3月 6th, 2012 Posted 2:25 PM
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3月 6th, 2012 Posted 1:03 AM
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3月 6th, 2012 Posted 12:00 AM
ルーブル美術館は年間来場者数400万人と言われています。
比して、21世紀現代金沢美術館は
日本では最高200万人近くの来場者数です。
美術館としての社会的存在性を
金沢という街と相補的な関係性を保持しています。
母校の卒業制作展とともに、
「若手芸術家の発掘」企画展においても私はまた学ぶことができました。
日本生まれの英国人アーティスト
ピーター・マクドナルド「訪問者」の企画展で、
私は欲しくてたまらない彼の作品(↓)を見つけました。
彼の自由な平面構成絵画に表現された彼の「感性」です。
あらためて私は「範・感性」と言っておきます。
デザインにおいても「感性」表現、
「感性工学」が基本的学識になって久しいのですが、
私なりには一家言を持ってきました。
その一つは、デザイン教育者として、
徹底的に「感性」を哲学的知識として講義し、
デザイナーとして、自分の「感性」と対峙してきました。
特に、私の「感性」は、まず音響があり視覚的刺激があり、
生きがいの感受性の確認でした。
理性・悟性・感性を歴史的定本から学ぶとするなら、
ギリシア時代、感性を低次な認識知としていたことは、
カントの理論的集約によって理性以上に重要な大きな世界観になりました。
さらにそれはニーチェから構造主義やポストモダンまでが
その再定義や認識性を与えてくれました。
私にとって、
「感性工学」という範疇に自分のデザインは配置していません。
むしろ、直観と感性をDIVINATIONとして
デザイン対象に込めてきたと想っています。
そして、彼の作品を日常生活に置いてみたいと思うほど、
彼の感性から「範・感性」を感じ取ることができました。
少なからず、現在進行中のデザインプロジェクトには、
絶対に取り入れたと考えています。
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3月 5th, 2012 Posted 3:08 PM
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3月 5th, 2012 Posted 12:00 AM
マリアン・デレオ監督「チェルノブイリ・ハート」、
これは「反原発」のドキュメンタリーです。
このドキュメンタリーは重大な原発事故後の報告映像です。
どれほど原発事故が人類史上悲惨の極点を伝えています。
そして、この映画の冒頭には
「日本人のみなさんへ」という次の詩が流されます。
「生きることについて」
生きることは笑い事ではない
あなたは大まじめに生きなくてはならない
たとえば 生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない
(中略)
そのことをいま 嘆かなくてはならない
その哀しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」というつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない
私たちが原発事故で佇むべき熟考の
動機付けになると確信します。
無論、日本は原爆被災国家であり、
さらにフクシマでは、自らの原電制度によって、
またもや「原子力発電・放射能」について、
多大な犠牲者の屍への哀しみを、まず、国家体制へ、
そして私たちの電化生活文明への猛反省を求められています。
私は「反原発・脱原発」も「原発推進」も、
結局は「放射能」へのアポリアで思考停止していると考えています。
「範原発」という目標と目的を掲げ直したいと提案します。
原子力発電所を、「建設から生産へ変更」、
「集中から分散へ、例えばタービンレスへ」、
「プルトニウムへのブレークスルーで別原子核へ」、
原子力技術の全否定=「反原発」は、
何も解決に至らないから「原子力技術自身の革新」を主張しています。
その具体例をデザイン提案していきたいと考えてきました。
私はこの原子力技術の手法の変換、革新、
その範疇・範囲・模範への智恵創出を
「範原発」と呼ぶことにしています。
チェルノブイリの立ち入り禁止地区という範囲には、
絶滅したはずの動植物のパラダイスともなり、
その範囲からの放射能汚染・ホットスポットは今なお人間の生存、
遺伝子破壊は連続しています。
放射能・放射線の諸刃の剣的な人間との関係性に「範」を与えること、
この重大さに発想を向けるべきではないでしょうか。
美しい花を愛でて日常を高度文明の中で護られ、
生き抜いた結果の死だからこそ、
美しい花に包まれた死をと私は願っています。
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3月 4th, 2012 Posted 10:00 AM
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3月 4th, 2012 Posted 12:12 AM
アーティスト・角永和夫氏の作品「SILK」は、
自然と反自然を提示しています。
ここから私たちが学び取ることは、自然と人工の問題です。
文明=飢えと寒さへの人間営為は、
自然への人工的な制御技術の獲得でした。
人間が自然、その総体である地球環境で
生き延びるためには「自然」から科学を
そしてその具現化としての技術を進化させてきました。
結果、この作品が見事に提示してみせた人工とは「反自然」であり、
蚕が遺伝子操作によって平面繭を「美しく」吐き出して死を迎えます。
しかし、その労働を終えた蚕は産業廃棄物になり、
地球環境には戻せないという現実問題と直面したのです。
「反自然」=人工とするなら、
人工の成果は廃棄物になっていくことが決定しています。
それは地球に在ってはならない存在を生み出してしまうことでした。
自然と人工に循環という理想型を人間は未だに準備できていません。
これが現代の文明を呪縛し包含し解決不可能=アポリアとして
人間界を閉じ込めています。
この作品は、蚕と繭です。
この作品が自然保護団体から「反自然」と誹謗されている構造は、
「反原発」に重なります。
「反」を唱えることはアポリアを全面肯定している正義性に見えます。
が、人間が生きることを全面肯定するには、
「反」を掲げた問題設定では解決はありえないと私は考えます。
人類にとって、原子力・放射能に対しては、
「反原発・脱原発」・対・「原発推進」の構造ほど
アポリア全てを、実は、同一次元で全肯定しているのです。
原子力・放射能への「反原発」だけでは、
自然との調和などは智恵不足に他なりません。
自然との調和などありえないからこそ、
もう祈りにも通じる智恵が絶対に必要不可欠です。
人間は、生から死までを真剣に受け入れて
「生きがい」をもって自然なる死に至らねばなりません。
「反原発」というシュプレヒコールでは問題解決不可能なのです。
私は原発推進派と誹謗されていますが、
そんな立ち位置にいるわけではありません。
人工物・自動車による交通被災で歩けなくなり、
人工物・ICD=除細動器で心臓を護り抜いています。
私は、「反原発」ではなくて「範原発」です。
この根本は、「範自然」観を
デザインで創出することだと考えているからです。
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3月 3rd, 2012 Posted 10:00 AM
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3月 3rd, 2012 Posted 12:00 AM
アーティスト・角永和夫氏は、芸術という技法で、
私たちに突きつけてきた事実でした。
芸術技法がその事実を訴求していることです。
私のまなざしの評価軸=物差しは、
宮川淳から学んだことで咀嚼してきました。
だから「引用」ということばでまとめると、
この芸術は「自然と人間の関係」を
蚕という「家畜の存在」を引用していることです。
蚕が、今ではすっかり遺伝子操作された繭として
身体を包むのではなくて平面繭を吐き続けます。
そして、その役割を終えた命を自然界に戻すことはすでに限界、
役目終了の命は産業廃棄物だという事実。
繭は絹という人間にとって
素晴らしい美の素材を与えてくれますが、
蚕を家畜とする人間・対・自然は、
果たして人間が自然への対決を目指した成果でしょうか、
それとも自然界を見事に利用した調和でしょうか。
どちらなのかと言い切る事はすでにアポリアになりました。
私は、たかが蚕という虫に過ぎないからとか、
人間の文明=飢えと寒さから絹織物で身体を護ること、
その意味性を問い直します。
蚕を引用し再度検証し直さねばなりません。
芸術という技法は、
人間と自然の関係に「蚕と繭」を引用して見せた作品です。
私はこうした「引用」を差し出すアーティストを敬愛します。
だからこそ、芸術家の問題意識を
デザインは真正面からその問題解決に向かう姿勢が必要です。
まさしく、モホリ=ナジが
「デザインとは社会に対する姿勢」と言い残したことに通底します。
私は「繭と原子力」をこの引用から引き出すことさえ可能と考えます。
彼のこの芸術的営為は、米国を拠点としていることもあって、
自然保護団体からバッシングされていると
美術館のキュレーターの方々から聞きました。
私はこの作品制作の全過程をDVD出版してほしいと伝えました。
金沢21世紀美術館からは記録DVD15分をいただき、何度も見ました。
したがって、
このブログでの写真はすべて作家と美術館から拝借したものです。
今日は「ひな祭り」です。
女の子の成長を絹織物の着物を纏って祝います。
自然からの文明を創出した繭から絹素材が身体を護ります。
「ひな祭り」は文明から引用し昇華された文化という制度です。
Tags: アーティスト, キュレーター, デザイン, ひな祭り, モホリ・ナジ, 人間, 家畜, 技法, 文明, 産業廃棄物, 絹, 繭, 美, 自然, 自然界, 芸術, 蚕, 角永和夫, 記録DVD, 遺伝子操作, 金沢21世紀美術館
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3月 2nd, 2012 Posted 11:31 PM
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