスムードのパリに寄りましたが、
観光都市をはるかにしのぐ美しさがありました。
リタイアしたら、フランスのいわゆる田園都市の方に
私は住みたいと思わせてくれる街でした。
私のふるさと福井は25万人の街ですが、私は思いました。
デザイン都市にしていく大きな優位性は、
すでにフランスは格段に進化をしています。
「フランスにおける日本年」でトゥールーズで、私は、
「経済と文化でのデザイン」を懸命に話をしたことがあります。
1997年だったと思いますが、
あれからフランスは18万人の小さな街が、
「デザイン都市」として新産業と文化都市を創りあげていました。
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11月 17th, 2013 Posted 12:00 AM
1997年橋本政権時代に「フランスにおける日本年」以来、
フランス芸術大学との関係がありました。
「経済と文化」で日本のデザインを紹介のために、
フランス大使館からの招聘でトゥールーズ市に行きました。
スケジュールがハードで体調を壊し入院する程多忙でした。
だからアルビの病院に入院した貴重な経験もあります。
アルビ州からは「デザインの国際貢献賞」もいただきました。
旅行者は行かないフランス芸術大学。サンティアンヌ校では、
講演やワークショップ(これには東欧から参加者たち)もやり、
この市の将来に「医療産業を提案」したところ、
ユネスコのデザイン都市であるモントリオールと共同で、
とうとうこのテーマイベントが開催されるようになり、
キーノート講演での招聘をもらいました。
無論、3.11についてもふれ、さらに、私の提唱するPKDまでが
このイベントでとりあげられるまでになりました。
阪大への招聘状回答は英仏語承認書とさらに私の大学支援まで、
総長名でいただきながら、ようやく準備ができそうです。
連日のスケジュールでは、医療関係から病院、ロボットまで、
さらにはワークショップも開催しなければなりません。
フランス訛りの英語での予定確認の電話が深夜にあります。
そこで医学系研究科から若手のドクター出張をお願いしています。
フランスのデザイン界では「アルツハイマーへの解決デザイン」、
デザインを問題解決制度設計としてのデザインまで進化しています。
「フランスにおける日本年」時代は経済の活性化にデザインをと、
このような提案をしていましたが、彼らもとうとうデザインを
国家策略実務として認識が始まっています。
幸いなことに、フランスには教え子が3人いてくれますから、
また彼らに支援を頼むつもりです。
本当に真剣に全ての私なりのデザイン実務成果を持って行きます。
Health and design for all symposium 2013
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11月 3rd, 2013 Posted 12:00 AM
8年前、阪大に移籍するときには名古屋で書籍を処分ということで
悩んでいましたが、今は亡き恩師にその相談をしました。
「君が大学人の間は選んで持って行きなさい」と言われました。
そして、もう本はなるべく買わないようにとさえ思っていました。
しかし阪大に来てからますます書籍は増え続けてもはや限界です。
自宅マンションの地下室に書籍を置いています。
ところが、最近は、恩師から大学人の間は持っていること、
この言葉を噛みしめるようになりました。
特に、私は「光造形」や「ラピッドプロトタイピング」が目的で、
大学ではそのことを研究の第一線でやってきた経験があります。
結局、3D-Printingは光造形からの系譜にありますから、
現代の3D-Printing関連の書籍よりも、最初の頃には、
「光造形」や「ラピッドプロトタイピング」書籍は極々僅か。
だから、当初、いつかは自宅でもこうしたことが出来るという、
そんなまさに人間の夢物語りを見つけることができます。
おそらく現代のプロトタイピングの原型的な記載があるだけに、
本当に持って来ておいて正解だったとつくづく思います。
恩師に心から感謝です。
現代の3D-Printing関連書籍の前に居る度に、
こうした原初的な書籍意味こそ人類には不可欠だと思っています。
この関連書籍には、「いつかはこのことが日常化する」ということ、
そのことの実現が今、ぴったりと来ている最中です。
そういう意味では、多分、こうした書籍だらけの場所に、
私は佇むことになるのは間違いないだろうと思います。
無論、全てを精読したわけではありませんが、
ああ、このことを確かに夢見ていたと思うことしばしばです。
私が決心してきたことは確実に私だけの図書館には、
私の夢が一段と現実になっていくことを確かめています。
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8月 18th, 2013 Posted 12:00 AM
戦後のデザイン教育は私の恩師・平野拓夫先生から始まりました。
私の役割は「平野メソッド」を後世に伝えることです。
デザイン系大学で教授になっている後輩たちも、
この訓練は厳しく先生からOKが出るまで受けています。
「カーペンターペンシルで欧文書体を書き順で描く」方法です。
私は、自分の手が鈍ってきたらその一つの手法に戻ります。
欧文書体の書き順は、アルファベットの構造を熟知します。
かつて欧州で「君は書き順を知っているから信用できる」とまで、
私は言われて、社名ロゴタイプのデザインを信頼されました。
阪大では、カーペンターペンシルで書体構造を教えました。
なぜなら、ディレクターになる技法知識だと考えたからです。
そこで、現代企業の社名ロゴタイプを見ると、
余りにも醜いモノを数多く発見します。
まず、デザイナーにその基本が欠落し、
経営者の歴史性認識力や知識不足を確認するわけです。
したがって、たとえ大企業のロゴタイプを見るだけで、
この企業の存続寿命は歴然と分かってしまいます。
「この企業は必ず潰れる」と思うと、結果そうなるのです。
大学人を辞めたら、そうした企業名を書き残すつもりです。
だから、今も、「あぁ!、この企業は駄目になる・・・」。
それは欧文書体で、すっきりと理解することができます。
一般的には、ヘルベチカとかオプティマが基礎でした。
特に、おそらく全世界は、標識から看板までヘルベチカでした。
ところが最近、「置き土産だったのか!」という書体があります。
レタリングからカリグラフィー=文字を美しく表現する、
この技法で自分の美学を形成した一人の男がいました。
しかも、この美学性がデジタル表現と結びついています。
だからこそ、デザイナーは今一度、レタリング、ロゴタイプ、
これらを再検証するべきだと私は提案しておきます。
そういう意味でも、私は「戦後のデザイン専門教育」を、
しっかりと残したいと考えています。
それは、「手の訓練」と「発想」が、
美学性を獲得する職能デザイナーの根本だからです。
デザイン教育でこの根幹が失われないことを歴史に残すためです。
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8月 16th, 2013 Posted 1:20 AM
終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」を
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。
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7月 30th, 2013 Posted 12:00 AM
私はふるさと福井の伝統工芸にデザインを導入してきました。
750年の越前打刃物に「タケフナイフビレッジ」を、
デザインの導入によって産地を形成しすでに30周年になります。
すでに第一世代10名と第二世代15名になりました。25名です。
その背景には、この「定書」があります。
越前打刃物に伝わるこの書に登場する浅井(あざい)家は、
そのまま第一世代がメンバーにいます。
第一世代と第二世代が阪大の私の研究室を訪問してくれました。
第二世代に私は考え抜いた「産地モノづくり戦略」を話しました。
この「定書」という制度設計を成し遂げたのは、
まだ20代の橋本左内と熊本藩から越前藩の明道館に招いた、
横井小楠だったことが史実的にも確かめられています。
彼らの当時には藩政にとっても産業のあり方を述べていました。
だから、私はいつも、このように考えるのです。
「もし彼らの才能であったなら・・・どうしていただろう」と。
日本全国には、わが国の美学的結晶の伝統工芸があります。
絶対に不可欠なことは「デザインの導入」です。
30年、流行的なヒット商品を狙ってはきませんでした。
むしろ、現代の時間との共時性と産地技術の伝統性でした。
決して大儲けの産地になったわけではありませんが、
確実な「刃物のあり方」を伝統技にデザインを参画しました。
私は「働きがいと生きがい」を
未来の刃物に発見し、着実な日常性と産地存在性でした。
私は、新たな刃物を提案したいと思っています。
第二世代には、国内外で展覧会・流通・新たな存在性の確立です。
新たなデザイナーもそろそろ見つけ出したと思っています。
なぜならば、この「定書」にある制度設計を基盤にして、
情報時代から次世代時代を創出してもらいたいのです。
「タケフナイフビレッジ」を継体天皇の青春時代を送った、
その場に建設するまで10年かかりました。
その場に第二世代が全国から集まってくれました。
次の30年を根付かせるために私の役割を発見するつもりです。
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7月 15th, 2013 Posted 12:00 AM
私の愛車SL-500はBOSEのスピーカーです。
正直、BOSEのスピーカーはマニアにとってはやや・・・でした。
BOSE日本支社から、依頼がありました。
スタッフに言いました。
「BOSEのスピーカーは、やりたくないよ」って。
違いました。私への依頼は、
「日本にデザイナーなのに人工心臓をやっているらしい」、と。
日本支社長は阪大で医学系の教授たちとも会いたい、という依頼。
大阪大学附属病院の会議室で、ボーズ社の真実がプレゼンされ、
それは医療機器や振動抑制装置でした。
阪大はその装置導入にあたって、ボーズ氏来日講演を依頼。
しかし、彼の来日は高齢であり、スピーカーではないことを強調。
「彼はMITの学長候補を断り続けている」という話を伺いました。
スピーカーメーカーの利益は全て彼の研究資金であり、
万一、MIT学長になれば、その利益は大学に差し出すこと。
そのような話を聞き、スピーカーが世界的にヒットしたのは、
この日本であって、ボーズ=坊主のイメージ脱却の苦労話でした。
彼の教え子はすべて医療機器の研究者であり、
FDAの担当者は彼がリーダーだと教えられました。
やがて、そのスピーカーそのものも日本で生産されていました。
つい最近その生産を解消したことも知りました。
日本でボーズを成功させた社長も引退されましたが、
結局、その経営手腕はある大手の通信販売企業社長をしています。
それでも、私はボーズの超小型スピーカーをじっくり検証して、
当時、EIZOのたった400ccのエンクロージャーでの
f0を絶対に80MHzにする方法に苦しみました。
そこで、思い切って、ボーズ社の日本支社長に聞きました。
「本当は教えてあげられないけれど・・・」と言いながら、
そうなのか!、を知りました。
一度、米国に会いにいく約束を伝えてもらいました。
やはり、別れの時期が来るのです。
彼は逝きました。
参考になる超小型スピーカーをいただきました。
そのような出会いのあとにSL-500の音響は精度を上げました。
合掌。
Tags: BOSE, BOSE日本支社, EIZO, F0, FDA, MIT, SL-500, イメージ脱却, エンクロージャー, スタッフ, スピーカー, デザイナー, マニア, メーカー, リーダー, 人工心臓, 会議室, 依頼, 別れの時期, 医学系, 医療機器, 合掌, 大阪大学附属病院, 学長候補, 愛車, 担当者, 振動抑制装置, 教え子, 教授, 日本, 日本支社長, 来日講演, 生産, 研究者, 研究資金, 米国, 精度, 約束, 経営手腕, 苦労話, 超小型スピーカー, 通信販売, 阪大
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