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『薄紅色が鮮やかな桜は「啓翁桜」』


   


     3月 28th, 2019  Posted 12:00 AM

北陸生まれの私が、関東・東京で働きはじめたとき、
二つの不安がありました。
一つは川が太平洋に流れるので、その川の流れと
同時に周りに何も山などがないことでした。
もう一つは、桜の花がとても白いのです。
そこで、なぜなんだろうと疑問を持ち、徹底的に調べました。
結果、ソメイヨシノは確実に人工交配であり、
この木の元では周囲の草木がやられてしまうのです。
「トーチ」審査においても素材として樹木、木風素材の提案があり
桜の木でもソメイヨシノは使わないというプレゼもありました。
昨年には奈良では新種の桜が100年ぶりにクマノサクラが見つかりました。
今、室内で咲いているのは「啓翁桜」という品種であり山形県産でした。
白く無く、薄紅色が鮮やかでした。
ミザン桜を台木にしたヒガン桜が枝変わりとして生まれたようです。
日本人が愛してやまない桜には多種の桜の木があります。
この啓翁桜は、とても寒い地方で春が来たらそれを乗り越える、
そのような力を持っているようです。
それこそ、ソメイヨシノでは花も白く、なおかつ、周りを痛める樹木は
山林地方の杉(=花粉症)を植えた行政の安価なやり方なのです。


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『もう一度、とっても会いたい菅野沖彦先生』


   


     3月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

昨年、10月13日にダンディズムとしてのオーディオ評論家、
その道を極められた菅野沖彦先生があの世に逝かれてしまったのです。
私は好き嫌いがはっきりとしています。
たくさんの評論家の中でも特に先生に傾倒していました。
東芝時代、若手のデザイナーとして私のデザインを、自社の営業より
評価、理解していただいた先生の期待に応えたいと通っていました。
オーディオ評論家という枠を超えて、
パイプ、西洋人形などの世界観を教えてもらいました。
菅野先生が提唱された「レコード演奏家」は必ず残っていくでしょう。
コンピューター雑誌に私は連載を2つ持っていました。
あるときに、新進のスピーカー企業に行きました。
前日には菅野先生からもアイディアをもらったことを聞き、
「S先生」とエッセイで、菅野先生との東芝時代の想い出を書いたところ、
「S先生」とは菅野先生のことではないかと、オーディオ雑誌の編集者、
M氏が、交通事故と東芝退社で、途切れていたご縁をつないでくれました。
先生の自宅にお邪魔しました。
懐かしい空間と、選び抜かれたオーディオから、
音響を何十年かぶりに体感しました。
ワイフは、息が出来ないという音質を感じ取りました。
そして、先生から、「レコード演奏家」として、
私を取り上げていただくことになりやはり部屋を改装し準備しました。
今では、この程度で?と、
残念なオーディオでありビジュアルの評論家が多いのです。
東芝時代には、まずは先生に試作を持っていき
なかなか通らない私のデザインを
東芝の偉いさんに先生から説得してもらいました。
無神論者である私ですが、
先生とこちらで再度会いたいと思っています。

*先生との対談


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『私デザインの最終商品がオークションで入手する』


   


     3月 26th, 2019  Posted 12:00 AM

今までは手に入らなかった自分デザインを手に入れています。
当時は、SZ-1000は市場価格10万円だったモノ、
まだ私は月給5万円の頃ゆえ、デザイン担当だけれど、
その頃には高級過ぎて、手にすることが出来ませんでした。
それをオークションで入手できますし、
また、店舗用ディスプレイモデルまで出ていました。
今ではSZ-1000も5台まで持っています。
なにしろ、東芝時代の最後の作品であり、これがプリアンプです。
それもエレクトレットコンデンサーで、
それには最高のエレクトレットコンデンサーのカートリッジだけです。
この開発には、エレクトレットコンデンサーのチームと
私だけで進めました。コンデンサーや回路基板までデザインしました。
デザイン部長からも、何度も「何かやってるだろう」と
質問を受けましたが、その返答は「何もやっていません」、でした。
3年かかり、出来上がったときには
部長にこっぴどく凄く叱られましたが、それも許容される良き時代でした。
しかし、これはオーストラリアからTV取材がきたことや、
オーディオマニアにとっては、大ヒットしました。
これに力を貸してもらったのは、
オーディオ評論家の故・菅野沖彦先生でした。


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『自然観がある木質系のモノ、その技能が落ちている』


   


     3月 25th, 2019  Posted 12:00 AM

木、木材、木質は私の最も自然感を大事にしている素材です。
工業デザインでは、量産化するために、自然への模倣を越えて
自然感らしくあるために「木質風」で取り組んで来ました。
まず、自然風の木材を塩化ビニールのシートで作成してきました。
それこそ、私が社会人としてオーディオ部門のデザイナーだった頃、
世界中の樹木を全て覚えました。ゼブラやブラジリアンローズなど、
スピーカーシステムや音響ラックの素材として試してきました。
それを源にして、木材系や木質系、それを模倣し木材・木質系「風」を
工業デザイナーとして、工業的な素材系解決に懸命でした。
ちょうど、今では世界の森林減少や違法伐採への取り組みとして
国家単位=その国にある樹木以外は入手困難になっています。
最近では、自然系木質の技能の応用展開、
磁器系商品もその染色や転写技術は、
海外の一流ブランドに追い越されています。
それには、廉価物が一般に浸透し、
かっての伝統的=守りと裏切りを繰り返し
鍛えられた技能にたいする価値観が継続されず落ち込んでいます。
真善美の価値観を鍛えれば、本物が選択できます。


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『伝統とは「裏切り」であるから、産地は新たな技能開発』


   


     3月 24th, 2019  Posted 12:00 AM

世界的なショップでは、このようにして伝統が崩れていきます。
私は越前打刃物にはデザイナー人生の大半つき合ってきています。
ゆえに包丁のあり方には、産地の存続、
後継者の育成といった長い時間軸で製品、商品を見ています。
伝統工芸士という認定制度もあり、産地と職人を育成、
産業振興で次世代へと伝統をつなごうとしていますが、
本来の包丁と日常食の関連が希薄になってきました。
家庭の調理とその道具は、生活スタイルのバリエーションとともに
多様で多種に存在します。
私にとっての包丁=Kitchen Knifeはブランド「Takefu Knife Village」です。
刃と持ち手の柄を一体化しました。そしてその素材を開発し、
高品位ステンレス鋼で鋼をサンドイッチした構造により
日本刀=62に近いビッカーチ硬度=60を実現しています。
そしてブランディングに必要なロゴ、マーク、キャラクター、
テーマやコピーとできる全てを注ぎました。
そうすることで世界に発信することと産地と職人たちが
産地哲学あるいは理念を共有して続けていくこととなります。
あらためて産地ポリシーに添って、
私は、新たな包丁=ナイフの提案がすでに存在しています。
このキッチンナイフの新しい形態と実装の想像で、
伝統=「裏切り」を創ります。


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『私自身のトーチ・デザイン審査基準は5項目でした。』


   


     3月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

1次審査の結果が入りました。
私が期待した一案もかろうじて入っていました。
それぞれの専門家からなる審査員団の一人として、
「デザインが問題解決である」とは、
一般的には伝わっていないのだとも実感しました。
私は、デザインの5つの基本、
もしくは基準となる構成と構造に着目していました。
 ● 日本らしさというシンボル性の形態への表現性
 ● 先端技術の応用による日本独特性=押し出し成形への確かな知識
 ● 新しい製造手法とトータルな適合性=成形後の光の実装性
 ● モノとコトが「復興」でつながる文脈性=コトづくりに一致
 ● 世界に誇れる機能・性能・効能を具現化する想像力の創造性
もっとも大事な「創造性」は、
問題解決となる解答を必ずや導き実現する力です。
2次審査に必要となるトーチとしての様々な条件検証は、
技術の専門家中心に実証現場での確認そして私はビデオで確証し、
さぞかし大変なチーム努力だったろうと応募チームに敬服しました。
この審査会の専門家はボランティアでした。
これまでの知識と経験から国家的なプロジェクトの一翼を担い、
東京2020の成功を日本の未来につなげたいと承諾されたのだと思います。
私も苦手な午前中から、長時間連日の審査会を乗り切りました。
私はシンボルマークのバッジが欲しかったのです(笑)。
実際、国際的な市場でのモノづくりの現場にいるデザイナーとして、
万一、聞かれたらなら明言できるだけのの自負がありますから、
その実践からの「論理」をもってのぞみました。
結果、英知を結集し議論を尽くした審査が終了しました。
オリンピック・パラリンピック開催の前には
日本中で、20000本のトーチが、走り巡ります。


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『二次審査へ、私の期待は「やり通す」ことでした』


   


     3月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM

1964年の東京オリンピックのトーチは、
恩師の柳宗理氏のデザインでした。
学生の頃、その当時の話をいっぱい聞かされていました。
そして、私は東京2020のトーチの審査員に加わることになりました。
オリンピック・パラリンピックの審査会への参加は、
これまでの難航するデザイン関連の審査を知っていますから、
職能家としての信念と決意を持ってのぞみました。
東京オリンピック・パラリンピックのシンボルマークは、
私には突然のニュースでした。
一見して「なぜ、この形が?」、黄金比で見てもおかしいと思いました。
その後、いろんなことが重なり、彼の盗作が次々と発表されていきました。
ベルギーからは「著作権で闘う」と国際的な論争を生みました。
著作権は、無体財産権ゆえに、商標権で闘ってもまったく敗北です。
結局、シンボルマークの取り消しと、
業界団体から大衆まで幅広く反対運動のおきた国立競技場は、
政府誘導で「やり直し」でした。
トーチの審査会は4月に第一次審査があり、
多くの企業とデザイナーのチームから応募がありました。
それぞれのチームでデザイナーが代表してプレゼしていたので
デザインの力で何としても日本からレガシーとなるトーチをと願いました。
審査も問われるわけですから、
人間工学的な間違いや、機構設計の不具合を指摘したり
素材への知識不足、環境効率の認識、燃料機構の提案についてと
審査員全員が質問を繰り返しました。
やはり世界に通用するデザインは限られていることを、
あらためてプレゼを通して感じました。
「やっぱり、真にやりたい」ことが、
今回の大会へのコンテクストは見事であり、
「これが二次審査に行けば」というのが私自身の期待でした。

*知的財年報2010


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『オリンピック・パラリンピックでの「トーチ」審査会』


   


     3月 21st, 2019  Posted 12:00 AM

東京での二度目のオリンピック・パラリンピックです。
しかし、これまでデザインに関わる国立競技場の取りやめから、
シンボルマークとその選出については嫌なスタートとなっていました。
世界基準に立つべきで、大衆選考による迎合的判断は残念です。
単なる経済的あるいは効率的な視点や損得勘定を超えた
審美眼と良識をもって、何よりも災害復興と
日本の未来を見据えた英断が重ねられるべきだと期待し望みました。
かつて、父が東京のオリンピックをTVで見て、
私に向かって「二度と日本では見られないだろう」と言っていました。
幸い、私は東京でのオリンピック、その「トーチ」の審査をしました。
4月に第1次審査、7月に第2次審査と開催され、委員会とも話会いました。
デザイン、燃料機構や環境と細かな点数配分による審査でしたが、
「解答」はすぐに私は見つけていました。
問題解決ができていないことや、文脈性の読み違い、あるいは
マンガで、造形デザインは決して出来ないことを証明し、
人間工学が根本的に間違っている。
さらには、縄文も弥生も無知な発想など
デザイナーの今時の風潮も知りました。
もちろん時間と能力をかけた提案とプレゼンテーションに立合い、
敬意を払い、その一字一句をくみ取ろうとしました。
審査会はデザイナーのみならず、
アスリートや各技術専門家等の構成からなるため、
重点の置き場所は異なりますから、実際やはり白熱の審査会でした。
ただ、デザインに重きをおいた審査委員たちは、必死にその審美眼を信じ、
レガシーとなる世界基準のトーチを選ぼうとその結果を導きました。


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『「Design a Dream」がおそらくこれからもテーマだ』


   


     3月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

「OUZAK」は自分のブランドであり、KAZUOの逆読みです。
自身のブランドでは、長らく「Design a Dream」と
「Design a Big!」をテーマにしています。
このテーマは、Apple本社でJ.スカリーのコンサルだった時期に決めました。
最初のMac the Worldが日本で初めて紹介されたとき、
「エバンジェリストではなく、コンサルタントになりたい」と
J.スカリーに願い出た私に、すぐに秘書を呼んでくれました。
ちょうどその頃には、倉俣史朗さんの推薦で
毎日デザイン賞を受賞していました。
J.スカリー宛に、一週間後私の作品を送りました。
その時のJ.スカリーの名刺には、「Chief Listener」だけでした。
そこで、クパチーノのApple本社に行ったとき、
私も名刺には「Dream Designer」だけでした。
それからは、Design a Dreamを謳っています。
コンサルタントとして、7つのプロジェクトを担当しました。
が、クリントンが大統領に選ばれたとき、
J.スカリーはすぐ側にいました。
そして、J.スカリーの退任とともに私の7つのプロジェクトも終了しました。
いづれ、このことを書きたいと願っています。


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『C.I.もブランドも、その一般的知識が無い』


   


     3月 19th, 2019  Posted 12:00 AM

C.I.=コーポレート・アイデンティティと
Brand=ブランドについては、デザイン戦略の中で
商品から企業全体までの未来を描こうとしています。
ここしばらく行政ではブランドというキーワードがもてはやされ
デザインではなくて、
ブランドあるいはブランディングが一応に目立っています。
C.I.についての基礎知識がないばかりか、
同時にブランドも知識不足です。
はっきり言えば、企業存在は「どこの馬の骨か」、
「焼印」を由来とし、その成り立ちやテーマ、理念の社会的共有、
認知といった知識なのです。
C.I.でのE.H.エリクソンの8段階までのアイデンティティが不足しています。
企業生存率を考えたことがあるでしょうか。
私は、商品を手掛けるだけでなく、ベネフィットとプロフィットにおいて
商品ブランドはC.I.からをデザインします。
このところ、パソコンでは、カーニングどころか、
英文の曲線と直線までの知識不足がとても多いと感じています。
また起業した年月と、どこからスタートしたとかも、
表現されていませんから、その企業のC.I.とブランドの力が、
社会のなかで存在を発揮できていません。
美大の教育では、このレタリングは丸1年すべてがフリーハンドでした。
定規やカーブ定規も使わずに、手に覚えさせます。
「デザインストローク」で訓練して、
サンセリフ、セリフ、スクリプトは、得意分野に訓練で身につきました。
当然、今はコンピュータでの作業ですが、身についた感覚が
微妙なバランス力や視覚補正をして、
ぴったりくる美しいレタリングを実現できます。
結果、ワンヘヤーラインが描けるレタリング技能者が激減しています。

*デザインストローク


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