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Posts Tagged ‘問題提起’


『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』


   


     1月 26th, 2016  Posted 12:00 AM

宇宙工学とデザインの関係は、まだまだ双方から、
お互いのとりあえず話題が語られることがありません。
話題ゆえ応答、そして課題ゆえ回答、問題ゆえ解答です。
昨年から、宇宙工学とデザインを私が主宰する「KK塾」で、
それも私のいとこ(父の姉の息子)と講演会をしています。
宇宙工学といっても、その最大の問題点である
「信頼・安全性工学」という宇宙工学のさらに専門からの話です。
まず、何と言っても宇宙工学では、
「修理を一切しないで寿命どおり」しかも一日24時間稼働の
それもシステム設計どおりのモノづくりでなければなりません。
いとこ・長谷川秀夫工学博士は航空工学から、
宇宙開発事業団時代は、ヒューストンにてNASDAの所長として
NASA・NASDA・ESA合同で
宇宙実験棟「きぼう」の実質統括設計者。
最初の宇宙飛行士・毛利氏を飛ばした責任者でした。
以後も、H2Aロケットやはやぶさに関わってきたディレクターであり、
現在はJAXAから宇宙開発機器の発注管理企業の社長です。
信頼・安全性というのは、
何と言っても「修理・修繕無し」が鉄則であり、
たとえ話でいえば、「手術は不成功でも患者は助かる」ということです。
そのためには、「知見」の裏付けが詳細に求められることになります。
なんといっても無事故・無修理・完全であるモノとシステムづくりです。
所詮、
人間が創り出すモノは失敗して当然ということは無視する世界観です。
「知見」とは、知識と見識をさらに深度を求めて、
知識と知恵は経験からの帰納的な結論に対して、
さらにどこまでも想定外を完全無欠化するという工程が
「組織」の組み立て・運用・維持が必須だということです。
それは想像力を果敢に発揮してしかも知恵や見識をさらに完璧にすること。
なぜならば、
宇宙工学での危機システムの部品点数は200万点をPDCAという方式。
Plan→Do→Check→Actionという手続きがあるそうです。
これは現代のモノづくり全てに適合した考え方です。
そのために、
「勘」を取り囲む「観」・「看」・「鑑」・「関」・「感」が配置された
「知見」は、まず、
ハードがあってそれをソフトでどこまで支援出来るかという
「事故シナリオ」が中軸です。
あくまでの「怖がる」ことの重要さというのは、
デザインでの問題解決以前に、問題提起があるのですが
スペキュラティブデザインというような軽さはありませんでした。
あくまでも無事故で無事なモノづくりを
デザインは宇宙工学から学び取らなければならないということでした。


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『新たなフォトコラージュはカオリンの磁器に展開』


   


     11月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

インテリアデザイナー森田恭通氏パリ個展は、
歴史的には二つの大きな意味をもってしまったようです。
まず何と言っても、彼のデザイン拡大化計画の実現は、
自分が写真家として「Porcelain Nude」を撮影して
私の判断ではフォトコラージュ的なお皿磁器に展開。
その制作依頼もフランスと言えばの磁器ブランドである
リモージュ磁器であり、その窯元BERNARDAUDでした。
なぜBERNARDAUD:ベルナルドでなければ、ということがあります。
それは世界中のシェフたちにとって
重大なレストラン使用皿の効能性でした。
陶磁器といえば、CHINAと呼ばれ、それは中国景徳鎮です。
しかし、欧州ではボーンチャイナと呼ばれる白い磁器がありました。
ところが、見逃してはならないのはフランスであり、
白い粘土と言っても、石粉粘土ゆえに磁器となるカオリンの発見でした。
ボーンチャイナという骨の粉を混ぜるというよりは、
もともと白い粘土 – カオリンの存在は、白い磁器を完成させたのです。
ドイツの製陶技術でも秘策はカオリンを使うことでもあったようです。
いわゆる「真っ白いお皿」は料理を配置するキャンバスだったのです。
そこを森田恭通氏は、特にレストランデザインにおいて、
シェフたちが最も好むお皿に、フォトコラージュ的な
グレーから黒のグラデーションを
カオリンの白皿に革新的手法を発表しました。
そして、もう一つの歴史性はパリでのテロリズムで
非常事態宣言によって個展の中断を余儀なくされたことです。
が、私はかえって中断されたことで
ますます森田恭通氏のカオリン磁器へのフォトコラージュを
「見たい・触りたい」という要求を高めたのだと思います。
おそらく、シェフ達の料理は、白と黒が最も明快ですが、
彼は写真によって、グラデーションをパターン化させるコラージュを行い、
なぜ、リモージュ磁器という欧州最高的な代表磁器ブランド、
その中でも、シェフ達が絶対条件としているベルナルド窯元なのです。
最もカオリンという白い粘土磁器に、白から黒へのグラデーションは
料理人達にさらに革新的な料理、
しかも一流レストランへ向けた提案でした。
彼の個展で、
写真パネルではプラチナ仕上げをめざしピエゾプリントを行い、
そしてカオリンにグラデーションを与えることは
デザインからの提案が、
料理人達にもっともっとレストランのあり方への問題提起でした。
私は森田恭通氏に「日本でもやったらどうですか」と言い残しました。
日本には、磁器の歴史と陶器の歴史が混在しています。
だから陶磁器と呼ばれ、
六大古窯は、すべからく陶器と華道での価値判断がありました。
磁器の世界は、秀吉の朝鮮征伐で連れ帰った磁器職人の仕事でした。
森田恭通氏は世界的なレストランの空間とそこに存在すべき食器に
彼ならではのフォトコラージュを世界にむけてパリで発表したのです。
レストラン食器への非常事態を投げかけたのでしょう。


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『新たな医療機器企業の研究所のデザイン監修』


   


     10月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

金沢の21世紀現代美術館で個展をやりました。
インスタレーションでは鏡=ミラーを多用しました。
ミラーの背後には冥府があるという美術評論があるほど、
このミラーを素材とする手法は大変に難解だと私は認識しています。
が、その時のインスタレーションをさらに進化させるシュールームを
私はC.I.デザインとインテリアデザインの監修をします。
個展ではミラーを多用して様々な虚像投射をした経験があります。
それから、ミラー素材を私はキーボードでも実現しましたから、
ミラー素材とセンサーを多用することで、デザイン領域を拡大化し、
どこまで、人体投影上にバーチャルな虚像を映写させるかが課題。
そのようなアイディアをこれからのシュールームとしての実現をと
そのセンサーやプログラム化映像制作を監修しています。
ショールームにはできる限り実物展示ではなくて、
情報化映像と観客動作とのインターラクションデザインづくりです。
夢や希望は広がるばかりですが、無念なことは予算に縛られます。
結局、センサーでプログラミングはかなり予算計上と関係が深く、
それこそ、実現という不自由さからの解放作業がデザインです。
デザインは問題解決ですが、解決しての効果は解放だと再認識。
シュールームそのものが、問題提起=夢・希望を一杯展示して、
どのようにそのテーマを解決していく使命を掲げることが実は
とても困難なことでありそれが夢や希望の不自由さだと判明します。
この判明したからこそ、解決をつけていく、そのシミュレーション、
その未体験さを経験することが解放される自分に出逢えること、
かも知れないと、この仕事に取り組んだ時から感じてきました。
そこで、すでに体験しているミラーへの自分投射に、
さらにセンサーキャッチされた虚像の中の自分に出逢わせることです。
このショールームで未来の自分に出逢って開放されること、
そのデザイン監修だと私は考えています。

「知財権・意匠権改変の対象となった商品開発」
「『鏡』の存在を知り尽くすこと」


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「大きなヒントだ!『危機とは、何が危機か』」


   


     5月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

「March.11.2011」を体験した私自身の運命。
私はデザイナーという天職である幸運があり、しかも車倚子生活。
自分の生涯でこの国難と真正面に対峙しなければなりません。
そして、大学を退任しましたが、
「までい-Project」=東日本大震災の復興デザイン計画と、
それをさらに大きな視野で捉え直す「危機管理」へのデザイン。
これが私にとって最期の仕事になると常に言い聞かせています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を率いています。
しかし、危機管理学・危機管理工学、
さらに、危機に対するデザイン、プロダクトデザインの学際化。
この学際化で「危機への臨機応変なデザイン」と、
その「産業化」をめざしています。
問題は、「危機とは何か」ということ、
私の定義づけの言い換えは、「何が危機か」です。
おそらくこれからも、このFBで、
その「応答・回答・解答」デザインを記述していくでしょう。
資料を読み込んできましたが、
最近、この「危機とは何か」について、
真正面からしかも冒頭で、
この考察を「ことば」にした本にやっと出会いました。
とても大きなヒントです。
というよりも、私の人生でこうしたことは度々起こります。
それは、常にこの「問題提起」を掲げていれば、
誰かにささやかれたように、思考のヒントを目前にするのです。
まず一回読んで、さらに私が読みあさった資料から、
この考察のままでいいのだろうか、と再思考します。
結論は、
まだ浅薄過ぎると言うのはこの学者への反論のようですが、
それは、私がデザイナーであり、大学人として、
しかも「危機管理デザイン賞」を選別する責務での判断です。
さらには、「危機管理を成就する産業そのもの」に、
プロダクトデザインで主導していくことだけに、
私は、これだけの定義では無いと明言しておきます。
危機管理学と工学とプロダクトデザイン、
この三つの学際化によって、
この天災と人災、日常が「危機状況」に対して、
わが国の産業化をと考えています。


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「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」


   


     12月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

大阪大学大学院での大学人として、デザイナーとして、
最終的な結論に至ったことは、
「商品デザイン」・「コミュニケーションデザイン」、
あるいは、モノのデザイン・コトのデザインはすでに、
「記号論・意味論としてのデザイン」に決着しました。
来春3月に阪大を退官するにあたって、
一つの焦点を決定づけておきたいと考えています。
学生たちには、
「デザイン」と聞けば、
手法・実務・問題解決・美学的存在性の具現・問題提起と方向決定が
身体化してくれればと願って講義をしてきました。
それは、現在の日本の経営者やリーダーには、
特に日本の美学・能狂言から伝統工芸、
さらには宗教哲学や思想への統合的な見方など、
そうしたことが欠落しているから、
日本人のリーダーたちが考える
グローバリズムすらゆがんでいると判断しているからです。
特に、アジア近辺からの留学生には、
第二次世界大戦後の自分の国と日本の関係を
自学してほしいと訴求してきました。
そこには、あの世界大戦時に日本は必ずしも、
帝国主義に徹していたわけではなく、
日本の武士道やその美学性を発露していたことも講義では語ってきました。
最も、その講義は最近では
日本人学生は居眠りしがちだったことも告白しておきます。
今年は、特に、
「記号論」を先端的統合的な学際化としてのデザイン解説にしてきました。
その論理化には、二つの方法がありました。

 ・最大公約数的思考 The greatest common divisor theory
 ・最小公倍数的思考 The least common multiple theory

この思考方法を積み重ねて、結果と効果、
すなわち、それが意図ある造形のかたちと
意味される造形としてのかたちに「成っている」という論理でした。
私は、この考え方が、
現代どこにたどり着いたのかということを見直してみると、
それは、論理演算として
コンピューターに繋がってきたものと断言することができます。
ある概念集合の様々な要素や要因から、
その素数的な共通項を積み重ねると、
この画像の α・β・γ・ζ が最大公約数的な構造になります。
そして、その集合体の残存して集合が ζ という
最小公倍数的な構造になっているということです。
したがって、その ζ にこそ、
「記号論・意味論としてのデザイン」結果・効果が、
デザイン造形の「かたち」であり、
「かたち」に結実しているデザインだったということです。


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「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


   


     11月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

私が最も注目している現代アーティスト、
トマス・サラセーノの新作をインターネットNewsで知りました。
「クラウド・シティ」という題名=テーマは、
現代アートゆえの「問いかけ」、
それは批判であり、問題提起になっています。
ともかく、商業主義的な流行として喧伝されることには、
常に実態がともなわないことが明らかです。
これは特に情報社会になってからの顕著な悪弊だと私は思ってきました。
「嫌らしくて卑下して構わない」とすら私は直言しておきます。
「Cloud」、「Smart City」、「Smart Grid」、「Eco」、「Lohas」など、
うんざりです。
そして、情報系大企業にはこうした事業部があり、
広告もあり、
いかにも未来を招致している印象を企業イメージにしています。
しかし、小学生でも、そんなことに希望や期待など持っていません。
私などは実際に「デザイン実務」で、
そうした事業部のリーダーたちと接してきましたが、
「これだから日本の企業経営は失速している」と大確信しています。
企業研修などで講演をするとき、
現代アーティストの作品を事例に解説することがあります。
必ず問いかけます。
「この作品知っていますか?、作家を知っていますか?」、と。
ほとんど無知です。
もし、未来に向かって真に革新的なイノベーションをめざすならば、
現代アートの「問いかけ」、「批判」、「問題提起」に
敏感でいてほしいと思います。
そうとなれば、
選ばれしアーティストの展覧会は日本にやってくるでしょう。
また、そうした展覧会が日本オリジナルな企画展が生まれてくるはずです。
かって「マルチメディア」という
陳腐なテーマを語っていた企業が時代を招来したでしょうか。
否です。
私は、日本が現代で目覚めるためには、
アーティスト作品が日本展を目指してやってくるべきだと考えています。
まさに、
私は、現代アートと経済の活性化は直結した連鎖構造だと思っています。


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「ブルー青色へのヒューマン・ファクター問題」


   


     8月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

最近は空を見上げることが増えました。
今年はまだ海の青色を見ていません。
青は私の持ち物の基本色にしています。
だから、大好きな色です。
ただし、デザイナーは好きな色は持たないことは鉄則です。
色全てが大好きでなければいけないということを私は美大で学びました。
私も「色彩論」では、学生には「全ての色を好きになること、
色に対する依怙贔屓はしないこと」を教えてきました。
青色は、空と海と鉱石や貴石に存在しています。
写真は銀座の夏空に、工事クレーンが一つの風景を成していました。
とても清々しくて、被災地にもこの青色が広がっているけれど、
被災地の皆さんは希望を持たれているのかと想像しました。
さて、可視光線・青は450~495nmの波長があります。
パソコンが普及して20年目に一つの結果が出てきたようです。
450~495nmの青に対する眼球反応が
とうとう生理的な劣化が始まってきているという指摘があります。
これは、かつて私がプラズマTVからの近赤外線が
子ども達の視覚に危険で相当の懸念ありかもしれないと発言し、
メチャクチャに叩かれました。
今もその時の叩かれ文が残っています。
が、結局、プラズマ表示画素は市場存在価値を失いました。
最も、トリノの冬オリンピックでのプラズマTV販売は
欧州からは拒絶されていたことは知られていません。
プラズマ技術が私の予想通りに、
対人間への弊害が明確になっていたからでした。
そこで、最近は、パソコン画面用の眼鏡は、
「青色対策」として喧伝されて商品化されています。
しかし、私は、現在喧伝されている商品が
「青色対策」を確実に具現化しているとは評価していません。
解決をつけるべき問題提起と問題解決には、
単なる商業主義的な能書きしかないと断言しておきます。
私は、パソコン画面なら、まずは「ドライアイ対策」そして、
「青色反応劣化の原因が、なるほどパソコン画面なのだろうか」、
450~495のどこをフィルタリングしているのか疑問だらけです。
まだ疑問点や安価な製品での限界がありすぎます。
もっと懸念すべきはWiFi電磁空間が人体に及ぼしている結果が、
やはり20~50年後に明らかになるかもしれないことの方が心配です。


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「世界各国の2030年計画は壊れた」


   


     5月 14th, 2011  Posted 12:00 AM

2030年が目前です。
だから世界各国には、
2030年に向かっての
各国が国際的に互助関係にいたるべき
問題提起とその解決方針が書かれています。
当然わが国にも、真摯ないわゆる官僚作成計画があります。
最近、官僚はほとんど悪人扱いがこれもある種の風評。
私はかっては国の委員などした経験もあり、
審議会後、議事録の「霞ヶ関文学」に幾たびも文句をつけました。
よって、おそらくブラックリストの一人なのでしょう。
以後、霞ヶ関に出かけることはまったく無くなりました。
だから御用学者ではありません。
墓場に持って行くわけにはいかない話はすべて書き残す覚悟です。
でも2030年計画には理想主義的計画は確かにいっぱいありました。
というわけで、2030年の様々な計画書を見ると、
特に、CO2問題、エネルギー問題、電力と情報ネットワーク問題、
こうした計画は、今回のフクシマ原発事故で、
すべて見直しになったものと考えます。
そして、私はわが国の現政権は、
少なくともわが国の2030年計画は白紙となって、
あとは「思いつき」で被災地と原発問題に対応しているだけです。
というより、代議士はじめマスコミも、
2030年問題解決の各国提案を本当は読んでもいないのでしょう。
世界人口が100億人になろうとしている事態に、
民主主義や資本主義などは、
すべからく「民衆主義=ポピュラリズム」に代替されています。
「反原発」が「脱原発」へ、
これも浅はかなポピュラリズムにすぎません。
私は、「解原子力=新生エネルギー」であるべきと考えます。
2030年計画では、「再生エネルギー+原発」思想が目立ちます。
この程度が人類の発想=空想エネルギー論であっては、
「思いつき」と「思い込み」であって、創造性を喪失しています。
フクシマ原発事故=人災が突きつけていることは、
本当に21世紀を生き延びる本当の科学と技術をベースにした、
人類の知恵を修練し結集せよという啓示だと私は認識しています。
勉強不足のマスコミ、ひたすら専門馬鹿の評論家や御用学者、
彼らのポピュラリズムに惑わされてはいけないのです。
2030年計画を厳粛に読み直し、修正とさらなる創造性、
これがデザインテーマだと私は考えています。

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7月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 24th, 2010  Posted 9:00 AM

7月24日 赤口(乙亥)

ここで一つ
問題提起をしておかなければならない。

それは、謙譲的で寡黙泰然とし、
けっして饒舌であってはならないということが、
現代的な品格の定義たり得るかという点である。

『デザインは言語道断』品格


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