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Posts Tagged ‘知’


11月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 27th, 2021  Posted 12:00 AM

11月27日 友引(己卯)

『知行としてのデザイン』

その認識が
一つの大きな知(智)
である。

artificial heart:川崎和男展


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4月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 12th, 2021  Posted 12:00 AM

4月12日 先負(庚寅)

『誌論としてのデザイン』

これが、
デザインの
「知あるかたち」である。

artificial heart:川崎和男展


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『やたらと大学が増えていますが疑似大学生多い』


   


     8月 2nd, 2020  Posted 1:06 AM

大学での学びは専門知識の習得と、実習や研究など
知の創造があり、社会への扉を開く人財を養成、育成しています。
やはり本格的な「研究」は、大学院からで、前期課程となる修士
でも足りず、後期の博士課程になってからでしょう。
例えば、芸術・デザインは、知の「創造」と「創出」だけがありますが、
これは医学や法学、経済などとは異なり、出口での資格制度がないので
あくまでその才能の可能性にかけて送り出しています。
大学は入学競争で、AからFのランク付けがあります。
私は総合大学で大学人だったので、芸術系に限らず
この大学のランク付けはとても気になります。
AからCまでが大学入学資格の学力基準を満たしていて
それ以降は高卒未満あるいは中学程度の学力です。
特に日本人は「少子化」ですが、D以下の大学がいっぱいあるのです。
今後は国立、公立が増えます。
私立ならDからFランクの大学はこれまでの大学ではありません。
大学を減らすことを論議しなければいけないでしょう。


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『明治維新には客死人たちが一杯いる』


   


     11月 25th, 2019  Posted 12:00 AM

明治維新は「無血革命」だった。
これには、大反対です。
おそらく、どれだけの諸藩の藩士が命を落としたでしょう。
また、海外でしかも客死した連中がどれほど多いのでしょう。
ふるさとの偉人にルーツを求めて敬愛を惜しまない私ですが、
福井藩士の日下部太郎は、福井で青年会議所とともに
その功績をまとめました。
彼のパスポートナンバーは、日本が発行したNo.4でした。
福井藩最初の留学生であった彼は、
ラトガース大学で猛勉強に明け暮れましたが
卒業を前に肺結核で亡くなりました。
しかし、彼の功績は本当に偉大だったので、
彼を顕彰し、卒業を認めたのです。
福井県青年会議所が現地に足跡研究を行いました。それを私がまとめて、
東京はじめ各地の青年会議所の集まりで講演をしました。
大学のあるニューブランズウィック市と福井市は姉妹都市となっています。
そして、ラトガース大学と福井大学も提携し学生の交換を行い、
知の交流が続いています。
日下部太郎(本名は八木八十八)のような、
地域や国を担うべく、多くの人が粉骨砕身、
懸命に努力をしたことでしょう。
明治維新は、どれだけの人たちで、できたのでしょう。


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8月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 10th, 2019  Posted 12:00 AM

8月10日 仏滅(己卯)

このバブル時期には、「知」の体系も、
デザインには「文化としてのデザイン」の
自覚を強固に求めていた。
これはバブルが気づかせてくれた
デザインのひとつの進歩であったと認めたい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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8月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 7th, 2019  Posted 12:00 AM

8月7日 先勝(丙子)

むしろアニメーション・キャラクターには
子供たちなりの「知」あるいは「智」への
刺激が備わっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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7月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 30th, 2019  Posted 12:00 AM

7月30日 先負(戊辰)

「知」への観察力と批評力は、
次世紀への新たな「知」を
体系化してくれないのでは
ないかと想像してしまう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『デジタル・カーニングが無いというアナログの「知」』


   


     1月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

東芝で多分、総研で「Aurex」が決まった時に、
当時、デザイナーは、東京芝浦電機の「意匠部」でした。
1年間、研修していた私にも提案が伝わり、私の案を出しました。
そこで、ディレクターが、私の案を採用しました。
他の大手広告代理店には絶対に負けないようにと、
このマークやロゴタイプをデザインしました。
丁度その頃には、ビデオテープでこれが入る看板までやりました。
美大で学んでいたとおりに天地60mm直線表示で曲線はプラスαなのです。
特に、レタースペースは、髪の毛一本分=ヘアーラインに注意。
以後、私はこのレタリング方式をデジタルでも「知として」使っています。
だから、アナログ方式にはカーニングではまだまだ経験値が必要です。
それこそ、オリンピック・パラリンピックは直線と曲線には、
ヘアーラインが全く考慮されていません。
現代のデザイナーには、レタリング知識の「知」が欠落しているのです。
ところで、大手広告代理店では数億のデザイン料でした。
そして、私はシェーファーの多分2〜3万の万年筆で終わりました。


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『もう一度絶対逢いたい哲学者・中村雄二郎先生』


   


     11月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

高校時代は「倫理社会」という科目の中で哲学を教わりました。
得意科目で、当時全国では4冊教科書があり担当教諭からもらいました。
だから私なりに美しく仕上げたノートは残してあります。
大学時代は一般教養で哲学があり、覚えている試験問題は「機械とは何か」。
そして福井時代に突然、中村雄二郎先生が福井にまで来ていただきました。
それは私の刃物のデザインを見て、私に会いに来ていただいたのです。
もう大学時代から憧れていた先生だったので、とても驚き感激しました。
先生はデザインそしてグッドデザイン賞の理論的支柱でした。
先生を囲んで勉強会のために何度も上京したものです。
丹後縮緬再生プロジェクトは、先生の指導で2年取り組みましたが、
産地をまとめることが出来ず、先生からも、
「この産地は駄目だから撤収しよう」と終わったこともあります。
東京新聞に先生が連載を書かれることになったとき、
私がそのイラストを先生から、「描いてみなさい」ということで担当。
先生は、フランス語で文章を書かれてそれを日本語にするために、
フランス語キーボードをApple Japanに頼んだこともあります。
明治大学を退任されたとき、美術館や図書館など館長依頼が一杯ありました。
ところが、先生は明治大学退任とともに、
NHKで著名な学者先生とのインタビューで世界を飛び回っておられました。
「先生、そんなに懸命にだと身体を壊します」と言ったこともあります。
最終に教わったのはロボットの「身体論」と「形態論」でした。
これはSONYのAIBOを最終審査をするために教わったことです。
哲学者・西田幾太郎に次いでフランスから認められた哲学者でした。
Apple Japan10周年では、先生が新聞広告でモデルをされました。
しかし、あるとき、先生の歩き方が本当に弱くなり、
先生のショルダーバックのファスナーが開いたままのときに、
私は先生に異変があると思ったのです。
それから入院をされて、もう会えなくなりました。
一時、明治大学に誘われたことがあります。
明治大学の理事からの誘いの時に、
「先生に会いたい」と言ったらもう無理だからそーっとと言われました。
先生は結局、老衰で91歳で逝かれました。
何度も先生のことを書かなければと思いつつ書けなかったのです。
先生の語られる=書かれる「知」はそれこそ今では「哲学領域」にて
随分と先生の書かれたタイトルが引用・借用・盗用されて使われています。
この「術語集」の「あとがき」には、
私のことを紹介とともに書いていただいています。

* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 「緊急課題になった『リトルネッロ論』の再考と具現化」
* 「 Media Integrationは「述語論理」だという確信・6 」
* 「これまで6冊の出版に込めたパターン化」
* 『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』


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『デザインによる美はセンスとしてのテコが要る』


   


     10月 14th, 2017  Posted 11:00 PM

人には人間と人類が種別できます。
そして、人間である条件、人類である条件は極めて勝手気ままな無常識。
同じことが、能力あるいは力(ちから)にも反映しているのです。
私は力:ちからを懸命に追いかけてきました。
それこそ、ちからという日本語での区別・差別・分別全てでの定義です。
簡単に言ってしまえば、ち+からです。
ち+空=この仏教的解釈を自分に取り込んでいるのです。
つまり、「ち」とは知・血・地・値・智・致・治・・・・随分とありますが、
「空」という観念で無に帰すのです。
それがほぼ日本からの哲学的な解釈でしょうし、これを信用しているのです。
そして、力は作用点と方向と、その大きさがあるという物理性です。
従って、それこそ、商品力から開発力など形容される全ての力に、
これが運用されていることがわかります。
ここからさらに、力が能力とまでなってくれば、
まさに、人間・人類・人は個々人の能力を活用し拡大するのは「テコ」です。
これこそ、五大器械の根本にもなるのです。
テコには力が働く、支点と作用点だけが決定すれば、
それこそ、人類は地球でさえ、イラストのごとく、
人の能力で持ち上げることさえできます。
前段が長くなりましたが、テコのこの力を支点と作用点で能力、
それも「美しさ・美」を見極める能力のテコを考え出すこと、
これが真善美のその中の「美」判断力=能力を、
私はデザイン、デザインでのテコを追い求めてきたのです。
だからこそ、自分デザインには必ず、美しさをデザインに配置・配備する、
力の支点と作用点がある、
まさに美のテコを見いだすことでした。
美が創れる能力=美創出の力とは、
ち+空であり、その拡大のためのテコを
それこそデザイナー養成にはテコを自力、つまりテコあるセンスづくり、
これがデザインでの美づくり、美の判断力だったというわけです。

* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』
* 『芽生えることと確認すること、ライバルとジェラシー』
* 『人工知能には「ち」の思潮が欠落している』


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