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Posts Tagged ‘大阪’


『コンセプトからイノベーションは起こらない』


   


     3月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

「KK塾」は親友であり同僚、そして今や医学系研究科長の
澤教授にお願いしました。
おそらく、
TV医療ドラマでは有名な心筋の再生医療を知る機会だったはずです。
心臓移植では国際的な権威ですがそれこそ阪大の心臓外科医どころか
緊急医療医としても
医学界では相当の人間生死の現場で経験を持つ医師です。
ところが、
世界でそれも日本の最も慎重し過ぎる薬事法を
「ハートシート」適用させた教授です。
「ハートシート」は患者自身の腿の筋肉を培養して、
細胞シートを心筋シートにして患者の心臓に張り込むことで、
心臓移植どころか、心臓を再生させてきました。
この実績は
日本の薬事法を薬剤でもなく医療機器でもなく細胞シートを
日本の国内法に適用させてしまいました。
これは特に米国を刺激し、
今では世界中からメディカルツーリズムとして
阪大病院にての手術を可能にしています。
澤教授は、心臓外科医だけではなく、無論次世代の医師養成だけではなく、
大阪を中心とした「街づくり」の中心人物になっています。
私自身、私の心臓から身体は阪大にすべてを任せています。
工学研究科から私のミッションである「コンシリエンスデザイン講座」も
今では医学系研究科にて、医学・看護学・保健学、そしてその周辺から、
まだ発表待ちの医療機器、その動物実験、医療環境デザイナーなどは、
すでに、「コンセプトからのイノベーション」ではなく、
「ラインからのアライアンスイニシアティブ」として
やがて公表されることになることを狙っています。
「コンシリエンスデザイン」対「レジリエンスデザイン」は
まさにデザインの本質である発想は「コンセプト」からは逸脱しています。
「lineによってmagic balletなgigがgood vibes」になること。
「デザイン思考」がイノベーションを生み出すと勘違いしている
現代日本を変えます。
「コンシリエンスデザイン」だからこそ、
その実例を看医工学で実際例を紹介講演してもらいました。
生老病死をAIによるゲノムからの再生医療は
医療環境を超えて
新たな街づくりに向かっていることを知って貰ったと確信しています。


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『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


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『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』


   


     12月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

フランスのパリでは「非常事態宣言」を受けました。
が、「007・SPECTRE」試写会を観るために帰国。
これは外車ディーラーの主催で、
しかも新たなボンドカーが展示されました。
「007」映画シリーズは、おそらく私の生涯において、
何度も何度も見直し、しかも、シリーズのDVDまでいつでも観られる、
そんな状態にするほど大好きな映画です。
おそらく、スパイ、未来的ガジェットの武器や装備、ファッションです。
そしてなんといっても趣向を凝らしたボンドカーは、
とりわけ、工業デザイナーにとっては、たまらない魅力があります。
パリから大阪の試写会場映画館、そのデパートには、
ボンドカーが展示してあり、なんとも多くの人が写真を撮っていました。
だから、それほど近接して観ることができませんでした。
ところが、ディーラーのショップに呼び出されて行きました。
決してそういう場所には出かけないタイプの私ですが、
「じっくり、ボンドカー観られますよ」ということで、
出かけて、本当に触って全てを観て確認することができました。
007、ファッション、ボンドカー、未来的なガジェット様々は
男の夢の塊だと思っています。
正直、実は、試写会は時差ぼけもあったのか、途中で眠ってしまいました。
でも、どうせ何度でも観るからいいのですが、
今回初めてこの新作ボンドカーを専門家として、触って確認しました。
何と言っても風圧と車体曲線美の関係は側面から後部にかけての触感で、
「ああ、なるほど!」と納得することができました。
そして、SPECTRE用のこの車体デザインに活かされている曲面、
ハイライトラインから、この車種メーカーの拘りの確信を知りました。
この車体ラインを知ってから、それこそ、鉄道から車両全てで、
決して考慮されていない曲面カーブの極地を知った気がしています。
人生最期の車種はこのカーブで包まれているべきだと思いました。
私は、家具であれ、スーツであれ、靴であれ、掌中に感じ取る触感こそ、
造形美に取って不可欠と感じているだけに、この曲面カーブという性能こそ
求めきってようやく車体の機能美が、街の景観に溶け込むのだと思います。
ボンドカーによって進化してきた車のハイライトラインは
工業製品の技術表現だと思っています。


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『創造性そのものの自己開発を語る生田教授』


   


     12月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾2015」第二回目は東大大学院・先端科学技術開発センター教授の
生田幸士先生に、講師をお願いしました。
一昨年の「KK塾」でも講師をお願い、大阪で開催していましたが、
今年度からは大日本印刷の支援もありDNP五反田ビルで行っています。
生田教授とは親友であり、すでに20年近くお互いの研究開発を熟知。
出会いは、名古屋市立大学芸術工学部に「ロボット領域論」を必要とし、
彼がが名古屋大学教授時代からの付き合いです。
名古屋時代には、国立大学と公立大学の単位互換制度を最初に創りました。
どれほどの障害があったことでしょうか。
ところが今、
名古屋地区での国立大・公立大の単位互換制度は当然になっています。
どれほどの障害に二人が闘ってきたかは、
当時の障害を与えてきた周囲には全く未来が見えていませんでした。
今回は、生田教授が世界で最も小さなマイクロナノロボット、
それは血小板サイズの医療ロボットの話よりも、
創造性開発を、自分が高校生時代から身体化してきた経緯を中心に、
創造性開発の教育、その原理原則を講演していただきました。
特に、「ブームを追いかけることの無意味さ」には
聴衆の大きな賛同が具体的な実例紹介で明白になったようです。
これには、最先端でのロボット開発が目立っていることよりも、
学生への創造性開発、その教育実例を彼の出身高校時代から
留学時代、九州工業大学時代、名古屋大学、東京大学での
現在までの彼の教育手法が聴衆を引きつけました。
私も、彼の恩師であるロボット学者である森政弘先生の
それこそ遺言講座に引っ張り出されることがありますが、
それはロボットや工学ではなくて、宗教哲学からの創造性育成が中心です。
私たちは、お互いに電話をし合うと、長時間の会話になってしまいます。
今、東大では最もTV出演が最も多い教授だと思います。
彼には、ロボット学者ゆえ無論、鉄腕アトムがあり、
そのイラストは子どもたちを釘付けにしますが、
SF映画「ミクロの決死圏」を実現するのは、
彼のマイクロナノロボット開発です。
さらに、「化学IC」なども、今では3Dプリンターと言われていますが、
彼も私も光造形を日本では最初に、彼は光造形でマイクロナノ造形を行い、
私は人工臓器デザイン開発の創始者と言うことができるでしょう。
彼の余りにも膨大なプレゼン画面から、
私との対談はむしろ、会場からの質問にも応えてもらいました。


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『場踊りと言語舞台・「影向」によって』


   


     11月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

松岡正剛氏を介して田中泯氏と石原淋女史に出逢いました。
田中泯氏は故・土方巽の現代舞踊を引き継いだ人だと知ったのは
田中泯氏と知り合いになってからのことでした。
土方巽の暗黒舞踊とまで言われていたダンスというより、
あのパフォーマンスこそが演劇を進化させるものだと思ったのは
美大時代に現代芸術に興味を持っていた頃でした。
が、ダンスあるいはパフォーマンスが最重要だと知ったのは、
ミシガン州にあるクランブルックアカデミー校に講義に行った時、
ダンスというよりパフィーマンス学科が、
2Dデザイン学科、3Dデザイン学科と同列にあり、
演劇や舞台芸術をまさにデザイン革新するというのを
教えられて、その授業を観たときでした。
田中泯氏は一般的には、俳優として著名な人ですが、
石原淋女史との「場踊り」であり、
すでに舞踊家とも自称せず、松岡正剛氏と義兄弟的な存在でした。
そして、フラクターダンスとことば、身体と言語での
パフィーマンス舞台、その企画・戯曲を松岡正剛が記述し出演、
石原淋、宮沢りえの出演、田中泯の演出と出演、
そして山本耀司の衣装での舞台を観ることに招待されたのです。
スケジュールとしては、大阪から京都に入り、
ワイフがデザイン系私立大での非常勤講師の講義後に
上京、パルコ劇場に直行しました。
石原淋女史の完璧な車イスの私への劇場対応を受けて、
彼らの計算された舞台の革新性に圧倒されました。
何と言っても、「影向:ようごう」という言葉と身体、
その関係性でのパフォーマス舞台は、
私がすぐに取り組みを始めようとしていた「KK塾」と、
照明学会で特別講演をした「デジタルアッサンブラージュ」での
悩みとストレスに一条のそれこそ光線に陰影を与えてくれました。
「影向」というほぼ死語化されていることばは、
松岡正剛の膨大な知力と、そろそろ1600冊の書評知識と
田中泯の場踊り演出を、宮沢りえと石原淋によって演じられて、
現代性に蘇らせてしまっていたのです。
なぜ「影向」という言語であったのだろうかは、
私の「KK塾」で松岡正剛自身に語ってもらうつもりです。
私にとっては、日本の映像+照明+空調を
「影向」でもってデジタル表現化する立場なのだろうと
私自身への役割義務をいい聞かせることができました。
照明学会の講演準備で再々度精読していた「陰翳礼讃」への憧憬不足を
「影向」という蘇ってきた言葉と身体表現の革新的舞台で
私は強化されました。


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『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』


   


     11月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM

大阪・京都から東京パルコ劇場に直行しました。
友人たちの革新的なことばと場踊りを観劇したのです。
松岡正剛・田中泯・石原淋・宮沢りえ、「影向」yow gowを
新たなことばとパフォーマンスとして受け止めたまま、
いよいよ、翌々日、
「KK塾」を大日本印刷のDNP五反田ビル 1Fホールにて開催。
キックオフ講師は、
国際的イノベーター・濱口秀司氏を米国から迎えました。
イノベーターというより、私にはデザインとエンジニアリングでの
企画コンサルタント=テクノロジストであり、
私が大阪大学大学院・医学系研究科に開設した
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の育成目標人物です。
まず、私は前座で「コンシリエンスデザイン」を紹介して、
なぜ、濱口氏からかを紹介して、彼の講演を開始しました。
私は、最近、「デザイン思考」という、
スタンフォード大学のd.schoolとIDEOの手法論から
拝借しているデザイン論が、
デザイナーだけでなく一般的なイノベーション開発手法として、
東大のi.schoolでそのコピーが用いられていること。
また、イノベーションとは、提唱者であるシュンペンター自身が、
「革新」:コンバイネーション(独)「新結合」と呼び、
すなわち、私的にはコンシリエンスであることを説明しました。
シュンペンターのイノベーション=革新が、
共同的な発想で行えるコトへの大疑問や、
1927年・「社会階級論」が、結局は彼の予知どおりに
1929年の「世界大恐慌」につながったことなどから、
わが国の3.11復興策こそ、新たなコンシリエンスデザインです。
コンシリエンスも18世紀の造語であり、なおかつ対語的なレジリエンスが
決して、デザイン系大学教育には登場しないだけに、
まずは看医工学という提示とその教育成果こそ濱口秀司氏だと紹介し、
彼は約280枚のKeynote画面とホワイトボードで、
詳細な成功実例での方法論を懸命かつ賢明に講演していただきました。
DNPホールの現代ホール性能では、私も濱口氏もMacでKeynoteプレゼ、
これはおそらく初めて、映像と音楽を運用することができました。
よって、まだまだこのホールのPA音響から
コードマネージメント、さらには照明を変えることが可能です。
丁度、大日本印刷とは、「デジタルアッサンブラージュ」を進行中。
そしてこの大ヒントは、松岡正剛氏の「影向」が与えてくれました。
「KK塾」の今年度最終の講師は松岡正剛氏です。


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『アナログプレーヤーをAurexSY-λ88で試用』


   


     10月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

「Beogram9000」を持ち出してきてしまいました。
LPレコードプレーヤーもそろそろ断捨離の時期です。が、
私のオーディオコレクションから、
とうとうLPレコード再生をなんとしても私のシステムへと組み込みました。
「Beogram9000」のMMCカートリッジはもはや手に入りません。
最も、e-Bayなどでは中古品はありますが、
まだ、私のB&Oのカートリッジは、手入れがされていて大丈夫です。
ところが、このシステムにはフォノイコライザーが必要です。
そこで、気づいたのはAurexSY-λ88をプリアンプにして、
このプリアンプで、ともかくAmpzilla2000に直結しました。
AurexSY-88も試しましたし、AurexSY-λ88は万一、
部品用にというコレクションもありますし修理所も見つけています。
果たして、このシステムで稼働するのかどうかです。
フォノイコライザーならば、若かりし頃にこっそりと開発していて、
上司から隠し事で開発をしているだろうと言われたAurexのSZ-1000は、
コンデンサーカートリッジ用ですが、
電源オフ状態で、スルー回路が使えます。
正直、記憶は大分と消えていますが、私にはAmpzilla以前の
Godzilla記憶が鮮明にあります。
当時は、国内にたった2台しか
東芝が出張で買い求めていたのがあるにも関わらず、
国内のオーディオ雑誌に載っていて
Aurexエンジニア達は、これで当時の評論家に優劣を明確にしました。
私への指令は、SZ-1000は必ずGodzilla直結というものでした。
つまり、フォノイコライザーをプリアンプとしたなら、
PowerAMPはこれしかありえないという判断でした。
その結果がSY-77の開発につながり、SY-88の企画書を書きました。
SY-88が生まれたときに私は交通被災で入院していました。
当時、東芝のAurexはここまで開発をしていて儲かるわけがない、
そんな声が出始めていましたが、
そこにさらにもっと進化しSY-λ88でした。
私にとって、パワーアンプはアンプジラしかないのです。
幸い、大阪でのシステムは、Ampzilla2000です。
JBL4343にこれを2台というのは無謀でしたが、
200Wで自宅の音像システムは十分です。
この音像空間の中央で、例えばボーカリストは歌ってくれるのです。
ともかく、Beogram9000をAurexSY-λ88でのMCは、
見事な歌唱力、音響力を確認しました。
LPレコードプレーヤーを
自宅のオーディオシステムに入れることは決めました。
さて、これからが問題になります。
LPレコード再生はアナログの世界ですが、
すでに私の他のシステムはデジタルです。
この解答を自宅システムに取り入れることにしています。
当然、音像を確認する椅子はリートフェルトのデザインです。


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『今秋より『KK塾』を開催します』


   


     10月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

この秋より「KK塾」を東京で開催することになりました。
大阪大学大学院医学系研究科にて
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を開設し、
招聘教授の講演と私との対談でスタートします。
基本的には寄附講座ゆえに寄附企業関係を主体に
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」の目標と目的を説明し、
現在のデザイン思考やインクルーシブデザインなどの熟慮不足を紹介。
さらに、文科系+理科系に学術系+芸術系で、
次世代デザインへ展開します。
デザインがモノからコトへなど、結局、また大誤解を受けています。
しかもエンブレム問題でのデザインやアートディレクターの役割、
さらには、盗作問題も絡んできています。
問題解決・価値創出・未来創造がデザイン解答である、
ということさえ伝わっていません。
「デザイン思考」も大きな偏りがあって、問題解決の実務手法には
とてもいきついていないことが大きな気がかりになっています。
これまでのデザイン系大学では、
デザイン技能もPCやインターネットであり、
アナログ性とデジタル性も明確にはなっていないようです。
私自身も、阪大を一旦は退官して、特に、気候変動と感染症対策を
象徴的な3.11東日本大震災復興からも、
「危機管理デザイン工学」を目指してきましたが、
危機管理=リスクマネージメントでは、デザイン実務は無理と判断。
危険には起こってしまったクライシスと起こる可能性のリスクがあります。
その実務的な解決は、
危機=危険な機会とした危機解決には、
これからのデザインとしての実務=研究と開発をめざすために、
文理融合+学際化=コンシリエンスデザインこそ焦点化可能です。
これを「KK塾」として、まず、講座関係者から、
やがてデザイン界まで一般化し、
その研究・開発から実務実現事例を出していくつもりです。
これまでの「KK塾」は大阪でしたが、
東京で徐々に拡大化をしていきます。
講演者は、
大阪大学でも実務として「社会成果」を実現している教授、招聘教授を。
私はデザイナーとして、+デザインこそ、
次世代の真のデザインとして、
これまでのデザイン系大学の方向性を明確に変更させる覚悟です。


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『何がデザイン思考かは終わったのだ』


   


     10月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

デザインはエンブレム問題・盗作問題・Gマーク問題で
一般的な不信を背負ってしまいました。
これは未だにデザイン=問題解決の手法というより、
デコレーション・装飾性や付加価値性が強いからです。
一方では、「デザイン思考」これなどはスタンフォード大学からの
借り物に過ぎませんが、私はユニバーサルデザインを
米国から持ち込み、その定義を政府に提示した一人です。
しかし、ユニバーサルデザインも誤解され、
ヒューマンファクターデザイン:HFD、UXデザイン、
インクルーシブデザインなどの大勘違いを指摘しました。
そうして「デザイン思考」に行き着いたわけですが、
この借り物を「コンシリエンスデザイン」にしました。
根本は、March 11.2011東日本大震災から、
気候異変・感染症増大に対してのデザイン実務背景を整理しました。
これは文科系+理科系をさらに学術+芸術にして、
信頼学・価値学・保健学・防衛学を加えることで
安全・安心・防災・防犯へ。
デザインを危機=危険時を機会として
解決を図るデザイン実務文理学際学にすることが可能になります。
危機解決では、リスク:起こるであろう危険だけではなくて、
クライシス:起こってしまった危険との、両方の危険回避と解決を、
デザイン実務に向けるという論理的な図解も、
学術と芸術の学際はデザインに集約するという段階に至りました。
実際は大阪大学大学院の医学系研究科にこの寄附講座を設置して
後期からは私が授業をやり、社会的には「KK塾」を
霞ヶ関にある大阪大学の分校的な場所で講座を開設します。
講師は、私がすべてのとりまとめをしますが、
選び抜いた講師陣を配置することになっています。
「KK塾」は、以前は大阪で実施してきましたが、
どうしても東京でという
この要請が強いことや講師陣を東京にも拡大することができます。
「デザイン思考」が例えば、医工連携+デザインになってきましたが、
私が看医工学という、保健学がきわめて真の人間学、
それは環境化(人工:ロボットや情報と自然との調和ではない)に
最適であることをこの図解では、明確になっていると考えます。
当然にPKD=Peace-Keeping Designと「完全無菌」対「抗体保健」を
なんとしても3.11復興と気候異変+感染症防止に向ける開発は
年内には、「デジタルアッサンブラージュ」としての
機器装置からロボティックス情報環境づくりで
これがデザインであるという、
デザインと何らかの発想を大転換できると考えています。


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『ゴジラというアンプ思想はアンプジラ2000に継承』


   


     9月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

このところオーディオマニアで話題になっていることです。
GODZiLLAというパワーアンプの話です。
私が東芝で結局最後の仕事になってしまったSZ-1000という
エレクトレットコンデンサーカートリッジの
イコライザーアンプに直結した話にもどります。
理由は、私はオーディオの世界で社会人デザイナーになり、
おそらくありとあらゆるオーディオ機器は聴いたと断言できます。
正直、当時のアンプで,今も定評があるアンプは
私にはさほど大したことはありませんでした。
ある日、このイコライザーアンプはプリアンプなので、
パワーアンプを探していました。
そんな時、どこからか板金そのままで荒々しい、
とても商品とは言えないアンプが来ました。
一台は完全に分解されていましたが、
この時期にはトロイダルコイルの開発で国内メーカを、
探していました。電源部はトロイダルの話が蔓延していました。
それ以上に、荒々しいレタリングで素人が書き殴った
GODZiLLA:ゴジラは、日本の怪獣映画で、
パワー最大という印象がありました。
そのレタリングがシルク印刷されていてそれも焼き付けされていない程。
これはとても商品では無いと思いました。
当時この評価記事があったらしいのですがあり得ないと思っています。
なぜならこのアンプと鳴らすべきスピーカーシステムはJBLから独立して、
レッドツェペリンの後押しでできたメーカーで2名がAurex提携で来日。
私は磯子の音響工場で彼らと話して,彼らから来ないかと誘われました。
私はこのメーカーに企業留学を決めて交渉をしていました。
彼らから、このスピーカーシステムはJBLを超えるが、
それにはこのゴジラしかないと言われていました。
無論、このゴジラのアンプはアンプジラでした。
このスピーカーシステムを知っている人はまだ出会っていません。
しかし、ゴジラもアンプジラも製造物責任法が丁度できたのに、
使用者納得であり、製造物責任は今も放棄しないと使えません。
それは、このアンプで感電したり、
スピーカーシステムが破壊されたりしても「使う」ということです。
そして、ジェームズ・ボンジョルノの存在を知りました。
私は、SZ-1000は必ずこのアンプを繋いでならしていましたが、
表向きにはAurexのパワーアンプでした。
アンプジラ2000はようやく大阪に行ってから手にいれました。
しかし、そのためには整流器が当然必要であり、
電源コードもメディカルコードでなければなりませんし、
このアンプの下も本当は金素材ですが、
私はインド産の石材を使っています。
アンプジラ2000はジェームズ・ボンジョルノの最後の作品です。
彼はもう逝きました。
?


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