8月 16th, 2014 Posted 12:00 AM
Consilienceという言葉をある教授から与えられて以来、
ほとんど取り憑かれています。
科学と文化、学術と芸術、この「融合」を根本で熟考しています。
私にはまず、疑いがあります。
とりわけ、学際化とは専門領域を融合化するとか言われると、
融合って?となってしまいます。
正直、自分がつかみとって、認識している自覚が無ければ疑います。
それこそ、専門家と公認されていればいるほどそう思います。
かって、日本のトップクラスの研究所での限定された発表会で、
「こいつの発表が全く分からない」と確定したことがあります。
ところが、時代は彼を寵児にしてもてはやしましたが、
その知識の浅薄さは今もそれだけの人間になっているようです。
時代とか、その社会感覚、流行には嘘くささが極めて多いはずゆえ、
それを内村鑑三のある書籍には、その証が書かれています。
また、この基本書に液晶グラスが自分のデザインながら、
これぞ本当に重要なモノです。
100円ショップにまであるようなPCメガネでは何も解決しません。
重要なコトは、青色カットなど意味無く本当は「ドライアイ対策」。
パソコン画面に向かっている特にコンタクトをしていたなら、
ドライアイが目の病気を誘発することは間違いありません。
このデザインには、造形で、技術と医学を融解させ合わせています。
少なからず、二つの専門分野を対象デザインに向けて、
融解することになります。その融解させる工程での合体化です。
言葉の構造上では、必ず、融解+合体=融合は成立するでしょう。
しかし、融合させた結果が化学反応すれば、
融解させて合体化には、元の要素・要因は消滅することもあります。
したがって、融合とは必ずしも、二つの要素が残るわけではなく、
化学反応としての融合があることも認識条件だと考えています。
『PCメガネはドライ・アイ対策でなければいけない』
Tags: Consilience, PCメガネ, ドライアイ対策, 内村鑑三, 化学反応, 学術と芸術, 学際化, 液晶グラス, 科学と文化, 融合, 融解, 融解+合体=融合, 認識条件, 青色カット
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4月 30th, 2013 Posted 12:00 AM
光造形システムが落ち着き始めた頃に、
手の上の温度で融解する程度だったサンプルが、
3Dプリンターとなって、
その将来性が云々されるようになりました。
「RepRap Project」が米国で一躍注目されて、
簡単に単純な構成の装置でプリントアウト出来るようになりました。
しかし、あくまでも素材は0.6mmの素材が
まさにソリッドワイヤーのままですから、
トポロジー形態を作成するには、
ここでもサポートとノズルへのプログラム化が必要です。
国内でも早速3Dプリンターを取り入れたカフェや団体が登場しています。
私は、あくまでもサポートと素材に拘っています。
日本流のアレンジメントを創出し、
新素材やその供給方法を一般化しなければなりません。
3Dプリンターは「パンドラの箱」とまで大仰な表現が登場し、
この装置での商売が始まってきましたが、
欠落していることがあり過ぎるようです。
まず、これを本当に使いこなす「技」は、
本当に限定された人物だけしか使えないことや、
肝心のネットワークでのバーチャルシステムも出来てはいません。
米国流は必ず破綻する時間が早いはずです。
光造形システムのアイディアも、
元来は日本人だったのです。
大統領が3Dプリンターの実際も分からずに
声明するのは選挙のためにすぎません。
やはり、これが「自己増殖するシステム」であり、
そのための「新素材」であり、
供給さえも自己増殖させるサーバーも、
すべからくこの日本で完成させる必要があるでしょう。
とりあえず、米国でのアイディアを日本で根本の改革を成し遂げ、
3Dプリンターで革新させる「技術」そのものを、
「Made in Japan」の確実性と信頼性を築くべきでしょう。
私はそのことを可能にする少数の人たちを結びつけます。
その進展に期待をしてください。
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5月 22nd, 2010 Posted 12:45 AM
世界観としての物質・情報・エネルギー
私は「物質・情報・エネルギー」が世界観だと考えています。
そしてこれらをまさしく、歴史的な世界観と照合させます。
五大思想や五行説、あるいはインド的三大(火・水・土)です。
「物質・情報・エネルギー」この三大世界観を日常化するには、
この三大世界観、私なりには、世界の構造軸、
その要素と要因を意図しています。
物質
物質というのは、物ですから自然物から人工物全般です。
私はこの中でも人工物=モノと表現しています。
デザイナーとしては、このモノ=人工物を中核にしています。
本来なら、自然の中での人工物ですが、
私は、デザインするモノ・デザインされたモノが、
自然との関係と人間との関係、すなわち世界観の構造というわけです。
自然物が当然、世界観の基本ですが、
私は、人工物=モノから自然を見ていると思っています。
エコロジー
このまなざしゆえに、たとえば「エコロジー」という、
ある世界観へのまなざしには慎重でありたいと考えています。
とりわけ「エコ」ブームには懐疑的になっています。
「エコプロダクト」という呼ぶ方に集合されているモノのデザインに、
「デザインの本質性」があるのでしょうか? 正直、無いと思ってます。
いづれ明快な回答と解答を書くつもりですが、
現在、「エコプロダクト」という商品で、
デザイナーとして納得できたモノは有りませんでした。
なぜなら、人工物=モノと自然物=もの・物,
この二つは対決せざるをえない構造を持ち合っていると判断するからです。
もし、世界観における「物質」系=自然もの+人工モノは、
調和・ハーモニーと均衡・バランスの相互性が必要です。
したがって、モノとものという「物質」系は、
ハーモニーとバランスという相互作用性がデザイン対象意図だと判断しています。
ただし、調和とバランスには、反発構造や対決と融合・融解までの幅もあるわけです。
あらためて「エコロジー」という言葉の由来、
そして生態系バランスのあり方を見直す必要があります。
デザインが世界を変える
「物質系」世界観の最適解としてのデザインこそ、
「デザインが世界を変える」ことになります。
「世界を変えるデザイン」というのは、
本質的な論理性が実は壊れているのです。
このことに気づかないデザイナーには、
デザインの本質がまるで見えていません。
もっと基本的な「世界観」・観念論的哲学の基本が必要でしょう。
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11月 25th, 2009 Posted 3:00 AM
「諦観」とは、resignだと私は経験してきました。
諦めて生きること。
これはリハビリテーションの原理だと知ったのは、
車いすを余儀なくされ、
米国のリハビリ・トレーニング原書の
最初の書き出しで知ったのです。
とても大きなショックでした。体が震えました。
怖かったです。
これからリハビリで、元のような生活になるんだ!って。
この意気込みは、一遍に消失しました。
ところが、「諦めて生きる」というのは、
もう、歩けなくなった自分ではないけれど、
歩けない代わりに、もっと歩けていた以上に自分を修練し、
残された機能を鍛錬するということがresignだと、
米国のリハビリテーションの本に書かれていたのです。
まさしく、これは日本の仏教的思想の「諦観」でした。
以来、私は常に「諦観」の思想と論理を、
自分自身に言い聞かせて、車いすで生きてきました。
「神の国」には「諦観思想」があります。
米国にも同様にあるのです。
「あきらめる」=give up と言うのと、
「諦める」=resignとの大きな差異です。
私たちは自分本位であることに、
何らかの決着=諦観が、絶対に必要なのです。
「諦観」を心底にすれば、
それこそ、「神の国」には、右翼も左翼も、部落差別も、
どんなタブーすら「諦観」で全て融解してしまいます。
そして、
「諦観」が希求しているのは、
実は「希望」です。
今日本の国「神の国」の子供たちがほとんど知っています。
司馬遼太郎氏の上記の一節です。
21世紀を生きる子供たちに、彼の「希望」があります。
果たして、21世紀に生きる大人は、
彼と子供たちの「希望」を
次世代に準備できるのでしょうか。
改めて、「諦観」からの「希望」で、
「神の国」に生を受けて存在している「使命」を、
自分自身に問い直していく日常こそ、
「諦観」と「希望」の狭間での私たちの「義務」であり、
その「義務」を果たさずして、
勝手極まりなく「権利」を求めることは、
人格を犯罪にしていると、私は考えています。
「神の国」の住人は、「諦観」が「希望」を創出するのです。
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