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Posts Tagged ‘植物性’


『ペットボトルのリデュース・リユース・リサイクル』


   


     12月 6th, 2019  Posted 12:00 AM

ペットボトルのリデュース、リユース、リサイクルの取り組みで
最近、私が愛飲しているエビアン=evianでも
こうしたペットボトルの代行や変更が見られます。
やがては、植物性や新しい素材に変わっていくでしょう。
その気配を、私は読み取っています。
それこそ、デザイン系大学での大きな題名テーマに関わります。
たとえば、蓋もリニューアルし、エコボトルが採用され、
中間部分は飲むのに持ちやすく上部と下部がパッケージを
支える強度を持っています。
今後のペットボトルでも、絶対には透明性と中身の鮮度保持が必要です。
素材としてはすべてエコロジー的なPETフィルムであり、
透明性があり、新マルチレンズコーディングが必要になっていくでしょう。
必ず、ペットボトルのは「土」に戻ることが必要だと予測します。


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『タオルの欠点を羽二重に学ぶべきだ』


   


     10月 29th, 2017  Posted 11:30 PM

デザイナーとして、最も素材を重視している私にとって、
とりわけ繊維・ファブリックの中では特に綿織物の代表にタオルがあります。
ほぼ明治維新時より、織物産業のなかでは特筆する性質があります。
繊維でまったく用途的に変化をしていないのは、タオルとガーゼがあります。
この最大の性質上では、繊維=布の特性でマイナス性質のモノが特化。
タオルにおいては、
布の七つの性質での「ふくらみ」があるのみのでのしなやかさだけです。
これが吸水性と肌触りを決定要素にしています。
しかし、肌触りも吸水性を感じ取るふくらみだけであり、
実際的には美容上での肌とのインターフェイス性=界面はマイナスです。
したがって、タオルは用途的には大きさでの使い勝手がありますが、
肌の角質との関係では、決して好ましい条件には進化はしていません。
万一、顔に対してタオルを使用することは回避すべきでしょう。
これがプロとして素材を学術的にも検分と検証をしてきた結論です。
しかし、日本のタオル産業は、未だにこれを超える繊維が無いためには、
更なる製造生産の技術が必要であり、
これまでの綿=自然素材からナイロンやポリエステルの起毛化が必要です。
例えば、タオル生地によるタオルケットの時代はデザイナーによって、
そろそろ寝具性から新たな機能発見に至るべきだと私は考えています。
その最大の利用は肌触りでの感触性にあります。
人間の肌にとっては、「ぬめり」感が角質にとっての保護性を持っています。
タオルにはそれが欠落しているというのが、私なりの結論です。
私が数年かかかっての結論では、繊維には自然からは、
植物性=綿・麻と動物性=絹がありますが、
日本全国の国立大学から繊維関連学科が無くなってきたことは、
日本の繊維産業を遅延させた大問題だと指摘しておきます。
したがって、国公私立大学への研究費配分も大きく間違ってしまっています。
大学人の一人としてこれは指摘しておくべきでしょう。
私にとって「羽二重」の存在で再確認した繊維の七要素を再度生かした、
新たなタオル=ふくらみ+ぬめりがおそらく、肌にとって最高の品質、
これが私の経験則での結論です。

* 『布、なぜシルクロード、シルクボイスだったのか』
* 『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』
* 『素材産地からWブランドのアライアンスイニシアティブ』
* 『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』
* 『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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『「擬」=モドキ編集からダマシを再度、摘発をしたい』


   


     10月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

久しぶりというか、流石だなあという松岡正剛氏から献本が届きました。
まだ礼状も出さずにブログアップしようと考えました。
まず、タイトル「擬」(もどき)とは、
やはり私が日本人では最高の知識人と思っているだけに、
現在を見事に的中させていると思いました。
私は擬から直ぐにダマシの昆虫やら魚類やら蜘蛛などが思い浮かびました。
それは幼い頃の捨てがたい思い出なのです。
小学校で夏休み直前の授業では夏休みのドリル(宿題)が配られますが、
そのドリルなどは、配布されたらすぐに全ページをやり終え、
それは担任に戻すとすごく怒られました。(正直、情け無い教諭と判断)
転校した小学校でも同じでそうした教諭はすべて信用していませんでした。
夏休み最大の面白みは自由研究で昆虫採取から植物の押し花は最高。
なかでも、テントウムシダマシともなれば、
テントウムシは益虫でしたがダマシは害虫であり、
テントウムシダマシの方が運動神経にすぐれていました。
だから「なんとかダマシ」は徹底して知り尽くそうとしていた思い出です。
これは「モドキ」を「ダマシ」は越えていたのです。
だからこの著作は彼らしい上品さがふんだんに込められていました。
その上では彼に次回会ったなら、モドキとダマシの区分や、
モドキが精進料理での動物主体料理をそれこそガンモドキのごとく、
植物性食材を動物性へとしていた品格があります。
私は最近、デザイン界で、あたかも死んだデザイナーの作品を盗作という
「ダマシ」としていることを摘発し論理分解批評をしてきました。
それこそ、彼は再び癌で倒れましたが、復帰するなり、
この著作、そのタイトルには擬を「世」と「代」に換えている知的良心さを
本当に見事にまとめていること、これこそ日本人として最高の知識人であり、
彼が編集工学を語り、その実際行動としての「日本という方法」、
この根柢の重大要因とている擬は、
デザイナーは勿論、知識人を名乗るなら完読すべきだと思っています。
私は「擬」のこうした知見からも、特にデザイン「ダマシ」の摘発をします。

#「擬」

* 『毒虫の吸血システム、そのバイオミメティックス』
* 『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』
* 『「影向」は陰翳を超えた日本伝統の美学を再興した』
* 『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』
* 「語り部仕草は、再出発するべきです。」


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