kazuo kawasaki's official blog

『資本主義からの逃走』
    「行学成就言い難しなれど、ご笑読深謝します。」


   


     12月 31st, 2010  Posted 12:00 AM

ご笑読に深謝します。
毎日のこのブログは私の行学記録です。
よって、私自身に向かってであり、
読者諸兄には難解や理解不能だったこと
くれぐれもご海容をまずお願いします。
そして、ともかくご笑読いただきましたこと、心から感謝します。
私は正直、二度の生涯を宿命づけられていると自覚しています。
「歩いていた川崎和男」と「歩けなくなった川崎和男」です。
また、3回、多分ですがあの世への道に佇んだ経験もあります。
こうした経験、さらに経験の質からの「ことば」を書き残すことを課しました。
このブログもひとつの行学、行学修練のメモであり、
デザイン活動を支える思考記録だと考えています。
毎日決して滞りなく書き残すことは正直厳しく辛いものです。
この「修練」は行学を決意した覚悟の具体化ゆえ、自分を裏切らない方法です。
私自身が私のために記録していることであり、
楽しみに読んでいただいてる方々もあれば、揶揄非難もあると聞きます。
この両極を受け入れられる自分になれたことは幸運だと感じます。
来年果たして毎日書き残すことができるかどうかはとても不安です。
ともかく、この一年私のある意味での独りよがり「独り言」に、
ご笑読すなわちご傾聴だと思いますが、心より深謝します。
ありがとうございました。
2011年、皆様にとりまして「良き年」であることを祈念します。
まもなく謹賀新年です。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学の支障たる民衆主義に決別を」


   


     12月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

民衆主義の中のデザイン
一所懸命に向かい合ったと思います。
しかし、自力では無理難題に包囲。
賢明さだけでは解決不能が多発しました。
ということは、あまり懸命さと賢明さが不十分。
この不十分さを自分に押しつけることは辞めました。
こうしたことはワイフからのアドバイスで助けられました。
それでも肝心の「造形」というデザイナーの解決成果だけは継続させられたと思います。
未だに現役でデザインテーマも自分で設定し、
地道・蓄積・修練・研磨だけひたすら続けられたことは「幸運」だったと思います。
しかしこの一年、日本全体の不景気感は、デザインへの巨大な重力になっています。
これはすべからかく、「政治」がまともでないこと、
そのような選択をしている根本的な民主主義が民衆主義に覆い尽くされていることです。
したがって、本来、人間社会、世界的賢明さの歴史観が築いてきた「民主主義」の誤り、
それは「情報」で歪められる脆弱さと「情報力の巨大さ」です。
民衆主義を民主主義と勘違いしている現代世界観を覆す必要性がある、ということです。
「政治」がなぜ駄目なのか、この根本についての討議は民衆主義の中で融解しているだけです。
民衆主義に融解していく民主主義をつきつめていくことが、
いわゆるグランドデザインだと考えます。
来年のテーマの一つです。
その解答も「解決というかたち」を造形したいと思っています。
今年の実例で考えると、「なんとかデザイン」、つまりデザインの形容、
すなわち、デザイン職能の専門性と詳細性を決定する「なんとかデザイン」、
そのものをデザイナー自らに曖昧性と混乱性が増えていることです。
これも民衆主義的な中でデザインが語られることが頻発しているからでしょう。
特に、産業とデザインの関係性が、文化とデザインの構造化になかなか進化していません。
これが最も明快になったことです、これを来年のテーマにします。
つまり、民衆主義と民主主義を分別することです。
それは民衆主義も民主主義も両軸がもはや不要であることを、
「デザインの本質」に持ち込みたいということに他なりません。
これは今、わが国の存在、わが国に「生きる日常」すべてを皮膜している現実問題だと考えます。
民主主義を離脱するために、民主主義からあらたな主義を創造すること。
その根本が民衆主義に委ねきっている私たちすべての意識改革だと確信します。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学は自分自身への厳しさの確認」


   


     12月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

自分への厳しさ
このブログが目指してきたこと。
それは高密度俊足な情報社会です。
「情報」の功罪に晒される日常。
この日常から特に「罪「から目をそらさず、特に情報技術を直視してきたと思います。
ただし、疑念、懸念、明白な誤りは的確に指摘してきました。
その結果が自分に対しても誤解や否定が成されたとしても、
それを受け入れる覚悟は備わったと思います。その覚悟とは「自分への厳しさ」の裁定です。
なぜなら、すでに自分がめざす方向が明らかだからかもしれません。
その上このブログでは、私がどれほど資本主義にも民主主義にも、
大きな疑念を持っているかを告白しその思考メモを書き残しています。
もっとも私の世代は、高度経済成長から現在の不況までを体験しています。
しかし、これほどこの一年の政治に失望が連続している経験は始めてです。
だからあらためて、私は「自分の存在」を日本の歴史観の中で確認しています。
それは、日本の歴史上で尊敬と敬愛を捧げることで、自分自身に厳しくあるためです。
ささいなことかもしれませんが、
このブログを毎日必ずアップすることも自分への厳しさを確かめていることです。
時に、ブログアップが遅れると読者の方や教え子などから、
体調のことで心配をかけてしまします。
もし、自分が自負できることでは、「自分にどれだけ厳しく」を実践していることです。
自分に厳しくといっても、歴史上は無論ながら、
現代においても尊敬できる人物が自分に対する厳しさを知るとき、
これが「行学」の核心だと再認識します。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学は『かたち』創出をめざす」


   


     12月 28th, 2010  Posted 12:00 AM

空なる「かたち」を
ボールペンスケッチの一年。
私のスケッチはまずラインに込めます。
思考の集約と収束が描くのは「空」です。
いつも「ことば」にこだわりながらも、
「空」のラインが立体化していくと私の「かたち」になります。
「ことば」思考もすべてを「空」なるまで自分を追い込み、
思考の集約も収束もボールペンBとモレスキンJapanese+iPadに走らせます。
ただ、iPadでのスケッチはまだまだ私の表現力不足です。
私のスタッフたちにはマーカーを捨てさせて、スケッチパッドでレンダリングを、
しかし3Dレンダリングよりも、ソフトモデル=ペーパー実寸モデルづくり、
光造形でのラピッドプロトタイピングをマスターさせています。
次世代、次・次世代デザイナーへの行学のススメです。
ところでこの一年、私が感激し感動するデザイン造形=かたちは創出されなかったと思います。
そして、確かに韓国はじめアジア諸国のデザイン表現力は格段と進歩してきました。
ガラパゴスと呼ばれるわが国の産業界ですが、
私は、真のデザイン力はまだまだわが国に潜んでいると思っています。
悲しいかな、「かたち」を創出できるデザイナーは激減しています。
理由は二つでしょう。
デザイナーの創造力を見抜けない経営者、センス無き経営者ばかりになりました。
いわゆる政財界にリーダーがいないことです。
そして、デザインへ、デザイナーへ、先行投資をという大きな器ある人物も激減していることです。
となれば、あらためて日本の技術と日本のデザイン、
このアライアンス基盤をもう一度リストラクチュアリングすることでしょう。
「空」なる「かたち」という日本文化を表現できる次世代を育成すること、
これが私の世代、私の役割だということを思い知らされた一年でした。
だから、私は私の「空」からの「かたち」をボールペンでともかく描き、
来春には、その「製品」そして「商品」を準備することはできたと思っています。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・『ことば』への行学」


   


     12月 27th, 2010  Posted 12:00 AM

「ことば」とかたちの相対論
私の行学は、「ことば」ありきです。
「行学」としての私のデザイン、
まっすぐに「ことば」と「かたち」、
その相対的な構造性・関係性を修練研磨する学域として求めています。
「かたち」に私の美意識を希求する基盤はなんといってもことばです。
そして、ことばではとても表現仕切れないこと、
それこそコンセプトになりきらない造形が極値造形と呼んでいます。
これは「言語道断」(道元)への修練ゆえ行学目標です。
今年は、いくつかのことばの再考と定義確約、さらにあらたなことば定義を求めています。
これを私は、「ことばの行学」だったと考えます。
とりわけ、このブログで使用する語彙がサーチワードとして一日200語近くなったことは、
一つの成果だったものと判断しています。
いくつかの言葉がありますが、なんといっても、「名詞+名詞」という英語表現、
「情報」がやっと整理できました。
「アプロプリエーション」を徹底検証しました。
これをデザイン用語に持ち込み法学への提示になったことは成就成果だったと自負しています。
また、今年は、わが国日本の政権交代にどれほど、
現政権はじめ、政治という「制度」に落胆したことでしょうか。
この落胆から自らを解放するにも、「ことば」の問題がありました。
私は、島国日本を「花綵の国」と呼んでいます。
一言語一民族ながら資源無き国家の歴史観はすべからく「言語体系」に依存してきました。
したがって海外語が邦訳されてこそ、
日本の文化観から文化感が形成されてきたものとさえ認識することができます。
「情報」も「情勢報告」であったり、
「経済」も「経世在民」であったりという邦訳が正確だったのかは、再確認が必務です。
特に、歴史観でのことばの曖昧さに気づいています。
この語彙集編集が最も重要かもしれません。
「明治維新」の「維新」というのは正しい表現用語だったのだろうかという疑念があります。
そのまま「維新」を引きずれば、226事件「昭和維新」を想起します。
だとするなら、「平成維新」という言葉表記には、
相当の甘えと曖昧さがあることを指摘しておかなければなりません。
そんな中で数学術語も、私にとっては「かたち」への近接手法ですが、
いくつかの邦訳自体の誤訳かもしれないことをを見つけていることを告白しておきます。
来年は「ことば」の行学を、デザイン実務の下敷きにしていく所存です。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学に向かい合ったか」


   


     12月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

「行学」に向かって
この一年のテーマは「行学成就」。
「行学」とは、私なりの定義があります。
行とはまっすぐな道を進んでいくことゆえ、
学問なり実務に正面から立ち向かう修練のことだと考えています。
そして、私は現代の経済社会中心とこの社会を支えている民主主義の真実に懸念があります。
このたとえようもない懸念の中で、「自分の中にあるかもしれない美意識」を職能として、
デザイン・教育・研究に向けて「行動」しています。
無論、やりきれなかったことや、自分が自分に弱いから成就できなかった成果を、
来年を迎えるにあたって直視しています。
成就できたことは、入院する事態にならなかったことは幸運でした。
自分が自分に言い聞かせて実現・具現できなかったことへの反省・自省があります。
知財権の中であらためて自分の職能権利である「意匠権」については学び直すことができました。
特に「アプロプリエーション」を、デザインがどう受け止められるか、
誰も指摘してこなかったことを法学分野に提示できたことは私の修練結果だったと思っています。
さらに人間は自分を育んできた歴史観に自分の存在を差し出す必要があります。
私が自分の行学基盤として、歴史観を常に学び直してきた気がしています。
メガネフレームのデザインは25年間も取り組みながら、
未だにこの難しさと対面していることを思い知りました。
医療機器は、人工心臓からロボット手術支援機器、さらにはワクチンの開発まで、
まだまだ自分の力量が試されています。
具体的に取り組み始めたエネルギー・水などの社会システムに、
これから私の行学の核心があることを確認しています。
そして再確認しているのは、デザインにだけ自分の美意識を重ねることができるということです。


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