7月 26th, 2015 Posted 12:00 AM

ESA・NASA・NASDA(現JAXA)が宇宙ステーションを設計していたとき、
幸い、私はいとこがいたヒューストンのNASAの設計オフィスを見ました。
宇宙工学者のいとこが毛利氏をケネディ宇宙センターで見送って、
もうそれから23年で、日本人10人目が飛んで行ったとメールが来ました。
そうしたらNASAでは地球から1400光年も離れた「はくちょう座」に、
太陽とよく似た恒星付近を周回している
地球のような星を発見したというのです。
名前は「ケプラー452b」と言うらしく、地球同様に水?液体があるから、
岩石もあるらしく、ほぼ地球のいとこのような惑星らしいのです。
しかも太陽の46億年よりもさらに15億年早く誕生していた恒星は、
もし、宇宙人がいれば、科学はもっと発達しているかも知れません。
確実に生命が存在できる条件が整っているというこの見解は、
私にはまったく理解できる知識ではありませんが、
ケプラー宇宙望遠鏡などで発見された太陽系外惑星は1879個、
今回の調査では500個以上を追加しました。
もっと驚くのは、
生命が存在できる天体は12個を確認していると言うのです。
ひょっとすると、私は28歳で歩けない体になってからは、
自分はもう地球人ではないかも知れないとすら思ってきました。
さらに、私は無神論者ですが、亡くなった祖父母や父母も、
もし、おとぎ話のごとく「星になっていたなら」、
あの世とはこうした惑星に居ることかも知れません。
私はこの恒星からきたケプラー452b星人かも知れないと思います。
なんだか、寿命も星人としてこの地球から飛び立つ日までかも、
とか真剣に思ってしまいます。
そうだ、これからは「ケプラー452b星人」です(笑)、と、
名乗ってみようかとさえ思っています。
Tags: 1400光年, 46億年, ESA, JAXA, NASA, NASD, ケプラー452b, ケプラー宇宙望遠鏡, はくちょう座, 地球, 太陽, 宇宙ステーション, 宇宙人, 宇宙工学者, 寿命, 岩石, 恒星, 星になっていたなら, 星人, 水, 無神論者
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 25th, 2015 Posted 12:00 AM

言い出してはいけないことがある、とよく言われます。
しかし、「デザインとは社会への態度である」と、
インプリンティングされて育った者であるかぎり、
それは職能倫理観として、
眺め直して見なければならないマークがあります。
これらは我が国の省庁関係やプロジェクトなどのマークです。
ところが現代の今生においては、批判、時として非難は
決してしてはならないという社会的な不文律性が出来ています。
「白紙にしたい」というのは、日本のトップの権力になっています。
それをいいことにして、批判はしてはならないのです。
私は警官の息子として育ったので、今でも警察のマークは、
菊の御紋章と同じように大好きなマークです。
ところが、安易に決められてしまっている省庁マークは、
三流デザインだらけだとさえ私は思っています。
国家レベルのマークづくりに関わった経験がありますが、
デザイン対価が用意されていたものは皆無でした。
その程度にデザインは軽視されてきました。
それこそ、「この御紋が目に入らぬか」という時代では、
デザイン(designare=do+sign=design)という効用がありました。
何かが変というよりは、
何かセンスの勘違いが蔓延する世間になっています。
以前、私は大企業にはC.I.のロゴタイプはあってもマークが無い、
それゆえに日本の企業はブランド形成が難しいと言ってきました。
いわゆる工業意匠権20年では、オリジナルは抹消されていくのです。
言い換えれば、たかがデザインのマークデザインの効用はその程度。
肝心なことは、デザイナーの倫理観に関わっていますが、
情報時代の性悪説がはびこれば、
私は三つの無視こそ善なる倫理観ゼロに社会はつつまれると考えます。
それは、上場企業ビジネスがさも性善説を騙り、
匿名での平然たる批判がいかにも表現の自由を守護し、
そして、
ジェネリックプロダクトで何が悪いと言い出すデザイナーが出現、
これには、天誅が許されるべきではないかとさえ私は思います。
「商品力を低下させている流行マーク・小学生も信じない」
「負けて当然・企業のロゴタイプだけでは勝てない」
Tags: C.I., DESIGN, designare, インプリンティング, オリジナル, ジェネリックプロダクト, デザイン, デザイン対価, ブランド, プロジェクト, マーク, ロゴタイプ, 三流デザイン, 上場企業ビジネス, 不文律, 倫理, 倫理観, 倫理観ゼロ, 効用, 匿名, 国家レベル, 天誅, 工業意匠権20年, 御紋, 御紋章, 性悪説, 批判, 権力, 白紙, 省庁, 省庁マーク, 社会への態度, 紋章, 職能, 菊, 表現の自由, 警官, 警察, 軽視, 非難
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 24th, 2015 Posted 12:00 AM

米国の自然史博物館で恐竜に出会ったときは本当に驚きました。
1980年代ごろ、単純にただ体育館のようにとても広い館内に
チェーンで現物に近づけないようだけでしたが、
それ以後、なんだかデザインされた展示になってしまって
実物のデカさとかが感じられなくなりました。
私は一時、
小学生のように恐竜のフィギュア集めをしたこともありました。
しかし、今、持っているのはこのディノザウルス一体だけです。
甥っ子が小学生になったときにも、
恐竜図鑑を全巻買ってやろうかと言ったときには、
もうとっくに小学生だし、
恐竜図鑑もすべて読んでしまったと言われる有様でした。
確か、私は福井にいた頃に、恐竜の爪か何かが出土して、
今ではふるさと福井は「恐竜天国」になってしまいました。
おそらく日本中の子供たちが行ってみたい場所になっているようです。
先般も、金沢は新幹線で大変な事になっているのに、
福井の駅前には実物大の恐竜ロボットがうなっていました。
英国で恐竜の存在がわかったころには、その存在すら疑われていましたが、
なんと北陸の勝山市には恐竜博物館ができています。
しかも、この博物館は超有名建築家K氏のデザインであり、
福井大学非常勤講師の頃の教え子Oさんが現場監督をしていました。
一度行きたいと言いましたが、なかなかいっぱいらしくて
それなりにしっかりと余裕を持って行かなければならないようです。
実際、恐竜の色は推測に過ぎず、今や恐竜の肌には鱗もあったとかです。
なんにしても恐竜=dinosaurというのは
まだまだイメージの古代生物ですが、
私はロボットと恐竜は想像力の対照的存在だと思っています。
目次を見る
7月 21st, 2015 Posted 12:00 AM

正直、阪大に来てからは読書を辞めようとすら考えていました。
名古屋から大阪に来るときに、蔵書はすべて処分しようかと思い、
故・恩師に電話で話したとき大学人の間は持っていなさいと言われました。
そして寝室には絶対に本は置かないとワイフに約束していた程です。
ところが、阪大では学生から、あの本とかこの本の読後感や、
論文作成などで名古屋時代以上に蔵書は増え続けてしまいました。
退官後は、なんだか上下巻を読まざるを得なくなっています。
しかし、盟友である松岡正剛はまもなく1600冊の書評を
書き続けていることには大敬意しなければなりません。
さて、「暴力論」ともなれば、
これまで数人が人間の野性として書いてきています。
60年代安保を見、警察官の息子だったことから、
学生運動に飛び込んでいた者の親が辞職することも見てきました。
70年代安保は学生運動のなかで傍観していた私でしたし
学生運動の弱さが赤軍の馬鹿さになることも予想していました。
だからこそ集団的自衛権の最も賢い手法論が語られないことを
確認するのがこの上下巻だととらえています。
まだこの上下巻は拾い読み程度ながらにも私は大ショックでした。
人類は明らかに「戦争をしないこと」と「平和でいたいこと」に
たどり着いてきたという見解に驚きました。
それは私自身が「喧嘩道」で暴力性への葛藤を抱え込んできたこと、
その大回答でした。解答にはなっていないと予想しています。
まだこの本を読み切ってはいませんが、戦争もバーチャル化と
武力の高度な技術戦では、
ISISの存在や、情報戦での悲惨さは増大している、
そんな印象はかき消されましたが、この本では未だに、
「暴力とは何であるか?」が主体的であり、
「何が暴力となっているか?」はかき消されている感が私には
強く残っているようです。
体罰も暴力とされる現代においては、「いじめ」なる暴力犯罪や、
宗教戦とマスコミが商売化している報道での演出暴力などは
これから読んでいくことで、私に確固たる読後考察が残るのだろうかと
思っている次第です。
私は今生のためには自分の暴力性は
しっかりと残存させておくことを替えようとは思っていません。
Tags: いじめ, 上下巻, 今生, 体罰, 喧嘩道, 大学人, 学生運動, 安保, 平和でいたいこと, 戦争をしないこと, 暴力, 暴力犯罪, 暴力論, 書評, 松岡正剛, 残存, 演出暴力, 葛藤, 蔵書, 読後考察, 読書, 警察官, 赤軍, 野性, 集団的自衛権
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 20th, 2015 Posted 12:00 AM

死はこともなげに奪う、ということを現実的に知らされるものです。
揺るぎなくある人が亡くなれば、
後継者はそこそこの能力があるがゆえに、
目の上のタンコブ的存在を追い越して、
あたかも後継の権威づけを簡単に示そうとするものです。
しかし、オリジナリティの天分的な能力がねじ曲げられた瞬間に、
その死ゆえに「失われたこと」の悲しみを再確認してしまいます。
私にとってApple社の存在は
コンピューターへの夢をすっかり無くしていたときに、
Apple ?で見直し、1984年Macintosh 128Kで決定的になりました。
そして思いがけずも私はクパチーノのApple社で、
ジョンスカリーやアランケイと仕事をするチャンスがありました。
それだけに、私のパソコン生活はすべてAppleであり、
パソコンもパッドもスマホもAppleでした。
しかし、最近、大きな違和感を感じるのは、
Apple-WATCHとApple-MUSICのロゴタイプを見たときに、
ジョッブスの最期の置き土産だったiOSと同時に成し遂げられていた
あのレタリング形式がすっかり失われていることから、
WATCHもMUSICも、Apple理念が消滅していると感じてしまいました。
しかし、このことを胸にしまっていました。
ともかくあらためてこのロゴタイプを見詰め直してみても、
カリグラフィーからモノの美しさ、
特にあるべき終着点を知り尽くして決して妥協をしなかったことが
ジョッブスの死とともに抹消されていました。
このことを世界的なコンサルタントであるH氏と話をしていて、
さらに大確認をしました。
「そうですよ。ジョッブスが生きていたら絶対に許さなかったことが
安易にプログラミングされていますよ」
そのアプリケーションも教えてもらいました。
Apple社の後継者達はまだましかもしれません。
おそらく、日本では「デザイン」は未だに政治的にも装飾に過ぎず、
設計=デザインと言っていた中国がデザイン=策略からも
デザインは大きく後退しているだけに。
Apple-MUSIC、Apple-WATCH、
このロゴタイプをもっと注視すべきだと思います。
Tags: Apple-MUSIC、Apple-WATCH、アランケイ, Apple?, Apple理念, Macintosh128k, Music, Watch, オリジナリティ, カリグラフィー, クパチーノ, ジョッブス, ジョンスカリー, タンコブ的存在, レタリング, ロゴタイプ, 後継者, 権威, 死, 策略, 装飾, 設計
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 17th, 2015 Posted 12:00 AM

大学人になってから、高校生に話をすることが増えました。
高校といっても、今では偏差値ランキング付けされています。
高校ランク付けは大学への進学率に直結されて語られる風潮です。
私自身は公立大学で最も小さなおおよそ600名の大学。
ところが現在は、
日本で最大に大きな18000名という国立大学にいます。
おそらく、同級生などは美大という特殊性ゆえに
進学指導などは全く受けていません。
ひたすらデッサン、
それも東京藝大、京都芸大、金沢美大は描き方が違っていました。
私自身は、デザイナー教育には高校時代に
すでにスケッチやデッサン力が必要だと思っています。
だから、名古屋市立大学芸術工学部でも、
入試デッサン課題を出題し採点経験もあります。
しかし、これからのデザイナーからディレクター教育には、
美大や芸大入試だけでは全く不十分だと考えるようになっています。
むしろ、文系理系ともに平均的に重要で、
この平均的な学習から勉強が必要だろうと思っているくらいです。
最近はそれこそ偏差値で高校をみると63~65程度の高校は日本にあふれ、
何かが不足していると考えざるをえません、
もし、進学するなら偏差値70以上がほしいと思うだけです。
私は、まず、「本を読むと頭痛をする」なら
大学進学はしない方を奨めます。
次に、大学で何をするかは、たった二つしかないことを伝えます。
それは「探る」ことと、「創る」ことしかないことです。
さらに、小中高では「答」を求める学習と勉強があり、
大学入試は答でも、
それは課題に回答=Question & Answerというクイズにすぎません。
問題解決の「解答」は探って創り出すことは
大学と大学院でやっと可能だということです。
高校生なら、働くということはアルバイト程度があるかもしれませんが、
遊ぶように学ぶか、学ぶように遊ぶことで
大学進学への準備をしてほしいだけです。
もっとも、美大や芸大に特殊性でデッサンの受験対策だけでは、
これからのデザイナー養成は無理だと判断しているからです。
ともかく、学生諸君にとっては
「偏差値」をともかく70程度の能力がほしいだけです。
もっと、私自身がどうやって美大から総合大学で、
どの程度の能力=とりあえず偏差値が欲しいかを話しました。
もっと自分の様々なデザイン成果を見せられなかったことが残念です。
それは、絵を描く能力の基本も欲しいということを証明すべきでした。
主要5科目以上に
美術・音楽・スポーツまでを語りきれなかったことです。
つまり、主要3科目に補助5科目があるということです。
Tags: デザイナー教育, デッサン, デッサン課題, ランキング, 主要3科目, 偏差値, 偏差値70, 公立大学, 創る, 名古屋市立大学芸術工学部, 国立大学, 大学人, 採点経験, 探る, 文系理系, 本を読むと頭痛, 東京藝大、京都芸大、金沢美大, 美術・音楽・スポーツ、主要5科目、偏差値, 補助5科目, 進学指導, 高校生
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 16th, 2015 Posted 12:00 AM

私は美大進学もおそらくマザコンだったのだと思います。
理由は簡単で、美大卒業後も福井に定住し、
地元の短大のデザインの先生で十分という考え方でした。
しかし、母が47年の人生で私に21年間を尽くしてもらいました。
母の遺書には、「デザイナーとして最高の仕事をしなさい」と言われ、
それなら上京し、
しかもデザイナーとしてはオーディオだけのデザイナーを、
これが私の人生方針でした。が、人生は私に3度も生命を怪しくさせて、
すっかり、宗教感覚と哲学感覚は常に変更を余儀なくされてきました。
いまや、自宅では私好みのオーディオ環境どころか、
ワイフが見つけてしまった馬の照明器具までがあります。
来訪者、すべてがびっくり仰天する実物大が居座っているのです。
彼女の企みは、Bluetoothで音楽と照明をiPhoneで制御できるのです。
来訪者も仰天するとともに、
「銀河一の無駄遣い」とか言われながらも、
いや、人間は何でもすぐに「意味づけを行う」から、
この馬で実験をし出してしまいます。
オーディオマニアの友人からは、ウーハーをつけてもっとHiFiにとか、
そんな連絡もきます。
今や私の自宅では、照明と音響が可変するこの馬だけではありません。
それなら、
この部屋も変える、と言っていた4KTVは、7.1chが響き渡っています。
そして、次には、私がすでにプロとして試みてきた、
デジタルサイネージで
玄関のリニュアルデザインが行われることになるでしょう。
なんといっても、自然界の実物大の存在、
最先端のデジタルサイネージで自分の環境を取り囲んでほしいのです。
次には、いよいよ、
ここまでやってみようという計画を私は抱いています。
Tags: 4KTV, 7.1ch, HiFi, ウーハー, オーディオマニア、意味づけを行う、無駄遣い、銀河一、iPhone 、Blutooth、実物大、照明器具、馬、オーディオ環境、哲学感覚、宗教感覚、人生方針、オーディオ、短大、短大、美大卒業、マザコン, デジタルサイネージ, リニュアルデザイン, 可変, 照明, 美大進学, 音響
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 15th, 2015 Posted 12:00 AM

Genericという言葉がもつ意味は、とても優れていました。
元来は、薬などが商標権などに囚われずに一般的なと言う意味でしたが、
このノーブランド性を最初は借用していたのが、
医薬品以外、特に家具などにジェネリック家具となり、
それは意匠権などが消滅するとジェネリックプロダクト、
ジェネリックデザインへと盗用されるどころか、
オリジナルデザイナーの名前を消し去り、
オリジナルデザインの価値観を完全無視し出しました。
ジェネリック医薬品の考え方は、優れていたと思います。
これはインドの国策として、医薬品の物質特許を、
インド国内では認めない=貧困層に医薬品を提供する政策でした。
しかし、そうなると創薬にかかった開発費は無視されたことになりました。
そこで、後発医薬品をジェネリック医薬品として、
先進国家も製造を開始することになるわけです。
ジェネリックというノーブランド性を、
家具業界が借用しかつては素材や生産方法では高額であったモノが、
コストパフォーマンスなどが性善説であったのはほんのわずかでした。
特に、ジェネリックプロダクト・ジェネリック家具が、
中国のモノ真似主義を根本で支えることになると、
倫理感の無いデザイナーは平気でこれを悪用することになったのです。
日本では意匠権で20年保証をしてないとするなら、
オリジナルデザイナーの死後に、オリジナルデザインを消し去り、
それは「私のデザイン」だとまで主張し始めるのです。
法的には問題は無いのかもしれません。
ジェネリックプロダクトならば、
今ならここまで優れた新素材・新生産方式で、
オリジナルデザイナー名を明記して、
リデザイナー名としての表記なら私も納得するでしょう。
しかし、デザイナーという職能は、
美・義・善を職能倫理観としているならば、
ジェネリックデザインはやらないはずです。
まして、オリジナルデザイナー名を消し去って、
自分名でデザインしたともなれば、これは盗用悪用です。
先般、私はシェーカー教徒デザインを
まったく自分名としてきた作品を審査委員に検討を図りました。
当然のこと、知らなかったが、これは盗用!という意見でした。
オリジナルデザイン、
とりわけアノニマスデザインを徹底的に学ばされて育ってきた者には、
ジェネリックプロダクトに関与することは、
デザイナー哲学として絶対に踏み込まないことは明確です。
まして、政治的な権力で受賞対象にしてしまい、
意匠権を盾にしてライセンス生産のオリジナルを
デザインの歴史から、
抹消させるなどとは許されるものではありません。
ジェネリック医薬品のディメリットが、
やがてジェネリックプロダクトに反映するでしょう。
ジェネリック医薬品の物質特許無視が
招いてしまった薬剤特許は後発医薬品の効能を失わせているのです。
おそらく、ジェネリックデザインを悪用しているデザイナーは、
彼のこれまでのデザイン全てが拒絶されると危惧します。
*モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!
Tags: アノニマスデザイン、オリジナルデザイナー名、美・義・善、コストパフォーマンス, ジェネリックデザイン, ジェネリックプロダクト, ジェネリック医薬品, ジェネリック家具, デザイナー哲学, ノーブランド, 創薬, 医薬品, 商標権、薬 、Generic、, 国策, 完全無視, 後発医薬品, 物質特許, 物質特許無視, 盗用, 薬剤特許, 貧困
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 14th, 2015 Posted 12:00 AM

昨日は大阪に来てから初めて強い風が吹き付けました。
天候異変は、台風の進行方法を変え、
さらに連続する台風が、進行方向を予断させていません。
私は事典・辞典・辞書の類いが子供の頃から大好きです。
そして私が最も大気に入りが「風の事典」でした。
この事典は大変な作業で私は初版本を持っています。
最も学んだことは、日本には風は三つしかないという結論でした。
とても簡潔な結論に私は鳥肌がたったことを覚えています。
日本の風は、山からの風と海からの風であり、
この二つの風には名前が各地方ごとにありますが、
とても似通っています。
そしてもう一つの風が瀬戸内海からの風です。
私は大阪の風は、瀬戸内海からの風だろうかといつも思います。
北陸に育った私は日本海の風と日本列島山脈からの風はすぐに分かります。
むしろ東京にいるときには太平洋からの風はなんとなくわかっていました。
「風が吹くから木の葉がゆれる」
「木の葉がゆれるから風が吹いている」
この二つの表現を解説せよ、という大学入試問題が
「隠喩性」で出題されてたことがありました。
私は、「風」というテーマでデザイン課題を出したこともあります。
それはどれもデザインにおける比喩論的な手法につながり、
レトリックへのデザイン論だと考えます。
だから、風をメタファーにすれば、
人間関係や社会の景気論などはまさに風です。
だから、教え子や後輩から相談を受けると、
「私はそんなこと、一時の風のようなものだから」
「受け止めること無く、その風に吹かれて平然と」、
と、簡単に伝えますが、
翻って、私はたとえどのような風であれ、防風対策をします。
防風どころか、暴風対策をしてしまいます。
詰まり、風当たりが強くなってこそ、
生きがいだと感じる性質で生まれてきたのだと自覚しています。
正しいデザインのためには、
風当たりが強くても、メタファーでは語れない
「悪用」・「盗用」のデザイン・デザイナーを告発するつもりだ!
*風の事典
Tags: この葉がゆれる, デザイン課題, メタファー, レトリック, 三つ, 事典・辞典・辞書, 初版, 台風, 天候異変, 山, 山脈からの風, 悪用, 日本海の風, 暴風対策, 比喩論, 海, 瀬戸内海, 盗用, 防風対策, 隠喩性, 風, 風が吹く, 風の事典, 風当たり
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
7月 13th, 2015 Posted 12:00 AM

「柳宗理生誕100年記念講演」以来、
私はあらためて先生の作品系譜から、柳宗悦「民藝論」を
再熟読をしています。
多分もう一度「川崎、読み直せ」と言われていると
自分に言い聞かせています。
アノニマスデザイン・ゲマインシャフト・アンコンシャスビューティが、
先生から受け継いできたデザインの要でした。
先生はスケッチやレンダリングよりも、
ともかく、現場での実験モデルを重要視されていました。
そのことを私は正面切って、先生にぶつかっていきましたから、
学生時代は睨まれ、叱られながらも、なぜか一杯話をしてきました。
レンダで誤魔化すな!− いえ、レンダでも十分に語ってみせます。
図面を書きすぎるな!− いえ、いやというほど図面を画きます。
でも、現場のゲマインシャフトを護り抜き、
アノニマス性を順当に受け入れてきました。
アンコンシャスビューティを何としても見出そう!
これを私は自分のデザインの核心にしてきたと自負しています。
先生が、父親の「民藝論」増補版で製作者の方々に、
大変な敬意を語られています。
同様に、先生のご子息・柳新一氏に、
私はアジアで盛大な展覧会なのに生誕記念講演だけで
本当に申し訳なかったと伝えました。
そうしたら
なんと「民藝」が商業主義の基盤的背景になっているとの話に、
私はまず、先生の怒りの表情を見ました。
2005年に亡くなってしまった女性デザイナーの仕事を見事に、
自分のデザインだと言い切ってしまう狡猾さを反映して、
「民藝」を自分の商売デザインに平然と悪用する輩を許さない!
私は改めて「民藝」を護り抜かなければならないと決意しています。
「川崎、叱っているのだ、怒っているのではない」、
先生の声が耳鳴りします。
が、「民藝」を広告コピーとしていることには、
柳宗理先生は大激怒しておられるでしょう。
Tags: アノニマスデザイン, ゲマインシャフト, 商業主義, 大激怒, 怒り, 柳宗悦, 柳宗理, 柳宗理生誕100年記念講演, 核心、アノニマス、レンダリング、スケッチ、アンコンシャスビューティ, 狡猾さ, 耳鳴り
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る