3月 28th, 2014 Posted 12:00 AM
韓国とは本当に馴染みがたい国だと思わざるをえません。
私にとって、
韓国が隣国であってもそれ以上の国家ではありません。
そして私には韓国に馴染み深い元スタッフ(現教授)も、
現スタッフもデザイナー仲間も大学教授など多くの友人がいます。
しかし、政治の世界において、
私は見事なる国際関係論の間柄を遵守すべきだと考えます。
教科書問題・靖国問題・南京問題・慰安婦問題が、
私たち国家を非難する国々とは、強固な国際関係論でいいのです。
国際関係論とは決して「仲良く出来ない間柄」での契約制度です。
この冷徹さを持って特に隣国と接していくべきだと考えます。
特に、韓国との間での靖国問題も慰安婦問題も、
正当なる冷徹さを固持すべきです。
靖国問題は死者への慰霊は他国から干渉などの無用を断言します。
慰安婦問題ともなれば、戦時中の商売でしかなかった事実の歪曲。
日本人はとりわけ敗戦後、愛国心を奪われてしまった民族です。
しかし、わが国政権トップへの、隣国の礼節の無さを知れば、
かえって愛国心は隣国である朝鮮と中国に向ける風潮になります。
私は、たとえ風潮で生まれた愛国心であっても込めるべき事は、
知性ある冷徹な関係論であり、友好国家意識などは全く無用です。
所詮、言葉と文化が異なることの相互互助の認識は、
決して、友好である必要性など無味無効です。
もし友好関係は外国人友人に向けられたミクロな意識で充分です。
私は、地政学的な国家防衛論が母体の国際関係論を、
日韓トップの会談での礼節さと非礼さを確認する限りの判断、
まして米国との関係論には
再度熟考吟味された知性深い冷徹さが不可欠になりました。
私たちには、世界でも最高峰の技術があります。
その技術で国家防衛を果たす冷徹な国際関係論を強化すべきです。
「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」
「韓国の勢い・16茶より17茶という意気込み」
「日本・日常的な地図図形認識を変更すべきだ」
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3月 19th, 2014 Posted 12:00 AM
20世紀を前に、CRT・ブラウン管から、プラズマそして液晶が、
画像映像の技術要素でした。
私は子供の頃テレビが自宅に来て、気づけば、
ディスプレーからモニター機器のデザイン、その最先端技術を
プロとして追いかけ商品化してきました。
徹底的にプラズマ批判をやり、そのことで私自身が、
それこそメーカーはじめ掲示板非難をどれほど受けたでしょうか。
しかし、私の批判は案の上見事に的中していました。
プラズマ批判に対して私を誹謗した連中は匿名性に隠れた発言を
どれほど繰り返していたことでしょうか。
私は、こうしたモニター出現こそ、情報をプライバシー、
それも匿名性の中でこそ発信出来るという浅はかさを発見。
今や、液晶画面はモニターからパッド、ケータイ、カメラまで、
私たちは画像映像情報を、あたかも情報化民主主義のごとく、
大きな勘違いをし始めているようです。
その代表例にはテレビマスコミの勘違いが世情をねじ曲げ、
情報民主主義に民主主義そのものまで歪曲化させているのです。
やがて画像映像情報は、ウェラブルPCやHMD(=スカウター)上でも
液晶技術の進化を引き込んでいくでしょう。
願わくば、情報民主主義がまずはマスコミ=羽織ゴロからの
様々な逸脱を機器デザインから外していく必要があるようです。
羽織ゴロとは新聞が登場した時に報道の偽情報化記者の事です。
私は技術要素としてプラズマを全否定したごとく、
とりあえずは液晶ディバイスの進化とその表現実務でのデザインを
もう一度、正当な情報化民主主義に適用させたいと考えています。
その一つをあげておきます。
ネットワーク・インターネットで商業主義(金儲け)でのみ、
情報化の進展を語り始めている新たな羽織ゴロの存在があります。
「プラズマTV商品問題に例示される未然技術」
「ブルー青色へのヒューマン・ファクター問題」
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3月 18th, 2014 Posted 12:00 AM
藤巻幸大といえば世間では「カリスマバイヤー」として著名です。
彼に声をかけられたのは、私の眼鏡フレームデザインからでした。
もう一般化した「DESIGN TOKYO」の仕掛けとデザインコンペも
その審査をしてもらっていました。
そして、彼をTV画面・国会中継で目にしてから、
直接、「議員になってしまいました」と聞いて大変驚愕でした。
あれほど、損得無く一心不乱に政治に取り組んだ人物を
私は間近でみた「男」だと確信しています。
正直、デザインと政治は本来は深い関係であるべきですが、
私は政界も学界もデザイン界も、ともかく人が集団化した「界」、
そうした「界」にはできる限り距離をおくべきと思っています。
なぜなら私の理想あるいは野心は必ずその裏切りがあるからです。
もう裏切られることからは白楽天の想いがいっぱいです。
しかし、藤巻という人物は全く異なっていましたから、
私自身彼の厳密さと繊細さが政界ではと一抹の不安がありました。
時折、入院するほど身体は弱かったようでした。
彼の所属政党を不信せざるをえなかったことを、
彼は「変わる、変える!」と言って、「結いの党」になりましたが、
その新党のイベントから姿が見えなくなりとても不安でした。
とうとう手紙を病院へということになりましたが早世しました。
54歳です。2050年ー私は居ないけれどという話をしました。
彼にはそこを超える理念の国士であったはずでした。
日本の政治に「デザイン」は、思いがけなくも、
野党でありながらも、国政に持ち込める唯一の存在でした。
明日、いや本日彼に会って来ます。
彼を失ったことは日本の「ファッション・デザイン・ブランド」、
この大切な制度設計の基盤固めの重大人物を失いました。
彼の49日の冥途への旅路の安全を祈るばかりです。
「政界に初めてデザインを持ち込んでくれた男・藤巻議員」
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3月 10th, 2014 Posted 12:00 AM
自分の作品集には、デザイナーとしての意見を言わないこと。
これは同業の親友デザイナーから言われてきたことです。
本当は、阪大を退官するときに出版予定でしたが、
最近の図書出版の綿密な構成に不満があったので、延期しました。
正直、現代の図書印刷は市価との兼ね合いもあって安易です。
この安易さというのは出版関係にすら技術が残っていません。
技術的な仕様の要求を強めれば、決まって回答は、
・コストが上がる、
・時間がない、
・もうその技術はない、
このような答が返ってきますし、スタッフも同じ口実になります。
私が最も忌み嫌うことです。
私が始めて「デジタルなパサージュ」を出版したときには、
布張り表紙、銀箔落とし込み圧着印刷、活版印刷にしました。
それは図書出版が安易にすでにDTP化されている書籍には、
かっての図書印刷が追いついていないことを示したかったのです。
今ではすっかりDTPでPC編集ばかりですから、
図書の文化的な位置づけが「安モノ」に変わってしまっています。
それなら電子本で充分です。
だから著作者が安易な印刷に自分の思想を乗せている本には、
その著作者の文化程度、美学意識、図書崇拝度をみます。
そういう意味でも、私のほぼ35年間の作品集です。
私はこの作品集は「図鑑」でありたいと考えてきました。
特殊印刷では3D印刷を表紙写真に拘りまた。
さらに、私以外の執筆者も選びました。
出版社には私は厳しく接していますからそれなりの完成度、
作品集=書籍としてのあり方を突き詰める覚悟です。
一応、4月出版をめざしています。4冊目の作品集です。
「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」
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2月 22nd, 2014 Posted 12:00 AM
大学時代には『レンダリング(完成予想図)」は、
描くべきではない、という先生=レンダがデザインを決めるからと、
絶対に巧く描くべきだという先生が私たちを混乱させていました。
私は当然ながらレンダリング技能を磨きたいほうでした。
理由はデザイン表現の技法は最重要だと認識していました。
東芝に入社すると、学生時代の技能では不完全。そこで、
清水吉治の書籍や講習に頼ることになりました。
東芝からも海外向けのレンダを彼に発注することも知りました。
幸い清水氏は大学の先輩であり、留学と海外経験がありました。
CG台頭の最初に私はトロントでその基礎を学びました。
それは手描きのレンダリングをなんとしてもCG化させたいという、
その目的が最大でしたから、マーカーレンダの再現でした。
だから今なお、手描き=スピードライマーカーを使えないとすると
CG表現はとても薄っぺらいレンダリングであり、それはそのまま、
デザイン効用効果につながっていません。
したがって、まず、レンダ・スケッチの描けないデザイナーは、
私はデザイナーだとは絶対に認めていません。
どんなにPCが進化しようが「手」で考える土台がレンダです。
今では私のスタッフ達もMacでレンダを描きますが、
基本はマーカーレンダが描けなければ、CG表現の質は程度悪です。
清水氏は国内に限らずアジアのデザイナー教育を成し遂げました。
彼のレンダリングテクニックは、
技能だけを教えているものではありません。
レンダリングという実務手法の肝心要なこと、
それはデザイン表現での革新=デザイン発想を定着させる技術です。
先輩はデザイン、その技法技術をレンダに集約させてくれたのです。
この春、彼の集大成の展覧会があります。
それは日本からアジアのレンダリング技術の全容です。
デザインと「手」の最重要な関係の先駆者が先輩でした。
「最小限スケッチツールが最小限の存在理由」
「専門家の表現は手で美しく表現するべき」
「PCレンダリングの3D表現誤謬」
Tags: CG, スケッチ, スピードライマーカー, デザイナー教育, デザインと「手」, デザイン表現, レンダ, レンダリング(完成予想図), レンダリングテクニック, レンダリング技能, 手描き, 清水吉治
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2月 2nd, 2014 Posted 12:00 AM
2月2日甲辰(先負)
もっとも大きい問題は、
体力の維持である。
多忙さに押し潰えされないだけの体力を
保持し続けることがいちばん難しい。
『デザインの極道論』あわただしい
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4月 24th, 2013 Posted 12:00 AM
銀座といえばその象徴的な高級店があります。
時折、銀座でそのお店に立ち寄り主に展覧会を観ますが、
いつでも思い出すことがあります。
もうそのお店の方はいないでしょう。
もっと早くお礼をすべきだったと反省します。
私はオーディオのデザイナーから社会人になりました。
オーディオデザインが出来たことはとても幸運なことでした。
今なお上司とは付き合っていますが、
デザインを叩きこまれながら、彼にこんなことを言われました。
「工業デザインで最も欠落しているのは、
高級ブランドのモノ、
その素材や仕上げだから勉強しておきなさい」と。
そこで、私はよく銀座のその店の時計とライターを見に行きました。
ところが何度目かで、
私は支配人らしい人に声をかけられて別室に入れられました。
私は、名前や所属企業でデザイナーであることを話しました。
彼は私のことを、いつも見つめているだけの人物ゆえ
とても怪しんでいたらしいのです。
私の事情を知った彼は、すべての店員さんに、
私が質問し見たいモノはすべて見せるように指示してもらったのです。
だから当時から、
超高額な時計・ライターの素材や仕上げを識ることができました。
とても買えない高額高級品を若い時に触って見たことも幸運です。
私は若いときにこうした人に恵まれたと思います。
工業デザインは、あくまでも普遍的でシンプル性を追求しますが、
私も時に批判・非難する「デコレーション」の真贋は識るべきです。
とりわけ、ブランドモノのデザインとデコレーションの調和と技法、
その統一性と融合性こそとても大事なコトです。
モダンデザインが敬遠し近接しなかったコトかも知れません。
私が最初に、手で持って、素材と仕上げを学んだのは銀座でした。
私にそのような機会を与えていただいた方に、
今ならお礼ができそうです。
工業デザインからデザインの本質を幅広く受け止めた銀座は、
今も私にはデザインのふるさとかもしれません。
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4月 11th, 2013 Posted 12:00 AM
私のデザイン対象は、「目や見えるモノ」が多いと思います。
Head Mount Display=HMDは、1995年以来追いかけています。
最初は国内大企業と通産省でベンチャー、
名市大時代は、HMDで中国での学会発表、
国内ベンチャーで製品化決定後、
商品化にいたらずいくつかの企業にヒント提示。
そして、新たな国内大企業での新製品開発に成功し商品化生産計画中です。
必ずモノにしたいし、
最も先進的で世界のHMDを革新したいと思っているモノです。
そして多分、メガネフレームのデザインは30年以上、
しかも世界でも専門ブランドとして、
最高技術を持っている増永眼鏡に育ててもらいました。
だから、メガネフレームはファッションとしての要素と医療機器として、
両方の「性能性」=医療機器・「効能性」=ファッションと
「機能性」を考慮しなければなりません。
私がメガネフレームデザインで問題化しているのは、
「デザインによる機能性」です。
これがずーっと混乱のままです。
その証拠が、未だに昔タイプに流行回帰する商業性が強く残っています。
日本人には似合わないウェリントンタイプは、
流行回帰しているにすぎません。
比して、ジョンレノンのような完全な円形レンズタイプは、
現在のレンズをメガネ店舗で加工してもらうには最も容易です。
そして、ブラックメガネフレームも流行回帰しますが、
ブラックは黄色系人種ならばそれなりに似合います。
が、決してウェリントンタイプはありえません。
プロの私から見れば、メガネフレームは時代毎に新規デザインで、
装着者の顔のアイコン性を明確に決定します。
つまり、その人のアイデンティティに直結していますから、
絶対に「新規のメガネフレーム」が必要です。
そして、新規のメガネフレームをデザイン出来るのは
世界的にもほぼ5~6社とそのデザイナーだけです。
私は、メガネはさらに新規の機能性を近視や老眼や遠視にかかわらず、
もっともっと「新機能開発」可能なモノづくり製品だと思っています。
それだけに、メガネが商品展示可能なマネキンなどを見ると、
詳細に長時間眺める癖があります。
今後のメガネフレームはデジタル化と
新素材開発・眼球保護の屈折率補完、
そしてその詳細な解説・情報化が決め手でしょう。
Tags: HDM, Head Mount Display, アイデンティティ, ウェリントンタイプ, デザイナー, デザイン対象, デジタル化, ファッション, ブラックメガネフレーム, ブランド, ベンチャー, マネキン, メガネフレーム, メガネ店舗, 中国, 円形レンズタイプ, 効能性, 医療機器, 名市大, 商品化, 商業性, 国内大企業, 増永眼鏡, 学会発表, 性能性, 新機能開発, 新素材開発, 新製品開発, 機能性, 流行回帰, 眼球保護, 老眼, 製品化, 見えるモノ, 近視, 通産省, 遠視, 黄色系人種
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12月 22nd, 2012 Posted 9:30 AM
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12月 21st, 2012 Posted 12:13 AM
12月20日
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)の
今年最後の講義の後に阪大の銀杏会館のレストランにて、恒例のお疲れ会。
スタッフ、研究室合わせて
総勢7人参加の宴となりました。
忘年会中では、
めったに食べられないご馳走を頂きました。
ありがとうございました。
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