kazuo kawasaki's official blog

Archive for 12月, 2010


12月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 6th, 2010  Posted 5:47 PM

12月6日大安(庚寅)

自分のビジュアル性の
「量感」から、
「普通」の二文字を断ち切れ!

そして、
その「量感」を支えきれない
環境からは逃走する。
その際に何を盗み出すかだ。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
  「『光の道』が立国具体の手法とは思えない」


   


     12月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

Fiber To The Home
当然ながら名称を変えることが前提。
光をシンボル化するのでは20年前に戻ります。
この光は、インターネットへの通信にすぎません。
インターネットへの期待感が大きすぎます。
FTTH=Fiber To The Homeというシンプルさは納得できます。
そして、光ファイバーが全家庭にというのは、
通信ブロバイダー企業だから、ここに焦点化している提案だとしか私には思えないのです。
だから、そのFTTHで「IT立国」が日本の今後の道とは思えません。
ともかく、ITという「情報技術」の認識から解放されていないことです。
わが国は、「貿易立国」であり、「モノづくり立国」であり、
そのためにITを利用することは当たり前のことですが、そのための構想が欠落しています。
クラウドタイプ
「コンクリートの道」を「光の道」という発想や、
「教育クラウド」・「医療クラウド」程度の形式と内容が、
全世帯FTTH方式というだけの「具体技術」では、
現行のNTTやDoCoMoのようないわば官民的な企業能力ですら理解しすぎているので、
この発想に賛同をしていないことはよくわかります。
なぜ賛同もしていないのでしょうか。
その理由は、現行の制度革新への積極性など、こうした官民企業の意識には皆無だからです。
私の提案は、まず、ハードの開発です。
そのハードとソフト、ソフトからのハード開発が必至です。
もちろん、「教育クラウド」と「医療クラウド」の実現は緊急課題であることには大賛成ですが、
その上部に「行政クラウド」・「防衛クラウド」・「治安クラウド」、
つまり「日本国家グランドクラウド」が無ければなりません。
確かに、Smart-Phoneが、ケータイ以上の「社会的で多様な機能性」を経験し、
さらにはiPadの性能性、この二つの効能性を知ったからこその発想に過ぎないと思います。
もっと、重大なことは「情報」・「コミュニケーション」・「制度」をどうしていくかです。
まず、これらの分離=アフェレーシスと連合=アライアンスの同時進行です。
日本は何・立国か
こうした構想からの制度設計=新規税制の導入など、
あらためて「モノづくり立国」の基本にもどることが重大だと認識しています。
「光の道」構想が出て来た意味は、これからの日本立国のグランドデザインと、
インターネットの構造への議論が始まったことには大きな意味があるでしょう。


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12月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 5th, 2010  Posted 9:30 AM

12月5日先負(己丑)

ビジュアル性に
おける「量感」が、
その人のイメージを
とにかく決定してしまう。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
  「『情報スーパーハイウェイ構想』の失敗因の再学習」


   


     12月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

「情報スーパーハイウェイ構想」
1991年がスタートだったでしょう。
インターネットは光ケーブルで具現化されました。
この当時ですら、国内通信企業はADSL対ISDN競合優先でした。
そして1993年クリントン政権になります。
私にとって、この政権の登場では、三つの思い出があります。
この政権は、デザイナーを国策アドバイザーにしました。
なぜなら、その代表に親友が選ばれていました。
また、Apple社の当時会長だったJ.スカリーは、彼の支援者の一人であり、
Apple社株主たちが共和党だったことで、クリントン派であることも会長解任につながりました。
それは私のコンサルタント契約が反故にされることになる一つの理由にもなったからです。
そして最も大きなことは、
副大統領アル・ゴアの「情報スーパーハイウェイ構想」が政策化されました。
1992年、箱根でのマルチメディア国際会議(Apple社主催)では、
この構想に対して、MITのメディア研究所長のニコラス・メグロポンティの反撃非難と、
ゴードン・ムーア氏が予測したインターネット構想の基調講演を思い出します。
結局、政府主導での「情報スーパーハイウェイ構想」は不可能でした。
ずばり、メグロポンティ氏の予知はあたっていました。
私は、「光の道」提案を聞いた時、時代は20年も前に引き戻ってしまったのです。
「光の道」構想に欠落しているモノ・コト
「光の道」ゆえ、光は光ケーブルを具象抽象的に情報をシンボルとして、
「道」は、スーパーハイウェイ風であり、道筋や方法を意味しているのだろうと直感した次第です。
結局、「情報スーパーハイウェイ構想」ほどの内容にも至っていません。
具体的に言えば、「道」それは手法であり、鉄道網のようなネットワークであっても、
二つの大きな問題を見落としています。
線路があって駅があるなら、なぜそこへ出かけるかという動機づけ、
それは結局、「商売」に結びついているだけです。その商業主義は経済としてとっても大事です。
もうひとつは、そのネットワーク道程・道筋を通すための
基盤的な整備物がまったく語られていないことです。
とりあえず、私のヒントを言っておきます。切符的なメディアでありツールが必要です。
そのモノこそ、Smart-Phoneを超越したモノ=製品であるべきでしょう。
そして、その切符を印刷し販売するのはどこにするべき制度が必要だと判断しておきます。
「光の道」という名辞はなんとなく新興宗教的なタイトルを感じます。


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12月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 4th, 2010  Posted 9:30 AM

12月4日友引(戊子)

想いがめぐる!
アメリカの占領下から
独立し得るモノ・システムを
創出させたい。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
   「独裁されてきたケータイからの解放」


   


     12月 4th, 2010  Posted 3:01 AM

鎖国独裁のケータイなり
独自デジタルモバイル方式の鎖国国家は三つ。
なんと日本・韓国・北朝鮮という有様です。
GMSが全世界の標準になっています。
Global System for Mobile Communications=GSM、
これが第二携帯世代(G2)方式であり、約220ヶ国で使用されています。
したがって、この方式を採用しなかった時点で日本は取り残されました。
日本は、「ケータイ」と呼び、KEITAIを世界語にしようとか言っていた通信会社は、
日本国民の「通信権利」を剥奪したのです。
日本人のケータイは、日本流コンテンツとデザインは女子学生ターゲットでした。
この独裁者は誰だったのでしょうか。まさに、日本のケータイは北朝鮮並だったのです。
ケータイという呼び方をしたことが、すでにMobile Phoneと呼ぶべきことを遮断しました。
だから、その形式と内容を外観化させる造形デザインまでが、
通信会社によって独裁操作されてしまったのです。
通信会社がいかに独裁的であったことを日本人は知らなかったのです。
無論、行政はなんら世界標準ではないことを是正させようともしなかったから、
急いでこれから情報通信制度の改革で罪滅ぼしを示す必要があるでしょう。
私は、携帯電話がボックスタイプ、さらに車載から使用していましたので、
携帯電話の機器というモノとそのシステム,さらにプロダクトデザイン対象としてのMobilePhone、
これらの歴史は実体験しています。
ソーシャルネットワークからの制度設計
したがって、iPhoneが米国で発表され発売されたとき、すぐに使い始めました。
これで21世紀が本当に始まったとさえ思ったほどでしたからいくつかそんなことを書いたはずです。
日本のガラケーがやっと解放され始められたと言っても、
通信会社主導では、ただ数年遅れのままが続くでしょう。
単に海外製品を日本の空気=電話回線に乗せたり、
通信会社が海外製の物真似をデザイナーに強制させているだけです。
私は、通信会社こそ、企業のリエンジニアリングとリストラクチュアリングをし、
CSRの改革から制度設計の提案をするべき企業の出現を期待しています。
今、ソーシャルネットワークとしてのTwitterやFacebook、Ustreamにその芽吹きを感じています。
おそらく、ネットワークシステムの時代が革新される新たな提言を希望しているのです。
この思いを共有していただける読者諸兄は多いはずだと確信しています。
最近、海外製の小売り量販や、インターネット借用で大企業となった通信会社から、
「光の道」なる発想がありましたが、私は多くの認識誤謬を見つけています。
まず、「道」ではないのです。
「道」という「ことば」本来の意味さえ知らないタイトルに未来を託すことはできません。


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12月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 4th, 2010  Posted 1:35 AM

12月3日先勝(丁亥)

MITが最高だなどというのは
神話に過ぎない。
目を覚ましなさいよ。
大企業の経営者さん。

『デザインの極道論』量感


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12月4日Staff Blog


   


     12月 4th, 2010  Posted 1:30 AM

12月4日

佐藤 卓さんの
活動『ほし芋学校』を
届けていただきました。
グラフィックデザイナー発信の
新しい地域振興のあり方です。
もちろん、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
もほし芋、
おいしくいただきました。


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12月3日Staff Blog


   


     12月 3rd, 2010  Posted 12:17 PM

12月3日

あるクライアント訪問でのひとこま。

名古屋市立大学芸術工学部時代の、
卒業生と訪問先企業にて再会した、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


教え子の活躍している話を聞くことは、
BOSSの元気のみなもとです。


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『資本主義からの逃走』
   「ガラケーは日本の通信会社、その大罪責任」


   


     12月 3rd, 2010  Posted 12:00 AM

ガラケー原因
ケータイは「世界標準から確実に離脱する」。
この予知は的中しました。
FOMAという通信方式とi-mode内容、
これをコンテンツと呼ぶようになりましたが、
それは「情報形式」と「情報内容」というより「情報目次」に過ぎなかったわけです。
情報通信を「包み込む」発想は全く無く、「詰め込む」だけの情報意味の勘違いでした。
以来、わが国では「コンテンツ産業こそ日本のオリジン」と思い込んでいます。大きな間違いです。
日本のケータイが「ガラケー」となってしまった鎖国的な情報認識でしたが、
それ以上の問題はケータイ回路設計実装と形態は、分断されました。
電話通信企業の展望の無さ
つまり、ケータイ流通は、通信会社(電話回線ネットワーク)に独占され、
ケータイ本機生産はハード企業への「形態・かたち」の決定は、
「造形デザイン素人にすぎない」キャリアと呼ばれる担当者に委ねられてしまっていたことです。
当時、私はグッドデザイン賞審査委員長でもあったので、この批判を相当にしました。
ハード企業のケータイ担当デザイナーの現場の声をいっぱい聞きました。
各社の担当デザイナーが集まって彼らたちと議論、懇談会も企画し実行しました。
現場の声は、「造形デザインにまで口出しする」キャリアへの不平不満でした。
「ガラケー」としてしまったのは、企業のデザイナーたちではありません。
デザイナーケータイ名作も国内棲息
デザインケータイと呼ばれる著名デザイナーの本来「作品」となるべき製品も、
通信会社キャリアというより、経営者の展望無き「好き・嫌い」でしかありませんでした。
彼らのデザイン評価の中でしか棲息を許されなかったのです。
それでも力量あるわずかのデザイナーは世界的な名作も数点ありましたが、
今度は通信方式を「日本の独自性」つまり鎖国的方式に固持仕切ることで輸出は見送られました。
ガラケー批判からの革新提案
私は、このようにすべからくケータイ批判をしてきました。
結果、私に「デザイン依頼は皆無でした」。
しかし、あるハード企業の会長直々から「このままでは日本のケータイは孤立し、
輸出もできなくなる」ということで、「アドバンスデザイン依頼」と、
「通信形式の進化デザインプラン依頼」がありました。
そのデザインはiPhone内容とは全く異なる機能性で超えているモノと自負しています。
私の提案は、日本列島すべてをとりあえずWiFi化し、
さらにWiFiを超える通信ネットワーク技術を、日本が提示することです。
と同時に、私は、Smart-Phoneを日本が進化させられるものと確信しています。


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