9月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
9月 3rd, 2021 Posted 12:00 AM
Tags: V.B.シクロフスキー, としてのデザイン, 川崎和男のデザイン金言, 手法, 異化, 異化作用的, 表現形式, 試みた
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9月 3rd, 2021 Posted 12:00 AM
Tags: V.B.シクロフスキー, としてのデザイン, 川崎和男のデザイン金言, 手法, 異化, 異化作用的, 表現形式, 試みた
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10月 4th, 2018 Posted 12:00 AM
10月04日 友引(己巳)
そんなことでは、
観客の感心は得られない。
『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり
Tags: ツール, プレゼンテーション, 内容, 失う, 川崎和男のデザイン金言, 形式, 形式観, 感心, 生き生きさ, 表現, 表現内容, 表現形式, 観客
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9月 28th, 2018 Posted 12:00 AM
09月28日 友引(癸亥)
そんなことでは、
観客の感心は得られない。
『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり
9月 26th, 2012 Posted 10:00 AM
9月26日 友引(庚寅)
そんなことでは、
観客の感心は得られない。
4月 30th, 2012 Posted 12:00 AM
Tags: CG, アクション展開, アナログ世界観, コマ割, ゴルゴ13, コレクション, コンテクスト, コンテンツ, スタッフ, ストーリー, ストーリー展開, ストーリー性, テーマ, デザイン, ブラック&ホワイト, プロセス, プロフェッショナル, プロフェッショナル性, ペン描き, ホビー, マニア, ミッション・インポシブル, ユーザビリティ, ロングセラー, 不可能, 主人公, 仕立て, 作品, 公開, 再学習, 創造力, 厳密, 基本, 学生, 安心, 完全無欠, 完全無比, 引用, 徹底, 徹底的, 性能, 想像力, 意見, 成果, 描画性, 敬意, 映画, 映画表現, 機器, 機能, 演出性, 漫画, 現実性, 男の子, 禁じられている分野, 自分のスケッチ, 自分のライン, 荒唐無稽, 表現形式, 装置, 見立て, 解消, 評価, 造形ライン, 道具, 違和感, 銃器, 関連
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
2月 24th, 2012 Posted 12:00 AM
Tags: iPad, ostylus, oStylus DOT, SketchBook-Pro, アップル銀座, インハウスデザイナー, コツ, コッピク, ショーアッププレゼン, スケッチ, スタイラス, スピードライマーカー, タッチ感覚, プロダクトデザイン, ボールペン, マーカー, マーカースケッチ, モノ, ラフレンダリング, 学生, 実演, 導電ウレタン, 市販, 書道, 柔らかさ, 水彩表現, 画, 紙, 統合, 自作, 草書体, 表現形式, 鉛筆
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12月 23rd, 2009 Posted 10:00 AM
2009年、歳末になろうとしています。
私にとって、この一年は、
教育・講演・研究・開発・提言すべてを
デザインで包み込んだ活動でした。
もっともちょうど60歳・還暦で生命はつながっていす。
ブログ本論のタイトルは、「華甲我之発言也」です。
華甲発言
「華甲」とは還暦・60歳を意味する
古代よりのレトリックとして美しい言葉です。
デザインの世界に入って、
ほとんど休日休暇は持たないデザイン連続でした。
ただし、時に、「死に際」に至ることや、
「死」の予感が私の生体を追い込むことはしばしばです。
そして、その「死線」から帰還すると、
必ず、私にはなぜか大きなテーマが振り降りてきます。
●「なぜ、このスケッチを描くのだろう」
●「なぜ、今こそ、どう非難されても発言しよう」と
なります。
日本のかたち
このブログで、とうとう「資本主義と民主主義」への
私の持ち続けてきた「歴史観、それも敗戦という軸」に、
知識を整理して、いわば暴論となろうが、
この思索は、私のデザイン手法での「日本のかたち」、
その試作だと思ってください。
●それは壊れかかっていたり、
●すでに壊れたり、失ってしまった「日本のかたち」を
デザインし直すこと。新たなデザインを生み出すこと。
この二つを差し出そうということです。
だから、このブログは、一度こうして掲載した後も、
さらに「校正」を何度もしているのです。
おそらく、ほとんどの読者の方々は一度読んで、
●「まぁ、そういう見方もあるか」とか
●「過激だな、何をそこまでも」とか、でしょう。
私は、ブログという形式がすべからく「日記風」の
感想報告文体であることを残念に思っている立場です。
残念であり、無念であり、
文体に載せる言葉の貧しさに、「不景気さ」=鬱を
見抜いてしまいます。
「不景気という不気味さ」
なぜなら、
私は確実にコンピューターのエバンジェリストでした。
だから、特にパソコンとネットワーク、インターネット、
それらの進化はつぶさに実体験し、そのシステム創りや
デザインに関わってきましたから、
ブログの形式が日記風・感想文風ということに陥っている
その「不景気」さは「不気味」さでもあるのです。
だから、この「不気味さ」を選んでいる社会は、
「不景気」だから、ブログという新たな表現形式にも
●「不景気」という「不気味さ」にすら気づかないほど、
●「不景気」、すなわち「bitな鬱病」だから、
「死線」が見えるわけがありません。
鬱病に死線は見えない
その「死線」とは、
「資本主義の終焉という死」の境界線です。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 2009年, 60歳, bitな鬱病, インターネット, エバンジェリスト, コンピューター, サイクルループ, システム, システム設計, スケッチ, タイトル, テーマ, デザイン, デザイン手法, ネットワーク, パソコン, ブログ, レトリック, 不景気. 不気味, 不景気という不気味さ, 予感 生体, 休日, 休暇, 境界線, 実体験, 帰還, 思索, 提言, 敗戦, 教育, 整理, 日本のかたち, 暴論, 本論, 校正, 歳末, 歴史観, 死に際, 死線, 民主主義, 生きがい, 生命, 発言, 知識, 研究, 華甲, 華甲我之発言也, 表現形式, 試作, 論理性, 講演, 資本主義, 資本主義の終焉という死, 還暦, 開発, 非難
Posted in 007「資本主義」, 資本主義から逃走せよ!