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『「手づくり」本質の鉛筆削りで手先感覚を確認』


   


     7月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

正直、最近は私自身、本当に鉛筆を使わなくなりました。
だから鉛筆削りも日常的ではありません。
けれども自分デザインではMoMA収蔵の「スコラ」という
伝統工芸・越前打刃物での鉛筆削りを作品にしています。
だから、器具としての電動鉛筆削りから高級である鉛筆削り、
そして、手先でのくるくる回して削る鉛筆削りを気づくと収集していました。
私は収集癖が相当にある方だと思っています。
よく、収集なんて、とかを心情にしているそれもデザイナーが本懐のごとく、
それを言い切ることで、自分デザインが優れているかのような、
そんなデザイナー作品はやっぱり手抜きが多いと断じます。
手抜きがいかにも簡素?簡潔?というのは全く間違っています。
収集するということは、「何を持っていないか」ということなのです。
私は文具は大好きであり、日本文具大賞の審査委員長でもあります。
文具という100円から2000円、5000円のモノが日本の経済を支え、
しかも日本人らしさが最もよく反映している繊細な気配り商品なのです。
だから、私も「スコラ」という筆記具との対峙を大事にしました。
最近はレントゲン写真まで撮っての鉛筆削りまでが創られる日本です。
今、鉛筆愛用者はシャープペンシルに相当に置き換わりましたが、
鉛筆の進化で愛用者が増加しています。
私は今では色鉛筆は必ず手先の小さなモノ=鉛筆削りで削っています。
そしてなんと450円なのに「手づくり」入手困難驚きの一品があります。
それは削り刃の製造製作と研磨までが最高のモノ(点線円形内)です。
本当の「手づくり」を人間は追い求める最後の時代なのかもしれません。
しかし、「手づくり」で最高級はビジネスジェット機なのです。
デザインと「手づくり」をいつも考えています。

* 『鉛筆削りナイフ・伝統技の記号づくりと情報づくり』
* 「伝統とは『裏切る』ことへのアプローチ」
* 「プロとして元気の素は鉛筆への作法」』
* 『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」


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『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』


   


     7月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

観光とはある意味では私は極端な表現をします。
乞食(こつじき)産業とまで承知、炎上受諾で言ってきました。
もう少し学術的にはエスノセントリズム=自己尊称で見下し思想です。
日本におけるその最大都市は、京都とそして金沢をあげておきます。
まず、観光都市に変わる○○都市が必要です。
京都でも大きな書店には「京都」案内系の書籍が5段で二つがぎっしり。
確実にこれらの書籍にはエスノセントリズムが根柢であることは確かです。
しかし、私は映画館で車椅子対応は、京都と金沢が一番良いのです。
東京は駄目、どれだけ喧嘩してきたでしょう。これはクレイマーでは無く、
最新を知って欲しいと伝えました。大阪?清潔にしてほしいのです。
「前例がありません」と言うのにはデザイナーはそれに挑むのが当然です。
日本の伝統といえばともかく奈良・京都ですが、実際には、美濃と越前。
つまり、岐阜県と福井県の今では伝統工芸と言われる分野、
紙・漆・陶芸(陶磁器ではなく)・機織り(麻と絹)・刃物・です。
ついでながら伝統工芸は沖縄返還時に法整備されたのです。
こうした労働へのエスノセントリズムが綿々と続いているのでしょう。
現代観光客ではなく実際に外人定住していることこそエスノメソドロジー、
それが京都の宮廷文化と金沢の武家文化への新しいアプローチなのです。
ただし、もはや観光都市を前面にすればするほど三つの間違いがあります。
いわゆるお土産を民芸ということと、民藝は全く別であること。
観光商売での高額商品なりのモノづくり=民芸は貧弱になります。
リゾートというのであれば、何度も通う休息場所が景観の情景なのです。
景観には光景・風景・情景があるのです。だから観光は?なのです。

* 「ケータイを焦点化するエスノメソドロジー」
* 『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』
* 『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』


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『ランドセル廃止を進めるべきだ、新しい学習鞄が必要』


   


     7月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

小学校も二つ、中学校も二つ転校しています。
足羽小学校ではランドセルでの思い出は足羽山をよく登って下校、
だから山で栗やら石を詰めて帰宅。
武生西小学校は、目の前の学校だったから、
ともかく小中学時代は教科書は学校に置いて帰っていました。
でも、予習復習は何にも苦無くやっていたと思います。
高校時代は英語と世界史の教科書しか入らないほど最も薄くて黒い牛革鞄。
やはり教科書は学校に置いていたと記憶しています。
現在、ランドセルはすごくカラフルであり、海外ではkawaii鞄とか。
先般も大きくて立派なランドセルを背負っている低学年の女生徒を見て、
ランドセル、大きな肩掛け鞄、手提げまで持っていてかわいそう過ぎます。
もう、iPadとランチボックスでいい時代。
学校に行くには、iPad程度で十分の時代だと思っています。
確か、FBでも友人で社長だったY氏が、
米国の子どもたちの学習がすべてiPad。
これでは日本はもう相当に遅れると投稿していました。
かって、Apple 本社でコンサルだった頃には、
Sweetpea、Popeyeなどコードネームプロジェクトに参画していました。
特にJeepというコードネームのパソコンは生徒や学生向けでした。
ジョンスカリー退社(政治的な理由)で、七つのプロジェクトが全部中止。
今となるとよく40そこそこで、クパチーノと福井へ行っていたと思います。
日本はバブル真ん中の時代でした。
ともかく、ランドセルの市場は大きいかもしれないけれど、
最早とても時代遅れの教育用品だと私は断言しておきます。
AI、 AR、 VR、 IoT、への教育プログラムは、今の教員には、
とても無理でしょう。あのランドセル廃止を進めるべきです。

* 『開発コードネーム・Popeyeからの拡大』
* 『Sweet-peaからPopeyeの最終モデル開発までのこと』
* 『メディア・インテグレーションを追いかけた経験作品』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 『盤という人類文化にAI相手は無意味である』


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『バリアフリー・身障者対応は老人医療に連鎖』


   


     7月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM

車椅子生活になった40年前、そして30年前も
私は銀座で、あるいは空港でもほとんど車椅子に乗った人とは
出会ったことがありません。
ところが最近では、一日に3〜10名には出会います。
すでに私は電動車椅子に乗っています。
絶対に電動は使わないと言っていたことがあります。
しかし、もはや体型にも変化があり、
電動なら日本では時速6kmですから、相当に早いのです。
しかし右上のように段差3cm程度の傾斜があれば無理です。
一応、段差無しという右下のユニット程度も無理です。
まして左では完全に行動は不可能です。
日本はいわゆるバリアフリーがサンクションにはなっていますが、
点字ブロックも駐車場でも車椅子OKはルールありといえども無理一杯です。
それこそ高級レストランでは、階段があっても若い男が手を貸しますとか、
私は拒むことにしています。
それならスタッフが手慣れた移動可能。
万一、落下したらどうなる?なんです。
電動では周囲が手助けしても、現在は絶対に無理です。
手動なら車椅子をまず高さを確保、
そして使用者を二名〜四名が抱き上げるという方法です。
2020年パラリンピックで、車椅子選手や身障者対応へは
相当の、あの「身障者おもてなし」?
嘘でしょ!というのが、現在の私の心情です。
大阪大学はパラリンピック支援大学になっています。
だから伝わる人には「言いたいこと」一杯あります。
身障者対応はまさに「老人医療」と結びついているのです。
75歳になれば、必ず車椅子使用者は70%なのです。

* 『通称・点字ブロックのデザイン間違い!』
* 「デザインは皆無だ!・・・誤りのデザイン」
* 「石畳の街、その文明と文化」
* 「ブリューゲルが描いた盲目の人たち」
* 『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』


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『知人、友人、親友、いや話相手としての別感覚の友』


   


     7月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

京都ホテルオークラの左奥からのまなざしです。
京都は月1or2は主に映画を観るために出かけます。
そのほとんどの定宿です。
デザインとしては二つのことがあります。
まず、ホテルオークラのロゴタイプは私の恩師平野拓夫先生のデザインです。
もう一つは亡くなった友人・内田繁氏(アルド・ロッシ)共作のインテリア。
一昨日まで京都にいました。
そしてホテルに戻る度に、あぁ、もう一度会いたいなーと思います。
Gマークの審査会と毎日デザイン賞の最終審査委員時代でしか、
実際は約束してまで会ったことがないのですが、彼との会話や彼の作品、
それは特に「September」を思い出します。
先般このブログで米国のインテリアセンター竣工最初の「国際椅子展?」に、
日本からはたった四名の時も、彼は選ばれていましたし、
彼への献花式には青山葬儀場にてとめどなく悲しくて合掌しました。
その時には、やはり、彼の大きな遺影写真の下には「September」でした。
だから、どうしても欲しくて、彼が居なくなったスタジオ80に電話して、
買い求めたかった椅子です。
そして、Gマーク審査での昼飯は一緒に冗談ばかり言い合いました。
彼が桑沢のデザイン学校校長になると、すぐに講演もしました。
毎日デザインでは、5名の最終審査委員がいる中で、二人でこそこそ話を、
内容はいつか話したいことが一杯あるほど、この審査会で・・・・・でした。
親友ではなかったのですが、知人、友人でもなく、
ともかくデザインというか、肝心のデザイン論議でもなく、
デザイナーである、そんなデザイン四方山話の仲でした。
今回はちょうどこのホテルのエントランス工事中であり、
すこぶるこのホールの素材や仕上げやそして室内色彩の調和性からも、
君らしいなあ・・・彼ならという超重奏高級感
それをとてつもなく感じ取ることができました。
このホールで、今は亡き彼に向かって(君のさぁ、このデザインのなかで)
そんな空想の会話をしました。
今回、京都の古本屋でおそらく江戸後期の水墨スケッチを買いに来たんだ、
でも、もう売れたのか見つからなかったよ、って会話して来たのです。

* 『金沢美大には伝統的なアノニマスデザインがあった!』
* 「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」
* 「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


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『レストランテーブルの高さに車椅子使用者ゆえ注目』


   


     7月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

ようやく気づいたと私は思いました。
これはいわゆる食堂、レストランという建築空間です。
何に気づいたということでしょうか?
テーブルの高さを見てもらえば分かることですが、
通常、日本ではほとんどというかすべからくテーブルの高さは700mmです。
しかし、喫茶店になるともっとテーブルの高さは低いのです。
私はたとえば企業のC.I.などの企業イメージづくりに関わるときには、
特に食事をするテーブルは750mmにすることを薦めます。
理由はとても簡単なことですが、車椅子での使用勝手では当然なのです。
これは京都のそれも米国的な雰囲気を若者対象にしているレストランです。
ともかく京都は外人が多い街であること、
それも在住している白人が多いということに起因しているでしょう。
東京でも一流ホテルなどのレストランはほとんど海外仕様で、
テーブルの高さは750mmですから椅子の高さもそのテーブルとペアです。
このテーブルの高さがなぜ私は気にしているかということです。
それは車椅子使用者にとって、テーブルの高さはとても重大だからです。
正直なところ国内のホテルやレストランで海外と同じテーブルの高さは
全く出会ったことがないということです。
昨夜もユニバーサルデザインやバリアフリーが日本ではサンクションだと、
一応記述しましたが、車椅子生活も40年で、自分の職能からも、
ましてはユニバーサルデザインを自分職能の領域にしていますが、
バリアフリーはほとんど実現はしていないのです。
もっと正確な事実を明らかにするべきかと考えています。

* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「アイデンティフィケーション、そのデザイン体験」
* 『もし、このデザイナーから学ぶことが無いなら・・・』
* 「C.I.デザインの源流としての思想」
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


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『徹底した「仕上げ使用」について』


   


     7月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

63歳で阪大を定年退官して、
幸いにも京都のミネルヴァ書房から私の作品集を出版されました。
最も、自分の作品集出版には、(決して口出ししない)ことが鉄則です。
が、やっぱり口出しをして、出版はその翌年64歳でした。
その作品集も「川崎和男・全仕事」でしたが、
「いや、生きている限りデザインしたい」と言い張って、
「川崎和男Design」という図鑑にしてもらいました。
表紙から紙質も選び抜いて、インダストリアルデザイナーとしての
「デザイン仕様」は、表紙には「3D-ホログラム写真」、
特に3D写真も最新印刷で、とりわけ、その裏が裏表紙で職人さんから
その「型」までを見せてもらいました。
おそらく美術出版誌ではトップの仕上げになりました。
私の最近の口癖は、「簡単なモノのデザインがしたい」、です。
実際、デザインする対象で易しいモノがあるわけではありません。
ともかく論文読んでとか、最新技術で命と向き合う医療機器以外、
決して容易ではない「日用品的存在」のモノです。
これは先般、このメーカーが出展したのですが、モノは日用品です。
仕上げは本体素材の仕上げは、カーブに沿わせた「ヘアーライン」なのです。
おそらく、この仕上げはB&OのCDプレーヤー以外は無いはずです。
(モノは何?)、想像してください。
まだ、ブランド名などは入っていません、試作です。

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『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』


   


     7月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

車椅子生活が驚愕するばかりか、すでに丁度40年です。
正直なところ、私が歩いていた、スキーをしていた、拳法をしていた、
ロッククライミングや遠泳大好きを知っている人は少ないのが現実です。
だから自分は違う惑星で生きながらえているという具合に考えてきました。
そして使命だと思ってきたのが車椅子の開発実現でMoMAなどに永久収蔵。
最近はエスカレーターで大事故や、飛行機搭乗で社会問題などがあります。
その都度意見を聞かれますが、正直、自分ならこうするとか、
経験ではエスカレーターは危険、飛行機選別などは無言を貫いてきました。
理由は至極当然ながらもう無駄、これまではすべて喧嘩をしてきました。
しかし、実際には行動して社会化をすること・行学が本位だったのです。
ところがこれすらはすべからく現代はねじ曲がってきています。
「ユニバーサルデザイン」・「バリアフリー」がほとんど社会ルール、
いわゆるサンクションにまでなっていますが、
これ自体に大間違いや日本では無理を一杯発見するからです。
ユニバーサルデザインは偶然にも米国の友人達から川崎が大学人になる、
そんな噂でいち早く私にユニバーサルデザインが届きました。
これも米国ですでに過ちがありましたがそのことまでは戻らないことと、
これも米国のデザイン仲間と話合いました。
Gマークに「ユニバーサルデザイン賞」を決定、
政府にその報告書を提出しました。
私自身、「車椅子マーク」世界標準が美学的にも納得出来ずに、
私なりのマークをダウンロードして使って貰うよう仕掛けました。
海外では世界標準を離れた車椅子マークが公共施設、新しいホテル、
さらには車両などにどんどん出てきています。
車両に表示する「身障者マーク」は「四つ葉のクローバーマーク」に
交通法規とともに私デザインにしました。
このときも今なら言えますが、身障者団体のトップと大喧嘩しました。
「川崎さん。ここは警察庁ですから」と警察官僚から注意されました。
しかし、身障者すべてのパブリック意見を集結し、
ハートであってほしい、四つ葉であってほしい、そのマークデザイン。
そして最近は、バリアフリーとかいうホテルでも、
バリアフリーの部屋の扉にはいくつ覗き窓がありますか?と聞けば、
「一つです」とか言われただけで、(二つ必要)
何の工夫もされていないことがすぐにわかります。
もっと大変な「ユニバーサルデザイン研究」を日本の大学機関相手に、
「全て基本認識が間違っている」と言い放たなければなりませんでした。
まだしばらく言い続け、闘争する必要がありそうです。

&  『ユニバーサルデザインハンドブック』監修 
&  『車椅子マーク』

* 『ユニバーサルデザインの原意』
* 「少数派のためのデザインから・再度、再検証」
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』
* 「随分改善された車椅子対応までのエピソード」


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『アライアンスとして語るべきアンビエント』


   


     7月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

2010年9月だったと記憶しています。
奈良女子大学で「人間情報学会」、私は基調講演をしました。
それは当時、阪大の副学長N教授(日立出身)が提唱し始めた未来社会へ、
「アンビエント・アライアンス」を私はデザイナーの立場で、
その源流から情報空間、環境情報へのコンテクストを研究し発表しました。
ところが最近大きな見識間違いがありこれは誤解が蔓延すると危惧します。
だから少なからず、情報:当然コンピュータが介在する空間・環境には
音楽との大きな関係を私は「プロ」として記述しておきます。
何しろ、人間情報学は余りにも専門的であり、
2010年前後は、「多分、おそらく」という漠然感があっただけです。
今では、もはやマルチメディアもユビキタスも溶解し、
AI・IoT・VR・BigDataが登場。
しかし、それらの具体像でのAudio性、
Visual性はホンの一部が問題視の状態。
さらにこの分野にデザインが関与するとなれば、
現在の特に大学や大学院での教育分野ではほとんど無理だと断定します。
アンビエントというのはその源流には3人を登場させなければなりません。
エリック・サティとジョン・ケージ、
この二人にはコンピュータは無縁です。
しかし、もう一名のブライアン・イーノは、確実にコンピュータの起動音、
これに関わってきたのですから、
彼を起点として過去と現在には現代音楽家が、空間・環境・音楽が統合。
コンピュータや光:レーザー光線はクセナキスやシュトックハウゼンなど
建築空間的なイベントまでが源流です。
私自身、車椅子生活になったときに、
周囲からは思い切って一番やりたいことをと支援されたのです。
30chのプログラマブルコントローラーとスピーカーシステムまでを、
ギリシアの現代音楽祭に提示しましたが、
デザイナーであるということで、ミュージシャンと区分されたのです。
現代も見えず、まして未来は彼らになかったのでしょう。
それこそ、アンビエント・アライアンスは、
ようやくAIとIoT、VRとBigDataが見えてきたのです。
ともかく、アンビエントという言葉だけを
それもデザイン界から知識見識無しには、
決して語るべきではないのです。
なぜなら、アンビエントはアライアンスがコンテクストだからです。

* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 「デザイン対象としての空間に出逢う」
* 「Ambient=情報空間に向かうMedia Alliance」
* 「アイドル・キャラクターのメタ・アンビエントへのコンテクスト」
* 「バーチャルアイドルが示唆している超情報化の予感」


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『若き日、「東京家具見本市」で二人は学んでいた』


   


     7月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

フローリング、あるいはフロアライフというのは、忘れられていますが、
あのライフスタイルは福井県の当時は小さなインテリアメーカーだった
マルイチセーリングの背もたれだけのソファーから生まれたのでした。
そのメーカーの小林社長はタケフナイフビレッジで活動開始の私に、
ソファーデザインを任せるだけでは無く、
私提案ながら、「東京家具見本市」全てを委ねていただいたのです。
私は人間工学を東芝時代にヘッドホン設計以来、疑問だらけでした。
同時に車椅子のための身体保持にはなんとしても椅子やソファーの知識、
そのデザイン設計が必要でした。
ともかく見本市会場で最大のブースに
「TONTON」というこの椅子を高さ違いで、展示したのです。
商品としては、一段二段三段だけでしたが、
ブースには銀色パラシュート素材でいわゆる華美絢爛さを演出しました。
ソファーテーマは「休息」でした。
気づいたのは休息が最も持てない人達、それは兵士たちでした。
彼らに休息を与えるには、
カモフラージュ柄の軍服を脱いで砲筒を曲げて、
戦闘不能にすれば休息が来る。
この椅子はまた丁度New Yorkのブルックリン(犯罪多発地)都市計画で、
インターナショナルインテリアセンターが完成し、最初の椅子展では、
世界各国から「新しい椅子」が厳正に200点集められて、
私の「TONTON」は日本代表の展示4点(少ない)の一つになったのです。
しかも最終選考に残ったことで、渡米しましたが、発表は、
New Yorkの親友彼の「プールチェア」、悔しかった思い出があります。
私はマルイチセーリングで、東芝時代に鍛えられた
見本市ディレクションを発揮ししかもソファーを学んだのです。
マルイチセーリングのあの最大のブースには、
当日、雨が降り、コウモリ傘を預かるコーナーまで出来ました。
それは東京支店長だった高島氏のアイディアだったのです。
来場者は、全てが見本市会場では最大の紙袋を持ち、
それにはマルイチセーリング文字入り、
そして雨傘を預かるというのは、
以後も見本市でのブース設計では当然の仕掛けになりました。
高島氏が事業開始時は小林社長が後押ししていたと聞きました。
東京家具見本市では彼の存在は、他の社員を引き離すオーラがあり、
コンパニオンガールは福井で3日間研修までさせた展示会でした。
若き日、私も高島氏も本当に懸命に、商品のあり方や
興味を持ってもらうことを時代感覚で学んだ大きな思い出です。
現小林会長には二人とも今も感謝をしています。

* 「ヘッドホンから始まりました・・・」
* 『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』
* 『HUSATとInternet of Medical Thingsのデザイン言語 』
* 『なぜ、私がヘッドホンにこだわるのか』
* 「わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている」


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