kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ブレスレット’


「いっちょらい」


   


     3月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

有田に来ています。
身につけているのは、「いっちょらい」のモノです。
「いっちょらい」というのは福井弁です。
私の発音は未だに福井弁が消えていないようです。
京都生まれ京都育ちのワイフからしばしば指摘されます。
しかし、奈良と京都の文化を支えていたのは、
越前と美濃だという確信があります。
だから私は越前生まれを誇りにしていますから、
福井弁のまま生きていくでしょう。
今出張中ですが、
身につけているのは、すべからく私が選び抜いたモノですから、
多分、形見になるモノばかりです。
時計も私のコレクションの中では特別注文したモノです。
今、日本人のある時計師の方にもいづれ頼みたいモノがあります。
財布はもうこれほどのクロコダイルでしかも青染めは出てこないでしょう。
ブレスレットは、時計に合わせて自作したビーズのブレスレットです。
今年修士修了生には手作りのブレスレットを贈りました。
結構、私の手作りは人気があるようです。
時々、見せびらかすと「いい」と言われると、
ついついプレゼントしてしまいます。
なかなか時間が無いので、ちょっとの息抜きに造ります。
すべての教え子に贈ってやりたいと考えています。
つまり、ブレスレットで手かせとして呪縛してやろうという魂胆です。
カレッジリングも自分の大学卒業年度72アンティークリングを
いつも探して集めているコレクションの一つです。
自分の研究室生にはカレッジリングデザインして
造ってやりたいと考えています。
もう一つのリングは、
私なりにこのデザイナーとは闘ってきたライバルの作品です。
ともかく、私の「いっちょらい」を出張中ゆえに身につけています。
もう自分の時間制限が見え始めていますから、
「いっちょらい」に、
自分の生活を包んでおきたいというのが念願になっています。
有田の新作は、工房工場も訪問し、
スタッフの皆さんに挨拶ができました。

目次を見る

「プラチナ釉薬とセラミックスをデザイン主導」


   


     3月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

2050年から地球環境が怪しいと気づいていた企業。
20世紀末にそのことに懸命だったのが、エルメスでした。
それはエルメス本来の皮革製品開発が困難になると予想していたようです。
したがって、この企業は画然としたブランド企業ながら、
環境ビジネスへのベンチャー企業投資や特許申請は大変なものでした。
それは陶磁器にも表れていました。
陶磁器は本来はどんな形態でも造り出せる粘土です。
しかし、セラミックスはこの粘土をアルミナにして
粘土性能を否定した新技術・未来技術です。
これに日本各地の陶磁器産地は注視すべきだと私は考えてきました。
ただし、彼らは装飾絵柄にこの材料を使っていました。
エルメスには、独自の模様=パターンがあります。
「シェーヌダンクル」=錨の鎖というパターンであり、
商品アイテムではブレスレット・ネクタイなど、
いわばブランド表現を代弁する代表的なパターンになっています。
そして、エルメスの陶磁器で注目したのは
プラチナ釉薬によるこのパターンでした。
私の狙いは、表面処理としてプラチナの鏡面光沢を使えないだろうか、
というテーマ設定でした。
私は、最も先鋭的な陶磁器製品開発は
エルメスではないかと常に見つめてきました。
それはプラチナよりも、
青の至って陶磁器の歴史性では当たり前のモノが
昨年進化して商品化されました。
この14日に
私は産地・「福泉窯」とKz-aritaというブランドで発表しました。
産地にて、今回の発表からさらに貿易商品化を考えています。
これは何も有田焼産地だけではなくて、
日本の特に陶磁器産地は、伝統的工芸産地になっています。
ところが伝統的工芸産地は、
伝産法(私は悪法と考えてきました)に呪縛されていることもあり、
私は根本的な革新はデザイン導入だと考えています。
伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)というのは
沖縄返還時につくられた
本来は沖縄再興と地元の伝統工芸活性化をねらっての法律でした。
これに対して私には根本的な考え方があります。
それこそ、「シェーヌダンクル」な意味を与えています。
プラチナはじめセラミックスの未来技術を
デザインが主導すべきではないかと考えています。
私は、陶磁器に限らずいわゆる日常の「器」、
それは「食器」から「家具」に至るまで、
相変わらずの形態可変に終始しているデザイン、デザイナーは、
すでに20世紀から今世紀に入ってきていないとさえ思っています。
特に、次世代デザイナーには、もっと旧態たる「モノづくり」への
大きな姿勢・態度をその知見=美学性と知識性で変革してほしい、
それが教育者でもあるので強調しておきます。

目次を見る

「出来ないかもしれないけれど・・・」


   


     1月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

週末は京都に出かけることが多くなりました。
自宅から45分ほどで京都に入ることができます。
そして、車椅子の私には結構バリアが少なくて移動が楽です。
なんといっても、映画を観るには京都が最適です。
東京はまったく駄目です。
映画館が不親切であったり、車椅子席が最悪な所が多くて
ついつい喧嘩腰になりそうな嫌な映画館が多過ぎます。
大阪は映画館がなんとなく不潔っぽく清掃が行き届いていません。
金沢も親切で席もいいです。
が、なんといっても京都は
車椅子席が一番良い場所にあり、スタッフみなさん親切です。
だから映画をよく観るようになりました。
映画についてはコンテンツ産業として
日本は間違っていることが多いように思ってます。
いづれ書くことになるでしょう。
さて、この正月はビーズ工作に熱中したこともあって、
周囲からもブレスレット欲しいと言われてしまったので、
それなら、部品もオリジナルをデザインし自作して
プレゼントしようと思いついてしまいました。
それで、「よし、京都行くぞ」てな具合で、
夜に出かけて、深夜は真剣に一冊だけ熟読メモづくり、
翌日は、映画を2本観て、
それからビーズ屋ですべからく観察しビーズを買いためてきました。
ビーズ、きらきらしていてとても綺麗です。
綺麗なことって、
見ていても純粋というよりは単純にうれしくなります。
そう言えば、最近の商品デザインや企業が美しいとはとても思えず、
ただ、安価なモノづくりは
世の中に「ゴミをばらまいている」と腹立たしくなります。
ともかく、ビーズはきらきらしていてそれだけで十分綺麗です。
買いためましたが、出来るかどうかわかりませんが、
ブレスレットを作ってみようと小さな決心をしています。

目次を見る

「歳末を感じる頃になった・・・」


   


     11月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

「喪中につき・・・」、
このはがきが届いてしみじみともう歳末か、
こんな想いになりました。
母の親友だった小母様が逝かれた報でした。
91歳ですが無念でありながらもならば大往生でしょうが、
子供の時から、そして金沢での個展にも来ていただき、
お小遣いをもらってしまい、
断る私を親友が「もらっとけよ」と声をかけてくれました。
「母が生きていたら」と時折電話をくれる大切な小母様でした。
また私にとって大事な人が逝ってしまいました。
ことさらに自分の年齢と遺された時間を思います。
雑誌やwebsiteでも、「手帳やカレンダー」の広告、
そして先日は金沢で「干支・龍」の九谷焼置物をいっぱい観ました。
来年は「辰年」です。

あらためて、大好きな龍のブレスレットを出して、
磨こうかと想い始めています。
昨日、手術後最初のICDチェックをしてもらいました。
無論ながら順調ですが、
ドクターと、留学から一時帰国のドクターと
「日本人のためのペースメーカーやICDが当然必要」、
そんな会話をしました。
人工臓器学会からは「補助人工心臓について」の案内が
届いていました。日本製ICD開発は国内生産困難です。
なぜ?誰が駄目にしているのだろう?
そんな連中に「ご政道」はありえません。
今、私の生命を監視し、万一の場合の緊急処理機器には、
デザイナーとしてものすごく不満があります。
私にとって、先般2台目となったICDも守り神ですが、
来年は「辰年」なら、
龍のブレスレットも大事な守り神になるでしょう。
3.11で私たちは多くの同胞を失いました。
哀しみいっぱいの年でした。
もう歳末に入りますが、オーロラがあったりの異常性、
タイでの大洪水などとんでもなく自然驚異に包囲です。
おそらく来年への備えに今年は早く入るべきでしょう。
母の親友の逝去の報にあらためて歳末の感があります。


目次を見る

3月4日Staff Blog


   


     3月 4th, 2011  Posted 10:58 PM

3月4日

腕の巻きモノ、
時計や金属系・
シリコン系ブレスレットが大好きな
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

ただ今、腕にはiPod nano+アームバンドを。
iPodで車内音楽とナビも充実中です。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「# 男のくせに・・・ #」


   


     5月 8th, 2010  Posted 12:01 AM

指輪とブレスレット・大好きです!
私は多分、趣味と言ったらなんでもかんでも、
好きになったら、留めを知らないほど夢中になってしまいます。
これはきっと「一人っ子」だったからでしょう。
だから、ブログでもこのことは随分と書き散らかしています。
趣味なんでしょうが、「指輪」とか「ブレスレット」には、
いつも心惹かれれば、欲しくなってしまうのです。
ただし、これは動機があります。母でした。
私が美大進学となって、ようやく学生服からいわゆるジャケット、
明らかにVAN世代ですが、これも変遷します。
学生服も、高校からは「仕立て」られていた
「高校規則指定どおり」を着ていました。
母が「仕立て」たものを着せてくれていました。
VANを初めて買いに行ったとき、
母は、「デザイナーになるのなら、思い切りキザになればいい」。
「男もうんとオシャレしなさい」ということで、
指輪とブレスレットを買ってくれました。
「こんなの女々しいから、イヤだ」と言いました。
が、母は、「綺麗なモノを身につけなさい」ということで、
その日から、指輪とブレスレットです。
夕食時、家族3人ですから、
父は、「なんだ!、それは、女々しい」と一喝でした。
が、「母が買ってくれてたんだ」と言ったら、
それ以来何も言いませんでした。
私は、今も、美しい指輪、美しいブレスレットを探し求めています。
指輪とブレスレットなど、
「男のくせに」って言われてきたこともあります。
しかし、私は、新しい指輪やブレスレットに出会うたびに、
47歳しか生きられなかった母と出会う気がしてなりません。
「男のくせに!」。そう言われれば言われるほど、
私は、指輪とブレスレットにますます夢中になっていく自分に出会います。
その出逢いを母が今も見つめていてくれる気がしてなりません。
デザイナーで良かった!と思っています。
男のくせに、をいっぱいできますから。


目次を見る