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10月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

10月19日 先負(甲戌)

「から」と「を」が
絶対に必要だ。

「を」を知っても、
「から」が、どこかを知っている。

川崎和男の発想表現手法


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『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』


   


     7月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

美大時代、デザイン系の本は数冊でしかありませんでした。
その数冊でも、
「この本は間違いだらけだ、燃やせ」ということも教授からの声。
だから、ほとんど建築系の本を読み漁っていました。
その時に、「デザインにはことばが無い」と思っていました。
だから自分は「かたちとことば」を積み重ねようと決心したのです。
大学人になって、建築系の論文も相当読みましたが、
正直、建築家の著作の方が面白いと同時にデザイン論としてもまともです。
大体、有名なる建築家の文章・文体は立派だと思っています。
最も美大時代は建築家から
特に美術評論のほとんど読解困難な文体に憧憬してきました。
最も読破し、大きな影響をデザイナーとして受けてきましたが、
最近は
「ことば、語彙、日本語漢字原意など」は劣ってきていると告白します。
盟友である内藤廣氏は、
オリンピックスタジアムで相当に批判を受けていました。
が、絶対に彼が誤った判断であろうが、絶対味方を自称してきました。
彼は東大退官後もますます多忙にもかかわらず
彼のことばは待たれている、
だから著作が一段と増えてきていて、自分は焦ります。
ただし「場のちから」についてはじっくりと話をしないと、と思っています。
なぜ「場」なのか?、「場」=ジョウ・じょうであること。
「場」はことばの「バ・ば」でもあり、
いのち=いの「ち」ゆえに、つち=土があり、とち=土地があり、
みち=道があり、さらにまち=町・街があるから、
ち+から=ち+空があるというこの思惟を
何としても伝えなくてならない、そんなきもち=気持ちです。
「場にちから」というかち=価値と読みここち=心地があるからでしょう。
こうした場と地、力と言葉を彼に伝えるつもりです。
彼には、スケッチ・写真・建築というかたちとことばがありました。
内藤廣は、やっぱりかたちとことばをしっかりと表現できる男でした。
自分はめんどうな男と彼に呼ばれていますが(笑)、
大好きな建築家。そして人物です。

* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「オフィスチェアの進化の座り心地」


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『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』


   


     12月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

「力」という概念は「ち」と「から=空」だと考えています。
そして「力」の概念は単純にはベクトルで一つの理解点ができます。
ベクトルには、作用点・大きさ・方向があります。
そこで、医学と工学で作用点から医学と工学の合力ができます。
この合力の大きさはストレートにすでに「医工連携」になります。
同様に、文系と理系の合力が「文理融合」というわけです。
そこで、これらそれぞれの作用点に「デザイン思考」を置いて、
あたかもそれぞれの合力は、学域を拡大力化して大きな効果、
すなわち、イノベーションとなって変革・革新をしてくれるという
そのような錯覚あるいは錯誤感を与えていることは間違いありません。
これは私自身も「力」を概念化して発展的な希望論にするときには
利用・運用可能な手法であることは間違いありません。
こうした「力」=作用点・大きさ・方向はニュートン的な合力形成です。
私はこれが明確な誤りだと断言できるわけではありません。
しかし、「力」の概念が進化していることをさらに深度を深める必要を
私自身デザイン手法であるデザイン思考そのものの
進化と深化を提唱します。
あらためて、この図示を見比べてほしいと考えています。
二つのことに気づいて欲しいのです。
医学と工学で確かに「医工連携」力が出来上がります。
これにデザインが加わるとするなら
医工連携とデザインでの方向が必要です。
さらに、文系と理系で「文理融合」が出来あがり、
これにデザインが関与した場合の論理は生まれていません。
そこからが今年4月からの私のミッションでした。
そこで、この合力にそれぞれデザインとの合力では
「何がデザイン」になっていくだろうかがテーマでした。
つまり、「デザインとは何か?」ということの要素や要因が浮かびます。
これはすでにニュートン的な力学での合力である、
それこそベクトル的な論理では無理なことが明らかになりました。
そして私のミッションである合力ベクトルでの「力」は、
ニュートン力学から量子論的な力学での、
「強い・弱い、いずれかの相互作用」と
「重力」と「電磁力」のメタファー的な力学を関与することが必要でした。
相互作用は距離感や学域の効用効果の範囲を決定します。
同様に、重力的なことは時代性の影響力であり、
電磁力は、経済と文化と歴史がフレミング的な影響力を与えると思います。


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「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」


   


     9月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

私は海外では必ず日本語のことばにこだわります。
特に、「ち」です。
血・地・稚・値・置・治・千・致・智・恥・・・・、
と限り無く、言葉=漢字とその意味の多用性に大きな意味があり、
「ち」は草書体での「知」に他なりません。
人体はとち・つち・まちにあり、血が知から智にまで至ります。
こころは、から=空であり、ところは=所であり、ちから=力。
なるほど、こころ+ち=心地を形成しています。
私が、3.11の復興計画=までいProjectも、
とち+つちに重きを成し、よって、まちの居心地をデザインです。
こころ+ちからも、結局は「空」の世界であり、
天地は乾坤を無し、
それに、人間は血から知への人生を持つのでしょう。
「空」と「知」こそ、力なのかも知れません。
その力の限りに智が宿るのかもしれません。
私は、かたち・きもち・いのちを、つちととちとまちに求めます。
かたちが創り上げるのはここちになることも純粋理解可能です。
私は「かたち」を生涯の目標にしてきました。
40余年やりつづけてきて、辿り付いたら、結局、心地・良さ。
心地良さをきもちに入れて、3度、いのちの端に佇みました。
そして、かたちを身体=血は、
いのちのきもちに「知」がありました。
「芸術の知性と科学の感性」ある人物を敬愛します。
それこそ、いのち・きもち・かたちからここちを教示するのです。
したがって、まち・とち・つちに人は帰るのでしょう。
だからこそ、失われた、痛みきったつちに新たな心地を設計です。
私の「ち」は、限り無く「智」を求める「知」だと思います。


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