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Posts Tagged ‘貿易立国’


『資本主義からの逃走』
  「『光の道』が立国具体の手法とは思えない」


   


     12月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

Fiber To The Home
当然ながら名称を変えることが前提。
光をシンボル化するのでは20年前に戻ります。
この光は、インターネットへの通信にすぎません。
インターネットへの期待感が大きすぎます。
FTTH=Fiber To The Homeというシンプルさは納得できます。
そして、光ファイバーが全家庭にというのは、
通信ブロバイダー企業だから、ここに焦点化している提案だとしか私には思えないのです。
だから、そのFTTHで「IT立国」が日本の今後の道とは思えません。
ともかく、ITという「情報技術」の認識から解放されていないことです。
わが国は、「貿易立国」であり、「モノづくり立国」であり、
そのためにITを利用することは当たり前のことですが、そのための構想が欠落しています。
クラウドタイプ
「コンクリートの道」を「光の道」という発想や、
「教育クラウド」・「医療クラウド」程度の形式と内容が、
全世帯FTTH方式というだけの「具体技術」では、
現行のNTTやDoCoMoのようないわば官民的な企業能力ですら理解しすぎているので、
この発想に賛同をしていないことはよくわかります。
なぜ賛同もしていないのでしょうか。
その理由は、現行の制度革新への積極性など、こうした官民企業の意識には皆無だからです。
私の提案は、まず、ハードの開発です。
そのハードとソフト、ソフトからのハード開発が必至です。
もちろん、「教育クラウド」と「医療クラウド」の実現は緊急課題であることには大賛成ですが、
その上部に「行政クラウド」・「防衛クラウド」・「治安クラウド」、
つまり「日本国家グランドクラウド」が無ければなりません。
確かに、Smart-Phoneが、ケータイ以上の「社会的で多様な機能性」を経験し、
さらにはiPadの性能性、この二つの効能性を知ったからこその発想に過ぎないと思います。
もっと、重大なことは「情報」・「コミュニケーション」・「制度」をどうしていくかです。
まず、これらの分離=アフェレーシスと連合=アライアンスの同時進行です。
日本は何・立国か
こうした構想からの制度設計=新規税制の導入など、
あらためて「モノづくり立国」の基本にもどることが重大だと認識しています。
「光の道」構想が出て来た意味は、これからの日本立国のグランドデザインと、
インターネットの構造への議論が始まったことには大きな意味があるでしょう。


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『資本主義からの逃走』
   「いつまで会えるのだろう・大学時代同窓会」


   


     11月 28th, 2010  Posted 12:09 AM

大学卒業後39年
関西にいる金沢美大時代の同窓会。
来年で卒業40周年になるという年代です。
全員が工業デザイナー。
幸いなことに工業デザイン専攻30名は全員がデザイナーになりました。
すでに還暦も過ぎました。すでにほとんどがリタイア。
企業の顧問・アドバイザー、大学の産学コーディネーターなど10名の宴でした。
恩師3名、同級生2名、級友の奥様1名への黙祷をしてから同窓会をスタートでした。
まず、禿げが皆無は自慢かも。なぜならこれはクリェイティブ職能の基本という単なる風評ゆえ。
メタボもやや一人でみんなから冷やかされつつも、職能的には若く見えることを確認できました。
母校から、3年次課題の「塗装・塗膜実験レポート」が届きました。
すっかり忘れていましたが、厳しかった「塗装技能習得の実験レポート」を互いに見せ合いました。
なるほど、そうか、ここまで徹底した教育を受けていたとあらためて感心しつつ、
私自身のカリキュラムには組んでいないことをやや反省です。
カーデザイナー、オートバイ、自転車、インテリア、建築素材、プラスティック関連、
それぞれの「専門的工業デザイナー」です。日本の名作デザインもいくつか生み出しました。
すでに経営陣側や退職後も顧問やアドバイザー、フリーランス。
私にとって、高校時代と大学時代の同窓は「宝物」です。
来年は金沢に全員集合を約束、恩師も交えてということになり、両手で握手をし合い別れました。
あと10年は会えるのだろうか、と考えました。
あと10年か
私は、3度、重篤を経験しています。そのことを思うと、明確に近づいている「死」を認識します。
確かに「生老病死」という人間の生涯が掌に乗っていると思います。
1972年、社会に出て以後、
工業デザイナーとしてそれぞれが貿易立国を支える工業製品のデザインをしてきました。
これからの「時」を考えれば、ある意味では日本の「いい時期」に巡り会ったのかもしれません。
確実に、「プロをめざした4年間の仲間」がいることは幸運であり、幸福だったのでしょう。
彼らとあとどれほど会える時間があるのだろうと考えさせられました。


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『資本主義からの逃走』
「Business Design Modelは製品化と商品化の分担事業」


   


     4月 7th, 2010  Posted 12:01 AM


殷・紀元前17世紀頃・と呼ばれた王朝の国名です。
紀元前11世紀に周王朝によって滅ぼされたといわれています。
この国の人を「商人」と呼び、
彼らが取り引きした品物を「商品」と言ったことから、
「商売」=経営となりました。
私はBusiness Modelの破綻に対して、Designにより、
美学性+倫理性=知財権を「経営仮説」=「商売仮説」とし、
二つの企業体によって、そのコラボレーションを
Business Design Modelとしました。

この図式はそのまま、現状の日本の将来に対しての経営システムです。
日本は知財権=知的頭脳集約産業としての貿易立国をめざします。
そして、この知財権には美学性+倫理性というデザインの本質を配置。
この頭脳集約での「モノづくり」は「製品化」をねらいます。
当然、「製品化」での経営仮説は収益構造を持っています。
そして、この「製品化」を「商品化」にしていくことで、
二つの経済サイクルの二重構造性を派生させていくわけです。
経営仮説は、「製品」と「商品」、それぞれが収益構造から、
その製品・商品を存在させるための社会還元化が生まれます。
この社会還元化は、二つの企業体あるいは組織体の「存在理由」を明確化、
この存在理由=アイデンティティは、
必ずしも、今流行の「ブランディングマーケット論」ではありません。
私の意図は、二つの経営仮説によっての二重のサイクル性、
すなわち、「循環論」がイノベーションであるということです。
「景気」はこのサイクル性を常に活性化できるかどうかということです。
製品化・商品化
すなわち、「製品化」と「商品化」ともに、
イノベーション=循環論が構造化されることが、
利益獲得と社会還元を、
二重サイクル化する時代になっているのが現代だということです。

あらためて、「製品」と「商品」の分担と協同が、
これからの国際的な循環論=イノベーション国際化をうながすことです。
よって、一企業体だけの独占的な利益獲得、
あるいは、国際的な企業存在性のための社会還元こそ、
国際還元として、国際間の格差性を補完することになると考えます。
「デザインが世界を革新する」という私の提言は、
このBusiness Design Modelの実践、具現化にほかなりません。


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『資本主義からの逃走』
  「群系・フォーメーションには、
     ビジネスモデル+デザインが不可欠」


   


     2月 14th, 2010  Posted 11:00 AM

Business Model
資本主義が、行き着いたのはビジネスモデルです。
ビジネスモデルは、当初は、
「仮説」にもとづいて、
「顧客」・「製品・サービス」・「経営資源」の
循環論用語、経営戦略用語でしたが、
「経営戦略」としての、ビジネスモデル特許となり、
収益構造を発想した独占的な「価値」への「独占対価」
という利益追求へと用語意味の変遷が、
その内容を変えてしまいました。
そこから、ビジネスモデル=利益収益形式となって、
私は、経営=金儲け・商売主義・金権暴利となれば、
倫理感の喪失が現代経営病態を生む言葉にもなったのです。
デザインが「欲望の刺激装置」と私が断言するのも、
このビジネスモデルの意味変容にあります。
美学性+倫理性
そこで、私は、
群集=アソシエーションである企業体・企業構造に、
「美学性」と「倫理性」を復権するには、
真のデザイン手法があるべきだと考えてきました。
すなわち、
「ビジネス・デザインモデル」の創案です。
Business Design Model
デザインモデルというのが誤解を招くことは承知で、
この形式と具体的な経営資源としての「製品開発」を
美学性+倫理性の付加を提示したいと考えています。
この美学性+倫理性には、
単なる収益循環に企業構造そのものを変革する期待が
デザインによって、包括されるべきであると考えます。
このデザイン手法の導入は、「綺麗事」そのものです。
群系・フォーメーション企業体への変革です。
明らかに、群系としての企業構造は、
現代の様々な問題、特に、環境・サービス・製品と
顧客利益への還元構造の創出が希求されると思います。
私は、「ビジネス・デザインモデル」の具現化こそ、
群系・フォーメーション企業の起業になると
確信している次第です。
私は、これからの日本の企業が、
フォーメーションへの変革には、美学性+倫理性は、
「デザイン」からのみ、構築していけることを
具体的な製品開発事例で提案していくつもりです。
モノづくり、特に貿易立国で存続すべき日本国内企業、
そのすべてが、独自の、オリジナルな経営戦略には、
デザイン・デザイナーの存在は極めて重要です。
ただし、デザイナーも、
あらためて「経営への美学性と倫理性」を創出する、
発想力・表現力・伝達力が求められているという
自覚が必要です。
発想力・表現力・伝達力


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11月11日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 11th, 2009  Posted 12:00 PM

11月11日 先負(庚申)

経済活動のための
欲望の刺激装置としてのデザインの
時代は終わった。
そのことを、
プロであるデザイナーがまず
誘導し主導しなければならない。
もし、
経済や産業に
デザインが与するとするなら、
それは、わが国が
貿易立国として存続していく
戦略や戦術としての
デザインである。

『デザインの極道論』むなしい


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