3月 22nd, 2014 Posted 12:00 AM
今年の万年筆その工業性と工芸性が低迷していると判断してます。
したがって、私の日常性、持ち歩く万年筆とペアの筆記具は、
この三種類に決まってきていることに気づきました。
とりあえず、65歳になった私の持ちものとして記録しておきます。
工芸性と品質性は、それぞれのブランド=企業理念表現に、
見事に適応しています。
なにしろ、私のセンス判断は文字と筆記具には評価軸があります。
最大の理由は、「字はその人を表す」ことを盲信してきたこと、
さらにプロのデザイナーとして特に、万年筆には想いがあります。
たとえば、国際政治のサミットでは、
その会議対応の万年筆が選ばれることになっています。
それは、国際的な調印をシンボル化する「筆跡」支援の道具です。
この道具・万年筆には会議主催国家のセンスがあるのでしょう。
私は万年筆が「表現のツール」であったことを歴史が立証です。
よく雑誌には、著名人とその人好みの万年筆が紹介されます。
私はこれを見る度に、紹介されたいわば文化人の意識を見ます。
いくつかの判断や評価は書き残しませんが、
海外では、日本の著名人の万年筆選びの貧弱さが書かれます。
それゆえか、日本の万年筆メーカーのブランド性はありません。
海外向けの特殊ブランドを国内で使用している人を知りません。
さて、なぜ、私は万年筆を取り上げているかというと、
それには「文字」との関係性のモノ・筆記具がそのまま、
日本人の知的活動能力の評価軸だと思うわけです。
腕時計、鞄、靴などが行動能力の評価軸になるのと等しいのです。
私自身、万年筆のコレクションとその内容は趣味ですが、
それをこえて、デザイナーとして、アナログ性・デジタル性、
そして、時代性としての自己ファッション性と連鎖しています。
「ブルーを持ち歩くというファッションとデザイン効果」
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3月 21st, 2014 Posted 9:30 AM
3月21日辛卯(仏滅)
構造とは本来は、
多種な素材あるいは一種の素材でも、
寄せ集めてプラス化させる。
とすれば、
集中した造形に至ることは
当然である。
が、
この構造を消滅させることに、
アクリルを使用した。
倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』5アクリルの生涯連鎖
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3月 21st, 2014 Posted 12:00 AM
毎年、私は万年筆のカタログで、モノの豊かさを確かめます。
確かに、私たちの世界はデジタルな機器や装置で、
特に「文字」つまり表現を表す世界世界観は格段に進化しました。
人間の日常的なモノの世界も、もの凄く拡張しています。
世の中のモノそのものの多種多様さは驚くばかりです。
しかし、私は「万年筆」というモノを極度に大好きですから、
この世界はつぶさに見、また、自分の欲望=欲しいと熱望します。
無論、昨年、あるメーカーは一つの革命・発明をしました。
けれども、この2年ほどで、いわゆる工業性と工芸性、
これらの表現力は格段に後退していると判断しています。
万年筆の値段で言えば、最高級は2800万円程度のモノは、
もうほとんど不可能になってきたようです。
確かに、筆記具自体は、鉛筆も進化していますし、もはや鉛筆、
この存在はすっかりシャープペンシルになりました。
文字の表現においては万年筆への工芸度の技能と技術は
年毎に、手造りという技能は激減しているのです。
私はたかが万年筆の工業性と工芸性に世界の豊かさを見ています。
では万年筆に変わってデジタルペンやスタイラスがありますが、
絢爛豪華ともし呼ぶとするなら、そのような表現性はありません。
だから、たかだか万年筆だけを見て来ても、世界は貧しいのです。
それでも、ブランド性だとか高級感だとか、時代の普遍性などは、
もう一度、モノの「豊かさ」で評価すべきことなのです。
なぜなら、鉛筆・スタイラスペン・ボールペン、そして万年筆は、
人間にとって、「何が重大なことでしょうか?」、この質問は、
とりもなおさず、そのモノ=万年筆と使い手の関係性です。
つまり、貧しい人間になってはいけないのです。
真に豊かな人間とは、この筆記具の一つである万年筆一本でも、
それが「豊かなファッション性」なのです。
これすら見えていない人間はその「生」までも貧しいと思います。
『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
「机上の一本はスケッチ用万年筆」
「今年革新だった万年筆を再度確認」
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3月 20th, 2014 Posted 10:09 PM
3月19日
第9回川崎和男未来塾
ふるさと福井にて6月の発表会に向けて
福井県織物工業組合の
「oooプロジェクト」進めています。
お楽しみに!!
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3月 20th, 2014 Posted 9:30 AM
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3月 20th, 2014 Posted 12:04 AM
今日、藤巻氏はこの世から、あの世へ「死者の書」によれば、
49日の旅路に向かうでしょう。
彼の自宅で本当に彼の正装で眠る姿で、現実=彼の死を自覚しました。
私の前では、二つの表情がありました。
出逢えば、人なつっこい笑顔、ところが、私が真面目な話をし出すと、
まさに直立不動かと思うほど、それもエネルギッシュな姿でした。
54年間、おおよそ30年間に彼は著作を残して逝きました。
彼が自宅で横たわる枕元にも数冊の諸作がありました。
あらためて彼の著作を見直してみると、ほとんどの著作には、
イガグリ頭で、笑顔がそのまま表紙のアイコンになっています。
まさに「商売人」と言っても、彼の「商売のエッセンス」にどれだけ多くの
ファン=読者を持ったことでしょうか。
マーケッティング=商売そのものを彼は活き活き元気に語れた男です。
これが彼の体験と未来への想いのホンの一部だったと思います。
出来るならば、もう一度、彼のことばに沈み込んでみたいと思います。
商売まっしぐらの中に、ファッションを根幹にして、
デザインへ真正面に取り組もうと私に質問をぶつけていました。
そのとき、彼がハッとしたときには、至極真面目な表情になります。
私は、そんな彼を見たくて、相当にお説教もしたものでした。
納得したときには、もうこぼれるような笑顔は、
元気そのもののまさに表紙のアイコンでした。
彼の死に出逢ったとき、「藤巻、これはないだろう!」、
私は最初にそう呼ばざるをえませんでした。
見せたかった「繊維の本質・感性評価」のために、
昨夜は、ふるさと福井で繊維の記号開発メンバーに言いました。
かつての織物職人は、真っ暗闇の倉庫の中で、
繊維の中に両手を入れれば、
それが、どんな反物であったかがすぐに分かっていました。
この基準化と標準化を私は成し遂げるつもりです。
それが、笑顔の藤巻氏への私なりの役割だと思っているからです。
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3月 19th, 2014 Posted 11:47 PM
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3月 19th, 2014 Posted 12:00 AM
20世紀を前に、CRT・ブラウン管から、プラズマそして液晶が、
画像映像の技術要素でした。
私は子供の頃テレビが自宅に来て、気づけば、
ディスプレーからモニター機器のデザイン、その最先端技術を
プロとして追いかけ商品化してきました。
徹底的にプラズマ批判をやり、そのことで私自身が、
それこそメーカーはじめ掲示板非難をどれほど受けたでしょうか。
しかし、私の批判は案の上見事に的中していました。
プラズマ批判に対して私を誹謗した連中は匿名性に隠れた発言を
どれほど繰り返していたことでしょうか。
私は、こうしたモニター出現こそ、情報をプライバシー、
それも匿名性の中でこそ発信出来るという浅はかさを発見。
今や、液晶画面はモニターからパッド、ケータイ、カメラまで、
私たちは画像映像情報を、あたかも情報化民主主義のごとく、
大きな勘違いをし始めているようです。
その代表例にはテレビマスコミの勘違いが世情をねじ曲げ、
情報民主主義に民主主義そのものまで歪曲化させているのです。
やがて画像映像情報は、ウェラブルPCやHMD(=スカウター)上でも
液晶技術の進化を引き込んでいくでしょう。
願わくば、情報民主主義がまずはマスコミ=羽織ゴロからの
様々な逸脱を機器デザインから外していく必要があるようです。
羽織ゴロとは新聞が登場した時に報道の偽情報化記者の事です。
私は技術要素としてプラズマを全否定したごとく、
とりあえずは液晶ディバイスの進化とその表現実務でのデザインを
もう一度、正当な情報化民主主義に適用させたいと考えています。
その一つをあげておきます。
ネットワーク・インターネットで商業主義(金儲け)でのみ、
情報化の進展を語り始めている新たな羽織ゴロの存在があります。
「プラズマTV商品問題に例示される未然技術」
「ブルー青色へのヒューマン・ファクター問題」
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3月 18th, 2014 Posted 11:46 PM
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3月 18th, 2014 Posted 12:00 AM
藤巻幸大といえば世間では「カリスマバイヤー」として著名です。
彼に声をかけられたのは、私の眼鏡フレームデザインからでした。
もう一般化した「DESIGN TOKYO」の仕掛けとデザインコンペも
その審査をしてもらっていました。
そして、彼をTV画面・国会中継で目にしてから、
直接、「議員になってしまいました」と聞いて大変驚愕でした。
あれほど、損得無く一心不乱に政治に取り組んだ人物を
私は間近でみた「男」だと確信しています。
正直、デザインと政治は本来は深い関係であるべきですが、
私は政界も学界もデザイン界も、ともかく人が集団化した「界」、
そうした「界」にはできる限り距離をおくべきと思っています。
なぜなら私の理想あるいは野心は必ずその裏切りがあるからです。
もう裏切られることからは白楽天の想いがいっぱいです。
しかし、藤巻という人物は全く異なっていましたから、
私自身彼の厳密さと繊細さが政界ではと一抹の不安がありました。
時折、入院するほど身体は弱かったようでした。
彼の所属政党を不信せざるをえなかったことを、
彼は「変わる、変える!」と言って、「結いの党」になりましたが、
その新党のイベントから姿が見えなくなりとても不安でした。
とうとう手紙を病院へということになりましたが早世しました。
54歳です。2050年ー私は居ないけれどという話をしました。
彼にはそこを超える理念の国士であったはずでした。
日本の政治に「デザイン」は、思いがけなくも、
野党でありながらも、国政に持ち込める唯一の存在でした。
明日、いや本日彼に会って来ます。
彼を失ったことは日本の「ファッション・デザイン・ブランド」、
この大切な制度設計の基盤固めの重大人物を失いました。
彼の49日の冥途への旅路の安全を祈るばかりです。
「政界に初めてデザインを持ち込んでくれた男・藤巻議員」
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