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『HMDを目指してきて・・・』


   


     2月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

1994年から取り組んでいます。
コンピュータ関連へのデザイン、無論、オーディオについても、
デザインですぐに未来が視えてしまうものです。
その未来を明日にでも実現したいと思い込んできた生涯です。
HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をこの当時、
すでに、私は「スカウター」と言い変えていました。
この開発は1996年に大学人になってからも連続させています。
そして、このスカウターが最も利用可能なのは、
医療系で手術場面・音楽系で作曲場面・スポーツ系での競技場面、
そして、いわゆるパソコン全体への使い道へと拡大しました。
この画像は、すでに1995年のプレゼンテーション画面です。
PowerPCでの作成ゆえに、現在のMacでは動きません。
そして、20年の技術蓄積がようやくまとまり始めています。
しかし、蓄積無くこの表面的な進歩には具体的問題を視ます。
また、この画像に視られる手術用メスも進化しています。
可能な限り、生体を切ること無く手術=NOTEなどもあります。
とりわけ医療・手術での医学の進歩とその周辺機器には、
「確かな医工+デザイン」が必要です。
私は、ちょうどこのHMD→スカウターと名辞して以後、
医工+デザイン=デザイン医工学を目指してきたようです。
このスカウタープレゼンで、私は「スヌーピーキャップ」を知り、
結果、脳外科・循環器外科・消化器外科へのデザイン、
それは機器開発・内臓の人工化デザイン・再生デザイン医療、
こうしたことへのデザイン導入に関わってきたと思います。
今や、デザインを支援するのは、機器=モノづくりだけではなく、
生体再生=コトづくりにまで反映させられるデザイン医工学です。
スカウターの実現化は間もなくでしょう。
その結果をもとめていくにはやはり20年必要だったのでしょう。

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「HMDを『スカウター』と呼んでいる・商品化されたモノ」
「20年追い求め、やっとその時代到来か・・・」


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『意識して見つめたい「光」を』


   


     2月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

生きている実感は「光」を視るからかもしれません。
それは私には三つの体験からの一つの結論です。
日常は全く「光」には何の興味も持っていないものですが、
私は幾たびか入院し、しかも生命が危ないという体験もあります。
そして思い起こすのは大抵、その時は眠っているのでしょうが、
自分の記憶の中では、暗闇に「光」があるという、
これこそ「光景」の中に放り出されている実体験が残っています。
だから、私は明らかに「光」が太陽から雲から出ている写真、
この写真を集め、またこれまでの画家達がこの光景を描いたことに
とめどない興味があります。
色彩が光の物理的現象ということも、単なる知識にすぎません。
むしろ私はこの物理現象よりも、幻想にある光景にこそ、
これまでのあらゆる思考の学や論が意識に沈殿しているのです。
したがって、私が「色」を体感する以上に「光」があります。
物理的・科学的なことよりも考え抜くことは、
「まず、光あり」という宣言に心惹かれています。
こうした自分の体験や幻想、それらは全て私の想像力ですが、
この想像力をいつも整理するためにこのブログだけは、
できる限り書き残そうとしているのかもしれません。
端的に言えば、私の欲望はほとんど光のごとく在るのでしょう。
できる限り私のデザイン、その効用と効果も光のごとくなのです。
私たちが光を具体的に印象化しているのは、
太陽を視ること無くても、雲があって、差し込んでくるものです。
差し込んでくるからこそ、これを自分の実体験にまでするには、
相当の想像力と光を同根にまでしなければなりません。
なぜなら、せめて「光」のあるところには行きたいと思うのです。
それは決まって、私が暗闇に放り出されて苦しんでいるその時、
私は必ず、この一点=差し込む光を求めてきました。

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「暗闇に光をというのは・・・」
「『痛み』・・・辛いことはこの世に戻るとき」


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『私の大疑問は電力というエネルギーへの不配慮』


   


     2月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

東京の大雪、そして都知事選への判断結果の曖昧さでした。
二人の首相経験者老体の提言には科学的大誤解だらけです。
私は「反原発」論者ではありません。
反原発でもあり半原発でもあるから「範原発」志向です。
というよりも、電力会社は国策企業そのものであり、
私が撮りためている写真(右)を見ても明らかです。
このようないい加減な仕事で誤魔化し続けてきた電力会社は分断。
しかもこれが景観法でも無視されている電柱の配線です。
一方(左)の太陽パネルへの過信性も大間違いです。
このソーラーパネルは大量に設置しても2割程度の電力で、
何が再生エネルギーだと言うのでしょうか!大疑問です。
私は、現代生活で最も重大な電力エネルギーの社会基盤、
その手法と社会設定での大間違いに気づくべきでしょう。
電柱で、変電器や碍子、そして配線のこの乱雑さがそのまま、
実は電力エネルギーへの企業志向のいい加減さや、
私たち自身にも気づくべきことが多すぎると思うのです。
太陽パネルが出始めた直後私は、これから大誤解されるこのモノに
大反論を書いて追い詰められた経験があります。
それから徹底的にこの進化を追いかけてきましたが、
まったく進化はしていませんからこのメイン企業倒産は当然です。
現に、このパネル設置住宅でのメンテナンス企業は、
とても儲かっていて成長企業になっています。
しかし、この企業自身で働いている人たちは、決して、
自分の住宅の屋根にこのパネルユーザーでは無いということです。
私の原発への考え方、太陽パネルへの考え方は、
科学的に、そして人類のあるべき思考手法と決定論においては、
熟知結果だと自負しています。
ともかく、決定的に断言できることは、
太陽パネルであれ、この電柱の現在も「美しくありません」。
プラトンに従えば、「迷ったなら、美しい物事が正しい」のです。

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『講演テーマで最近もっとも多い医学とデザインの「範」』
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「太陽・二つのアナロジー物語・その2」


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『神仏像をもっと知っておきたいと考える』


   


     2月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

久しぶりに「新TV見仏記」をテレビで観ました。
私が宗教を知ろうと思ったのは、
ふるさと福井でこの二つが不明だったことです。
生まれた里には永平寺曹洞宗がありました。
しかし葬式では浄土真宗があり仏教に種類がある不思議さでした。
一時期、宗教という思考領域とは無関係で生きたいと思いました。
土門拳の写真で仏像や神仏混合のアイコンを見て、
その美しさに惚れ込んで以来、仏教神道に興味がありました。
仏像や観音像などのいわゆる歴史的なフィギュアに潜むこと、
これを徹底的に知りたいと思うようになったのは、
これにも私が車椅子生活を余儀なくされたことがあります。
ぞっこんこのフィギュアアイコンのかたちに惹かれたのは、
ロボットデザインでの「身体論」と「形態論」でした。
しかも今年は森政弘先生から、改めて「華厳経」を教えてもらい、
松岡正剛氏は「維摩経」で年末を過ごしたことや、
いとうせいこう氏とたまたま出会って「不気味の谷」の話や、
彼とみうらじゅん氏の「TV見仏記」が今年から大阪でも放映とか、
彼にはロボットと仏像の話を希望している次第です。
いづれにしても、宗教を表現する神仏像については、
これからさらに興味を持つものと考えています。
宗教といえば、信教、信仰、信心を自分の中で再確認の対象です。
正直、宗教における経典はきっと心の物語りなのでしょう。
私はともかく神仏像の「かたち」に徹底的に入り込みたいのです。
多分その「かたち」には具体的にはロボットの「かたち」があり、
象徴的には、心が期待し確認する何かがあるものだと想像します。
いづれにしても、仏教にはその他の宗教よりも興味があります。
そして「新TV見仏記」の次のテーマが楽しみです。
少なからず、仏教の「かたち」には何かがあるものと考えます。

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『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』
『「舞の霊性」出版とともに思い知る』
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『ロシアでの冬期オリンピックに象徴されていたこと』


   


     2月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

国家には明らかに言語の統一力だけがあるようです。
まず、一つの国家の中に多言語が一つに統一されて、しかも、
イデオロギーの対立が武力でのみ押さえつけられている国家。
「ソチ・オリンピック」を見続けてしまいました。
私がとても気になっている国家物語りのストーリーづくりでした。
国家歴史を「交通」で統合化し、
それはトロイカからロシア鉄道、大戦後の道路交通、
そして宇宙開発・ロケットと青い地球でした。
とても見事だったと思いますし、私が最も留意していたソ連確立、
それはロシア・アヴァンギャルドと赤い色の使い方でした。
あたかも平和の象徴であるスポーツ祭典は、
完璧な大軍事力でテロリズムを押さえ込んでいました。
スポーツが平和と直結しているという幻想の背後には国家権力、
すなわち、強大な軍資金と軍事力が宗教イデオロギーの方向を
今は確実に押さえ込んでいますが、
多分、言語の違いと宗教の対立をこの期間だけは、
封じ込めることができるかどうかです。
私はせめて有能なスポーツ選手達の生命は監護してほしいです。
平和の象徴という幻想の背後に、
いつまで「大人の事情」がありつづけるのでしょうか。
全世界に、これまでの経験を越える寒波が訪れています。
この祭典と同時刻に、またまた震災地には地震がありました。
人には「感激と感動と感謝」が備わっています。
そして現代社会で「感激と感動と感謝」この三つが体現出来るのは
スポーツ、その最大のイベントに集約されています。
それだけに「感激と感動と感謝」をたとえ幻想でも、
この幻想国家の軍事的な象徴の中で隠されているべきでしょう。
ロシアに至るまでの「赤い歴史」の裏側=軍事力と
平和=スポーツのバランスこそ、現代の意味そのものなでしょう。

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『直線を徹底するために「曲線」を身体化してきた』


   


     2月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

私の作品は「直線的」だと言われていました。
その指摘や批評を素直に受け入れ、直線と私の関係は自由でした。
「Illustrator88」が登場する前に、コンピュータと曲線の関係は
βスプラインであり、以後、ベジェ曲線になりましたが、
パソコンでの曲線理解よりも、私のデザイン実務では、
メガネフレームの曲線は、手先のデッサン能力が必然でした。
だから、直線で工業デザイン活動の実務の方が困難だったのです。
なぜなら、あたかも直線処理は生産システムでは、
「抜き勾配」では表現不可能になってしまいます。
ところが、メガネフレームを直線で描けば、
決して顔ラインには馴染むどころか表情を破壊してしまうのです。
もう30余年も関わっているメガネフレームのデザインの線表示では
私は決して直線を選択しないことを理念にしています。
新品の鉛筆で自然に腕を動かして、そのスピードを高速に、
曲線を描く練習は欠かせません。
なぜなら、自分に身体化した曲線の度量衡を熟知すべきです。
私は自分の描く曲線のR常数を知り尽くしたいのです。
だから曲線を描くデザインツールでは「鉄道カーブ」を使います。
随分前に、日本刀のカーブ常数が大手の車企業のデザイン部には、
揃えてあるという話をその部門のトップ達から聞きました。
彼らも気づいていたのは日本刀のカーブの美しさでした。
私自身もキッチンナイフのカーブを産地の次世代に伝えています。
なぜなら、このカーブ曲線常数にきづいていない包丁があります。
そのような刃物と人間との行為は結びつかないはずだと思います。
この鉄道カーブは昔はトルエンで汚れを取っていました。
トルエンはもう手に入れることはできませんが、
マニキュア落とし液が今は最高です。
これこそ、曲線と身体とデザイン実務の必需的な関係性だと、
私は勝手に決めて満足しています。

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『陶磁器の二つの歴史・創れないモノまた創れるモノ』


   


     2月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

私は陶磁器には二つの歴史があると見ています。
縄文弥生にあった六古窯の歴史と、
秀吉の朝鮮征伐により日本にもたらされた家元制度の歴史です。
そして、私が陶磁器には進化が無かったというのは、
かつて革新されてつくれたモノが現代では創れなくなったモノ、
もう制作不可能だったモノが現代、なんとか再現できるモノです。
日本が貿易国家になっていった九谷焼(右)はもう再現不可能。
比して、現代、弥生時代には出来たであろう越前焼(左)です。
九谷焼は明らかに有田焼技能が北前船で伝わったであろうこと、
しかし、有田での輸出品よりはるかに技術開発されましたが、
現代、九谷でこのガラスのような磁器と絵付けはもう出来ません。
福井にいたころ、越前焼ではないと私は主張し過ぎて、
越前焼には出入り差し止めでした。
ところが、陶器である六古窯時代を再現する若手が出てきました。
これら陶磁器はいづれも日本の伝統工芸です。
私は恩師から、伝統工芸にデザインを向ける時のまず知識、
その蓄積を教えられました。
そして、革新的な「造形」の新製造生産システムづくりです。
したがって、伝統とは継承ではなくて「革新」です。
ところが、日本のモノづくりの大誤解が最近まかり通っています。
それは、日本の伝統工芸への美的なセンスの全く無い、
プロデューサーを自称する輩に「産地」が騙されているのです。
伝統工芸の革新づくりには勿論、現代生活への適合性が必要です。
だからといって、安易な手法での商業主義では台無しになります。
こうしたモノを見たときには、徹底的に非難します。
問題は、もはや再現できなくなった技術の復権である高度化と、
再現が可能になったなら、過去になった伝統性への裏切りです。
デザインにとって、日本の伝統工芸には未来があるのです。

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『磁器お皿・三つのパターンと料理手法に進化無し』
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
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「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」


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『磁器お皿・三つのパターンと料理手法に進化無し』


   


     2月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

この数年、陶磁器に深く関わってきました。
子供の頃から陶磁器については最良品が私の生活にありました。
そして、大きく気づいていることには、
これまでお皿・器の絵付けと磁器素材と料理盛りつけに対して、
陶磁器づくりと料理人の間には、
全く工夫どころか革新も無く既成概念がそのまま商売の無慈悲。
西洋料理をベースにすれば、現代料理は、
真っ白=ボーンチャイナだけに料理を配膳してきたことです。
それは、磁器への絵付けパターンに最も技術集約をしてきたモノ、
九谷焼は日本料理界でも料理の盛りつけを際立たせないことで、
九谷焼そのものが残念にも市場性を失ってきたのです。
産地もそのことを知って、九谷焼然を如何に表現するべきか、
現代料理との整合性を図ってきたようですが無駄です。
私はこのお皿と料理の関係性で、見失っていることを指摘します。
まず、料理人がボーンチャイナ=真っ白器に頼り過ぎだったこと。
これは料理人能力が備わっていないことを明示しています。
私の見捨てがたいコトには、現代料理と称する和洋折衷様式です。
西洋料理・日本料理・中華料理の「器選び能力」の有無を見ます。
したがって日本料理で九谷焼を最適合させれる能力を評価します。
無論、高価でもいい加減な九谷焼も増えていますから、
これらは論外ですが、ボーンチャイナの白背景での日本料理、
これは最悪のお皿と料理の関係です。
ミシュラン評価もこれが出来ていませんから無視すべきでしょう。
陶磁器づくりと料理づくりの関係は至極大事です。
しかし、陶磁器産業と料理の関係を、活性化策ということで、
行政や能無きプロデューサーの提案実施は随分みてきましたが、
これまで全て失敗していることは明らかです。
その最大の理由は、磁器づくりと料理づくり、
それぞれのあるかと思わせているが能力無しが増えています。
確かに料理道具は進化しましたが、進化せず。
比して、磁器づくりは全く進化していないと私は判断しています。

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「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」


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『パソコンの小さな歴史の物語り』


   


     2月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

パソコンの登場とともに私の生涯には、MacとEWSがありました。
ともかくデザインツールとしてだけではなく、私の感性の中で、
コンピュータの進展とともに、その功罪を分別してきました。
したがって、コンピュータ・デジタル・ネットワークとは、
特に自分の青春が終わったと意識したときから、
大きな歴史と小さな歴史を体験してきたと思っています。
ちなみに、自分の青春の終わりはジョン・レノンの暗殺でした。
東京を離れてふるさとに帰り、伝統工芸とパソコンがありました。
パソコン、特に、Macintoshとの小さな歴史には、
大抵の人にとってはそんな時代もあったかという物語りです。
3.5インチのフロッピーディスクの時代がありました。
1980年代の教え子が聞いてはいたけれど初めて見たということで、
私はとてもびっくりしたことがあります。
3.5インチのフロッピーディスクの時代には、
ブルーのディスクが黒になり、
突如、カラーのフロッピーディスクが登場しました。
それは、無機質になろうとしていたパソコン周囲が煌めきました。
そんな小さな物語りをいくつも私は体験してきた気がします。
それこそ、私がオーディオ機器のデザインだけではなく、
オーディオアクセサリーデザインにも一杯取り組みました。
本当は大きな物語りの歴史が社会にある以上に重大なことです。
それは小さな物語りを創ってきた人物との出逢いと深い関係、
それこそ人生の偉大な思い出だったのだと思います。
「川崎さん、これ実現したよ」とカラーフロッピーがありました。
まだベンチャー企業と騒がれることもなかった時に、
その企業は様々な闘いをしていました。
そして、私の活動をまったく目立たずに根本を支えてくれました。
同年代のそんな企業のリーダーが逝ってしまいました。
体調的には無理をして、大阪にまで逢いにきてくれたのでしょう。
彼が私に期待してくれたことをやり遂げるつもりです。
「まだいっぱいやることあるのに」と、すごく無念です。
小さな物語りをいっぱい創ってくれたからこそ、
大きな物語りが成り立っていたことを私は熟知しています。
もう一度逢いたいよ、Kさん!


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『先手のこと・チェス戦法から』


   


     2月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

チェスは絶対に得意になりたいと思っています。
だからコンピュータ相手に時々練習しますがまったく下手です。
理由は以前にもブログで書いたことがあるかもしれません。
それは映画でのチェスシーンのこともありますが、
『シシリアン・ガンビット」という心臓の治療方法があります。
この治療方法が私に適用するまで入院しました。
これは、循環器専門のドクター達がシシリア島での
医学会で決定された心臓疾患治療のひとつでした。
β治療薬=心臓の働きを一定にする薬を使います。
つまり、交感神経・副交感神経の働きを抑えるβ治療薬を、
どんな感情の動きも遮断し、心臓が情動で影響されないこと。
だから、真実私はこの薬で心臓への情動は遮断されています。
結局、怒りも無く、はしゃぐことも本来はないのです。
したがって、いつも冷静でいられるのはこの薬のおかげなのです。
β遮断をして心臓の頻拍が起こらないように先手を打つことです。
これを「シシリアン・ガンビット」というのは、
チェスでクィーンを戦法で使う「クィーン・ガンビット」を
模した先手戦法を引用した名辞です。
そのことを具体的に知ってから、チェスが上手くなりたい、
チェス戦法の「クィーン・ガンビット」を知りたいのです。
もう一つは、「先手をうつ」ということから、
私は「デザインという先手」という著作も出版しました。
デザインは問題解決という実務だけに、
いつでも問題が起こらないような先手を打つことも重大です。
次世代のデザイナー志望を見るとき、
ちょっとも先手を思いつかない人物には才能がありません。
すなわち、先手=ガンビットというのは、思いやることです。
デザイナーに必要な先手を思いつかない想像力には、
私は「才能無し」と明言することにしています。


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