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Posts Tagged ‘頸椎’


『電動車イスにデザインコンセプトを知らせること』


   


     5月 25th, 2022  Posted 2:20 AM

やっと軽量かも知れない「電動車イス」が
WILLから登場したので使用してみます。
私は喜怒哀楽のデザインの中でも「哀しみにデザイン」として
スニーカーのような車イスをデザインし、
デザイン賞を受賞、美術館にも永久展示となりました。
実際、ユーザー側としての私は胸椎の脊髄が痛んでいるので
腰椎の機能も失っており、当然腰を使うとがきません
。腰で乗る車イスの設計は駄目なんです。
今回の電動車イスのシリーズは、
すでに「Gマーク」を受賞しているモノもありますが
この軽量タイプは受賞していません。
私は室内と外出用と電動車イスを使いわけています。
外出用には移動時に可変して運んで管理できる
サイズと形態を求めていて、外出用をこの車イスにします。
さて、軽量といっても、27.8Kgもあります。
私と光野有次・シーティングエンジニア=金美の同級生は、
電動車イスの重さは17、5Kgにしたいと、
これまでの経験から追い求めた正確な値です。
そして私は車イスには、次の二つをデザインコンセプトを提唱。
■ 身体保持機能
■ 走行性能機能、これで分別しています。
カタログの説明を読み進めてみましたが、
誰も気がついていないのでしょうか?
気になるところを私は指摘します。
まず、腕を支えること。とても重要なのです。腰を使えませんから。
サイドのアール面の仕上げだと傷がかなりつきます。
両サイドのプラスチック枠面を立てることで防げるでしょう。
カラー展開については、「黒プラスチック+下面は黄色」が
最も手堅くて、「黒プラスチック+白面の上部で下部は黄色」。
後は、補色対比で「赤+緑」・「青+橙」・「紫+黄色」です。
EM車に「全固体電池であればもっと軽量」になる予測もあります。
また、背もたれは「頸椎、胸椎、腰椎」と
サポートすべき高さがかなり異なります。
腕を支える高さ、背もたれの高さは
腰が使えない私には低く不安定です。
私の自宅でのトップテーブル面には、洗面台700〜730mmに対して
操作パネルは使い勝手は悪くありません。
実際は阪大でも、新たな車イスの部品毎の開発提案をしましたが
阪大を外れて以降はやれていません。
身体保持機能では、
褥瘡のためにもクッションの厚みは80mmが必要です。
軽量化に、チタニウムで1インチあるいは1.5インチなれば、
アルミもボンデ鋼板でも7分の一になります。
外出用車イスは、これまで、折り畳み20Kgと、
バッテリーを増やした24Kgを使ってきましたが、
4Kg増えただけでとても重く、車に乗せる際には介助者や
タクシーの運転手さんも一苦労でした。
今回さらに約4kg上乗せの27,8 kgの重量は、
さらなる負荷となりました。
一方、かつて手動式の車イス開発で、
5.5Kgの超軽量デザインは軽すぎて駄目でした。
まずは所見ですが、
これらを載せれば WHILLには大きな提案になるでしょう。

『哀しみのデザインから楽しみのデザインへ」
『チタニュムを車イスでは選択』
『二人称のデザインをめざす超軽量と収納性の車椅子開発』
『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』


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「哀しみのデザインから楽しみのデザインへ」


   


     8月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

1989年にあるメーカーいくつかの支援で、
私デザインの車倚子を名古屋にて発表をしました。
それはアルミハニカムコアの車輪、これはセスナ飛行機の羽根部蒸着炉と
すべてチタニウム溶接、ゴム製でのエアー制御のローホークッション。
これは世界的な評価を受け受賞と収蔵になり、MoMAのコレクションです。
以来、この車倚子を乗り越えたモノはまだ無いと判断しています。
しかし、私も年齢とともに身体には変形が起こるとともに、
電動がとても重宝するようになりました。
最初の車倚子デザインは「哀しみにデザイン」を掲げました。
デザインは喜怒哀楽を主眼とすべきがテーマでした。
そして、このところは「楽しみにデザイン」を主眼として、
電動車倚子=これは私の足ですから全くの「一人称デザイン」です。
今では電動車椅子が多種多様に商品化されていますが、私の評価では、
肝心のいくつかが全く気づいていないことが多すぎます。
デザイン賞授賞であっても「これは歩けない老人には」使えるでしょうが、
とても脊髄損傷で、頸椎・胸椎での障がい者には「全く使えないモノ」が、
やたらと氾濫していて、私はデザイナーである前に障がい者として、
絶対に認めるわけにはいきません。交通や建築のとの不都合さが増大し、
ユニバーサルデザイン?、バリアフリー?、これが私の気持ちです。
そんなことを解消解決するには、ひたすら新素材の開発と、
美大同期の光野氏がシーティングエンジニアリングにて、
三つの方向を組み立て、そのスケッチもすべてiPad上で行っています。
三つの方向は
● シーティングエンジネアリングでの「身体保持性能と機能」の高度化
● 電動車椅子として超軽量の折り畳み可能な「走行性能と効能」の充実
● 前輪駆動によるインバーターと無線化での「インターラクション効能」
これらがすべて障がい者補助者への機能に合致させるべきと考えています。
さらに、iPadでのスタイラスも決定してきたことです。
今iPadでのスケッチでとても有効なことは左右利きなので、
右手でも左手でも本当にペンシルスタイラスで何枚も描けることです。
ただ困難だろうと予測していることは、
新素材や新しいキャスターなどの支援出来うる技術企業の発見です。

* 『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』
* 『二人称のデザインをめざす超軽量と収納性の車椅子開発』
* 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」
* 『超軽量で収納コンパクトな電動車椅子をめざして』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』


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『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』


   


     1月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

この車輌を準備していただく方々には大変申し訳ないのですが、
車椅子対応車輌として、このデザインは大間違いです。
かねて、グッドデザインの審査員・審査委員長時代に、
私はこのデザインは、認知症の車椅子使用の方々には必要なデザイン、
ということで認めてきましたが、
車輌メーカーデザインの車椅子認識大間違いだと主張してきました。
まず、30分程度の移動なら、車椅子で車輌に乗っていることができます。
しかし、車椅子で車輌内で固定されて乗っているのは苦痛です。
おそらくこうした発言を私はする義務があると思っていますから、
あえて「間違いのデザイン」と言っておきます。
最近は、車輌のシートがそのまま電動車椅子になっているのが、
わが国の進化した車椅子使用者の車輌デザインだと認めます。
先般もベンチャー企業で「車椅子開発」を見ましたが、
これも大間違いのデザインを進めていました。
健常者の人が車椅子に座って移動するのは「腰」を使うことができます。
ところが、車椅子使用者は腰では車椅子移動は不可能です。
明確なデザイン使用者に対応したデザイン設計無くして開発は不可能です。
車椅子にて移動をする障がい者と、
健常者使用車椅子へのデザインは区分・分別されることが肝要です。
また、腰椎・胸椎・頸椎での障害程度によって車椅子デザインは、
それぞれが全く異なることを述べておきたいと考えます。
正直私は1989年から自分のデザインした車椅子(MoMAコレクション)
使ってきていますが、加齢とともに、細部の変更をしてきています。
そしてもはや手動は諦める年齢になってきました。
今、メーカーと「電動車椅子の設計」に苦しんでいます。
なぜなら、私が納得できる電動車椅子が皆無だからです。
したがって、せめて車輌の車椅子対応デザインは熟考と実現を望みます。
また、車椅子使用の運転者のための車輌変更部品設計も、
「国際化」が望まれます。
その詳細については、わが国の制度設計へのデザイン提案が必要です。
高齢社会のわが国はもはやその制度設計が必要になってきたようです。


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『資本主義からの逃走』
 「文脈の始まりは、リハビリトレーニングからだった」


   


     8月 27th, 2010  Posted 12:42 AM

私自身の文脈
再度時間を戻します。
私がリハビリ病院でのトレーニング、その体験を今、振り返ってみると、
それは「哀しみ」を傍観し客観していただけであったと思います。
まったく主観視はできていなかったのです。
こんな思い出がいまなお去来し、悪夢になることがあります。
人間の「文脈思索の背景にある恐怖感」です。
上京して社会人になったときは、東横線で日吉から銀座に通っていました。
その時、車窓から大きな病院が見えていました。
その病院の体育館=リハビリトレーニング場から、ある日、東横線を見たとき、
〈なぜ、自分はここに居る羽目になったのだろう〉としか思えず、悲しかっただけでした。
この悲しみが哀しみに至るまでが、私自身の文脈が始まっていたのだと今なら思えるのです。
阿鼻叫喚の場
毎朝、ビートルズのOb-La-Di, Ob-La-Daを踊っている人たちがいます。
彼らは精神的な障害を持っている人たちでした。
ほとんど寡黙でまなざしはそれぞれが一点を見詰めているそんな集団は、
その踊りで彼らのトレーニングが終わります。
その後は、頸椎や脊髄損傷(私はその一人)、
そして脳溢血障害で半身麻痺の患者たちのトレーニングが始まるのです。
あっけらかんとした大きな笑い声と、泣き声や叫び声が体育館に毎日響きわたっている場でした。
ここは阿鼻叫喚・地獄かもしれない、そんな恐怖感を何度抱いたことでしょう。
幸いにして、私は恋人がほとんど身の回りを看ていてくれたり、会社の上司や同僚、
大学時代からの親友が絶えず見舞って励ましてもらいました。
だから、その恐怖に負けなかったのだと思います。
一日でも早く退院したい、
その気持ちだけで、次々と車イス生活のためのメニューを米国流で半年ですべてをこなしました。
これは、今、リハビリテーション医療に対してのデザイン提案の源泉になっています。
このブログでも以前に「resign」として記しました。
清々しい自分にもどるべき
メニューの一つをやり遂げると、OTやPTの人が、
「川崎さんは、段差越えをマスターしました、みんな拍手!」と言って褒められます。
ところが、これは拍手をされているにもかかわらず「嫉妬」を買い、
苛められることにもなるのです。時折、病院内で、後から急に引っ張られて転倒させられるのです。
人間社会の縮図は、リハビリ病院にもしっかりと文脈の背景は根付いていました。
私は、「文脈」、その背景には歴然たるものがあると断言しておきます。
おどろおどろしい非人間性が根底には必ず基盤になっているのです。
したがって、「文脈=コンテクスト」を人間的に創出するには、
自分を「純粋培養」させることだと確信しているのです。
それは、東芝に入社したとき、「清々しい自分、デザイナーでありたい」と、登録しました。
つまり、たとえ障害者になっても、維持していける自分で有り続けられるかということでした。
「文脈・コンテクスト」にある非人間性への怒りと全否定がなければ、
「文脈」を「想像」し、そこから「創造」の入り口にはたどりつけないと考えます。


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