kazuo kawasaki's official blog

『「母の日」をことさら想う』


   


     5月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

日本で「母の日」が国際的に一般化したのが、
ちょうど私が生まれた1949年だと聞きます。
母の日に阪大の敬愛する教授の母上が逝去されました。
本当なら久々に約束していた日は、さすがに延期をしました。
彼に言いました、長生きされたのだから親孝行も充分ですと。
私には叶いませんでした。
しかも当時の医学では手術をして癌だと分かる程度でした。
でも、私に母が二名います。
私が21歳、母は47歳で逝ってしまいました。
けれども父が再婚したので、新しい母ができて実妹もいます。
だから姪も甥もいます。
私の血筋がかろうじて残っているわけです。
姪っ子がtwitterやfacebookをやりだしたりSkypeを始めたり、
これには最初それを平然と姪も甥もやることにとても驚きました。
私の母の運命は21年間も彼女の時間を私は独り占めにしたのです。
浪人までした私にデザイナーが似合っていると言ってくれました。
美大進学を何よりも喜び私に指輪とブレスレットを買ったのです。
そんな女々しいことは出来ない、と彼女に言いましたが、
これからの男、そして貴男はデザイナーになるのだから当然と、
指輪をしている私を見て、父は激怒しましたが、
それが母からのプレゼントというので何も言いませんでした。
だから私は今もできる限り指輪もブレスレットもし続けています。
新しい母は、今、妹と東京で暮らしています。
母の日を過ぎて、電話でともかく「長生き」だけを伝えました。
本来なら、母の日はカーネーションですが、
私はピンクのカーネーションとミニ薔薇を選んでいます。
一時期は、あの世できっと母にまた会えるはずと想っていました。
しかし、今の私はたった一回の人生だから絶対に逢えないでしょう。
あの母に育てられたことはとても幸運だったと想います。
そして私は二人の母を持ったのも幸いでした。


目次を見る

『iPadのスタイラスペンは徹底的に精査しています』


   


     5月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

iPadはPCの明らかな進化形態でした。
大きな特長は、
手書きと手描きを画面上で実現しようとしたことです。
人間が情報と向かい合う文字・図形・絵画表現を
スタイラスペンをインターフェイスにしてきたことでした。
ですから、私はまず自作で素材を様々に試してきました。
アルミ泊・導電ウレタンフォームなどでペンのあり方を理解し、
それから市販されてくるほとんどを試してきたと思っています。
理由は、スケッチやラフレンダリングが描けるだろうか、
そして書道での草書体が、筆とほとんど同様以上だろうか、
この二点に執着して選び、日常の道具にすることでした。
スタイラスチップの素材も相当に進化していますが、
まだまだの感があります。
最近は静電容量を可変するために電力供給されているようです。
これも一つの方法ですがまだ進化は認められません。
私はこれは専門的な用途ならば電力を必要としても構いませんが、
電力無しこそ、筆と鉛筆からの革新だと思っています。
いわゆるボードコンピューターのスタイラスペンは、
筆と鉛筆を乗り越えるべきだというのが私の理想です。
ともかく、私は、書く行為はキーボードでOKですが、
書道はこのスタイラスでもかなり筆タッチになってきています。
しかし、鉛筆には硬度があるように、
こうした硬度と手の感覚にはまだスタイラスは達していません。
けれども、国際的にもこの技術発見は進展していないようです。
なぜなら、私はスタイラスペンの商品はすべて検分して、
その結果、購入して使っていますから、
これは絶対に買うべきではないと評価もできます。
現在、もう当たり前になっている導電ゴムチップのモノは
使いモノにはならないと判断してください。

『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
「スタイラスをすべてチェック後の選別」
「スタイラスペンは、まだまだ進化が必要」
「iPad Stylusを使うと分かること」
「# iPad静電スタイラス自作奮闘 ・1#」


目次を見る

『OSが一定したから今度はもっとクラウド化を』


   


     5月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

Windows XPは一応の役割を終えたことを告知しました。
Windows嫌いの私ですが、これを高く評価しています。
にも関わらずMac OS10.6で本来は停止していたにも関わらず、
現在はOS10.9.2になりながらも
詳細は未発表だったことは駄目だと私は評価しておきます。
今後のMacがiOS7に移行しようとしているのかもしれません。
結局、OSはほぼ一定化しているようですから、
私たちは今後、無線LAN=Wi-Fiが公的になっていくのに合わせて
私的なネットワークづくりを求めるべきだと思います。
相変わらず、企業LANがオープンシステムの提案は、
大企業中心に捉えられていて、中小企業や地方行政は全く、
日本国内ではその機能性を理解していないところが多すぎます。
私は企業や行政にデザイン戦略の一つとして、
企業クラウド化・行政クラウド化、それを個人運用することを
それなりにプレゼンしていますが、
正直、まだまだ理解されていませんし、それを主張することも、
私なりには決定して、この企業デザイン戦略としての、
Wi-Fiやクラウド化を主張することを辞めています。
それほど国内企業や行政機関は情報戦略デザインに無知過ぎます。
私は、個人的にはWi-Fiを運用し、個人クラウド化は、
USB対応で、最初はそのままUSB差し込みタイプでしたが、
今では2.5インチ1テラのハードディスクで携帯可能です。
そして、これからはできる限り、ノートPCを離れて、
iPadで充分に出張などに運用を図っていきたいと考えています。
とりわけ、OSの詳細な進化もブラックボックス化し、
さらにWi-Fiの整備がようやく国内でもスタートしました。
それは、スマートフォンはじめパソコン形式も格段に進化します。
しかし、わが国は遅れ始めています。
私は、理解ある企業と行政のトップにだけ伝えるつもりです。
ただし、現在の行政トップでこの理解者は皆無かもしれません。

『Wi-Fi とUSBからインフラ整備未来が見えます』
「『風景』とは天地異変のシグナルだった」


目次を見る

『3D-Printingのサーキット計画をスタート!』


   


     5月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

3D-Printerブームにあやかって産業は大革新という指摘は、
とうとう銃まで自作するという人物まで出てしまいました。
そこで、日本ではこれを徹底的に取り締まるという
公的なルール化に走っています。
「そんなの無理でしょう」という意見も取り締まるべきです。
それが欧米流の3D-Printingには断固否定するコトになります。
私がすでに準備してきたコトをこれから起こしていきます。
その流れの中では銃の製作などはあり得ません。
3D-Printerで銃マニアだからというのはとても浅はかです。
理由は、銃など18世紀のモノを再現することを追いかけている、
そんな輩に取り囲まれた3D-Printerブームは不必要なのです。
これまでのラピッドプロトタイピングを
光造形システムから、新分野開拓を追いかけてきた私には、
現在ブームでそれなりに受け入れられているモノづくり、
それ自体がすべて大失敗を連続させているだけだと思います。
彼らも銃を造ろうとした人間と同等レベルだと断言しておきます。
すでに、欧米では考えられなかった素材、
3D-Printingから新規Printerを発想することは、
わが国からしか絶対にできないでしょう。
先般、大阪インテックスでの3D-Printer見本市を観て、
私は、何も進化も進展もせず、ただモノマネの見本市に唖然です。
3D-Printerが革新を起こすのではありません。
3D-Printingを何に応用させ、何を発明していくのかが重要です。
私は、「サーキット」と呼ぶべき、
モノづくりネットワークは性能と効能を技術革新するからこそ、
「サーキット」というプロジェクトになるものと判断しています。
最初のモノづくりはこの「サーキット」から生まれるでしょう。

『欧米が未来のモノづくりとした大間違い』
「日本の倫理性が3Dプリンターの根本を変える!」
「『3D-Printer』・『3D-Printing』この風潮の大間違い」


目次を見る

『Wi-Fi とUSBからインフラ整備未来が見えます』


   


     5月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

Wi-FI=wireless fidelityがもたらしたことは大革命だったと思います。
コンピューターの登場からつぶさに付き合って来た私にとって、
最も驚異的に進化してきた情報革命は、ネットワークでも、
無線LANの進化と、それを裏付けるUSBがでてきたことだと言えます。
しかも、無線LANでもWi-Fiがもたらしたコトはとても重大でした。
最近は、出張してもWi-Fiセットというモノを持って行かなくなりました。
そして、欧州会議で決定された旅行者が電話回線を
どの国を旅してもできるだけ格安料金であることという決定が、
実は将来の電話回線事情を暗示しているものと判断しています。
日本国内の電話回線実体はとても異常だと思ってきました。
しかし、ようやく国内の電話回線が格安競争に入ってきたようです。
しかし、これが国際的な競争力を持っているとは大間違いです。
私は将来・未来は電話回線は国際的な公的インフラで
すべからく平準化するだろうと予測しています。
これほど小さな国内であっても、まだ電話回線は不整備であり、
しかも一般にとっての電話料金は不明点が多すぎると思っています。
欧州会議で「A Better Deal for roaming」というテーマは、
これからの電話事情、すなわち、Wi-Fiが公的インフラとなれば、
電話は税金で対照化されて、市民全てにとっての基盤=道路です。
かって、スーパーハイウェイと言われていた情報網整備、
その条件が整い始めてきたようです。
ところが、国内では廉価競争に入っている電話販売と電話回線各社には、
未来が見えていないようです。
東京オリンピックにむかって、三つの動きがあります。
一つは、「.tokyo」が売り出され始めました。
そして、Wi-Fi整備が始まってきました。
もうひとつは内緒にしておきます。これはその成長を見たいのです。
もし、Wi-Fiはさらに進化される技術になれば、
電話回線はまさしく、私はスマートハイウェイは二つ出来上がるでしょう。
一つは車輌と道路の革命です。
さらに、電話機器と電話回線は全て「公的租税」となり、
その国際関係論で、外交交渉の対象となって、
企業競争は終焉してしまうはずです。
これが私の予想と期待です。
今、私は、私のクラウドをWi-Fi & USBで使っています。
まだここに注目している人は数少ないでしょう。

「PC端子は進化しているだろうか?」
「記号はNetworkとServerと私たちのimageに存在する」
「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」
「自宅Wifi環境の変革と自分のCloud化」


目次を見る

『清水吉治レンダリング展にて』


   


     5月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

本当に久しぶりにAXISビルに来ました。
AXISビルは日本のデザイン界のメッカですが、
最近はもう忘れられているのかもしれません。
私がここでの個展からフリーランスで出発しました。
金沢美大時代の大先輩・清水吉治氏の展覧会を観にきたのです。
大学時代の同輩から先輩後輩に沢山出逢うことができました。
清水先輩は、おそらく、工業デザインにおけるレンダリングでは、
特にアジア、そして工業デザインに力を込めてきた中国では、
彼のレンダリングを学んだ教え子はものすごく多いのです。
私自身、先輩とはいえ、
東芝時代にどれだけ参考にして学んできたでしょう。
大学人になってからも彼の著作を学生たちには必ず薦めてきました。
すべからく手描きのレンダリングは、
私は今ではデジタル化、PC化されようが、
「デザインの基本」だと思っています。
このレンダリングが描けないデザイナーは、
まず造形デザインが下手くそです。
工業製品の造形が下手なデザイナーは、
レンダリングが描けないと思っています。
展示された描かれている製品は、その時代の技術進化があっても、
造形は全く新しい。
私は思いました。レンダリングで描かれた工業製品の美しさです。
それは現代製品が
貧しく美しくないことを証明しているとさえ実感しました。
私は現代製品で欠落していることは二つあると思っています。
一つはレンダリングがPC上でソフトで描かれていても、
手から生まれるのが美しさです。
私はスタッフが、たとえPCで仕上げても手描きを要求し、
私自身手描きから造形を見つけます。
もう一つは、金型を確認することです。
PCで制作された金型であっても
ハイライトラインを確かめるべきだと考えています。
結局、ハイライトラインは手描きのレンダリングでは、
必ず明快に確認することができ、
この技法無いデザイナーが増えていることを危惧しています。
清水先輩は80歳でした。
もっとも美大卒のデザイナーはみんな若く見られているようです。
大学の同輩が会場設計デザインをこなしてくれていました。
今日、改めて私は素晴らしい大学出身者だと思いました。

『日本のレンダリング技術は先輩が切り開いてくれた』


目次を見る

『3D-Printingで日本の伝統工芸を革新するサーキット』


   


     5月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

「サーキット」というのは、
単なるネットワークではなくて、まさに回路の性能があります。
私は流行幻想となっている3Dプリンターブームを見てきました。
フォーラムもやり、国内の本物の人物たちを決めました。
ブーム、それも米国流だけをあさっている著作本には呆れ果て、
本格的に日本流のひとつは、全国各地の伝統工芸産地、
この産地に現行の3Dプリンター成果物を送って、
日本の伝統技で美学的な仕上がりのあるモノを創ること。
これは、欧米には絶対に不可能なことです。
光造形が95年当時にも騒がれました。私は85年ごろ知りました。
そのときも、絶対に生きのびないモノを一杯みました。
いま、3Dプリンターブームもそっくりなことに唖然とします。
それだけに、狙ってきました。
現在の3Dプリンターでは成果物には素材的な限界が明白です。
しかし、形態は歴然と作り手に伝えることが可能です。
私のこの「サーキット計画」も、一つの初期段階にすぎません。
しかし、日本の伝統工芸それぞれの産地で、
産地毎の伝統技が加われば、
本当に欲しい3Dプリンターは何かがわかるでしょう。
このシステムが未来の産業形態を変えるという発想が間違いです。
未来の産業形態とは、少なからず、伝統技からの発想が重大で、
金型をプリントアウトするということを言い出している無知さを
なんとしても私は否定したいと考えています。
なぜなら、日本の伝統工芸の下敷きは、
すべからく、日常生活に何が必要であり、その効能こそ、
生活に存在すべき価値の美学的表現と内容だったからです。
「3D-Printing CIRCUIT」が日本から始まるのです。

『3Dプリンターが創成する伝統工芸産地サーキット計画』


目次を見る

『作品集は合計やっと4冊になりました』


   


     5月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

作品集を出すことはデザイナーになってからの夢でした。
最初に、ほとんどノータッチで1冊ができ、
次には、金沢21世紀美術館での個展カタログが2冊できました。
青色の作品集は、展覧会のインスタレーションを、
スケッチ、モデル、図面で構成されています。
しかし、この編集はほとんどワイフがやりました。
なぜなら、その時に私は敗血症で重篤状況であり、遺稿集寸前。
多忙さが重なり、ドクターストップで入院になりましたが、
そのまま翌日は阪大病院から講義をとまで考えていました。
ところが容体は深夜に急変し、敗血症・多臓器不全で、
重篤になりましたがワイフは最後かもと編集したそうでした。
気づいたとき、担当医から「教科書を書き換えてしまった」と、
そこまで言われるほど医学的な説明つかず回復をしました。
もうこれで、作品集は・・・と思っていましたが、
退官寸前に、ある出版社から作品集をと言われて、最終講義には
この出版をと思っていましたが、叶わず、それならゆっくりと、
これはかえってやりたいことが見え出すとのびのびになりました。
したがって、おそらく、この作品集が私の最終にはなりません。
なぜなら、この作品集以後の作品こそ、
絶対に私の生き様とデザインの集大成にしたいと考えています。
今月ようやく「川崎和男Design」、これは「図鑑」だと思います。
親友達が文章を提供してくれました。
表紙には、3Dプリントを何度もトライをして作成できました。
私は、やがて作品集の写真は立体画像になるものと推測します。
本当なら、すべての作品写真をしたいほどですが、
とてもコスト的には無理なことです。
おそらく電子書籍になるかもしれませんが、装丁本として、
なんとか、自分の歴史、64歳までの活動をまとめました。
65歳になって出版です。

『作品集ようやく束見本ができたが・・・』
「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」


目次を見る

『あべのハルカス・超高層ビル日本一を眺めて』


   


     5月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪に住んではや9年になります。
人生、まさか大阪に住むようになるとは・・・の感想ですが、
私は18歳のときに、大阪で浪人をした1年がありました。
現在の自宅に住んだときにはまだ高層ビルは余りなかったのですが
最近は多くの高層ビルを見かけます。
何よりも、通天閣の後にこの「あべのハルカス」が見えます。
日本の超高層ビルでは60階地上300mもあるらしいのです。
丁度、天王寺駅真横のあの百貨店は予備校への往復路なので遊び場。
だから、その百貨店では、職務質問を受けた経験もあります。
阿倍野筋で予備校指定の下宿で、それなりに懸命に浪人し、
本来、父に約束していた志望校をやめて美大に進学しました。
時折父は出張で大阪を訪れ母は2度来てくれた思い出があります。
大阪に来てから、正直、まだ一度も阿倍野筋に行っていません。
自宅も32階にありますから、このビルの建設を見てきました。
大阪は数年前から、どんどん高層ビルが出来ています。
しかし、私はこの都市開発は時代を読み込んでいない、
大阪市の大失策だと確信しています。
ほとんどの高層ビルが百貨店ですがその時代は終わっています。
現実的に、百貨店での売り上げは低迷しています。当然です
大阪が低迷していくことを見詰めてきました。
その理由も再興の方法もデザイナーとして持っています。
低迷する大きな理由をひとつあげると、
それは失ってしまった大阪弁がひとつあります。
好きでっか?・ホンマでっか?・儲かりまっか?、はありますが、
「よろしゅおましたな!」を聞きません。
この言葉を無くしたときから、大阪は倫理観を失っています。
そういう意味では、「あべのハルカスはよろしゅおましたな!」と
そう言われるシンボルになってほしいと思っています。

「高層は50階以上がいいようだ」
「このごろの夕焼けはオレンジ色が薄くなっている」 (さらに…)


目次を見る

『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』


   


     5月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

私は鉛筆が大好きです。
どの筆記具よりも鉛筆はとても優れています。
ただし、色鉛筆となるとこれは分別して使うことになります。
通常の鉛筆は手で削りますが色鉛筆は種類毎に使い分けています。
色鉛筆に限って色鉛筆芯毎の手動電動を見極める必要があります。
芯が硬い時には、電動がとてもよく適合しています。
この電動鉛筆削りは現在、多摩美大学長の五十嵐氏デザインです。
もう何度も自分で修理して使っていますが、
とても素晴らしい鉛筆削りです。
同じ、色鉛筆を手で削っても描き心地は異なってしまいます。
そして通常のプラスチック製は、色鉛筆の芯先を一定に削ります。
しかし、芯先を細かく設定するには、
アンティクな器械を現代素材の部品すべてが工芸的なモノです。
この丁寧なつくりのためなのか、
鉛筆削りでの些細な削り方が可能になっています。
したがって、この三つの鉛筆削りを使うことで、
鉛筆そのものの品質や性能を知ることができます。
鉛筆削り器を使うことで手で削る方法を学び直すことができます。
私にとって重要なのは、ともかく、鉛筆はこうした機器を使って、
その結果、手で削るべきか手動、電動がいいかが分かることです。
私にとって、書くこと、描くことは、
鉛筆使いで決定されていることだと確信しています。
さらに、書くことは、鉛筆からボールペン、万年筆、筆までが、
自分のタッチを決めています。
描くことでのタッチをできるだけ拡大したいと思ってきました。
それが、筆記具を選別して収集することになっています。
特に、鉛筆、色鉛筆にはこの三つは大事で大切なモノです。

『鉛筆削りナイフ・伝統技の記号づくりと情報づくり』
「大好きな色鉛筆・最近のお気に入り」
「プロとして元気の素は鉛筆への作法」


目次を見る