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Posts Tagged ‘高密度化’


9月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 7th, 2021  Posted 12:00 AM

9月7日 友引(戊午)

『異化としてのデザイン』

しかし、
より複雑化し
高密度化する現代では、
より簡素化できる
異化的な作用を
見直す必要が
あるのではないかと考える。

artificial heart:川崎和男展


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10月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 2nd, 2020  Posted 12:00 AM

10月2日 大安(戊寅)

『寓話としてのデザイン』

情報の高密度化と
テクノロジーの進歩が、
大衆の想像力を奪うのか。

artificial heart:川崎和男展


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「プラチナ・ミラーリングのティーカップ」


   


     3月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

有田焼はこの2年研究をしてきました。
それは日本の陶磁器産地、その現状をしっかりと確認したことになります。
コーヒーカップの製品化を、
今度はティーカップにも新たな展開デザインを試みた結果、
Platinum Morphological Reflectionという手法で、
基本的な3パターンを押さえました。
ドット・ストライプ・チェックというグラフィックです。
そして、PMRはAnamorphosis的にどこまで可能かを追い求めました。
コーヒーカップもソーサーのグラフィックが
ミラーリング的に反射効果をしますが、
ティーカップは、曲面や曲率から、
正当な反射になるようにするためには実験をしました。
結果、デザイン設計として産地にグラフィックも提供し、
その基本となる釉薬から焼成での平滑度を
製陶工程に組み込むことがやっと出来ました。
講演前夜にその確認をするということになりましたが、
もし、私なりの評価が私の基準に達しなければ、
産地側にも決断をしなければと思っていましたが、
デザイン仕様どおりにモデルは完成していました。
そこで、詳細な工程も含めて講演内容に、
PMR-Methodの話を盛り込むことが出来ました。
その夜はうれしくてうれしくてたまりませんでした。
しかも宿泊したのが「嬉野温泉」でした。
まさしく地名どおりに
「お湯につかれてウレシーノ」を実感した次第です。
有田と伊万里は磁器産地であり、唐津は陶器産地です。
三つの産地の現在の商品価値は、国内外と比較して見てきました。
これは今後、
日本の陶磁器産地すべてに共通する問題を私なりに提案し、
なおかつ国内各産地毎の解決を求めたいと思っています
CGで見ていただければ納得してもらえると思いますが、
多分、この手法を模倣することは困難です。
そして、
陶磁器業界も模倣を繰り返すことで発展してきたはずですが、
私の判断評価は、
この400年ほど「陶磁器産業の高密度化」は停止していたと思います。
絶対に「革新」がかなった商品開発ができたと自負しています。
まだ次々と革新的な手法を国内、特に有田から出発させる覚悟です。

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「高級品ということの詳細」


   


     8月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

日本語での「高級品」。
この定義は曖昧です。
まず高級という言葉の意味範囲が狭いのです。
高級品=高額品という印象があります。
しかし、高級というのは必ずしも高額でなくても、
安価なモノでも高級品というのは存在します。
そこで英語圏や仏語圏での「高級な」という言葉と、
比較してみる方法があります。
海外には高級を意味する言葉が豊富です。
贅沢なということから高品質までが「高級品」内実です。
日本語なら絢爛豪華な過飾性から単純簡素性までに、
「高級品」は存在しています。
勿論、高額であることも高級品の一つの定義です。
しかし英仏両方とも「品質」の信頼性が定義核心になっています。
そして、日本では「品格」が高度であることが求められます。
いわゆる「成金趣味性」には否定される範疇です。
最近では中国製の模倣品が「高級ブランドそっくり」です。
これを身につけていてもまったくわからないほど正確になっています。
ある経営者は中国模倣品をいたずら心で身につけて、
周囲を楽しませているという話を聞きます。
結局、「高級品」あるいは「高級ブランド」は、
所有性・使用性においてその使い手の品格と同調するわけです。
したがって、日本ブランドが高級品かどうか、
それは一等国家=高級国家(あり得ない呼称ですが)を意味しています。
少なからず、私たちは「高級品」という価値観を、
私たち自身に向けて再確認する必要があります。
今、私たちの国は決して品格ある国家ではなくなっています。
この国難にあって、復興と再構築には「高級」であること、
それは目標と目的として「品格」の高密度化に連動しています。


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『資本主義からの逃走』
「『デザイン』(動詞)+『情報』(名詞)で四領域提案」


   


     10月 27th, 2010  Posted 12:23 AM

対象領域の学際化
冠詞的に「デザイン」(動詞・名詞)を使うこと、
これは、対象領域を学際化することと思っています。
デザインする対象領域の「情報」を私は、四つあげています。
それは最近、「情報デザイン」から「デザイン情報」のように、
この二つが掲げていることには、差異性があるからです。
「情報デザイン」はそのままであれば、
情報的なデザイン、情報処理によってデザインをしていく意味合いがありました。
「デザイン情報」は、デザイン的な情報ということになります。
デザイン対象である情報を様々に捉え為すという意味だと単純に捉えていいでしょう。
したがって、webデザイナーになる基礎学としては、すでに、デザイン情報学となってきました。
それは、情報デザインという時代では、HTMLがまだまだプログラミング中心でしたが、
今では、HTMLなど言語を知らずとも、アプリケーションソフトによって、
むしろ「情報内容」のデザイン性の充実が求められているということです。
四つの対象領域情報
私は、情報デザイン・対・デザイン情報は、
「デザイン理工学」と「デザイン文理学」にあらためてその詳細化が必要だと考えています。
情報工学的にハードウエアそのもののデザインから、
情報形式の技術革新を「デザイン理工学」に統合化すべきだと考えてきました。
これは、「芸術工学」ということに関わった結論でした。
「芸術工学」というのは、あらためて芸術と工学の学際化を意図していました。
文理学をデザインに取り込むということの必要性を知ったのです。
文学・哲学・社会学など情報内容を「デザイン文理学」としていく領域設定を考えました。
さらに、私にとっては、医学と工学の学際化はデザインが接着剤的な役割があると判断しています。
また、グランドデザインという詳細さをデザインから捉えなおす必要性があるとも判断しました。
政策・経済・経営・行政などを「デザイン政経学」という四つの分類から、
あらためてデザインの社会的職能性を高密度化していきたいと考えたわけです。
結局、これからのデザイン職能、専門性はこの四つの分野で、
「デザイン+情報=デザイン情報」であり、情報デザインの進化と位置づけました。


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8月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 23rd, 2010  Posted 5:40 PM

8月23日 友引(乙巳)

これだけ情報が高密度化した
現代において、

自分と対象との関係を
照合的に測定するという行為は、
もはや知性の領域に入る。

『デザインは言語道断』好奇


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