kazuo kawasaki's official blog

Archive for 4月, 2011


「見えることの安心・信頼そして不思議」


   


     4月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

人間には見える、見えないがあります。
見えるのに見えない人もいれば、
見えないと思うけれど見える人。
その「見える対象」は三つです。
■「守護霊」、見えるという人がいます。
フゥーンとしか、私には言いようがありません。
もし父母、祖母祖父となれば、先祖すべてが守護霊だったら、
部屋中いっぱい居るんだとからかいたくなります。
■「UFO」、確かに見たんだ、という人がいます。
私は友人にしたくないタイプです。
ただ、私もUFOも写真や映像で見るのは楽しみです。
そして、UFOって飛んでいるのかも知れない、
宇宙からやってきているとしたら夢があると思っています。
■さて、絶対に存在しているのに「見られない物」です。
それは、ウランやプルトニウムです。
これは存在していますが写真や映像で見たことがありません。
放射能となれば存在しているにも関わらず「見えない」のです。
いわゆる電磁波が存在しています。
可視光線は電磁波のある部分です。
おおよそ300nmから700nmの幅内にある、
紫から赤までの色彩です。
この可視光線は、硝子の塊を室内に置いておくと、
晴天の日には、室内に虹色が見えます。
室内にこの虹色がいっぱい発生する日はなんだかうれしいのです。
可視光線をプリズムを使えば見えるということを
ニュートンが発見して教えてもらえたのです。
なんとしても、「放射能」が見える物・モノが必要です。
ガイガーカウンターで放射能の測定値を数字で見れます。
ところが、現政権、そのリーダーや閣僚の方針や哲学は、
まったく見えてきません。
これが最も私たちには、放射能より恐怖だと指摘しておきます。
パフォーマンスする女性ホステス閣僚などは、
その行動アピールが「見えている」にも関わらず、
かえって、信頼より無能さが見えるのも不思議なことです。
さらに、存在しているならHAARPも是非見て確認したいモノです。

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4月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 16th, 2011  Posted 10:00 AM

4月16日 仏滅(辛丑)

喧嘩を自ら仕掛けておいて、
自己嫌悪に陥っている。

そして、
そんな自分を自分でじっくりと
観察して酔っている。
その酔い方が問題である。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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「復興への意欲は、まずトポフィリアの確認」


   


     4月 16th, 2011  Posted 12:49 AM

地元愛はトポフィリアと言います。
住めば都というのではありません。
自分のふるさと、自分が生きて居る場、
そうした場所=トポスへの
限りない愛着心がトポフィリアです。
最も、そうした言葉よりも、
生活の場への愛着心は誰にとっても捨てがたいものがあります。
高校時代に大好きだった先生がこんな話をしてくれました。
「男は若いときにはふるさとを離れ、人生の旅をしなさい」。
この考え方が英国紳士の基本的な姿勢だから、
彼らは大航海時代をつくることができたということでした。
「そして、恋愛をして伴侶を見つけること、
そうしてさらに旅をするか、あるいは生活の場をつくる」
アラビアのロレンスの生き方がヒントだと言われました。
「年老いたなら、その愛する人とふるさとに帰る」。
私は、ふるさと愛、あるいは生活の場への愛着心は、
こうした生き方にあるのかもしれないと思っています。
被災した方々が、絶対に破滅した街に戻りたい。
あの原電20km圏内では、すでに生活をしている人々がおられます。
彼らはその街への限りない愛着心があるのだと納得します。
ようやく、原電事故修復を10.5年プランということで、
まず10.5年という期間が設定できました。
そこで、現政権が本来示すべきビジョンは必要不可欠です。
そのビジョンが、復興よりも新しい創造された街をというのは、
リーダーがいうべきビジョンではありません。
そのために新たな原資としての増税や復興国債、
こうした制度設計ではありません。
「ビジョンづくり」で最も肝心なことは、
「何が不可能であるか」ということを見極めたプランづくりです。
なぜなら、その「場」では、
出来ることと、出来ないことが共存しているのです。
  山で魚は獲れません。
  海にサクランボは実をつけません。
その「場」への愛着心には必ず不可能な事があること、
そのことを最も知り尽くしているということです。
納得している重大な覚悟があるということが愛着心です。
それをトポフィリアという定義だと考えています。

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     4月 15th, 2011  Posted 9:55 PM

Kazuo Kawasaki フレーム発売中
MP-750,751,752
■ 価 格:25,200円(税込、レンズ別)
■ 詳 細:オンラインカタログ
■ お求め:直営店、パートナー店
増永眼鏡より発売中の眼鏡フレーム、
「Kazuo Kawasaki」シリーズの最新作になります。
金属と樹脂の組合せによる、質感と装着感をご体感ください。

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4月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 15th, 2011  Posted 10:00 AM

4月15日 先負(庚子)

「稚心を去れ」、
ふるさと福井の偉人、
橋本左内のことばだが、
それができない自分が、
やっぱり喧嘩相手じゃないか。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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「失われし物事への無常、その答発見が企望」


   


     4月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

無常観、正直むずかしいことです。
しかし、無常というのは、
失ってしまっても未練無き想いでしょう。
所詮、人は何も無くても強いはずという信念があります。
間もなく、桜が散ると思います。
大阪に来て、桜を見ることは日常的ではなくなりました。
名古屋時代は隼人池周辺の桜で取り囲まれた生活。
自宅から毎日、その桜並木を見ることができました。
この国難は、連日この日本列島を震わすのです。
だから、桜の花にあらためて無常な想いに震えます。
それなら無常という日本の伝統的美意識を覚醒することでしょう。
被災地の人が明るく「ゼロから再出発」という気持ちを、
正直、私が共有できるかというと出来そうにありません。
けれども、失ってこそ、気づき識ることが人間の精神力です。
私はこのことを識って生きながらえてきました。
まさか、自分の生涯で1000年に一度という天災どころか、
原電事故という人災まで体験できるとは思いもしませんでした。
もっとも、「歩けなくなる自分」とか「大学人」になるとか、
このようなことこそ、私の「想定外」だったのです。
かくなる上は、まず「想定内だった批判」を明確にしておきます。
その一つが、「玩物オタク趣味であった大学や研究機関の怠慢」と、
「独占的企業であった電力各社の原子力発電」です。
そして、現政権が立ち上げた「復興会議」の最初の応答が、
「復興のための増税」というのは、誰でも言えることです。
だから、私は「応答」でしかないと言っておきます。
まず、被災地の人々に「回答」をする義務があります。
「回答」ゆえ、課題は被災地の人々や原電事故修復・復旧です。
東芝が原電事故の修復日程は実務時間を示した「回答」です。
これをどれだけ政府意志決定を全国民は待っていたでしょうか。
まず、10年あの原電事故被災地が復旧はできないことです。
これからは国際的な原子力への「解答」合戦になります。
おそらくロシア・フランスが勝手な情報発信をしてくるでしょう。
日本人は「無常観」に照らし合わせて、
復興への真の「解答」づくりこそ、企望なのです。

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4月14日Staff Blog


   


     4月 14th, 2011  Posted 11:55 PM

4月14日

音楽のデジタル化。
所有しているCDを、
全て地道にi Pod classicに
HDDメモリー化している
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
CDパッケージソフトに固執していた
ステレオサウンドからも
USBがでています。
(これは1000本限定発売。)


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4月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 14th, 2011  Posted 3:51 PM

4月14日 友引(己亥)

華を授けるように喧嘩をしたい。
だから、
愛しさをことさら感じる。
それが、
喧嘩道だと信じたい。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき

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「文明破壊は断絶遮断されるから・・・」


   


     4月 14th, 2011  Posted 12:00 AM

天災は「文明」を破壊します。
このことを忘れさせる事態ほど、
さらに悲惨なことは無いのです。
「文明」の根本は、「生きていられるか」でしょう。
「食べること」と「寒くないこと」、
これが最低、生きていられる必要条件です。
食料と衣服が充分であることは、見事な文明だったのです。
日本という楽園国家は半分破壊されてしまったのです。
私は現地の被災状況をTV報道でしか知り得ず、
それ以上分からないことばかりです。
ただし、判断は出来ます。
その一つがここで「ことば」を選んで思考と想像の整理です。
破壊された文明は、地道に積み上げられたきた
アノニマスな人々の日常でした。
だから、ささやかで個々人の集積には代え難い価値がありました。
天災、自然が一瞬にしてその文明を破壊したのなら、
「もっと素晴らしい文明づくり」に向かうことしかありえません。
想像する東日本の荒漠とした被災地と首都東京には、
文明の大断絶が起こってしまいました。
だから、心して、この大断絶を認識しておかなければなりません。
その認識無き政府や研究機関や大学、まして学界や職能団体に、
文明破壊を修復する力なぞ、ありえないと考えるべきです。
私の住む大阪はもっと文明破壊に想像力は大欠落しています。
いわんや私自身、これだけの文明破壊を実感できません。
ただ私にその手がかりがあるとするなら、
「食べられなくなった肉体」と「耐えきれない寒さ」の体験です。
これが生を否定し死を間近に感じ取っていくという体験だけです。
この体験からの想像力です。この想像力に従えば、
地球上では様々な文明破壊・天災・戦災・人災が頻発しています。
そして最も重大なことは、
文明破壊にはその破壊程度ではなくて、
格差が生まれることではありません。
文明破壊の断絶なのです。
この「断絶」をつなぐ手立て、手当の実務行動力です。
現場状況をデータで知り得て、
命令系統で「断絶」は接続不可能です。
象徴的にいえば、今回この断絶をNetwork化出来たのは、
Twitterという手法、この具体的伝達系統だけが、
断絶し遮断されていることを「接続」させたのです。
もっと明快に断言すれば・できるはずがない・やめておきます。

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4月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 13th, 2011  Posted 9:30 AM

4月13日 先勝(戊戌)

限界を自覚したとしても、
限界までなんとか平情にやりぬける力が
「平常心」ということであるなら、
私は「平常心」など
まったく意識したくない。

『デザインの極道論』限界


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