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Posts Tagged ‘5W1H’


『資本主義からの逃走』
    「 文脈の遮断こそ、デザイン意図を共有させるかも」


   


     8月 31st, 2010  Posted 12:00 AM

遮断する文脈
デザインにとって、デザイン表現が投げかけることは、
デザイン意図を確実に伝達することです。
したがって、当然ながらデザインされたモノ・コトには
必要十分な脈絡を込めておく必要があります。
それは、ユーザーとモノ・コトの「対話」性が確実であることでしょう。
しかし、あくまでも文脈・コンテクストには、
連結性・連鎖性・連続性を遮断することでこそ、
受け手が送り手の意図を読み込むことでの共有感が残ることがしばしば起こることです。
もっと端的に言えば、
主語なく述語だけで、
その主語を補綴する読解力を期待するデザイン意図のコンテクストがあります。
5W1Hすべてで語ることなく、どれか一つのWかHかを遮断する手法も確約としてありうるのです。
「Less is More」というのは、
もしかすると、遮断したコンテクストを仕込む手法かもしれません。
これがデザインにはありうると考えています。
「Simple is Best」とは明らかに違うのです。
しかし、これはある意味では高度な手法でしょう。
遮断文脈は高度な手法
なぜなら、これまでデザインは応用美術ゆえという誤解のために、
科学性や技術性を無視しているという批判や非難は、
遮断の仕組みをコンテクスト化してきたことかも知れません。
ユーザビリティというのは、確実なコンテクスト化です。
しかし、ユーザー経験を強化するには、
遮断化を仕組んだデザイン表現も、一方ではとても重大だと私は考えています。
けれどもこの文脈を仕組むには相当の表現力が求められていることを覚悟する必要があるでしょう。
遮断されている文脈を与えることで「美しさ」なることを与えることができるのかもしれない。
ただし、これは私の希望的な観測にすぎません。


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『資本主義からの逃走』
    「 デザインは文脈の想像から創造へ」


   


     8月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

Connectionする脈絡
私が常に意識し続けているのは文脈です。
デザインは文脈表現だと宣言できます。
文脈とは、ただ単にことばや文章の脈絡のことではありません。
生きているという日常の連続性を抽象化できる言葉です。次のように言うことができるでしょう。
「文脈とは生きている=身体性の連続する日常性」だということです。
それなら、具体性は、言葉を結合=Connectionする脈絡です。
私は次のように具体化できるものと考えています。
生きている日常の「会話:談話」と「対談:対話」で、
何がConnectionしていくのだろうかということです。
それは、Conversation:Dialogueを構造化しているConsistencyです。
これがConceptとContextを結合= Connectionさせていくことにほかなりません。
私はこれがまさしくデザインでの問題解決、
その応答・回答・解答が成立する必要十分条件だと考えているわけです。
もっと単純に言い切ってしまうと、
デザインは文章表現と近似しています。
5W1H
5W1H=Who・What・When・Where・Why・Howを下敷きにして、
その上に、Conceptで「一言で言い切ったことば」を連結して、
Context「文脈」にしていく作業だとかんがえることができます。
Consistency
私はデザイナー、それもプロダクト系のデザイナーですから、
表現したモノとユーザーの間には必ず「対話」が生まれてほしいのです。
会話から談話、対談そして対話という脈絡こそ、文脈だと定義することができます。
一応ここまでが前提です。
いつ・どこでという時間と空間、なぜ・どのようにという理由・理屈によって、
それらの方法という一理が脈絡となって、
人間とモノとの対話に脈絡があることがテーマ(話題・課題・問題)の文脈、
それはContext+Concept=応答・回答・解答になってくれることで、
「使い勝手の一理」=Consistencyという対話・コミュニケーションが生まれるのだと思っています。


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