5月 4th, 2010 Posted 12:01 AM
形容
「容」。
かたち、としたのは立原正秋でした。
彼の文体は、まさに形体でした。
形体とは、立方体や四角錐といった規定ある形態です。
したがって、文体は、作者の規定という思念定義があるのです。
立原作品には、女性・庭・能・作庭・樹木・陶磁器・刀剣などへの造詣、
彼のの著作深度は、学者以上であったと思っています。
私が、樹木や作庭については、幼心に祖父の一言一言があり、
陶磁器・刀剣は、父に連れられていった道具商の市でした。
しかし、当時私はそうしたモノは傍観していただけです。
「きれいだな」と思う程度でした。
それから、美大を出てようやく気づきました。
伝統工芸の産地と先祖の書き残してあった図面で、
私は、これらのモノと日本人について考えることになったのです。
それは年齢とともに、蓄積されてきた知識や感受性に深みが
やっと出てくれたのだと思いたいわけです。
綺麗
そして、ひとまず、日本的そうしたモノが「きれいだ」と思うこと。
この「きれい」という言葉と「美しい」との距離感に私が放置されたのです。
それは絶対に一直線上にあるものではないということです。
なぜならば、
● きれい・・・形容動詞
● 美しい・・・・形容詞
すでに、言葉の領域、その次元がいわば異次元だということです。
しかし、たとえば女性たちが望む「きれいになりたい」欲望は、
「きれい」になることから「うつくしい」、
あるいは「かわいい」次元に
ワープ=超光速航法を切望するということです。
はかない夢想だと、私は思います。無論大切なことですが。
トランスレート
むしろ、「綺麗」から「美」へトランスレートすることが論理性があります。
なぜなら、綺麗という形容動詞はネットワーク層があるのです。
ところが、その層からトランスレートすれば、
「綺麗になる・綺麗にする」動作の蓄積が
「美」という層へ運びこんでくれるでしょう。
「形容動詞が形容詞になる=綺麗が美になる」述語解です。
私のこのまなざしでは、決して、日本の伝統ですら、
「綺麗」なモノやコトで終わっているのは、
「美しい」とは言い切れません。
Media Integrationへは、形容動詞から形容詞として、
「形容」の世界観を、私はめざしたいと考えています。
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5月 3rd, 2010 Posted 2:27 AM
容
「容」を「かたち」と、
ふりがなをつけて表現した作家に浸りきっていた時期がありました。
容姿や容貌という字形文字につながる漢字です。
欲の対語とも言われ、「空」のごとく空っぽにも関わらず、
容量という、中にものを入れるゆとりや、
「刀を容(い)れざるなり」など、
着物姿の女性を「美しく」表現するために、
その作家は当て文字にしていました。
デザインするモノの姿は、
容姿、容貌が「美しく」あってほしいという
私なりの願望を私もこの漢字に託したのです。
命題から述語へ
さて、「デザインとは何か」とか、
「自分とは何者か」というのは、命題への問いかけです。
しかし、今や、情報としてモノは、その姿=容を外観化しています。
それは、外観から命題へという傾向があります。
私は、「述語論理」に価値観が集中し始めている時代、
ということを述べてきました。
おそらく、「資本主義とは何か」とか「民主主義とは何か」、
これらも、世界中が、
命題論理に時代も社会もひたすら懸命だったのかも知れません。
私は「容」という漢字で、
モノの容(かたち)=Mediaがデザインである、
とひとまず言い放ってしまう述語的思考から、
integretionへと向かうものと考えます。
これまで記載してきたことに連続させれば、
「内容」がかたち=形態から形式になるから、
それをデザインと呼びます、ということです。
アンチテンション
私の代表的な製品アイテムに「メガネフレーム」があります。
20世紀最後に、
「アンチテンション」という「容」を商品化しました。
「メガネとは何か」という命題を離れたのです。
「アンチテンションがメガネである」という
述語的なデザインをしました。
アンチテンションというのは、
レンズにフレームの歪みを与えないこと、
だから、瞳孔距離を変えてきてしまった「形式」を
変貌させた容貌にしました。
そして、今ではレンズにテンプルを拡げても歪みを与えない
「形式」=「形態」がフレームメーカーでは、
重要なアイテムになっています。
メガネフレームはMediaであり、Toolでもあります。
そして、何がメガネフレーム「容・かたち」となっているかは、
レンズに常に与えていたテンション=ストレスを
解放するという述語的概念に
デザインを与えてきたことだと確信しています。
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5月 2nd, 2010 Posted 9:00 AM
Tags: TV, かたち, スイッチ, 内容, 存在, 川崎和男のデザイン金言, 放送, 消去, 空間, 製品, 製品のかたち
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4月 28th, 2010 Posted 1:45 AM
手は起電力を!
フレミングの法則が「指先の向き」だったのは奇跡的な発見でした。
私は、手と指先には、発電装置があると言い続けてきました。
ますますその気持ちは強まっています。
美大で徹底的にデッサン、
それも工業デザインのスケッチトレーニングでした。
東芝の実習=これはデザイナー採用入試ですが、
当時、他大学よりもスケッチは絶対に自分が巧いと思っていました。
ところが入社して、「レンダリングに」と指示されて、提出したら、
「ラフ・スケッチ(レンダリングの下書きの下書き)ではなくレンダだよ!」
と窘められて、『どうすりゃいいんだ』という思い出があります。
スケッチ作法
40年もデザインのためのスケッチを描いてきました。
それは、頭の中がまったく空っぽで、何も考えていなくても、
「手を動かせば」→脳内に「かたち」が浮かび上がってきます。
だから、「創造力」は、「手」あるいは「指先」で何かに集中していると、
必ず「かたち=形態」が生まれます。
だから、私は「手」は起電力装置だと思っています。
「手」をともかく動かすのです。
これまで、様々なスケッチブックを使ってきましたが、
今は、「モレスキン・ジャパニーズタイプ」と
ボールペンのB黒を使っています。
そして、そのスケッチに色鉛筆、最近はステッドラーに限定していて、
このスケッチに着彩をします。
一冊いっぱいになったら、ワイフに渡して、
また新しいスケッチブックを渡してもらっています。
これまでどれだけのスケッチブックを試してきたことでしょうか。
やっとこのスケッチ作法に落ち着きました。
鉛筆などは、最期までの使い方は35年使い方は定まっています。
ボールペンは、スケッチのためにあらゆるブランドを使ってきましたし、
今なお収集が趣味になっています。
それは、自分の「手」という発電装置を
常にピカピカにしておくためです。
そして、右手・左手いづれでもスケッチを描き、
ここ2年ほどは、「ペン回し」をしながら、描いています。
なんだか、「ペン回し」をすればするほど、
起電力が大きくなるという気分になれるからです。
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4月 12th, 2010 Posted 12:01 AM
kawaii
「かわいい」という日本語はすでにkawaiiという世界語。
kawaiiは、日本文化として世界の若者に発信できる文化語です。
私はこれは素晴らしいことだと評価してます。
しかし、「かわいい」を
designしかもappropriationに結びつけることに意義があります。
まず、「かわいい」の意味を吟味しておくべきでしょう。
「か」という接頭語は「蚊」という生物名からも、「小ささ」を表します。
「川」すら、小さな「水分や渦」+わ「和」=大きさです。
幼さや小さなものへのいとしさが形容詞になっていることです。
愛らしさや愛らしいこと、愛情をもって大切にしたり、
殊勝さから、労しさ、痛々しさなど不憫さや可哀想だ
という形容動詞にまで連続している感情用語だということです。
この感情用語であることに、
まず、評価言葉としての不安定さを認めておくべきだと思います。
なぜならば、感情用語というのは、
感性を陰陽学でいうところの「陰」の世界観があるからです。
感情を単純に言い直すと、
「感性にドロドロとした汚れが流れ込んでくる現象」という解釈があります。
感情がきわまるというのは心が哀しみや怒りという理性では
留めようもないことが流れ込んでいっぱいになることです。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しい」という、
ジェームス・ラング説があります。
不気味の谷・論
だから、「かわいい」という愛しさと悲しみには
連鎖性が心理的にあるということです。
ロボット表情学として、私の学生が修士論文で分析した、
「笑っている表情」、
その分析には、「怒りから悲しみ」が見事に分析され、
いわゆる、ロボット学での「不気味の谷論」をさらに詳細化しました。
私は、「かわいい、かわゆーい」というモノを所有する意識根底には、
「自分顕示」の置換性、転用性が起こります。
さて、私はこのことを非難しているわけではありません。
本質論としてのアブダクション的なデザイン面を語り切る論理が、
この「かわいい」から「きれい(形容動詞)」、
そして「美しい」へという手続きを明確にしたいからです。
ところが、この手続きやアブダクション性を転用するのに、
「盗用性」が加われば、これはさらに強化されることは明白です。
この「盗用的表現」+「かわいい」=欲望の刺激強化です。
そのことを私は指摘しておきたいと考えます。
無論のこと、私自身、キティちゃんからドラエもんまで、
「かわいい」と言われるアイコン性は、
日常への愛しさの反射対照性として容認し、
かつ、私自身がまず大好きです。
しかし、プロのデザイナーとして、
どこまで「かわいい」と「盗用と思われる表現」、
その隔絶性と融合性の線引きは、職能義務と考えています。
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4月 11th, 2010 Posted 12:01 AM
応用美術
DesignがArtの応用にすぎない、という見解があります。
あるいは応用美術という歴史上でデザインが存在してきた、
この解説も、ほとんどのデザイナーは熟知しています。
私自身も、美大の産業美術学科という領域で、学びました。
したがって、特に、現代美術の様々な展開や、
歴史的な事件は、デザイナーの基礎知識として重要です。
この現代美術、現代アートとデザインとの境界には、
大きな戸惑いや、アートとデザインの融合性を確認する、
そんな事態は常に発生していることは認めています。
しかし、問題は、
Designが職能として、「かたち=外観づくり」だけ、
そんな印象が今なお強烈に有る、いや残っているのです。
私も、デザインは「かたち」に終結するが、
「かたち」と言っても、「形式」や「制度」、「システム」、
しかも「インタンジブル」な設計や戦略や策略と連呼してきました。
「欲望の刺激装置」
歴史的に見れば、
確実に「欲望を刺激する外観創成」だったことは否めません。
ところが、
さらに、いわゆる商品形態の区別化を
「商品の差別化という付加価値論」に呪縛されてきました。
そこで、「盗用」です。
「盗用」という言葉は、反倫理性がありますが、
この反倫理性を滑稽さやパロディで回避し、
判断停止を意図した芸術が登場しました。1919年代です。
無論、それ以前も、「表現の多様性」として、
生まれたきたのが、マルセル・デュシャンやアンディ・ウォーホルによる、
強力な引用性のさらに複製化ということでの著作権への抵抗です。
L.H.O.O.Q.
デュシャンのL.H.O.O.Q.という作品がもっともその事例でした。
確実な著作権という制度に対する表現性の確立でした。
「モナリザ」は万人が知っている絵画、アイコンです。
このモナリザに髭を書き込みました。当然、複製のはがきに書き込んだのです。
それが話題になると、今度は「髭の無いモナリザ」です。
初めからモナリザには髭がなかったのですから、
創作性を引用=(盗用)パロディ化し、また元に戻すことで、
その創作性への思考停止、制度混乱を意図しました。
伝統的となってしまったアイコンの複製での意識操作や
作品への新たな鑑賞方法を破壊して、これが革新的アートだと主張しました。
さて、私は、応用美術であるデザインが唯一、
「かたち創出職能」=「購買刺激装置という付加価値」へ閉じ込めたことは、
デザインにとってその本質性を失わせたことだったと判断しています。
そして最近は、実質のモノのかたち=アイコン性だけを引用、
というより盗用しているにも関わらずデザインの自由性の謳歌、
この流行、氾濫、さらには正当なデザインという主張を見ます。
盗用は破壊を作動する
それがデザインの多様性であり、それはデザインの否定によるデザイン、
すなわち「面白い発想」という評価にデザインが対象化されることは、
デザインの本質性を破棄し、破壊したものと考えます。
しかし、この判断には私自身も、「盗用か引用か」、
という曖昧性の判断停止が起こっていることは認めなければなりません。
もっとも端的には、ロボットなどのヒューマノイド系、
それはSFでも登場する人間クローンがロボットというのは、
借用・引用・盗用なのかという問題解決は、
緊急な解答が必要となっていることです。
しかも、もっと大きくて深刻な問題は、
デザイナーに「Appropriation」という芸術史での事件を読み込むことなく、
「差別化のために創造表現という勘違い盗用」をしていることが問題です。
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Posted in 022「Appropriation」, 資本主義から逃走せよ!
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4月 8th, 2010 Posted 12:01 AM
Material
アルファベットは、表音文字と言われています。
しかし、これは正しくはありません。
ヒエログラフから派生した象形からの歴史性をもっています。
したがって、このMが最も端的にその意味性は、
「m」という小文字のアルファベットに象形的意味があります。
m
上部の形は、「波」表面の形です。
ここからおおよそ、海・羊水・振動という原意につながります。
Maritime=海は、umi=umuという「生む」ことです。
umu=umiはシュメール語・サンスクリット語に同等同値です。
なんだか、怖くなるほどの意味性がアルファベットに存在しています。
Mother=母、その羊水、そして振動=Musicに展開し、
Matetial=素材というところまでの言葉の拡大は意味性が、
見事なまでに、世界要素になっていることです。
私は、素材=MaterialがMotherであり、
素材が生み出していく、ひとつが「かたち」だと思っています。
そして、素材の「素」からも、
あるいは「振動」からも、かたちの源である素材を求めます。
これはすでに私の慣習にもなっています。
常に、何かモノのデザインでは、「素材」へ回帰し帰着します。
かたちの母だと考えることが出来るからです。
「素材」が生み出してくれる具体性が「形態=かたち」であり、
「素材」の「素」には簡素・簡潔・清潔を抽象性として、
明確に手に入れたいと考えるわけです。
だから、デザインの母として、造形を生み出してくれるのは、
「素材」です。
この40年にわたってデザインしてきたモノには、
必ず「M」がありました。
Mono、というのは言い過ぎでしょう。
私のモノは人工物です。
物は、生物・動物・大きな牛が日本の古代からの定義でした。
羊から始まる美・義・善という古代中国(説文)ではありません。
むしろ、素材の簡素な清潔性に美を見つけ出すことだった気がしています。
「素材」は、やはり、かたちの母なのです。
Mother
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4月 6th, 2010 Posted 7:40 PM
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3月 31st, 2010 Posted 9:30 AM
3月31日 大安(庚辰)
風貌と容姿では
美しさを語る位置づけが変化する。
見てくれの様態が
風貌となるか
容姿となるかの差異は、
「かたち」を語る上では、
重要なポイントになる。
『デザインは言語道断』容姿
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3月 31st, 2010 Posted 1:40 AM
「物質」・「情報」・「エネルギー」
いきなりの世界観を提言します。
それは「物質」・「情報」・「エネルギー」が世界構成因です。
この明快なアイテムは今世紀と共時する私の確信です。
ようやく、私がデザイン対象とするモノをすべて、
これらのアイテムに包含しながら、
再度、「物質とは何か」という問いかけの変更を重ねました。
それは「何が、物質か?」ということへ、
デザイン対象を入れ直すということでした。
「物質」というのは、私には自然物ではなく、
人工物=モノと必ずカタカナ表記する物の性質性の存在です。
性質=物性の質(たち)という言葉の定義仮説を用います。
この仮説は、物性・対・物理の差異性と同値性・同質性です。
つまり、差異性を仮説化し、
同値性、それは「質・たち=性質」の価値感と、
同質性という「性質の機能性」という性能性です。
上記は、同値性・対・同質性ですから、
論理的には、物性学と物理学でそれらの背景を与えられます。
もっと短絡的に言い切れば、性能という具体性を、
理学的な抽象性をモデル化するということになります。
モデル化するというのは、記号的な処理=数理学に配置する、
そんな作業になるでしょう。
何が物質か?
仮説化という冒頭にもどれば、
「何が物質=人工的なモノ」か?という仮説は、
人工物質=モノの性能価値が「物質」になるでしょう、
ということです。
極めて自分勝手で、読み手理解を無視していますが、
それは、私がデザイン対象とする人工物質=モノ、
すなわち、自分だけの定義にしているからです。
仮説の連続性
この仮説が、何を次に定義化していくかというのは、
「何が情報=コトとなり、コトの機能性」も、
デザイン対象にすることができるのだろうか。
「何がエネルギー=源となり、源の効能性」を
デザイン対象にすることができるのだろうか。
この二つのテーゼに、
物質=人工物質=モノからつないでいく連続性を考えるためです。
デザイナーとして、常にモノの形態=かたちを想像します。
想像の中で、モノの存在を「かたち」とするとき、
その「かたち」の「たち=質」に「かち=価値」を与えたいのです。
その連続性に、「情報」・「エネルギー」を対象化する
デザインには何が可能だろうか、という仮説化です。
この仮説化が、
イノベーションをデザインするという確信を持ちたいのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, アイテム, イノベーション, エネルギー, エネルギー=源, かたち, かち=価値, コトの機能性, たち=質, デザイン, デザイン対象, モデル化, モノの存在, モノの形態, 人工物, 人工物質, 仮説の連続性, 仮説化, 何が、物質か, 価値感覚, 具体性, 処理, 同質性, 差異性, 性能性, 性質, 性質の機能性, 情報, 情報=コト, 抽象性, 数理学, 物性学, 物理学, 物質, 物質とは何か, 理学的, 背景, 記号的
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