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Posts Tagged ‘CG’


「なつかしい三冊の本、そこにクラインボトルあり」


   


     7月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

名古屋から大阪に来るときに、
蔵書をどうしようかと迷いました。
恩師に相談したら、
「大学人でいる間は、選び直した書籍だけは持っていなさい」
ということで、雑誌の類は整理をして大阪に運び込みました。
しかし、すべてを地下に、
車一台と蔵書を壁にびっしりと格納することができました。
そして絶対に自宅内には必要な読んでいるだけの本にしましたが、
もはや、自宅内にも本があふれ出してきました。
「自炊」もできる限りしています。
車で外出すると、必ずガレージ内の本を眺めます。
そうしたら、光造形関連の本棚にこの三冊を見つけました。
米国でようやくCGにNatural Phenomenaがスタートしていました。
1987,8年頃だと思います。
Natural Phenomenaというのは、
火が燃えている、水が水しぶきや水滴、
夕焼けなどの動画作成手法のことです。
その時、私はプリンストン大学研究の「光造形歯車」の実物を見ました。
ショックでした。
私の予感は、これが必ず「立体=3D」になると思ったのです。
1990年には3D-CADと光造形システムが登場しました。
なんといっても、その時に「トポロジー」の代表例として、
「クラインボトル(無論・想像上の擬似形態)」を見つけました。
そして、これをやるなら相当高額な光造形システムが必要になるわけです。
そんな時に、名古屋市立大学に芸術工学部が新設されて、
私はその大学の新設委員となって、
1996年、大学人になりました。
名古屋市は、このシステムをそろえていただきました。
日本で最高の設備を使うことになり、
当時の3D-CADは4種類しかありませんでしたが、
それらを駆使して、私なりの「クラインボトル」が出来上がり、
New Yorkでの「Science & Design」を友人達がソーホーで企画発表、
そのまま、フィラデルフィア大学でプレゼンテーションとなったわけです。
トポロジー・形態論・空間論は一直線に
「人工臓器」につながっていきました。
結局、蔵書は増殖するばかりですが、
そろそろ整理の時期になったようです。


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「荒唐無稽さと完全無欠さなら『ゴルゴ13』でしょう」


   


     4月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

ここではデザインをテーマにして書いていますが、
ワイフから禁じられている分野が多少あります。
スタッフや学生達は知っていますが、
ただでさえ、「過激派」とか「怖い」とか言われてきましたから、
ホビーやコレクションでも、公開するにはヤバイ分野がありますが、
これもデザインする上ではとても参考になることが多いのです。
さて連休ゆえ、どうしてもまた読みたくなってコンビニで買い求め、
「やらないといけないこと、いっぱい」なのですが、
読み直して、この作品の仕立てと見立てに男の子としては惚れ惚れします。
何も評論を書きたいわけではありません。
漫画という表現形式の基本でありアナログ世界観に安心します。
そしてストーリー展開は「荒唐無稽」ですが、
主人公の完全無欠ぶりには、
やはりこれぞ「プロフェッショナル」が満ち溢れています。
ただ、私なりの銃器評価においては厳密に、
やや性能と機能の違和感があることはそのマニアとして意見を残します。
しかし、そのプロフェッショナル性が、
道具・機器・装置への性能と機能が見事に関連、
これには大きな敬意があります。
この徹底した性能への機能的なユーザビリティの成果が、
「荒唐無稽さ」を解消してくれています。
この解消の上に「完全無欠」のストーリーが成立しているのです。
最近の映画では、「ミッション:インポッシブル」が最も、
ゴルゴ13的な完全無比なストーリー性がありました。
「ブラック&ホワイト」のアクション展開も
つながっているように思います。
どうしても現代はCGでの演出性に頼りがちな映画表現にどっぷりです。
B/Wのペン描き・コマ割表現で、ストーリー表現に埋没できることでは、
この漫画がこれだけロングセラーになっていることでは
最高の表現でしょう。
いわば、「コンテンツ・コンテクスト」での荒唐無稽さは、
不可能な想像力=荒唐無稽さを、
完全に実現する「完全無比」=創造力になるプロセスと成果は、
ビジネス的にも引用できることがありすぎると思っています。
漫画はその描画性に、自分のスケッチが引きずられると、
デザイン=造形ラインから現実性を失うと思っていますから、
ほとんど読みません。
絶対に自分のラインが
大きな影響を受けてしまうことを知っているからです。
ともかくもう一度徹底的に、
「荒唐無稽」から「完全無欠」の投機効果を
再学習してみたいと思っている次第です。

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「ロボット・『踊』の意図すること」


   


     4月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

私のロボットデザインは「舞」から始まりました。
それは、「形態論+身体論」=Nomenclatorです。
哲学者・中村雄二郎先生の明確な方向づけがあったからでした。
したがって、あの「不気味の谷」に落ち込んでいる多数のロボットから、
確実に離脱することができたと自負しています。
ロボット学者や企業ロボットが
最も見失っていることを具現化できるのです。
すでに遺産的なアシモフのロボット原則もさることながら、
J・ボードリヤールの次の指摘も乗りこえていると自己評価しています。
「もしもロボットが、
機械的な人工補綴というその性質を
はっきりと示していれば、
それはまったく「安全な状態で魅力」を発揮するためである。」
さらに、
「もしもロボットが、
行動の柔軟さというところまで人間の分身であれば、
それは「不安」を呼び起こすだろう。」
そして、二本足より確実な四輪・四つ足で、階段を上り、
飛び超す動作体系を目的化したデザインです。
そして、「表情化の実現」です。
これにはまだまだロボット設計学の進化を待たなければならないでしょう。
ヒューマノイド的なまさに人間の「顔」からの離脱が
当然でなければなりません。
そして、ヒューマン・ロボット・インタラクションという学域が
これから構築されていくことを「意図」して、
CGでそのデザイン設計に至りました。
「舞」は足裏を見せませんが、
「踊」は、足裏をまさしく小躍りして見せることになります。
安全+安心、
つまりまず安全であることを確約することで安心できるというのは、
スポーツの型のようなことです。
「受け身」という型をマスターするとか、
「準備体操」を十分にしてということが物語っています。
安心+安全は、
小動物のごとくまったく攻撃はしてこない「かわいさ」です。
かわいさという安心が成り立ってから、
その行動体系で安全が確保されていることを意味しています。
「舞」も「踊」も、「表情」でのかわいさが的確に、
人間とロボットとの相互性を保全できればいいというのが、
私の基礎学的なデザイン意図ということです。
ただ、まだこの「踊」にはメカノイド的な印象が残っています。
その改良と改善がいまだに私のテーマです。

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「プラチナ・ミラーリングのティーカップ」


   


     3月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

有田焼はこの2年研究をしてきました。
それは日本の陶磁器産地、その現状をしっかりと確認したことになります。
コーヒーカップの製品化を、
今度はティーカップにも新たな展開デザインを試みた結果、
Platinum Morphological Reflectionという手法で、
基本的な3パターンを押さえました。
ドット・ストライプ・チェックというグラフィックです。
そして、PMRはAnamorphosis的にどこまで可能かを追い求めました。
コーヒーカップもソーサーのグラフィックが
ミラーリング的に反射効果をしますが、
ティーカップは、曲面や曲率から、
正当な反射になるようにするためには実験をしました。
結果、デザイン設計として産地にグラフィックも提供し、
その基本となる釉薬から焼成での平滑度を
製陶工程に組み込むことがやっと出来ました。
講演前夜にその確認をするということになりましたが、
もし、私なりの評価が私の基準に達しなければ、
産地側にも決断をしなければと思っていましたが、
デザイン仕様どおりにモデルは完成していました。
そこで、詳細な工程も含めて講演内容に、
PMR-Methodの話を盛り込むことが出来ました。
その夜はうれしくてうれしくてたまりませんでした。
しかも宿泊したのが「嬉野温泉」でした。
まさしく地名どおりに
「お湯につかれてウレシーノ」を実感した次第です。
有田と伊万里は磁器産地であり、唐津は陶器産地です。
三つの産地の現在の商品価値は、国内外と比較して見てきました。
これは今後、
日本の陶磁器産地すべてに共通する問題を私なりに提案し、
なおかつ国内各産地毎の解決を求めたいと思っています
CGで見ていただければ納得してもらえると思いますが、
多分、この手法を模倣することは困難です。
そして、
陶磁器業界も模倣を繰り返すことで発展してきたはずですが、
私の判断評価は、
この400年ほど「陶磁器産業の高密度化」は停止していたと思います。
絶対に「革新」がかなった商品開発ができたと自負しています。
まだ次々と革新的な手法を国内、特に有田から出発させる覚悟です。

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『資本主義からの逃走』
「コスメティックデザインという印象を抹消!」


   


     2月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインへの質問は収束している!
講演会でのデザインに対する質問は、
これまでの私の経験では、必ずあることに収束します。
● それは、「機能美」=機能的なことは不可欠でしょう。
● デザインはやはり「かたち」を創るんでしょう。
● しかも「格好いいこと」は機能的だからでしょう。
● その代表製品アイテムに「車のデザイン」。
● カーデザインや、ファッションデザインでわかります
● 最近では、エコデザイン、ユニバーサルデザインなどまで
踏み込んで来られる方々に、すべて「一理」あります。
したがって、私が医学博士であることや、
私が、経営から人工臓器、原子力工学の再構築、
さらには時として、
「危険物」(書けませんが)までが対象と言うのですから、
ある意味ではデザイン意味への「混乱」を
十分に与えていると自覚しています。

フランスの若いデザイナーで、
すこぶる優秀で医療ロボットや医療系抜群の子がいました。
私は、「あなたのこの素晴らしい提案はどこで見せてる?」
と、聞いたとき、
世界的にもデザインイベント最大のショーで、
と答えてくれました。
そこには、いわゆるスターデザイナーのデザインが、
デザインの核心を表現している!という大誤解があるのです。
「観衆は、興味を持ってくれる?」
「全く、全然駄目です」と。
私はすこぶる納得しました。
「食べていける?」、「全く、苦しい」。
私は断言して励まします。
大衆はついてきていないから・・・でも必ず、
「君の提案が最もデザインだよ!」と言います。
が、哀しくなります。
批判と非難を承知で書き残します。
カーデザインは
コスメティックデザインの象徴!
カーデザインを目指す学生に言います。
「車は空を飛ばないし、人を殺す」。
だから、アシモが生まれました。
航空工学や宇宙工学をやってほしい。
エコを越えるデザインのためのことや、
地球物理から生物工学をマスターしてほしい。
造船をやってほしい。
ロケットをやってほしい。
人工臓器の世界に入ってきてほしい。
もう家具や照明器具、カーデザイン程度を超えてほしい。
「それらはすでに、コスメティックデザイン」に、
成り果てているのです。
CGや3D-CAD以上のツールをデザイナーが、
すでに開発する時期が来ています。
デザイナーは、さらに「未来学」を先取りするべきです。


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『資本主義からの逃走』
 「色彩感覚とCAD感覚・05」


   


     1月 23rd, 2010  Posted 6:00 AM

Claris CAD
ALIAS本社でのCGトレーニングと同時に、
私はパソコンをデザインツールにすることに没頭。
2D-CADを追いかけていました。
最初に福井キヤノン社長=高校時代親友が、
Canonのパソコンを持ち込み、
プロッターまでそろえてくれました。
だから、当時は、相当高額だった「ワープロ」まで、
彼は提供してくれました。
結局「Claris CAD perfect manual」を上梓するまで、
のめり込んでいたのです。
この本はすでに廃刊ですが、
日本で最初のCAD教則本であり、
当時のパソコンCADについて米日での私の比較論を
書き上げていると思います。
なにしろ、MS-DOSからMacでの2D-CADは、
私を3D-CADに、
今では4D-CAD開発にまでいたっているのです。
1984年のMacintosh以来、ズーッとMacですから、
一時期は、NeXTSTEPもありましたが、
Mac OS Xになって、EWSのUNIXも、
私の体験の中で培われたのだと思います。
今、bit世界に、「点・線・面」思考も、
bit色彩感覚論も、
私のデザイン手法を再構築し直してくれました。
よく、「コンピューターでデザインが変になった」、
とか言われる方々がおられますが、
それは「まったく間違っています」。
コンピューターに向かえば向かうほど、
そしてコンピューターでの限界を知り尽くせば、
「本来のデザイン」を二つの視点から捉え直すのです。
その結果が、
私が「手描きスケッチ」の重要さを主張するわけです。


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『資本主義からの逃走』
 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・03」


   


     1月 21st, 2010  Posted 1:00 AM

MacWorld
SIGGRAPH
米国では、まずMacWorld(見本市)、
そしてSIGGRAPH(学会)に何もわからず、
ほとんど物見遊山感覚で出かけました。
1985年から毎年、夏と冬に出かければ、
車倚子で日本人、すぐに質問する人物として、
多少目立つようになっていたのでしょう。
ところが
帰国すると、日本はNECの98シリーズが、
圧倒的なパソコン社会になっていました。
この頃から、
日本のデジタル時代は良くいえば独自性、
悪くいえば、
このままでは必ず取り残されていく、
という予感が疼き始めました。
その感覚は現在、確実に明確なものになっています。
つまり、わが国は「まったくBit社会・Bit資本」は、
未だに見えていないと考えています。

ニュージャージーにALIASというCG会社のブランチを
訪ねたことがありました。
ちょうど米国のデザイン誌に私の名前と作品が、
掲載されるようになっていたので、
それだけが「自分を紹介」する手立てでした。

もう一つは、まさにバブル直前であり、
福井銀行がNew York支店を開設直後でした。
だから経済的な支援は「福井の情報化」ということを、
大儀として福井市の青年会議所へ提案していたので、
「IRIS 3030」を直談判で発注しました。
7000万円でした。相手もとてもびっくりしてました。
国内ではこの2倍だったのです。
そうしたら、
「君は、初めてやってきたクリエーターだから、
2台持っていっていい。日本は商社マンばかりで、
本当に我々のめざしていることが分かってはいない。
だから、カナダ本社でトレーニングを受けないか」、
という申し出を受けました。
私は、翌夏からトロントにて、CGの基本をUNIXで
学ぶようになったのです。
bit感覚の衝撃
そこでまず、
「色彩」表現のbit感覚に衝撃を受け、
デザイン世界に「ツール化」していくだろう予測は、
確実なことになっていきました。


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11月13日Staff Blog


   


     11月 13th, 2009  Posted 9:40 AM

11月13日

音の世界同様に、映像にもこだわる
BOSS(川崎和男)。
DVDで、音質と画質のチェック。
以前は、「海の上のピアニスト」の
ピアノと、CGのタバコの煙のシーンを
よく使っていました。
BOSSは、気にいったDVDは、
何度も何度も観て、細部まで鑑賞されます。
5.1chの臨場感は、ものスゴイです。
091112dvd1

そして、このシリーズ!! 007です。
もちろんストーリーを彩るボンドの
着こなし、車、Qから提供される道具と、
見所満載です。
BOSS(川崎和男)の眼鏡をかけた
登場人物もいたとか。
091112dvd2


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