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Posts Tagged ‘高度経済成長’


『インテリア・ドメインとインテリア・フェーズを提唱』


   


     9月 8th, 2019  Posted 12:00 AM

『モードの体系』は必読本だと考えます。
建築家とデザイナーにとって、消費社会の構造解読につながります。
もっとも、芸術系大学の入試問題で扱うべきと言える必読本です。
そしてこれを基本として「インテリアの体系」を創っていきます。
教育を通して、建築もデザインも訓練していけば、
デザインの職能家としての基礎が出来上がるでしょう。
消費社会では、廉価商品と高額商品の軸すら動いています。
廉価商品はいつまで経っても一定数では増えていきます。
そして、これからの家具、椅子、ソファー、デスクなどが
デンマークの海藻類が畳のように、
また、ドイツでは3種類の経年変化が無い
そんなウレタンフォームが発明されてきています。
おそらく、日本では江戸時代や明治維新、高度経済成長期で、
廉価品と高額品という二極が生まれ、
そこから多極化し、それを定める軸ごとが変化しています。
有線と無線の世界がインテリア空間には入っています。
インターネットがインテリア空間の時代を区切っていくでしょうから
私は、「インテリア・ドメイン」と「インテリア・フェーズ」を提唱し、
そこに向けての「かたち」を提案します。


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「日本の事務ワークのスタンダードファイル」


   


     4月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

日本のファイル、そのスタンダードです。
30年以上、ロングライフデザイン賞は最大で11回も認定。
国内企業ほとんどが使用しているキングジムのファイルです。
これも、
私の恩師・平野拓夫先生(元・金沢美術工芸大学学長)の作品です。
まだ先生が通産省の官僚だったとき、
特許庁の審議資料がまったく整理整頓されていなかったということです。
そこで、手作りでファイルを造り、
その直後にフリーランスデザイナーとして独立されました。
そこで、キングジムでの商品化ということになったということです。
しかし、いかにも当時らしいと思われるのは、
やはりデザイン料の設定が、
白いラベルの上の「正方形パターンという模様がデザイン」されている、
それだけだからという理由で半額になったということです。
まだまだ当時は「デザイン=模様」ということで、
ファイル構造やそのシステム的なモジュール=大きさなどは
全く認められないデザイン対価だったということです。
もうすでに30年以上のロングライフデザインだから、
ロイヤリティ契約だったら大変なデザイン料と思いきや、
当時は独立したばかりだったから、
その半額を即金でもらってしまったと今では笑って話してもらえました。
敗戦後、日本の高度経済成長での事務ワークには不可欠のモノであり、
それは今なお、
現代においても「スタンダード」ファイルといわれるデザインです。
門下生である私たちは、
常に事務ワークではこのファイルに見つめられて仕事をしています。
それはいつも先生の視線が傍にあるということです。

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「罰則のある節電なんて圧政である」


   


     7月 2nd, 2011  Posted 12:45 AM

今年の夏。
私たちは「政権交代」で、
明らかな新社会体制に期待一杯。
ところが、事態は一変どころか、
日本は、敗戦後再び、もう一度「建国」です。
1970年代に社会人になって以来、
私の世代は、高度経済成長での、
オリンピック、万博を経験しましたが、
毎年「異常気象」が連続し、
景気は、バブルもあれば大不況も、山あり谷ありは至極当然でした。
しかし、「国難」となって、
私たちは指導者を失ってしまっています。
「節電!」、無論私たちは穏やかな倫理感の中で受け入れてきました。
ところが「節電?」。
なんと大罰則での強制です。
ありえない。
もし「原子力発電所」が閉鎖し始めるとこうなるんだという、
「見せしめとしての政策」ならば、
現政権がこの天災も人災も引き込んだと断言可能です。
私のふるさと福井県は「原発銀座」と呼ばれ、
この関西に電気を原発から送り込んできました。
私はこれまでの「原子力発電所」システム大是正を主張しています。
原子力技術の進化は原発を創ることでは無いという主張です。
ところが、お上から「節電」ということになればこれは圧政です。
送電や変電を即刻変えるプランはまったく見えません。
「Smrat Grid」という言葉だけが存在し、
もし、今回の大震災・原発事故が無ければ、
幻想であったとしてもこのシステムが稼働するはずでした。
基本的には「Smrat Grid」どころではなく、「節電」?。
ともかく罰則を強いる民主主義など形骸化そのものです。
「自家発電」を結集させる「対策」が前提のはずです。
現政権には「政策づくり」などは不可能。
せめて「節電」は自由意志とする「対策」の一つであるべきでしょう。
「電力」の大切さをこれほど自覚している国民を
「罰する」というやり方は「圧政」に他なりません。
私たちは、「政治家・政治屋」のいらない新たな政策システムを
本当に創出することに向かわなければならないのです。
そのための私の方法と手段を早急に考えなければなりません。

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「陰翳復帰・明るさへの反省は文化再認識」


   


     4月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

省電力はこの数年のある種の義務でした。
これまで私たち日本人の義務意識は建前だった、
社会的な言い訳かもしれない、と思います。
具体さを、まったく欠落していたかも知れません。
ところが、
フクシマ原電事故がこれを覚醒させてくれたようです。
原子力発電所という大規模な施設発電から解放をめざすこと。
これから大きな哀しみを抱いて解決していかなければなりません。
それは具体的義務感としての「節電意識」です。
「想定外」には、デザイナーとして相当の反論があります。
しかし、これはひとまずおいておきます。
さて、東京から「ひかり」が薄暗く、闇を受け入れ始めました。
東京オフィス環境は750ルクスと言われます。
しかし、米国でのオフィス環境でも450〜500ルクスでした。
商業施設では1000ルクスが求められてきたことも事実です。
もちろん、病院や作業環境での明るさの必然性は遵守当然ですが、
「節電」=節約電力が私たちの日常下意識になりつつあります。
いわゆる陰翳、夜空の星、月明かりが大都市に戻ってきました。
戦後、高度経済成長とは、私たちが「ひかり」ある生活こそ、
進歩の証拠として都市文明を希求してきたのかもしれません。
かって、ある有名な照明器具メーカーのショールームが完成し、
そのショールームで、気分が悪くなり、吐き気すらするのです。
よくよく考えてみたら、そのシュールームに影が無かったのです。
だから照明というのは、影あるひかり=あかりだと理解しました。
東京の夜空に星が見える、月明かりに感動すると聞きました。
「陰翳礼讃」は、日本の伝統的な美意識であり伝統文化です。
「節電」という作法を日常化していくことは、
これまでの日本が本当の豊かさは「あかり」にあって、
決して「ひかり」では無かったことを気づかせてくれました。
人類が生命をも危うくする光とは光線です。
その極みである放射線を求めることへの大反省です。
だから、私は「脱・原発」というより、
「解・原子力」での「あかり」を求めたいと思っている次第です。

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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学は自分自身への厳しさの確認」


   


     12月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

自分への厳しさ
このブログが目指してきたこと。
それは高密度俊足な情報社会です。
「情報」の功罪に晒される日常。
この日常から特に「罪「から目をそらさず、特に情報技術を直視してきたと思います。
ただし、疑念、懸念、明白な誤りは的確に指摘してきました。
その結果が自分に対しても誤解や否定が成されたとしても、
それを受け入れる覚悟は備わったと思います。その覚悟とは「自分への厳しさ」の裁定です。
なぜなら、すでに自分がめざす方向が明らかだからかもしれません。
その上このブログでは、私がどれほど資本主義にも民主主義にも、
大きな疑念を持っているかを告白しその思考メモを書き残しています。
もっとも私の世代は、高度経済成長から現在の不況までを体験しています。
しかし、これほどこの一年の政治に失望が連続している経験は始めてです。
だからあらためて、私は「自分の存在」を日本の歴史観の中で確認しています。
それは、日本の歴史上で尊敬と敬愛を捧げることで、自分自身に厳しくあるためです。
ささいなことかもしれませんが、
このブログを毎日必ずアップすることも自分への厳しさを確かめていることです。
時に、ブログアップが遅れると読者の方や教え子などから、
体調のことで心配をかけてしまします。
もし、自分が自負できることでは、「自分にどれだけ厳しく」を実践していることです。
自分に厳しくといっても、歴史上は無論ながら、
現代においても尊敬できる人物が自分に対する厳しさを知るとき、
これが「行学」の核心だと再認識します。


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『資本主義からの逃走』
    「 富の分配は『豊かさ=審美性の共有』にあらず」


   


     9月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

本当に豊かな時代はあっただろうか
日本が豊かだった時代は本当にあったのでしょうか?
私はもう一度、この探索をし直すべきだろうと思います。
少なからず、戦後の高度経済成長から、
日本の奇跡と呼ばれ「Japan as No.1」の時期はありました。
現代の若い世代には、そんな時代イメージはTVの中での一シーンにすぎません。
私自身、社会人になってすぐに「オイルショック」・「バブル」・「円高」・
「リーマンショック」、そしてまた「円高ドル安」でした。
私にとっては昭和30年代(小学時代)が「豊かな時代」だった気がします。
それは「貧しい時代」だったのです。モノには全く多種多様性はありませんでした。
価値感にも多様性はありませんでした。
だから、モノを大切に大事にしていた時代だったことは確かです。
私は、畳もなく、ガラス窓の無い住宅に友達が住んでいたことを思い出します。
しかし、「笑い声いっぱい」でした。
確かに「イジメ」もありましたが陰湿ではありませんでした。
喧嘩も充分にしましたが、ナイフを使って級友を刺殺することなどはありえませんでした。
豊かさの核心=審美性
敗戦意識は、「貧しい」という観念をすり替えられたと思います。
「貧しいこと」からの脱出は、
「お金持ちになる=豊かになる」という意識が入り込んでしまったのです。
この大きな勘違いが、現代アジアに根付いています。
日本が真の「豊かさ」をガラパゴスという批判から再構築する立場だと考えます。
したがって、高級=高額であり、高級感は高額なモノにある審美性ではありません。
極貧なれど「美」を生み出そうとしている芸術家、
芸術家は極貧ということも当然だった時代がありました。
私が美大を選んだ時には、「食べていけるのか?」という評価が一般的であり、
美大は道楽学校だったのです。
デザイナーは芸術家でも無いだけに、美大進学は進学校での信頼は皆無でした。
これは今なお、デザインは決して芸術的印象はあっても、芸術的価値として評価はされていません。
「豊かさ」の核心にある「審美性」、
あらためてデザインが創造する「デザイン審美性」の創出を私はめざしたいと考えています。


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