2月 11th, 2010 Posted 10:00 AM
医療というFormation
DynamicsとFormationを先行させてしまいました。
医療こそ、人間の「生老病死」への科学的対応です。
したがって、「生老病死」を経済論理では語れません。
生老病死
「生老病死」はまさに、Dynamics論理が不可欠です。
さらに、医療はFormationによって、
その解決を計れれば、「幸運」であり「幸福」です。
経済活動の格差が、
そのまま医療制度に反映されることになれば、
「生きる」という連続性は経済とはLogarithm的です。
無論、「死」は万人に平等です。
平等は、「生きる時間」が限定されていることであり、
その平等性は、Dynamicsであって、
いわゆる寿命には格差があることは明確です。
医療制度を社会保障する、というのは、経済論理が
まったく適合していません。
むしろ社会主義としての平等性を、
担保する必要があります。
それは、資本主義的な医療は「生死」すら経済性で、
決定づけてしまうということになります。
せめて、「生死」と医療を結合させる論理は、
Formationを社会構造に組み込んでいくことですが、
その論理あるいは制度設計の方法は発見不可能です。
したがって、
医療Formationを社会保障制度にするには、
それを医師・看護師・医療従事者だけに委ねることから、
決別する時になっているのです。
ましてまだ治癒不可能と言われている難病・癌などに、
「社会保障としての医療制度」は、
デザインが入り込んで、制度設計と環境設計に
「向き合う」必要性が見えています。
私は、デザインは、「命を護る・守る」ことまでは、
決して出来ないけれど、
いのちと向き合うデザイン
「いのちと向き合う」ことは出来るということを、
実践第一から制度設計へと、
向かわせることをめざしています。
Formationというのは、
本来自然の中での生物の「生死」競合性の制度です。
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12月 29th, 2009 Posted 9:00 AM
日本の政権交代が「静・革命」であってほしいのです。
私はこのことを一市民・一国民として願っています。
しかし、どうみても政治方向の選択は、
革新でもなければ、無論、保守でもありません。
「バランス感覚を失ったまま、社会主義的な政治決定」が
進行しているように思えてなりません。
そして、
そうした傾向に対して、あらゆる専門的な職能も、
大学人もまったく発言もしないのです。
その状況が私は怖いし、
インテリ階層の無責任さを感じます。
あらゆる意味で人間存在への思索において、
バランス感覚を失っているのかもしれないと思います。
四季感覚
日本には、「四季感覚」があります。
「四季感覚」は、
日本人のバランス感覚を育んでくれたのです。
私は北陸生まれなので、冬になれば、「雪」景色が、
ほとんど私の遺伝子から肉体にあると思います。
教え子が訪ねてくれます。
ほとんどが、インハウス(企業内)デザイナーです。
必死に担当分野に取り組んでいます。
彼らの将来を、この国の政治に任せていいのだろうか?
とさえ、思えるのです。
GDPに対して192%の借金国家となっている日本、
とてもあやふやな政治指導、
指導力無能さを国民は断罪もできないのです。
そして、デザイン界での出来事を
若いデザイナーは勘違いをしています。
いい加減になってきた「デザイン制度」は
見限って見ているようです。
さて、教え子のどれだけが、
日本のデザインを牽引していってくれるのでしょうか?
そのためにやはり「理想主義」に政権交代がバランスを
取ってほしいと願わずにはいられません。
私は、このまま「過激さ」を失わずに、
2010年を迎えたいと思っています。
なぜなら、教え子たちの未来、日本の未来で、
彼らの「デザイン」が実現して、
「豊かな国家」
それは、決して「社会主義的な国家」ではありません。
社会主義の過ちは、20世紀末に確認したはずです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, インハウスデザイナー, デザイナー, デザイナー、職能, バランス感覚, 政治, 日本, 民主主義, 民衆主義, 社会主義, 革命
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11月 26th, 2009 Posted 3:00 PM
資本主義の「冷酷さ」は、当然、マルクスはじめ、
マルキストたちが指摘してきました。
だから、共産主義、社会主義というのも、
すでに無理があったことは歴然としています。
私は、デザイナーとして、
「企業倒産」、「会社更生法適用」、「上場取り消し」を、
本当に間近で、かなり見てきました。
もちろん、それを予知したり、予測できる要素を
見いだしたりということは才能だとも自負します。
デザイナーとしての大きな「経験値」になっています。
「直感」=「第六感」もあります。
この企業、危ないな・・・?!
パートナーあるいはコンサルタントを引き受けるのは
お断りしよう!!!!!
そして、そうした予測をした企業は、
必ず「倒産」や「会社更生法適用」に至るのです。
大きな要素は、三つあります。
まず、「経営者の資質や思想」です。
次に、「資本主義における景気観の読み違え」。
最後が、「デザインを見下げている企業環境」でした。
私は、いづれ、私が体験してきたことを書き残そうと
思ってきましたが、
やはり、もう書き始めた方がいいと判断しました。
なぜなら、「デフレーション」・「デフレ・スパイラル」に、
現在の日本経済はこうなるだろうと、
私の予測は、予知ではなく的中しているからです。
最近のベストセラーに「イノベーションのジレンマ」
という経済と企業の予測本があります。
私は、この指摘はまだ「資本主義を前提」にした発想に、
経済学者の脆弱性を読み取っています。
それは、「イノベーション」とは「景気循環論」
あるいは、「革新」という動機付けで「景気説」で、
その論理が終結的になっていて、
単なる「イノベーション」という
「話題」への「応答」説でしかないからです。
それは、
「イノベーション」を「課題」・「問題」ではないからです。
すなわち、
イノベーションでの「景気循環論」への
「回答」も「解答」も経済の論理では生み出せないのです。
イノベーションへの「解答」は「回答」を経て、
「デザイン」が明確化できると私は経験から考えています。
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11月 6th, 2009 Posted 10:00 AM
ロシア革命に、日本も相当に荷担していました。
さらに、ロシアを敵対した日露戦争は、
真逆に、
私はソビエト連邦の共産主義を強化したようです。
1917年から1991年にソ連は崩壊しました。
おおよそ75年間の共産主義が終わった、
と言っていいでしょう。
そこで、私の見解は、
1991年12月25日のソ連崩壊は、そのまま、実は、
資本主義の勝利だったわけではない、という見解です。
ソ連崩壊とともに、対峙し対決してきた資本主義も、
終わってしまったのです。
むしろ、なんとか、資本主義では不可能であり、
共産主義では、ある種、
共産主義という宗教観にも似た制度では不可能という
その中庸性である社会主義的な
社会主義性を再考するという思考拡大が
世界観として、資本主義先進国家はできなかった、
ということに気づくべきだったのではないでしょうか。
そこには、
民主社会主義と言ってみたり、
自由民主主義での社会的公平性の不可能さを
世界観が、避けてきたのではないかとさえ、
私は思います。
私は、日本が資本主義を標榜していたのも、
敗戦での後遺症だったと思うのです。
「日本株式会社」は、「社会主義」を隠匿し、
隠避していた仮面国家が、発展したのです。
仮面劇・マスカレードとしての
「資本主義国家・日本」、
だったのではないでしょうか?
あるいは、
仮面・ペルソナとしての
「社会主義国家・日本」、
そのマスカレード・対・ペルソナを
見事に演じた民族性が
連綿としていたのではないかと私は考えています。
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11月 3rd, 2009 Posted 4:27 PM
ロシア革命は、体制の大逆転により社会主義を実現。
まさに社会転覆をしました。
そのプロパガンダに、革命の手段として、
「芸術」を最も巧みに運用しました。
したがって、革命に荷担した芸術家の信念が、
私は、その革命を支援したイデオロギーに対して、
とても純粋だったと思います。
革命は、社会のあり方を理想主義的に表現します。
ロシア革命に、その具体例が「作品」になりました。
ロシア・アバンギャルドという芸術運動と言われますが
それらは、やがて「デザイン」と呼ばれるものへと
変更していくのです。
デザイナーが芸術家から職能家になっていきます。
そして次第に、革命の動乱から政治形態を整えていきます。
この革命の進行が理想主義を崩れ始めるのです。
革命後の経過は、革命の主目的から離脱していきます。
異次元な政治形態、すなわちイデオロギーの形は、
革命への動機を、見事に変えてしまうわけです。
ロシア・アバンギャルドと呼ばれた作品に、
その変貌ぶりや、革命意思のゆがみが反映します。
芸術表現も、大きな恣意性をもち始めるのです。
私は、デザインの源流として、
ロシア・アバンギャルドをとらえてきました。
革命のための手法とされた芸術、その応用性に、
「デザイン」の源流と原点を見てきました。
マヤコフスキーは、
「かたちが泣いている」と言ったのは、
革命が、やがてはその指導者たちの権力闘争となり、
社会性・社会正義であった革命動機は、
「政治という形」が変態してしまうのです。
私は、ロシア・アバンギャルド=デザイン源流、
その「作品表現」に、
理想主義に持ち込まれてくる政治的な恣意性を
見つけてきました。
デザイナーにとっては、
必ず、見通しておくべきことだと思っています。
ロシア・アバンギャルドが、
どれだけ、政治的に「作品表現」を変えたのか、
ということです。
次の3つのコーヒーカップが、
なぜいわば同じ「芸術運動」=ロシア・アバンギャルド、
それにも関わらず、大きな違いが見られます。
チェオーニン・1921
まだ、特権階級の装飾性から離れられない。
スエーチン・1923
もっとも、ロシア・アバンギャルドであり、
「純粋な形態」、以後のモダンデザインを決定づけている。
MoMAの収蔵品になっている。
レプリカは今も手に入る。
クズネツォフ・1923
革命指導者は、ロシア・アバンギャルドの作品を好まず、
やはり、特権階級的な表現を求め始める。
たかが、コーヒーカップです。
しかし、されどコーヒーカップです。
このコーヒーカップの形態と装飾に、
政治=イデオロギーの恣意性が表現されています。
ただし、この3点とも「コーヒーカップ形態」として、
まったく正しい設計になっています。
余談ですが、昨今のコーヒーカップのデザインは、
デタラメなモノが反乱しています。
これはイデオロギーどころか、
デザイナーがコーヒーカップそのものに対して
きわめて無知にすぎません。
ともかく、私は、ロシア・アバンギャルドに、
本来、理想主義を求めた社会革命が
「かたちが泣いている」という言葉、
凝縮された理想主義に、社会主義・共産主義の崩壊は
もう見えていたというわけです。
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11月 1st, 2009 Posted 9:41 PM
● 資本主義経済は、まず私的な「収益性」を分配します。
それは、人間の欲望のまま私利私欲の追求です。
しかし、私利私欲は社会から疎んじられます。
したがって、資本主義には倫理性が求められました。
その倫理性の具体化は、
欲得を社会化=私利私欲の公益化をめざすわけです。
それは、収益の社会的で公平な分配です。
分配というのは私利益の一部を社会還元することです。
社会主義は、公的利得がそのまま社会に運用され、
私的財産も公的に管理されます。
その主義によって、私的生活はほぼ完全に保障されます。
社会保障制度とは、本来は社会主義的な保護政策です。
共産主義は、私的財産は制限され認めない。
それが根本的な前提という制約制度です。
つまり、「収益性」と「公益性」のあり方を、
私的か、公的か、その自由性に委ねるか、否か、
という資本主義とは真正面から対峙・対決しています。
公的な平等性の強化を政治支配によって、
私的自由度は制限されても、公平性は確約されます。
● 20世紀は、この自由性・公平性・私的財産の保全など、
二つの主義=イデオロギーで分割され、
このイデオロギーは、対峙どころか対決しました。
● 私は、モダンデザインの系譜・デザイン史から、
共産主義と社会主義を概観することができます。
そして、この共産主義の登場からの系譜を見れば、
ソビエト連邦の崩壊の理由は明確に分かります。
それは「ロシア・アバンギャルド」によって、
「表現された作品」、
その「芸術家」から見えるのです。
彼らはデザイナーという職能家の源だったと思います。
ロシア・アバンギャルドによって、
共産主義の「かたち」が最も具体的に表現されました。
しかし共産主義革命は、革命直後から、
このイデオロギーが崩壊する兆しが見え始めています。
残念ながら、このことに言及した資料はありません。
● 私は、デザイナーになって以来、
ロシア・アバンギャルドの資料を収集してきました。
本論で、この言及を試みるつもりです。
それは、やはり、
この言葉から始めればと思います。
制約制度の中で大衆は泣きました。
共産主義の制度で苦しめられた人々、
その泣き声こそ、
このイデオロギーが終焉するまで
泣き続けていたのではないかと私は思っています。
ロシア・アバンギャルドの中核人物
ウラジミール・マヤコフスキー(w)は、
革命直後にこう叫んだのです。
● 「かたちが泣いている」と。
Tags: 「資本主義からの逃走」, イデオロギー, ウラジミール・マヤコフスキー, かたちが泣いている, ソビエト, モダンデザイン, ロシア・アバンギャルド, 倫理性, 公益化, 共産主義, 収益性, 社会主義, 社会還元, 私利私欲, 資本主義
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10月 30th, 2009 Posted 12:36 PM
「ム」は、音読みでは「シ」となります。
「ム」の形象は腕を曲げて胸元にまで回しています。
この動作は、「自分のもの」という所作です。
「私」と「公」には「ム」が仕込まれている形態です。
見事にこの「ム」は、欲望を示しているのです。
「私」は、禾=のぎへんにムです。
禾は稲穂の象形です。
禾=いねを自分の物にする、という欲望ですから、
「私」は、まさしく欲望を体現しています。
対して「公」は、八=はちがしらにムです。
八は、屋根のある空間です。
空間の中に、ム=欲望を配置しています。
「公」=おおやけを象形した中に欲望を集めています。
つまり、欲望の私的=私利私欲と、
公的な管理に欲望を集めてしまうという公益性です。
私とは、私的であることの欲望の個人性のことであり、
個人の欲望を社会的に公することを公益性と言います。
● 資本主義は、
倫理性で「公」の理論と論理で、
私利私欲、その正当性の基本を
ある種謀議化したものです。
● 社会主義は、
私欲を離れても「公」の制度で私欲に囚われない人間、
そうした人格性が社会によって形成と保護を受けます。
● 共産主義は、
私利私欲はあってはならず、「公」の制約制度で、
人格の育成を成就できるというものでした。
しかし、
私利私欲・制度での保護・制約制度など、
全てのイデオロギーの長所を持ってしても、
「私的」・「公的」の構図内や図式上で、
個人としての人間と、集団としての人間は、
まさしく剥離していることに
私たちは気づいてしまったのです。
「私」と「公」を民主主義で、「制度」や「慣習」、
そして、「法」すなわち「公」で、
自由・平等・愛は、
個人の私利私欲に倫理性で、生涯の人格性をもって、
「公」なる社会で「幸福」なのだろうかと、
みんながやや疑い出しているのが現代、
生きている現実の感覚だと思います。
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10月 28th, 2009 Posted 10:38 PM
資本主義の崩壊は、1927年に「予見」されています。
それは、「大恐慌」の2年前のことです。
それから20世紀の戦乱となり、冷戦につながりました。
共産主義・社会主義・資本主義・民主主義という
理念の崩壊は、1970年代からだと私は思っています。
なぜなら、時代変革の「予見」は、経済学・哲学などよりも、
「現代アート」にもっもと端的に、象徴されているから、
感覚、感性で「予見」の正当さを理解できてしまうのです。
その「予見成立」の理由は、単純明快にまとめられます。
ひとつ、「南北問題」、とてもなつかしい言葉です。
ひとつは、「宇宙船地球号」。
もうひとつが、「コンピュータ」です。
ともかくこの三つを置き換えると、
● 先進国と途上国の貧富格差とあらたな民族紛争。
● 地球環境問題、温暖化やCO2やサスティナビリティ。
● パソコンとインターネットでの情報意識社会化。
ということになるでしょう。
二つの現代アートが象徴しています。
まず、地球を象徴化した作品と、
・Universes in Universe : Tomas Saraceno
人間の生命を象徴化した作品です。
・Pulse room : Rafael Lozano-Hemmer
地球は、まさしくwebsite=蜘蛛の巣のように、
情報に包み込まれているのです。
包まれているのではなくて、
「包み込まれている」ことにこそ、
時代認識の象徴がある。
その時代認識は、
資本主義と民主主義に包まれているのか、
「包み込まれている」のかということは、
大きな差異があるということになります。
そして、
もう一つの、観客である人間の生命をそのまま、
脈拍を電灯の点滅で具体的に感じ取らせつつ、
空間、それは地球でしょう。
そこでの「自己の存在性」を再認識させる作品です。
私は、この二つの現代アートに具現化されている
「包み込まれている」という認識は、
ただただ、それこそ、Bottom of the Pyramidの
トップゾーンの1億人だけが、現代文化として、
平和に、いや平然と受け入れることが可能です。
結局、
「地球に存在、生きているすべて」の人々が、
認識=包み込まれているわけではありませんから、
そこに、資本主義って?、民主主義って?ということ。
「包み込まれているすべて70億人の認識」には、
決してならないとするなら、
Bottom of the Pyramidの根本や基盤や理念は、
再創生されるべきではないかと私は思います。
私は現代アートの象徴性を読み取りながら、
再創生のデザインがあるべきだと考えているのです。
しかし、哀しいかな、現代アートが示しているのを、
理解し、さらに「予見」できるのは、
トップゾーン1億人の中の、一握りの人たちだけです。
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Posted in 005「BOP」, 資本主義から逃走せよ!
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